きっかけを作ると言う事

e0022232_2050730.jpg
8/27、28と初の出張レッスンに行って来ました!

とある歌い手さんが、彼の生徒さん達と発表会前の合宿をやるので、違う方面から生徒さん達にアプローチして欲しいとの依頼。

いや〜、物凄く嬉しかったです〜(≧∇≦)

彼は元教え子で、出会った頃から色んな試みに付き合ってくれた人。

彼の成長過程は私の成長過程と重なる部分も多く、そういう意味では貴重な友人でもあります。

そういう人からの依頼も嬉しかったけど、「私の身一つで世界中レッスンして歩きたい」と言うのが私の目下の夢なんで、最初の一歩を踏み出したような気がして更に嬉しかったです!

さて、行き着いた先は山口県の秋吉台と言うところ。

秋芳洞と言った方がわかりますかね?

カリスト台地だっけ?と、洞窟で有名。

私が小学生だった時は正にそれしか無く、ライトアップされた洞窟を怖々歩いた記憶しかない(笑)

なんとそこにホールが建ち、「芸術村」と銘打ったスタジオや宿泊施設がドーンと建ち並んで、芸術祭などやるらしい。びっくりしました!

レッスン室も、大きな窓の向こうには緑が満載で、気持ち良い。

こういう所で音楽を作るのは尚更楽しかったです(o^^o)

学生さん達は8人。大学の1年〜4年生で、3年生はいません。

最初に4年生から聴かせて頂き、感じた事を沢山話して来ましたよ(o^^o)

学生さんを対象にレッスンする時は、基本、彼らの将来を考えながら、けれども大雑把な話をして行きます。

彼らはまだまだ未知数。

必ずしもオペラ歌手を目指しているわけでは無い。

今回も、4年生は多少先を考えていますが、以下の学年の生徒さんは、多分、まだ「良い声で歌う事」が目標だと思われました。

なので、私がやる事は、「きっかけを作る事」

これが結構楽しい(o^^o)

何が楽しいかって、予測出来ないから(笑)

「将来を考えながら、大雑把に話す」のは、まだ先を見据える事が出来ない彼らの、何がきっかけになるかわからないからです。

もちろんレッスンの内容は、いつものように楽譜の読み方から始めて、感じた事をドンドン投げて行きます。

呼んでくれた先生は、私のやり方を良くご存知で、そこを期待して依頼して下さったと思うのでガンガン飛ばしました(笑)

その「ガンガン」の何が彼らの何処にヒットするかは神のみぞ知る(o^^o)

しかしこの門下は、全員、素晴らしく素直な息遣いと、声の響きを持っていて感動しました。

先生の教え方が良いのは一目瞭然ですが、お互いの信頼関係が見事。

生徒さん達が先生の耳を信頼して、全て任せているのがわかります。

先生自身も、本当に真摯に音楽と声に取り組んで来た歌い手さんです。

正に親の背中を見て子が育ってるんだな〜(*☻-☻*) いや、感動でした。

一泊二日で9時間のレッスンでしたが、本当に楽しかった!(≧∇≦)

そして50歳になった私は、いつの間にか「きっかけ」を与えられるキャリアを持ってるって事に、初めて気付かされました。

今までレッスンは、「育てる」事だと思ってました。

だから、継続して育てられる「素材」をずっと待ってた。

でも、どうやら神様が私に与える役割は、「きっかけ」であるらしい。

そんな事に気付いたんですよね。

だから私は身体一つで、何処へでも行きます。これからも。

そして、悩んだり、まだ良くわからなかったり、ステージを上げたかったり、何かの「きっかけ」が欲しい人達に出会って行くんだと思います。

なんて素敵なんだろう〜016.gif

今年は予期せぬ楽しい事が沢山起こります。

また「きっかけ」を作る仕事が与えられますように!

呼んでくれたO君!そして生徒さん達!
本当にありがとう〜(≧∇≦)

[PR]

by kuniko_maekawa | 2013-09-03 19:50 | オペラ・レッスン | Comments(0)

レッスンの空間

いや~、昨日は貫徹です~(@@)

26日現地必着の訳詞作業があって、明日までで良いやなんて高をくくっていたら、明日は大学の授業があって、一日家にいないことに気付き、急遽昨日のうちに仕上げてやる~!と力が入るの巻き。

そんなこと言って頑張るつもりだったのに、昨日は夜コンサートに行って、その流れでスタッフと飲みに流れてしまい、あれよあれよと午前様。

そこから妙なスイッチが入って、すっかり徹夜になりました。

気が付いたら窓から朝日が~!!!!

