カテゴリ:トレーナーのつぶやき( 122 )

トレーナーの役割ということ

三月に入ってから、トレーナー作業がちらほら。

昨日もヴィオラを弾く方と二時間ほど、作品について色々と語ってきました。

ここ5年ほど、とある大学に勤務していた間は、なんとなく個人的なトレーナーのレッスンは途切れていたので、インフォメーションもちゃんとやってなかったことを思い出し、久しぶりにFBを通じて、幾人かの方にインフォメーションを入れさせていただいたところ、わざわざお返事いただいたりして、嬉しかったです(^^)

そのお返事ですが、これが案外同じような内容なのに気付いた次第。

そう言えば、トレーナーを初めて色々とインフォしていた時も、大抵同じ内容のお返事だったことを思いだしました。

それはですね、「必要な時に助けてもらえる場所があるって心強いですよね」という内容。

あるいは「必要な時、是非伺いたいと思います」

あるいは「私も必要な時るかしれません」等々・・・・

つまり、「必要な時」というのが大前提であると言うことです。

以前、こういうお返事をいただいた時は、「今は必要ない」ということのみ解釈していたようなところがありますが、今回は、俄然理解度が増した。

何について?
私のトレーナーという職業についてです。

ひょっとして、私は大きな勘違いをしていたかもしれないと最近思うのは、トレーナー作業というのは、教えることではないと言うことの再認識をしたからです。

それが「必要な時」という言葉に集約されてくる。

上手く言えませんが、以前は私のレッスンは継続してやることに意味があると思っていました。

役を創ると言う事は色んなプロセスが必要であり、それは短い時間では成し得ないことで、やはり1年か2年をかけて、クライアントさんのメンタリティも含めてケアしていく時間がかかると思っていました。

一日や二日という短い期間のものは、むしろスポット的で、短時間で必要なことだけやると言うイレギュラーなものだと思っていたのですが、このところ、考え方を変えています。

元々トレーナーというのは、トレーニングしていく人なわけですから、クライアント自身が手にあまる問題が起きた時、あるいは手を借りたい時に存在し、その内容に応じて期間を変容させていく事が仕事だと思います。

長期間を定期的にトレーニングしていくことは必要だと思いますが、やはりそこにはクライアントの望む目的が必要だと思います。

以前は4,5人くらいのクライアントさんと、1年をかけて一本を仕上げるようなこともやりました。

集大成として、年間一回構成舞台を演出してお客様の前で表現することもやりました。

で、本当はそこから新たに次のステップに踏み出し、せめて3年は継続してトレーニングしてみたかったのですが、残念ながらそこまで長くレッスンが続けられたことはありませんでした。

今思うは、私との作業は1年くらいがちょうど良い期間のプロセスなんじゃないかと言うこと。

二年目、三年目と言うのは、次のステップに進んでから行うべきプロセスだと思うのです。

つまり、最初に私と創った事で、あるイズムがその方の中に育ち、それをベースに色んな経験を踏む。そして次のステップに行くために必要となって、初めて、あらたな段階のトレーニングが必要なのではないかと・・・。

私はその間、待つしかありません。

クライアント主体と言うのは、そういうことですよね。

そして、その方が次のステップを「必要」だと感じるのは、その方がどういう環境で経験を踏んでいるかにかかると思います。

当然、期間もまちまち。

もしかしたら、先に進む必要が無くなる可能性もある。

一足飛びに海外に行ってしまって、日本でトレーニングする必要が無くなることだってあるでしょう。

日本では、ステップを上がる経験が踏めない可能性も大いにあります。

トレーナー作業は、レッスンではありません。

内容を語る言葉が無いので、レッスンと使っていますが、教えることは何一つとしてありません。

私は、クライアントさんが欲しい情報を、経験や勉強したことから言葉にして伝えていきます。

そこからクライアントさんが、何を探し当てていくかを、常に推理しながら方向を見定めていきます。

ですから、教えることではありません。

「提供する」と言う言葉が一番近いです。

こういった作業にお金を払うかどうかは、相手が欲しいものの価値にあるでしょうね。

私には正直、その価値と言うのは計りしれませんが、それでも時として声をかけてくださる方がいる限りは、そのお金を無駄にしないように、「提供」していこうと思っています。

