演出助手

私はトレーナーや演出家に至るまでに、「演出助手」と言うセクションでずっと仕事をしていました。今も、多くはありませんが、特定の演出家のお仕事だけはやっています。
簡単に言えば、映画における助監督のようなもので、演出家のアシスタント作業なのですが、こう言う仕事もあまりお聞き及びでないでしょうから、ちょこっと紹介。
公演団体から依頼がきて仕事が決まると、まず、やらなければいけないのは、出演者の出欠表を元にした、スケジュールつくりです。これによって、稽古内容が決まり、実際の稽古日も捻出できるのですが、これが手がかかる面倒くさい仕事です。なぜかというと、日本の歌い手さんは必ず他の仕事(歌以外です。学校の先生とか)を持っているか、公演を何個も重ねてお仕事してるので、全日出席なんてことは、ほぼ不可能です。これは女声も男声も、レベルの高い歌い手さんであればあるほど、そうなります。男声は100%そうだと言っても過言ではありません。絶対量が少ないので。それで、とにかくルービックキューブの色合わせのように、出欠席を照らし合わせて、日程を出していきます。
しかし、この状態は、あるい程度しようがありません。なぜかというと、日本ではオペラ公演だけやっていても、食べていけないと言う現状があるからです。今は新国立劇場などもあり、ある程度の場所と報酬を得ることはできるかもしれませんが、年間の公演数と出演者の数を考えると、すべての歌い手にいい条件ではありません。何らかの食べる方法をもっていなければ生活できませんから、そのことについてはこちらも譲歩しています。スタッフも同じですからね。しかし、引き受けているのですから、何とかしてもらわなければいけないし、こちらも稽古を組まなければいけません。それで、「交渉」と言うものが必要になります。「こう言う条件を出すので、譲歩して欲しい」と。例えば、「2回お休みを上げますので、是非、その後の3回をください」とか。
これも、若いときは大変でした。こちらも、駆け引きがわからないし、歌い手さんはみんな自分より年上で経験がありますから、まさに、海千山千。言い過ぎても生意気だと怒られますし、言わなきゃ稽古が出来ないし。良く悩んでましたね~。最近は、すっかり経験値だけは上がって、少々のことは怖くなくなりましたから、歌い手さんに苦手がられていますが(笑)。
さて、そんなことをやりながら、演出家と他のプランナーの打ち合わせが始まります。この打ち合わせの前に、しなければいけないこともあります。
まず香盤表。これは、演出家が出すことも多いですが、大抵は先のアシスタントの方で、楽譜に添ったものを出します。簡単に言えば、「出ハケ表」です。つまり、誰がその時舞台上に居るかと言うことを表にしていきます。オペラの場合は、裏歌と言って、舞台袖で声を出すと言うものや、コーラス、バレエと登場人物と場面も多いので、知らない作品だとやっぱりあたふたします。それを元に打ち合わせが進んじゃったりしますから、特に衣装関係などはそうです。ですから、稽古が進んでいくと、改めて「衣装香盤表」と言うものも作ったりします。打ち合わせ以外でも、資料を探す、衣装を観る、こう言うことをやりつつ、やっと本稽古に入ります。稽古における演助の仕事は多種多様。基本的に、演出家の言ったこと、動き、そういったことを記録していき、休んでいた歌い手さんとか、演出家が居ない時の稽古を代行したりします。それから、稽古の進行を見ながら、先のスケジュールを決めていき、またもや交渉。音楽スタッフとも、稽古をしながら、音楽が弱い人に関しての相談や、コーラスが居る場合は、合唱指揮者が居ますから、動きを見てコーラスの声や、位置に問題があった場合は、これまた交渉。それから、稽古には、舞台監督という人が全体の大道具的なことや、稽古場の仕切りをしてくれるのですが、彼らと、稽古の内容や、舞監助手達とのきっかけの合わせ等。とにかく、やることは一杯あります。しかも、文句は言われ放題(笑)。言ってしまえば、乳母やのようなものです。いつもにこにことして、物言いも穏やかで甘えやすく、けれどきちんと叱ってくれて、しかもお料理、お洗濯、お掃除、すべてが完璧。そんな乳母やにあったことありませんが、とにかく、そう言うセクションなのです。
私は演出助手をやり始めて、早17年目に突入。最初は、鼻っ柱だけで、何にも出来ませんでした。それでも、自分の目で見て判断すると言う能力と、変な度胸だけはあったらしく、わけがわからなくても、走り回っていました。ほとんどが勘で・・・。こう言った仕事は職人と一緒で、見て覚えていきます。ですから、良く失敗もしましたし、何が失敗かわからず、他のスタッフから全然口を利いてもらえなくなったり、歌い手を怒らせたり、色んなことをやりました。そうやって、自分の方法を覚えていきます。おかげで、今では、どんな大きさの公演でも、どういった形態でも、仕事をすることが出来るようになりました。
最近はスタッフを志望する若者も私の周りに出てきました。希望に燃えて、何でもやってみたくて、なんだか話を聞いてると、まぶしい感じもします。今は、まったく仕事として演助を捕らえることしか出来なくなっている私には、夢を持ってこの仕事をやり始めたことは遠い昔ですもんね。
もともと演出助手になる人は演出家希望で、ある程度の経験を積んだら、演出家として先を進んでいました。ですから、いわゆる書生さんのような立場で見られていたと思います。報酬も、修行中ということで、きちんとした額ではありませんでした。私が仕事を始めたときでも、「やらせてあげている」と言う風潮は十分残っていました。それを今のようにある程度の仕事にしてくださったのは、私達の先輩達です。そして、それを私達の代が、「演出家」になりたいから「演出助手」をやるのではなくて、「演出助手」を仕事にすると言って、そのまま続けていくようになり、セクションとして認められるようになりました。今では、どこの団体に行っても演出助手の報酬はある程度約束されています。ありがたいことです。
10年経ってやっと一人前になる世界。そこから、自分のやり方を見つけていかなければ成らない仕事です。どこも職人は同じで、今は後継者不足。私もそろそろ、歳だし(笑)、ホールを走り回れなくなる前に、早く若者が育って欲しいものです。
[PR]

by kuniko_maekawa | 2005-07-18 21:30 | オペラなお仕事 | Comments(0)