まあおかげで早めにノルマ達成。

今日は礼拝はお休みして13時くらいまで惰眠をむさぼり、その後はレッスンに行きました。

このところ歌唱レッスンが続いています。

今回は期間限定のレッスンで、日にちに限りがありますので、最終目的を日にちにあわせて行うパターン。

ここ三回くらいは、実際に歌いながら少し内容を動いてみるというレッスンをやっています。

こういうレッスンの目的は、一度机上で読んだ楽譜の内容を、どれくらい単純に歌って表現するかを試してみるということですが、その場合でも、必要なのは音楽を表現するということ。

机上で楽譜を拡げていると、ある意味学術的な興味に陥ってしまって、やたら深く内容を読んでみたり、研究してみたり、解釈してみたりということに没頭しがちになりますが、元々オペラは音楽を単純に表現するのが一番良いと思っています。

ただ、内容を深く知るか知らないかは、その人の感性として現れてくるので、やっぱり勉強はしないといけない。

だけれど、勉強が出来るから歌う感性があるとは限らないのが難しいところ。

つまり、本人の音楽的感性と声が良ければ、内容を知らなくても聴かせてしまうことがあるということですね。

レッスンはやはりその感性を開くことも含めてやっていきますので、実際に音楽を入れてみるとやはりレッスンといえども、音楽空間が出来上がっていきます。

実は、ここで出来る音楽空間は、私が関わるどの音楽空間よりもピュアで気持ちよい開き方をします。

なぜかというと、利害が無いからですね。多分。

つまり、公演のための稽古や、研究機関での稽古などは、そこに雇われて与えるという利害関係がある。

もちろんレッスンも報酬というものが派生しますので、完全に利害関係が無いとは言えませんが、例えば、作ったものを売るということは無い。

大学や研究生機関のように、複数対1と言うシチュエーションでのアピールも無い。

本当に純粋に、たった一人の歌い手の感性を開いていくだけのためにある音楽空間です。

だから、レッスンを受けてくださる方も、私も、ピアノを弾いてくださる方も誰もが素直に感性を開いて参加する。

今日もそうでしたが、レッスンを依頼してくださった歌い手さんが、すごく素直な感性を持っていらっしゃるので、こちらが投げることや、しかけることなどを、すんなり受け入れて影響を受け、彼女の中の感性が開いていく。

そうすると不思議なもので、ピアニストさんも同じように空間に対して感性を開いてくるので、自然にそこにものすごくストレートな音楽空間が生まれています。

私は元より、よっぽど相手が扉を閉めている時は別ですが、音楽が体の中に流れ始めると、感性が開きっぱなしになります。

一緒にやってくれる音楽家たちが、音楽的にも人間的にも大好きな人だったりすると、考える必要も無く、感性をあずけることが出来る。

すごく気持ちよいですね。

今日は参加してくれたピアニストさんの音楽と音が大好きだったので、安心して感性を預けて音楽の中に立っていることが出来ました。う~ん、気持ち良い(^^)

クライアントさんも本当に良い声と、自由な感性を持っています。そうすると稽古場の空間が実に開く。

こういう空間をどこでも創れたら良いのにと思います。

明日は二週間ぶりの大学の授業。

初めてオペラを学ぶ学生たちと向き合って感性を開いてきます。

あっという間に7月も終わりますね。

いつまでこんなレッスンできるかなあ・・・・・。

時間の限りがあるって、やっぱり淋しいもんですね~(;;)

明日も頑張ろう~!
[PR]

by kuniko_maekawa | 2011-07-24 22:41 | オペラ・レッスン | Comments(0)

詩を読むの巻き

本日はちょっと趣向の変わったレッスンをしました。
果たしてこれをレッスンと呼んで良いのかどうか・・・。

何をしたかと言うと、「北原白秋の詩について語る」こと。

依頼者はピアニストで、以前より山田耕作における日本歌曲に魅了されている模様。
いずれは白秋の詩とともに、この歌曲を演奏したいと希望があります。

それで、その上演形態を作るために、私のところにいらっしゃったわけですが、こちらも、こう言う形は初めて。

取り合えず、いただいた資料を複線に、話しながら始めたわけですが、この内容が先に述べたように「語る」に尽きたと言うものだったわけです。

最初は詩を実際に読んで、それについて語るのかと想像していましたが、彼としては色んな方面から詩を見つめたかったらしく、例えば、詩集「思ひ出」の序文に関して私が感じたことなどをずるずると話して、そこの中から、次の方向性を探したり、疑問を起したり、そう言うことをずっと2時間ほどやりました。

不思議な時間でした~。

北原白秋は水郷で有名な柳川の出身で、「思ひ出」と言う詩はその時の幼児体験をあえてモティーフにして作ってある作品です。

その序文と言うのがまた恐ろしく感覚的な言葉の羅列で、漢字としてもすばらしく美しい。
それを読み勧めならば、ふと、私の幼年時代の話になったり、普段は思い出さない下関の情景などを思い出したり・・・。

そこに、彼の思考や疑問が入ってくると、また脱線したり。

自由な時間ではありましたが、つかみどころの無い時間でもありました。
こんなんでレッスンになるのか~????