そして、1時間か2時間の間に、相手の不安や迷いがなんとなくすっきりしてくる時、「必要な時」に居られた自分を神様に感謝するばかりです。(^^)

ご興味がおありの方は、是非、「必要な時」お声かけくださいませ。

その時を決めるのは、私ではありません。

まあ・・・神様だったりするんだけどさ~(笑)

昨日、今日とぼんやりとした天気で、蒸し暑いですね~(@@)

家は毛のある動物が二匹になりましたから、なんだか室温が高く感じる(笑)

春が終わると、みんなが苦手な夏が来ます。

1年はあっという間ですね~!

今日も良き一日でありますように!
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by kuniko_maekawa | 2013-03-29 15:04 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

「マタイ受難曲」と向き合うの巻き

今日はまた暖かいを通り越して、少々暑いような陽気ですね~(@@)

胃炎を起こして敢え無くプー太郎に戻ってから一週間。

ようやく胃痛も収まり、また新たな仕事探しにいそしむ毎日。

え~、結局新しい派遣の仕事は就業時間が変わってしまい、私の予定に合わず。

あんなに日曜日、意気揚々と教会のみんなに報告してたのにさ~(^^;)

まあ、神様がまた何かお仕事を用意されているのでしょう。焦らず探します。

とはいえ、ただ今はその神様からお仕事を頂いて、「マタイ受難曲」の39番をヴィオラの方とトレーナーレッスンをしています。

元々はオペラ歌手の方を対象にやろうと思っていたトレーナー作業でしたが、ここに至って、分野以外の方から声をかけていただくことの方が割合としては多くなってきたかも。

もちろん、回数あるわけでは無いので、比較にはなりませんけど、これはこれで面白いことが経験できています。

さて、何故に「マタイ」かというと、今教会暦では「キリストの受難週」なるものに入っています。

イエス・キリストが捕らえられ、ゴルゴダの丘で十字架刑に処せられ私達の罪を贖ってくださったことを祈る週でありますが、「マタイ受難曲」と言うのは、調度その間のことを聖書に伴ってバッハが作曲したものです。

作曲の経緯は長くなるのでここではパス(笑)。
しかし、毎年受難週になると、教会のあらゆる賛美でマタイが演奏される機会に恵まれます。

私の所属する教会には、聖歌隊とオーケストラが小編成ながらありまして、24日の礼拝がパームサンデーと呼ばれる受難日礼拝で、その時イエス様の受難を聖歌隊とオケで綴る音楽礼拝が行われます。

私も一昨年前は聖歌隊の指揮をしましたから、この音楽礼拝に参加して、改めて主イエスの受難を心に刻んだ思い出があります。

このオケの責任者が今回のクライアントさん。

そして若きバイオリニストのKさんとM君が参加して39番を演奏します。

本来ならば「マタイ受難曲」を一曲演奏したい所ですが、今回は賛美歌や聖句を混ぜて20分ほどの礼拝にしますので、その中の一曲として39番があります。

御存知の方も居るかもしれませんが、この39番はペテロと言う12使徒の一人が、最期の晩餐の時にイエス・キリストが「みな私から離れる」と予言したことに対して「絶対に私は離れません」と反論し、イエス様が「お前は鶏が鳴く前に私のことを知らないと三度言うであろう」と言う予言が成就した後の激しい嘆きの歌です。

有名な箇所なので、御存知の方もいらっしゃるかも。

本来はアルトソロで歌われる、ゆっくりとした切ない音楽です。

・・・・・・が、これが楽譜を見てみると、決してそうでない気付きがありました。

問題は歌詞。

これにはドイツ語の歌詞が付いており、概要はこんな感じ。

Erbarne dich, mein Gott
哀れんでください 私の主よ

um meiner Za"hren willen
私の涙の故に

Schaue hier, Herz und Auge weint vor dir bitterdich
私をご覧下さい 心も目もあなたの御前に激しく泣いています

この歌詞だけ読んで、バッハの「嘆きの音形(半音階で下っていくメロディーです。ロ短調ミサなど有名)」を聴いていると、ペテロの涙が悲劇に思えてくる。

でもですね、これは多分日本人的な涙と言う物に対するイメージの問題で、やはりここはヨーロッパ人(笑)。これはペテロが怒りを伴って嘆いている激しい歌詞では無いかと私は思っています。

