訳詩の弊害

今現在、訳詩台本を二つ扱っています。

「フィガロの結婚」とレハールのオペレッタ「メリー・ウイドウ」。

どちらも台詞があって、楽曲も日本語でやります。

「フィガロ」の方は自分で台本を書き、訳詩をしました。

演出家が自分で書くのですから、台本も楽曲も、やはり自分の演出意図が強いですし、演出イメージが強いです。
あらかじめ、演出意図を加味して書いていますから当然ですよね。

稽古をしていても創りやすいことは確か。

しかし、最近ある弊害に気づいています。

何かと言うと、訳詩というのはものすごく抽象的だということ。

例えば「フィガロの結婚」の場合、原語はイタリア語です。

本編を原語でやる時は、当然私たちはイタリア語を訳し、そのニュアンスを解釈しようとします。
もちろん楽譜にもきちっと数がはまっており、音程も作曲家の意図にそってつけられていますから、なんら問題なし。

しかし、これを日本語に訳すと、まずシラブルが音符にうまくはまらないために、イタリア語の意味に近い日本語の言葉を当て込みます。

例えば、伯爵夫人の有名なアリア「Dove sono i bei momenti(あの美しい瞬間はどこへ)」

これを日本語の歌詞に訳す時に、まず困ったのは「i bei momenti」は複数ということ。

本当は「美しい数々の瞬間」とか「美しい時間たち」とかが近いと思います。

しかし、まず「瞬間」とか「時間」と言う言葉が音符にはまらない。
それで、取りあえず「日々」と当て込んでみます。

「美しい日々よ どこへ」

これでは高い音程のところに「日々」と入って、「い」の母音が綺麗な音に聞こえない。

ってことで、私はこれを「美しい時よ いずこ」と旧い言葉も引っ張り出し、「時」と言う単語に長さと言うイメージで複数と感じてくれい!と念じて書くわけです。

不思議なもので、母国語と言うのはある程度は個人的に解釈されやすく、この訳詩でも問題はなさそうです。
ところが、歌い手が元々の複数のニュアンスを持たずに、これを歌うと、「時」というものが長さだけの問題になって、伯爵夫人がえらく年寄りに感じたりします。

これが訳詩を扱う時の弊害。
日本語の意味がすごくファジーに感じやすいのです。これは歌っている方も、聴いている方もそう。

歌い手や演出家の方にイタリア語の本当の意味がわかっているかどうかでは訳詩の扱いはまったく違います。

同じ「Dove sono」のアリアに入る前の最後のレチタティーヴォはイタリア語だと「fammi or cercare da una mia serva aita!」

「今では、私の召使の助けを求めなければならない」と訳します。

これは伯爵夫人が、伯爵の浮気現場を押さえるために、スザンナと入れ替わって庭で逢引するということを計画し、そのことについて言っています。

音楽もかなり悲劇的。
そんなことをしてまでも伯爵を取り戻さなければならなくなった自分を嘆いていますが、大切なのは「召使の助けを求めなければならない」というところ。

伯爵夫人でありながら、自分では何も出来ないもどかしさというわけですね。
しかも、自分よりも身分の低い召使に助けられるなんて。

しかし、これだけの日本語を音符に入れるのはまず不可能。

入れても言葉が硬く、歌詞にならない。

やっぱり歌詞は「詩」です。
歌って綺麗に聴こえないと、耳を刺激しませんよね。

演出的にはニュアンスとして上記のことを入れたいのですが、シラブルが不可能。

と言う事で頭を悩ませて「ああ、いまや、誰に望みを」と言う、まさにどうとでも取れるようなファジーな訳詩に・・・・・。ふっ・・・・あたしのちっこい脳みそじゃあ、ここまでさ・・・(;;)

しかし、これを歌い手がどれだけ本編のニュアンスとして「誰に望みを」と言う言葉を解釈してくれるかでかなり違ってきます。

言葉は違えど、ここに伯爵夫人のプライドが傷つけられる瞬間をわかって、この訳詩を扱って欲しい。そのことが、言葉と音の扱い方を変えていきます。

「メリー・ウイドウ」に関しても同じ。

ただし、こちらは私の訳ではありませんので、いくらかでも文句の言いようもありますが(笑)。

良い経験です。

実は原語でやっている方が、解釈としては楽。
ある程度、単語のニュアンスの方向性が決まってきますから、考えなきゃいけないことは、音楽の方向性。

しかし、訳詩公演は皆が解釈しやすい状況の中での方向性ですから、ほっとくと、いくらでも尾ひれがついて泳いでいってしまいます。

これをがっちりと作曲家の意図につなぎとめるには、私自身が原語台本をちゃんと解釈してないと出来上がりません。これがね~(^^;)

いえ、頑張ります!
例えぶった切ったハイライトでも、一本通す形でも、訳詩でも原語でも、お客様のために作品はあるのですから。

ふ~、演出家ってなんだか大変です~(@@)
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by kuniko_maekawa | 2008-02-11 11:25 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

Commented by panda at 2008-03-29 11:44 x
またまたお邪魔しました。
確かに、良い字幕と悪い字幕があるもので、
歌手がその言葉を歌う前に字幕が出てしまい、
マジックでいうところの「タネあかし終了!」みたいな状態に
なってしまい、かなり残念な気分になったりします。
字幕も職人技なんですね。
なるほど~。。
Commented by kuniko_maekawa at 2008-03-30 19:03
pandaさんいらっしゃい~!字幕って本当に難しいんですよ~。
私は自分で字幕を作ったり、Qを作ったりするときのために、時々字幕Qをやらせていただくのですが、成功したためしがないです。
センスが無いといえばそれまでですが、お客の感性を一番揺さぶるところなので、技がいります。
訳詩も同じことで、あんまり説明しても駄目だし、日本語と言うのはなんとも・・・。
pandaさんのようにお客様が残念と思うようなことを出来るだけしないようにするのが私たち演出家の仕事です!