しかし、彼はこう言うことも望んでいるのですって。
こう言うことをしながら、彼の方向を見つけていくんだそうです。

時々こうやって面白い体験が出来るのも、トレーナーと言う仕事のおかげですね。
しばらくは、白秋と柳川にはまりそうです。(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-11-15 17:23 | オペラ・レッスン | Comments(0)

リブレットを訳す(2006年7月執筆)

以下の文章は昨年書いた記事なんですが、コメントにどうしてもスパムが入ってくるので、元の記事を削除しました。でも、結構大切な記事なので改めてここに載せます。
まったく迷惑な話です~(;;)

最近、私のレッスンを受けている人たちの間で、ある変化が起こっています。別に、たいしたことではないのかもしれませんが、イタリア語のリブレットを訳すことが上手になってきたことです。

そりゃあ、毎週リブレットを訳していれば、出来るようになるさ、と言ってしまえばそれだけですが、驚く無かれ、この学んでいる人たちは、私の所に来るまで、ほとんどイタリア語にも、リブレットにも関わってない人たちです。むしろ、イタリア語を大学でもやった、今も会話学校に行っている。そういうクライアントさんのほうが、訳すのが相変わらず下手だったりします。

上達した人たちの理由はわかりませんし、相変わらず読む方は「R」と「L」の違いとか、同じアルファベットが並んだら詰まる音になると言う法則とかを、間違ってしまうのですが、1年ほど経ったところで、リブレットが読めるようになってきました。

理由の一つは、頭が柔軟なんだということでしょうね。音大などで、イタリア語といえば、必須条件でしたから、一応、オペラを目指している人たちはイタリア語がわかっているのが常識です。それに、モチベーションも高いのも事実。今でも、イタリア語会話や、ネイティブなイタリア語の先生について、勉強している人は多いです。

しかし、それだからこそ、落とし穴もある。つまり、解っている気になっていると言うことです。つまり、イタリア語会話に行ってるのだから、ある程度の単語などは引かなくても覚えている、と高をくくること。会話学校でやっているから、文章も簡単に訳せると思ってしまうこと。しかし、そうは問屋がおろしません。そう言う意味では、単語の引き方や、文章に取り組む姿勢が、ちょっと甘いように感じます。読むことに関しては、まったくそうです。発音は絶対だ大丈夫などと、自信が見えます。しかし、学校に言っている割には、単語は覚えてないし、発音は変だし、読めない。それに、正直、歌うとなると、発語がものすごく悪いです。本当に、イタリア語、習ってるの?って言いたくなるくらい。

しかし、先のクライアントさんは、大学の時に必修としてイタリア語を習いましたが、その後、離れていました。それで、昨年から、ゆっくりと自分で辞書を引き、訳せる範囲で、訳すことをはじめてから、段階を踏んできました。そして、現在に至る。

もう一人、この方はピアニストですが、ハンガリーに留学していて、ハンガリー語は大丈夫です。ですから、語学を勉強することに、慣れているのですね。しかし、イタリア語は発音から初めてです。すると、英語を元に、イタリア語の文法を理解していきながら、訳しています。素晴らしい!最初から、わからない原語ということが、「こういうものだ」と言う、法則を作らないで学べるのでしょうね。

もう一つ、これは私が推奨している訳しかたですが、英語もそうですが、イタリア語でも、カンマを入れて、長い文章が存在しますよね。

例えば、「Il signor conte stanco di andar cacciando le straniere , bellezze forestiere, vuole ancor nel castello ritentar la sua sorte・・・・」こういう文章があります。

これは「フィガロの結婚」でスザンナが言う台詞ですが、こういう風に長い文章を訳す時、皆が陥るのは、まず綺麗に訳そうとすること。つまり、対訳のように「伯爵様は、外国の美人を狩るのに飽きて、またお城の中で運試しをしたいと思っているのよ」などと・・・。