因みに私の解釈は、まず辞書。

そこで拾えるあらゆる意味を拾って、そこから時代性、状況、作曲家がその曲を作曲した時の状態などを鑑みて、これかな~と言う言葉を探っていきます。

まず最初の「Erbarne」と言う言葉。

これは「哀れむ」と言う意味ですが、辞書的には「同情の気持ちを起こさせる」「気の毒に思う」などの意味がありました。

そうすると、主に向かって「私を気の毒に思ってください」とはっきり言っているペテロが思い浮かんできました。

そしてそれは「meiner Za"ren(ウムラートが表示できませ~ん^^;)willen」→「私の涙のために」 私を気の毒に思って欲しいと続きます。

つまり、泣いている自分を主が見ていることが前提で、ここからは私の解釈ですが、全知全能の神が自分の状態を知らないわけがないと考えました。

今泣いている自分も、理由も主が御存知でないわけがない。

つまり、イエス様を裏切る自分の行為は神様の大きな力で成されたことで、群集に捉えられたイエス様の仲間だと詰め寄られ、「知らない」と三度言って、その直後に鶏が鳴いたとき(夜明けを知らせるためです)、これが神様の御計画であったことを、ペテロは気付いた上での言葉であると思うわけです。

そして、その大きな力で御計画が進められた時、自分はこんなに苦しまなければならない事を、神様に向かって訴えている。

「Schauen」と言う単語は「意図的に目を向ける」と言う意味があります。

「Sehen」と言う、ただ「見る」と言う言葉ではなく、「Scauen」を使ったことにも大きな意味がありますよね。

主に向かってペテロが「私を見ろ!」と訴えている。

その言葉は最期の「bitterdich」、「激怒している」と言う言葉に繋がります。

激怒している。

どうしても逆らえなかった大きな力に向かって、ペテロが激怒して「私を見ろ!あなたの御計画の中に無力である私を見ろ!」と叫んでいるような絵が浮かんでくるのです。

このことを考えながらこの曲を聴くと、とても叙情的な嘆きには感じない。

事実、余りない音楽表記の中の「f」と言うダイナミックスだけははっきりと書かれています。

特筆なのは、バッハの対位法と言う物が初めて楽曲の時計軸や空間を創っている瞬間を感じています。聴いている方に、勝手に一つ一つのパーツに役割を感じることが出来る。あくまで「勝手に」ですが(笑)

今回は歌は入れずに、ヴァイオリン二つとオルガンがオケの部分を、ヴィオラが歌のパーツを弾きますが、言葉の意味を説明して、実際に音を合わせてみると、ちゃんとペテロの激しい嘆きが聴こえてきます。いや、素晴らしい。

そして、この対位法と言う、一つの和音を一辺に違うパターンで弾くという奏法によって、客観性というのもがちゃんと生まれていて、そこにこの福音書を書いた「マタイ」と言う使徒のもう一つの目を感じる。

エヴァンゲリスト(福音家)が存在していることを常に感じることが出来るというわけです。

「福音」と言うのは「良い知らせ」と言う意味です。

これはマタイと言う12使徒のうちの一人が、自分が見てきたことを書いたもの。

それをまたバッハが伝えるために音楽をつけ、福音の連鎖が生まれています。

そういう意味では、福音があり、聖書が書かれ、曲が書かれ、演奏され、聴衆の耳に福音が伝わるという、何重にも重なった客観性が感じられる。

演奏した場所も時代も今とは違う、なのに、伝わる福音は変わることがない客観性。いやいや、これぞ神の業でなくて、なんであろうか・・・(@@)

だって、今またこれに参加する4人の人たちと私で、新たな福音が語られているわけです。
それを考えると、私たちに神様が少なからず与えてくださっている「才能」というものの使い道は、「福音を伝えること」に終始すると思える。

