25日の今日が過ぎると、薬殺処分される猫と犬がいます。
このブログでも拡散をお願いした記事を書きました。
途中経過は105匹から95匹と10匹の助かった命があったようでしたが、その後はわかりません。
こういう記事を書くと、私の個人に対して感動したりする方もいらっしゃるのですが、私自身は決して良い人間ではなく、後悔にかられて何かするべきなんじゃなかという意識にさいなまれるからやっているだけです。
詳しくはまたいつか、ちゃんと記事にしたいと思いますが、私は子供のころ、動物に対してやさしく出来ない人間だったので、そのことを償うために、何かしなくてはと強迫観念に駆られていると言うのが現状です。
クリスチャンになったおかげで、混乱は整理されていますが、自分がそういう人間だったことがわかっているからこそ、人間を正当化できない部分もあります。
私たちも動物たちも、虫たちも自然も、すべてが同じ地球にすんでいる、同じ生物。
そのことを思うと、人間の好き勝手に位置づけられる、あるいは生命さえ脅かされる人間以外の生物たちに土下座したくなる思いです。
でも、やっぱり人間だと思うのは、ずっとそのことを考えているわけではなく、やっぱり自分が楽しく生きることにのみ、日々の生活は支配されているということ。
昔、あるホラー漫画にこんなのがありました。
複数の人間が部屋に閉じ込められていて、色んなことを剥きだしあっているのですが、最終的に大きな手に捉えられて、外に出される。
すると、そこには魚の顔をした板前が居て、活造りの用意がされていると言うオチ。
つまり、人間が美味しいと言って食べる活造りは生き物を生きたままいきなり殺して食べると言うことなのだと、ぞっとした漫画で、今でも思いだしてはぞっとしています(^^;)
確か、オーストラリアとかどこかでは、活造りは禁止でしたよね。
残酷すぎる。
食べないわけではありませんが、やはり生きたまま蒸したり、焼いたりと言う映像を見ると目をそむけたくなる。
人間は自分の享楽のためには、いくらでも残酷になれますね。
でも食べないわけにもいかない。
私はいい加減なので、菜食主義者になることはありませんが、食べさせてもらっている感謝はするようになりました。
同じ生物でありながら、人間を生かすために作られている動物たち・・・・・。
知的生物と言いながら、人間は自分では何一つ出来ません。
いつも、誰かに、何かに助けてもらっている。
そのことを絶対に忘れてはいけないと思います。
最近、大尊敬している、ダライ・ラマ14世の本にこんな文章がありました。
「人間のようにより深化した種であろうと、動物のように単純な種であろうと、あらゆる生き物はまず平和ややすらぎ、安全を求めます。生命は言葉を発することのできない動物にとっても、人間にとってと同じようにかけがえのないものなのです。昆虫のような生き物ですら危険から身を守ろうとします。私たち人間の誰もが死を恐れていますが、この地球に暮らすあらゆる生き物もまたおなじなのです。」
人間の世界を主においても尚且つ、こういう考え方が出来るのですね。
これは核について、彼が述べた言葉ですが・・・。
もうひとつ、彼の言葉
「私たちは生きていくために愛情を必要としているのです。私たちは人からの愛と思いやりを本当に必要としています。人間だけではありません。動物も同じです。彼らもまた母親から生まれてきた存在であり、母乳をもらって生きています。」
世の中のあらゆる生物のために、今日は祈ります。
このブログでも拡散をお願いした記事を書きました。
途中経過は105匹から95匹と10匹の助かった命があったようでしたが、その後はわかりません。
こういう記事を書くと、私の個人に対して感動したりする方もいらっしゃるのですが、私自身は決して良い人間ではなく、後悔にかられて何かするべきなんじゃなかという意識にさいなまれるからやっているだけです。
詳しくはまたいつか、ちゃんと記事にしたいと思いますが、私は子供のころ、動物に対してやさしく出来ない人間だったので、そのことを償うために、何かしなくてはと強迫観念に駆られていると言うのが現状です。
クリスチャンになったおかげで、混乱は整理されていますが、自分がそういう人間だったことがわかっているからこそ、人間を正当化できない部分もあります。
私たちも動物たちも、虫たちも自然も、すべてが同じ地球にすんでいる、同じ生物。
そのことを思うと、人間の好き勝手に位置づけられる、あるいは生命さえ脅かされる人間以外の生物たちに土下座したくなる思いです。
でも、やっぱり人間だと思うのは、ずっとそのことを考えているわけではなく、やっぱり自分が楽しく生きることにのみ、日々の生活は支配されているということ。
昔、あるホラー漫画にこんなのがありました。
複数の人間が部屋に閉じ込められていて、色んなことを剥きだしあっているのですが、最終的に大きな手に捉えられて、外に出される。
すると、そこには魚の顔をした板前が居て、活造りの用意がされていると言うオチ。
つまり、人間が美味しいと言って食べる活造りは生き物を生きたままいきなり殺して食べると言うことなのだと、ぞっとした漫画で、今でも思いだしてはぞっとしています(^^;)
確か、オーストラリアとかどこかでは、活造りは禁止でしたよね。
残酷すぎる。
食べないわけではありませんが、やはり生きたまま蒸したり、焼いたりと言う映像を見ると目をそむけたくなる。
人間は自分の享楽のためには、いくらでも残酷になれますね。
でも食べないわけにもいかない。
私はいい加減なので、菜食主義者になることはありませんが、食べさせてもらっている感謝はするようになりました。
同じ生物でありながら、人間を生かすために作られている動物たち・・・・・。
知的生物と言いながら、人間は自分では何一つ出来ません。
いつも、誰かに、何かに助けてもらっている。
そのことを絶対に忘れてはいけないと思います。
最近、大尊敬している、ダライ・ラマ14世の本にこんな文章がありました。
「人間のようにより深化した種であろうと、動物のように単純な種であろうと、あらゆる生き物はまず平和ややすらぎ、安全を求めます。生命は言葉を発することのできない動物にとっても、人間にとってと同じようにかけがえのないものなのです。昆虫のような生き物ですら危険から身を守ろうとします。私たち人間の誰もが死を恐れていますが、この地球に暮らすあらゆる生き物もまたおなじなのです。」
人間の世界を主においても尚且つ、こういう考え方が出来るのですね。
これは核について、彼が述べた言葉ですが・・・。
もうひとつ、彼の言葉
「私たちは生きていくために愛情を必要としているのです。私たちは人からの愛と思いやりを本当に必要としています。人間だけではありません。動物も同じです。彼らもまた母親から生まれてきた存在であり、母乳をもらって生きています。」
世の中のあらゆる生物のために、今日は祈ります。
# by kuniko_maekawa | 2012-05-25 12:14 | 心のつぶやき | Comments(0)