しかし、実際、歌っているのはカンマの区切りの文章です。そこをダイレクトに訳せないと、何を歌っているのかがわからなくなる。対訳は読みやすくするために、倒置法を使っていても、主語を変えて訳してしまったりします。

それで、私のところでは、解らなくなったら、カンマごとに区切って訳すことを推奨しています。

上の文章でしたら、まず「Il conte」から「straniere」までを訳す、その次に「bellezze forestiere」を訳すという具合。

そうすれば、中学生くらいの英語の文法力があれば、大抵の人は訳せます。各言う、私もそう。

この方法だと、ぶつ切りの文章をつなげていけば、後は自分の想像力で訳せることと、各文章が、理解できたうえで歌唱できるということです。

この二つはとても大切。特に、想像力を持って訳すということは、その箇所を、オペラの場面として捉えやすく、理解しやすくなります。

どうぞ、長い文章など、ちょっと訳すのが苦手な方、お試しください。

文法に躓いたら、会話の本などを紐解けば、わかります。オペラの歌詞は、そんなに難しい言葉は使ってないので、大丈夫。

何より、うまく訳す必要がないということを、お忘れなく。

オペラのリブレットの場合、正しい答えを出すのではなく、あくまで自分が歌っている言葉を理解するとことが必要なのです。これは、ドイツ語でも、フランス語でも同じ。やってみてください。案外、楽しい作業になりますよ(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-09-05 21:12 | オペラ・レッスン | Comments(0)

発語をする意識

さて、レチターレが終わり、それぞれがまた新しい楽曲に取り組むことになりましたので、最近のレッスンは地味に机上での作業です。

中には試験やオーディションのために、歌唱レッスンをする人もいますが、往々にしても問題になるのは、やはり発語のこと。

内容を解釈し、吟味したところで表現として言葉をどう扱うか、いつも問題はそこです。これは永遠オペラをやり続けていく限り、持ち続けていかなければいけない問題ですが。

私と一緒にオペラを創る経験をしてくださった歌手の方達には、少しながらこのことをわかっていただいて、お稽古をします。

レッスンでもやはりそこに重点を起きたくて、今年からは特に丁寧にそのことに関わっています。

受け手のほうもそこが必要と言うのは理解していただいているので、まず、リブレットを読み内容を解釈すると、次に台詞として台本を扱い、これをリズム読みする。ここまでの作業を流すことなく、ちゃんとやることにしています。

しかし、台詞まではなんとか形になっても、やはり詰まるのはリズム読み。

これは、楽譜どおりに台詞を読むという作業。
何故推奨しているかというと、台詞として読めた言葉が、実際に歌うとただの音符に返信するからです。

問題は色々です。
まず、歌い手は「声」だと言う認識が、歌うほうにも聴く方にもあること。
もちろん、それは正しいです。
声がなければ、歌い手としては成立しません。
しかし、声があるから成立するとは限りません。なぜなら、そこには「言葉」があるからです。

この瞬間に、声は言葉を伝える道具であるとわかります。
では、どうやって伝えるか。
これが「声を使う」と言うことですよね。それが出来て、初めて歌い手は「歌える」と評価される。

この認識が無い人が恐ろしく多いです。
ですから、歌いだした途端に言葉は音符に同化され、ただ「声を聴かせるため」にある旋律になります。意味の無いこと。

それを意識するために、リズム読みをやります。

この時大切なことは、イタリア語ならイタリア語のアクセントどおりに読むこと。

旋律として扱うと、そのアクセントのところが長い音符だったり、付点で言葉が刻まれたり、中々言葉として意識できる要素が少なくなります。

しかし、その長い音符もイタリア語のアクセントの感覚で読みます。そうすることによって、母音の長さや、フレーズ感が意識できるのです。

先日もあるクライアントさんとリズム読みをしてましたらば、どうしても、長母音のアクセントと長い音符の区別が付きません。例えば、台詞ではきちんと読めても、音符読みすると、途端に棒読みになってしまう。音符に捕らわれていて、アクセントに感情を込めることが出来なくなっています。これが如実に語っていますね。

彼女は自分のその感覚に気づいてくれましたから、これからの努力で、少し変わるかもしれませんが、彼女だけの問題ではありません。歌い手さんが、どれだけ発語をしていくかと言う意識レベルをもてるかどうかで、付加価値がまったく違うと言うことなんです。

これを解消する良い方法の一つに、発声練習を言葉ですると言うことがあります。

これは皆さんに推奨しているのですが、例えば、どんなパッセージでもよいので、一つ作って、それを「Il mio signore」とか「Tante amore」とか「Bella luna」とか、何でもよいので、言葉にして発声します。