私は、こうやって頂いた賜物を、神様のためにずっと使っていただきたい。

別に数ある「福音書」を解き明かすことだけが「福音を伝える」と言う事では無いと思います。

私という人間を使って、御言葉やイエス様のことや、それ以外の言葉であっても、何かが成し遂げられた時、それは神様の御計画が成就することになり、福音となると、心から思っています。

私の与えられた目と耳と心。

これをもっともっと沢山使っていただきたいと心から願っています。

さて、今日はこれからまた仕事探し。

でも、きっと神様が本当に私にやらせたいと思われる仕事が待っていると、思います。
楽しみですね~(^^)

以前はレッスンをすることが自分のステイタスでした。
自分を望んでいる人がいると言うことは、自分の功績だと思ってた。

でも、今は神様が私を使われることの方が大切なので、誰が私を望まれるか、お金が稼げるか、どこの場所なのか等々、まったく関係ありません。

ただ、「行け」と言われるところに言って、楽譜を読み、その時のクライアントさんと一緒にステップを上がる。う~!なんて楽しいんだろう~!(><=)

ってことで、その方とのレッスンはまだまだ続きます。
慣れないオケ譜にちょっと必死ですが、これを踏まえてまた神様が私をどこかでお使いになるでしょうから、そのことを楽しみに。

段々気温差が激しくなってきましたね~。

今日も一日頑張りましょう!
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by kuniko_maekawa | 2013-03-19 12:50 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

「やったかいがあった!」と言うこと(^^)

先日、FBである方に友達リクエストを受けました。

この方は確かブログから私の企画等々にご興味をお持ちになり、いつの頃からか、企画するWSや自主公演に必ず来てくださる常連さんになりました。

確か看護婦をしてらして、ご自分でも声楽をならって歌ってらっしゃる方で、本当にオペラが大好き。

そういう意味では、公演を観に行くことは数をこなしてらっしゃいますから、いやいやどうして、耳と目が越えています。

その方がFBでも私を見つけてくださって、またまた縁をつないでくださいました。

何よりもうれしかったのは、コメントを下さった内容。

リクエストと一緒に「また何か企画されたら、是非おしらください」と。

それに対して結構軽く「色々とありまして、しばらくは自主公演はやらないと思いますが・・・云々」と私。

そしたらば前川さんの公演を聴くと、もっと表に出て活躍して良い人材がまだまだ居るのだなあと実感させられます。もっと、活躍の場があると良いのになあ~・・・と。」とのお返事が!

いや~、めっちゃ嬉しかった!

正に、こう思われたくて公演を打っていました!

自主公演を演出家がやると、「自分が自由に演出したいから」と言うのがお題目になりそうなんですが、私がトレーナーをやりたいのも、そのクライアントさんとレチターレ(クライアントさんのための試演会)を公演するのも、そしてMMCとして自主公演を打つのも、全てはこのコメントのように、お客様に感じて頂くことが第一の理由でありました。

つまり、自分にとっても歌手にとっても「お立ち台」を提供したかったんです。

レチターレをやり始めてから去年のMMC公演まで、色々とコメントをいただき、それはそれでお褒めの言葉等、嬉しかったのですが、どれも公演に関してのことで、この舞台でお客様に聴いて頂きたかった人材のことに触れられたことは一度もなかったのですよね~。

だから、本当にうれしかった。
私財投じてやったかいがあったなあ~と心の底から思いました。

同時にこれからをどうしていくか、も久しぶりに考えました。

コメントにお返事したみたいに、とにかく色々有りすぎて疲弊した状態で5年間を終えたので、今はまだ新しいことを興す気力は復活していません。

けれど、やったことに意味があったと認識できたことは大きな収穫でした。

も~、神様って本当にイケズだから、今頃だよ~(^^:)
あんなに必死に結果を求めていたのにな~。

自分が謙虚にならない限り、こんな奇跡は起こらないんです(笑)。

と、言うわけで、これからも「場」を創っていくことに意味を見いだせたので、金銭的な問題の解決や、はっきりしたヴィジョンが立ったら、新たな発信をしたいと思っています。

なんだか溜飲が下がった(^^)

少なくとも、今持っている3つのヴィジョンの一つが広がりそうな気配がしてきましたよ~。

さて、ここ毎日続いている稽古。

久しぶりに一生懸命稽古場に居ます(笑)。

は~、でも志が強くなった時には、身体が付いていかず・・・・。

年はとりたくないものですね~(><)

まだまだ暑い日が続きますが、どうぞ皆さんもお元気で!