AとかMaとか決まった音で発声していると、その時は良くても、結局は声を出すことのみに終始して、音楽としての音の捉え方も意識されなくなります。音を出した瞬間から、それが音楽だと認識して欲しいのですね。

一度、皆さんもお試しください。
声は使うためにあるのです。それは、お客様に言葉を伝えることだけ。それが歌い手の仕事ですから。(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-02-12 11:39 | オペラ・レッスン | Comments(2)

仕事納め

今日は最後のレッスンでした。
定期的にレッスンに来ているクライアントさんでありましたが、レチターレが終わって、労働意欲に駆られて働いていたそうで(笑)、久しぶりのレッスン。

最初にこの間のレチターレの反省などを聞きながら、この先の展開に付いて話をしました。

いつぞやも記事にしましたが、レチターレはお客様の前に出て、表現するレッスンの一つ。
このことを、クライアントさんに伝えながら、改めてその思いを強くしました。

彼女は今年研究生機関を終えたばかりですから、半年くらいでレチターレに出演したわけです。その公演自体でも、大きな経験をしましたが、それはまだ研究生の延長のような感覚もありました。

これから、彼女とどうトレーナーとして向き合うか。
やはり「個」の「素材」としての彼女を、育てて生きたい。その可能性を、引き出して、拡げて行きたい。その意識レベルをどうやってあげるか、これが課題だと思っています。

もちろん、私一人では為し得ないことですから、彼女にもそのことを話し、改めて一人の歌い手として、向き合うことを容認し、今日のレッスンは始まりました。

このトレーナーとしての、私の方向は、これから出会う、どのクライアントさんに対しても打ち出すコンセプトです。

歌い手としての「素材」を育てること。そのための意識レベルを上げること。
一人一人と、丁寧にその作業をするのが、私のなすべき仕事。そのためには、もっと個人としての歌い手さんを見るべきだし、付き合うべきだと思います。

来年、どんなクライアントさんが私のところにいらっしゃるのか。
でも、誰が来ても、何を勉強しても、私はいつも変わらず、耳と目と頭を、提供し続けようと思います。その「個」が「多」になったときに、質の良いオペラが成立するだろうと思うからです。

さて、今年は本当に、色んな方に出会い、色んな方にお世話になりました。
来年も、どうぞ、よろしくお願い致します。そして、自分の可能性を拡げるために、私に掛かる声を待ちつつ、日々これ精進!頑張りますよ~!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-12-29 17:42 | オペラ・レッスン | Comments(0)

high・E(三点・E音)

本日は、久しぶりにレッスンでした。

最近は歌唱レッスンも入るようになり、一本のリブレットを、机上で読んだ後に、実際に表現するという段階を経験してみるのですが、この歌唱レッスン、やってみると、本当に色んなことに気づきます。これは机上のレッスンに比べれば、比じゃないくらい。

さて、今日の演目はドニゼッティの「ランメルムーアのルチア」から「Regnava nel silenzio」(静けさに支配されて)と言うアリアを聴かせて頂きました。

このアリアは1幕の冒頭、ルチアと侍女のアリーサが、恋人のエドガルドが会いに来るのを待っている間に、ルチアが見た亡霊の話をするという、ちょっとおどろおどろしい話。

この亡霊は女性で、叶えられない恋のために泉に身を投げたのですが、ある日、月夜のにその泉でエドガルドを待っていたルチアにその亡霊が現れたというもの。その話を聴いて、不吉に思ったアリーサが、この秘密の恋を諦めるようにルチアに言いますが、一転、ルチアは恋の熱い思いを歌って終わります。

内容は、ちょっと奇抜な内容で、お客を惹きつけるために、ドニゼッティが手を尽くした感じがします。

楽曲の構成は、その前半、亡霊の話をしている時は、流れるようなアンニュイさがあり、その曲が、亡霊を観たくだりなどになると、音楽が早くなって感情の起伏を表します。

そして、後半、エドガルドへの愛を歌う箇所になると、もともとのメロディに、色んな装飾をつけて、早いパッセージで最後まで歌いきるという感じ。
はっきりした二部構成で、わかりやすく綺麗な曲ですが、このパッセージが、本当に技巧的に難しいです。

早い音形、それと高い音域。内容もきちんと歌わなければいけません。

今日、いらした方は、すごくよい響きの声と、コロラトゥーラの技巧を持っていらっしゃいますから、こう言う曲を多く歌っていらっしゃいますが、最初に聴かせて頂いたとき、ちょっと違和感を感じました。