良い一日をお過ごしくださいね~(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2012-09-14 11:39 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

コミュニティ

毎日嫌な天気が続きますね〜(^_^;)

梅雨となれば仕方ないんでしょうが、其れにしても気温の差が激しくて、更年期で無くてもしんどそう…(~_~;)

さて、Twitterのアカウントを復活させたり、FBのアカウントを復活させたりと、このところSNSばかり見ています。

暇って事もありますが、何だかコミュニティを作りたくなったんですね。

今までもmxiをやったり、Twitterをやったりはしていましたが、適当に心の言葉の捌け口にする為で、あんまり理由はありませんでした。

もとより発言するのは好きなので、責任無く言葉を発する場が有れば良かったので、Twitterなんか正にうってつけ、公式じゃないアカウントの方は何だか凄い事になりました。フォワローのジャンルがめちゃくちゃ(笑)

新しいアカウントは目的を持って発信しています。

SNSの大きなメリットは、膨大な情報量と世界との繋がり。

小さなiPhoneの機器から世界中を相手に受発信出来る。これは凄いですよね。

今までは欲しい情報を得る為にフォローしてましたけど、発信もやってみようと思い、それによってコミュニティを作ってみようと思っているのです。

そんな事を思い始めた理由は、今の自分の枠を拡げたいから。

何せ23年間くらい、私のジャンルは「オペラ」だった訳ですよ。

何をするにも「オペラ」の冠を付けてました。

事実、オペラ以外の世界での仕事は数えるほどです。

その生活をずっとやって来て頭打ちになってしまった。

勉強する事は沢山有っても、自分のやり方以外出来なくなってしまった。

其れでも勉強はすべきと、もちろん思って居ますが、もっと違う方向から知るべき事や物が有るんじゃないか。

って事で、毎日誰か何かをやっている世界を知ろうと思い始めた次第です。

とりあえず、行動範囲を拡げるために、面白そうなWSに来週行って来ます。情報はまたアップしますね!

それにしても、この天気は何とかならんかしら? 気力を起こすのに一苦労だわ〜(^_^;)

女性の皆さん、水分をちゃんと取って下さいね〜。ま、男性も更年期っぽい人はお試しくださいませ(笑)

ウサギもメスはかったるいんです…
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今日も一日お元気で!
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by kuniko_maekawa | 2012-06-21 12:01 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

トレーナーへの道は険し・・・楽しい!(^^)

昨日久方のレッスンをやりました。

初めてでしたが、アマ弦楽器奏者からの依頼で、ベルリオーズの「幻想交響曲」を読むの巻。

う~ん・・・・いや~、もしかしたら1年振りくらいのレッスンが、いきなりオケスコアを読みましょう~ってことになりましたので、さすがの私も緊張~。

例え相手がアマチュア奏者であっても、長年オーケストラに入って演奏活動なさっていますので、耳と目は越えています。

しかも、私は音大生の時は超不真面目学生でしたから、和声や楽典の授業などもほとんど耳から耳に抜けており、今もって残っていることはあまりなく、こういう商売を成り立たせてくれているのは、その後始めたスタッフの仕事柄のことです。

しかし、お仕事はオペラばっかでしたから、素朴な疑問として・・・これ、どうやってオケスコアを読み解いたらいいのかしら・・・・???

悩んだところで、私は私。

楽譜には変わりないのですから、いつものように作曲家のこと、時代背景(作曲年代に限らず、前後も大事)、音楽表記と、もろもろ楽譜から得られる情報を漁って挑みました。

こういう場合、結果はあんまり重要ではありません。

何故かと言うと、私を選択し、依頼した段階で、クライアントさんは既に私と言う人間の持っている素養から何かを得たいのであって、そこで一つ彼女を満足させられる要素は得られています。

彼女の場合は同じ教会員で、私が昨年聖歌隊の指揮などをしていた時の内容を気に入ってくださっての依頼でしたから、何を欲されているのかはわかりやすい。

問題は、私がいつも扱っている楽譜は声楽曲で、私自身が楽器やオーケストラに精通してないと言うことのみ。

そこは勉強あるのみですが、う~ん、さすがに一月くらいの期間では限度が・・・・(^^;)