良く歌ってらっしゃいますし、アジリタのテクニックもあるのですが、何か、一つの楽曲としての満足感が無いのです。

大きな理由は、この後半のアジリタ部分に、テクニックを聴かせると言う役目しか感じてないからです。

そこで、本人に聞いてみると、やはり、それ以上の意識はされてない模様。

しかし、それでは、本来ある楽曲の意味がわからなくなりますよね。
それを強調したり、感情の起伏を表したりするのが、アジリタですから、そこをどう意識してお客の前に出すか。

そして、そのテクニックを聴かせる部分に比例して、前半の物語性の強い部分を語りきらないと、一つの楽曲の要素がなくなります。

それをお話して、直させていただきましたらば、少し、彼女の絵が見えてきました。
しかし、まだ息が動くのに時間がかかっている模様。

この方の場合は、発語と声とが、まだ別々の感覚なのですね。
しかし、伝える快感のベースに、声があり、それが良い響きと息で客席に流れないと、言葉が聴こえてこない。

こう言うとき、大抵、母音が引っ込んでしまっていますから、最近は、こう言うケースが出てくると、一度、楽譜を離れていただいて、母音だけで歌っていただいたりします。特に、得意の母音だけで歌っていただくと、そのいつも良い響きの母音の中でも、音程によって、響きが落ちていたり、上がっていたりすることに気づきます。

それを均一な息で歌えるように意識していくと、あら、不思議。言葉が綺麗につながるようになります。それをして、初めて言葉がはっきりと聴こえ、歌い手さんの創る内容が客席に伝わるようになるのですね。

それにしても、今日のクライアントさんは、本当に素晴らしい響きを持っています。
途中、三点E音が出てくるのですが、最初、ちょっと喉を掠めて響きが奥に行ってしまうので、前に突き放すようにして、息で出すように歌ってもらったら、すっごい!恐ろしく素晴らしい響きの三点Eが出ました。いわゆるハイ・Eと言う奴。「椿姫」のアリアなどの最後に上げる音ですね。
見事、見事。ため息がでます。

それにしても、息は本当に大切。
発声のためのブレスではなく、綺麗な息を作るブレスが出来るようになると、声は変わります。

そして、何より、その先に、いつも客席を見ること。
それが出来るようになれば、歌い手さんは、本当に上手になります。彼女にも、期待は大、です!

来週、今日作ったことを、こなしてみるということで、もう一度同じ曲をレッスンしますが、さて、どうなっていることやら・・・。本当に楽しみな逸材です!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-12-18 18:41 | オペラ・レッスン | Comments(0)

言葉の理由

今日はちょっと面白いレッスンをしました。

レッスンをした子はレチターレに参加するSopで、その演目を台詞読みしたのですが、今日は実際に一緒に組んでくれるBariton君にも参加してもらって、相手をしてもらいました。

リブレットを芝居の台詞のように読んで行く理由と言うのは、再三記事にしているように、もちろん、言葉を自分のイメージや感情と繋げやすくするためです。それと、音符にくっついている記号のようにならないためでもあります。

今日はその上に、もう一つ付加価値をつけました。
これは、今回のレチターレを機に私がこれから加えていこうと思っていることですが、言葉の理由をもつこと。

そんなの当たり前と言われそうですが、もちろん、理由無しに言葉は発せられません。
そこで、まずリブレットを勉強し、内容を理解し、そしてそこに自分なりの感情は入れていくわけです。

しかし、思いを入れて話せば話すほど、台詞はひどく不自然になってきます。わざと大げさだったり、躊躇するようなしゃべり方になったり、力が入ったり。

私達が通常会話をするときに、何か、そんな特別なことを意識して話すでしょうか?ないですよね。アニメの声優さんみたいな話し方。

ところが、歌い手さんたちも、seccoなどを歌ったりしゃべったりする時に、何かしなければ表現にならないと感じて、一生懸命しゃべることをやります。そこに不自然さが生まれてくるのです。

尚且つ、その話していることが自然に起こっている感情ではないと、動きも生まれてきません。

それで、今回はそこを絶対にクリアしようと思っているのです。
自然な感情とそれに伴う動き。
もちろん、内容は創らなければいけません。でも、言葉自体にしっかりとイメージがあれば、それをその感情で話したいと思えば良いのです。

もちろん、言うは易し行うは難しです。
今日レッスンした子も相手をしてくれた方も、頭ではわかっているのですが、方法が見つかりません。と言うより、自分の感情を「作る」と言う、今までの方法から抜け出せないでいるのです。