それでも出来る限りの情報を楽譜から取りだして、昨日は楽しく語らせていただき、なんとかご満足いただいた模様。ふ~、良かった~(@@)

さて、その後彼女と食事をしながら私が漠然と思っていたことは、やはりこの仕事を続けたいと言うこと。

そして、新たな音楽のジャンルを与えられて、しばらく彼女とのトレーナー作業が続くとなったこの事態を真摯に受け止めなきゃならんってことでした。

今までは私の世界はオペラ一辺倒で、対歌い手や対ピアニストと言う狭い枠のトレーナー作業であったわけですが、ひょっとして、この仕事ってどんだけ可能性があるかちょっと未知数。

「相手が望むものを一緒に探す作業」なんて簡単に言ってましたけど、今や万人が広い枠で音楽を楽しみ始めている昨今、何を望まれるかなんて予想できなくなってきました。

逆に、私がやろうとしている仕事を本当にやろうと思ったら、「街のなんでも屋さん」なレベルでは対応出来ないかも・・・・・。

どこから話が拡がって、何が飛び込んでくるかわからない世界になってきてるんですよね~。

実は、私の中でも「オペラだけが音楽じゃない」熱は、昨年からしずしずと起こっていました。

もっと言えば、「クラシックだけが音楽じゃない」ってことでもある。

それと、本当にトレーナーと言うのが成立する仕事ならば、私自身の出来ることもどんどん増やしていかないと、あらゆる需要に対応出来ない。

大学を辞めた理由の一つは、私の蓄積してきた物が無くなってしまった事もありました。

今まで疑問も起こらなかったけど、昨年一年は、ただただ「知っている」ことだけで学生と向き合っていた感があって辛かった。

それも出しきってしまった今、改めて自分を満たすには、新たな勉強を始めるべきなのだと思い至った感じがする。

今の私の環境で、「私はトレーナーです」とのたまっても、多分誰も信用してくれないでしょうね。

それは私と言う人間がやってきた仕事のイメージが強すぎることもありますが、留学経験がないとか、仕事環境のレベルが低いとか、何より、芸術家たちにコーチが必要になる現場がないと言うのは大きな原因。

真剣にそのことを捉える理由がないってことです。

でも、今回のように、普段の私の仕事を知らない人たちとどこかで引きあわされて、その時その人たちの必要な物を得たいと言う想いと私の持っている物が合致したら、そこにトレーナーと言う職業が成立する。

ま、どうせ叶わないと思っている人たちがほとんどでしょうが、仕事をするに至ってはどこでも良いわけですから、これが本当の私の仕事ならば、多分神様が、「場所」と「人」を与えてくださると信じています。

ってことで、死ぬまで働きたい私は、夕食の石焼きビビンバをパクつきながら(美味しかったぞ~^^)、とりあえずこの職業を第一の選択肢として、ちゃんと勉強しようと思い始めました(いや、今までも勉強してましたよけどね・・・・^^;)。

なにはともあれ、ライフワークが見つかって良かった良かった!(^0^)


今日は爽やかな梅雨の晴れ間ですね~。
あんまり暑くないし、気持ち良い(^^=)

明日からのお天気にまた苛まれそうですが、更年期も後何年かで終わるでしょうから、のんびり楽しく日々を過ごそうと思っています。

レッスンご依頼の方は、ブログにコメント(非公開)でくださるか、graziadioamore@yahoo.co.jpにメールをくださいませ。多方面に渡って承りますぜ~(^0^)

因みに私のレベルを端から見くびっている人もいますが、こう言う職業はあくまで依頼する側の嗜好だと思っています。このブログでも、オペラ・レッスンの内容は記事にしてますので、ご興味あれば読んでみてください。

そして、依頼する際にご考慮いただきたいのは、ご自分が私と一緒に何を見つけていきたいかと言うこと。

どんな演奏家になりたいのか、何を伝えたいから演奏するのか、どんな成長が欲しいのか。

そのご意思があるからこそ、私が活かされると思います。

ご縁があることを祈って(^^)。
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by kuniko_maekawa | 2012-06-15 13:22 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