でも、私は諦めませんよ、今回は。
きっと自然な感情から生まれる言葉と動きがあるはず。それは、「話したい」と心が動けば良いことなのです。

今日のレッスンは、そうなるまでは至りませんでした。
でも、きっとこの二人とはこれからも長い付き合いになると思うので、気長に方法を見つけていこうと思います。

今回のレチターレは、そう言う意味では実験的です。
私だけが思っていることかもしれませんが、それでも、この表現の仕方が出来るようになれば、歌い手はもっと自由です。きっと。何より、お客様にもっと感じてもらうことが出来ると思うのです。映画や芝居を見たときみたいに。

またレッスンは報告します。明日は、レチターレの稽古。同じようにつついていきますよ。歌い手の可能性は、まだ発見されてないのです。(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-10-26 22:48 | オペラ・レッスン | Comments(0)

台詞読み編

とは言いながら、前にも書いたかもしれません。ブログも2年目になると、記事のネタも重なってくるというもの。もしや、覚えていたなら、お許しくださいね。(^^;)

さて、本日はリブレットを台詞にするというレッスンをしました。
作品を勉強する時、プロセスとして、必ずやることなんですが、まず最初に演目を持ってきて、やることは、リブレットを読むこと。これは、単純にイタリア語の文章を訳して、内容を解釈するということですね。それと、一緒に、楽譜の中の音楽記号や音楽表記を探していって、これも解釈していきます。楽譜の背景を可能な限り、見つけていく。

それが終わったら、実地に入るのですが、有効なプロセスの一環として、台詞読みをします。
文字通り、リブレットを感情を入れて、読む。その際、楽譜の音符は関係なく、芝居の台詞として成立させます。

ただし、その台詞を読むのに、いわゆる台本では無く、楽譜を見ながら読むということをやっていただきます。つまり、楽譜を見ながら、歌詞を台詞に直していくというもの。

何故、こんなことをするかと言うと、基本的に、歌い手は楽譜の音符に付いている文章を言葉にしていく必要があります。台本の言葉だと、文章が綺麗に並んでいて、読みやすいのですが、楽譜になると、途端に音符読みしてしまい、アクセントなどがめちゃくちゃになります。
ですから、敢えて、楽譜を見ながら読んでもらうのです。

今日も、そうやって読んでもらっていたところ、まあ、見事に音符読み。
歌っている音符の高さで、アクセントをつけています。これでは、まったく棒読み。
それを指摘しながら、段々に感情を載せていく。そうすると、その子の表情がまず、付いてきます。それから、息が使えるようになる。

そして、歌詞を読むという作業をしていることに慣れると、丁寧に単語を構築していませんから、早口になることもわかりました。なるほど・・・。これは怪我の巧妙(笑)。

私が最近課題にしていることは、歌い手達の身体能力をどこまで出せるかと言うこと。
もちろん、個人差もありますが、それでも、それぞれが多分、持っている能力は、使ってない部分がほとんどだと思います。それを、どうにかして、表に出したい。

人に見せる体にしたいのですね。
そのためのモチベーションをどこに持つか。やはり、言葉。これに限ると思うのです。

今日レッスンした子も、自分が言葉を扱いだした時に、感じる開放感には気づいたみたいでした。これが、次に繋がるといいのですが。

ちなみに、この先有効なプロセスとしては、リズム読みです。
文字通り、音符どおりに言葉を付けることですが、その際大切なことは、イタリア語のアクセントと、ニュアンスと、音楽表記を同時に入れていくこと。

つまり、歌わないで、音楽を創ることです。そう言う作業をして、初めて声にしてみると、明らかに発語が意識されてきます。皆さんも、どうぞ、試してみてください。そして、開放感を感じたら、それは結構いけるという証拠です!(笑)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-10-11 04:48 | オペラ・レッスン | Comments(0)

セッコの扱い方

昨日、今日と新しくお借りしたレッスン室でのレッスンでした。いやいや、快適。場所も家から程よい近さで、目白からも池袋からも歩いていける距離。何よりも、レッスン室が広く、天井もありますから、空間としても程よいのですね。昨日は、歌唱ではなくて台詞を読むレッスンでしたから、空間を感じながらの、台詞を扱うということが出来ました。これはやはり読み手の感覚を変えますので、非常に良い。その先にすすむイメージも持ちやすいです。ああ、神様に感謝!

さて、今日は歌唱レッスンでした。と、言っても、私は発声を見るわけではありません。そこは皆さんちゃんと歌の先生に付いてらっしゃるのですから、問題はありません。私が歌を聴くのは、実際にその歌い手さんの音楽観と、場面が構築されているか、発語の距離感や、イメージとしての音などを聴くためです。ですからアリアといえど、オペラの一場面としてみますから、そう言う意味では、楽譜の内容を細かくつつくことにはなります。それを、今、彼ら、彼女らが持っているテクニックで出来るのかどうか、そう言うことも、見つけていく作業ですね。恐らく、稽古場で、要求されるであろう、歌唱が出来るようになるためだと思っても良いです。

本日はセッコの歌唱を聴きました。12月の試演会に出演する子で、先月くらいから、丁寧に勉強しています。歌唱能力はある子で、研究生を修了した時も、1番だったと思います。感性も悪くなく、自分で考えることも出来ますが、ちょっと声を出した時に消極性を感じます。それは、今日のセッコにも現れていました。

セッコというのは、主に古典のオペラの中にあるもので、重唱やアリアが、その場面の思いを歌うものならば、セッコはそのつなぎにある、台詞のような部分です。ですから、物語が進行していき、キャラクターなどもわかるような台詞が多いです。音は単音で、通奏低音の伴奏しか入りません。ただ、歌い手の言葉のみで、物語を進めていくところ。これが、案外難しいです。

まず、基本的にしゃべる。アリアのような歌い方でセッコを扱うと、言葉がまったくわからなくなり、物語は進行しません。ですから音符も細かいですし、読み方によっては如何様にも解釈の出来る、難しいものです。アリアのように歌わないにしても、きちんとした発声と声でしゃべらなければ、やはりお客には伝わりません。ここが難しいところですね。

今日レッスンをしたSopさんは、言葉の感覚は非常に良いですし、イタリア語も綺麗に入ってきます。しかし、元々感受性の強い彼女は、思い入れが入ると、どんなに楽しい会話をしていても、眉がよってきて、語尾が延びてしまいます。しかも、母音の響きが無くなって、段々に声が消えていく感じ。これは、あまり使えません。
加えて、彼女が今やっている曲は、本来はメゾのものです。ロッシーニの「セビリアの理髪師」のロジーナと言う役。ですから、彼女にとっては音が低い。これは、無理無理やらせているわけでもなく、ロッシーニは、メゾのものでも、パッセージの形を変えれば、十分にコロラトゥーラの技術を持ってSopでも歌えるのですね。それで、彼女がやってみたいということになったのでやっているわけですが、セッコはそのままです。ですから、Sopには低い中音域が一杯出てきます。

まず、ここから呪縛を取っていきました。つまり、低い音に力を入れない。どうしても声が届かないのではないかと言う、不安がありますから、力を入れて言葉をしゃべってしまいます。其れを、響きだけにして後は息でしゃべるという風にしてもらう。それから、低い音でしゃべらなければならないところを、彼女の出しやすい音に変えて、言葉をしゃべってもらう。そうすると、本来扱っている母音の音が聴こえてきます。彼女は、その母音の扱いが、ちょっと奥目です。つまり、あごの辺りでしゃべっている感じ。ここに引いてしまうのですね。

文章だと中々表しづらいのですが、簡単に言うと、一番響くはずの母音を口の奥で作る癖があるということです。感情が入ると余計そうです。それと、3度や4度くらいの音の跳躍を、低いところから始めるために、8度くらいに感じる癖もあるみたい。例えば、五線の中にあるファの音からドの音に上がるのに、大した高さじゃないのに、すごく構えて力が入る。それで、言葉が奥に飲み込まれるということです。

こういったことは、感性があればあるほど起こります。何かを表現しなくてはいけないと思うのですね。そこで、まず単純に自分の良い響きに当ててもらい、あとは出ない音は捨てて、出る音は母音を前に扱うということに終始してもらいました。すると、ちゃんと言葉が聴こえてきて、明るいSopらしい音が出てきます。

セッコであろうと、アリアであろうと、声が必要なのは同じです。しかし、息の分量と、力の入れ具合は、すべて同じとはいえません。それから、案外皆さん、響きと言うものに集中しないのだということに最近気づきました。恐らく、「歌う」ということに捕らわれすぎていて、それがただの響きと息なんだ、と言う単純な図式にはいたらないのでしょうね。一生懸命、何かをやらねば良い声は出ない言わんばかりです。

私は単純に響きと息があれば、恐らくもっと体を開放できて、発語が可能になると思っています。その単純なことが、皆さん難しいのですよね。

それにしても、このレッスン室でのレッスンは本当にメリットがあります。こんなにも色んな方向でクライアントさんを観ることが出来る。これから、私自身も、もう一ランク上がらなければと、心から思います。頑張ります!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-08-08 17:45 | オペラ・レッスン | Comments(3)