「伝える」と言う「使命」を持つこと

先日、とあるコンサートに行きました。

出演者も演奏者も30代~40代のそろそろ中堅どころの音楽家たち。

日本歌曲からオペラアンサンブルまで、色々と趣向をこらしたメニューで楽しみました(^^)

暇になると、色々お誘いいただいてオペラよりはむしろ、コンサートに良く足を運びますが、声楽家が主体のものがほとんど。

そうすると、必然的に、プログラム内容は、軽めの歌曲から始まって、後半にオペラのアリアが組まれてきます。

今まであんまり意識せずにこういうコンサートも楽しんでいましたが、最近、どの大きさのコンサートに行っても、気になるのは空間。

つまり「音楽空間」です。

説明するのに良い言葉がないので、勝手に使っていますが、単純に「音楽が作る空間」と言う意味。

オペラやミュージカルは一番分かりやすいと思いますが、作曲家たちがそれぞれ場面に応じて、それを想像させるような音楽を作曲しており、音楽によって物語が進んでいく。

舞台上にかかわらず、人や物が立っている限り、そこにはやはり「空間」と言うものが存在しているわけで、それは無色透明の音楽であっても、聴いている方の耳から起こる「想像力」が紡ぎだす「空間」がやはり存在しています。

そのことを「音楽空間」と呼んでいるわけです。

多分、音楽にかかわらず、絵であっても、本であっても、何かしらの想像力が働けば、そこにはもう「空間」が存在していると思いますが、音楽において難しいのは、演奏者が音を出しているということに現実感がありすぎること・・・・かなと思います。

例えば、先日のコンサートなども、ご本人たちの歌や演奏は素晴らしく、お客様も喜んでいらっしゃったのですが、歌っている方も、聴いている方も、ダイレクトに相手を感じすぎていて、なんというか、距離が生まれない。

歌曲であっても、オペラのアリアであっても同じことが感じられました。

一つの原因は、演奏者たちの体内時計が速すぎたこと。

これが先ほど書いた、本人たちが音を出していることの弊害の一つです。

つまり、歌っていることや弾いていることが、演奏者自身から離れていかない。
自分たちが感じて、それを表現する確信が、杭に綱で自分の体を結んでいる安心感があるように感じる。

そして自分たちの中で起こってくる「良い声を聴かせたい」と言う誘惑や、特別感が快感となり、結局、作曲家たちの音楽を伝えていると言うことに集中せずに、「やりました!」と言う充実感で、客席を沸かせることに夢中になって演奏は終わる・・・・。

これ、随分なことを書いているようですが、才能や力量がなければ、こういう「個人の才能」で客席を沸かせることなど出来ないわけですから、皆さん、素晴らしい方々ばかりです。

ただ、本来の役割を忘れているような気がする。
これがもう一つの大きな理由。

知り合いのイタリア人ソプラノ歌手が、ある時若い人たちに、「私たちは作曲家たちの通訳だから」と言ってたことがりあました(もちろん、イタリア語で^^;)

interpritazione(今、辞書が手元にないので、合ってるかどうか不安ですが・・・・)
と言う単語は、通訳をするという意味ですけれど、これは私にも、音楽家を表現するうえで、一番納得出来る単語となっています。

彼女は歌手ですが、当然、どの分野にも当てはまるわけで、この仕事を理解してないと、ただ自己満足で終わることしばし・・・演出家であろうが、役者であろうが、音楽家であろうが、「作家」と言う存在を無視できないジャンルにかかわっている人たちには、一番大切な言葉だと思います。

しかも、「通訳」するには、相手がいる。

それが客席に座っている人たちです。

このことを、どれくらい「仕事」(お金になってもならなくてもです)、あるいは「使命」だと思って舞台に立っている音楽家が日本にはいるだろうか・・・・。

日本と限定するのは、私も経験ありますが、芸術大学において、このことを心底学生たちに指導すると言う現場を感じたことがないからです。

それと、「役割」と言う意味合いが、日本と海外では違う。

特にキリスト教を宗教に持っている人たちとは。

神から与えられた「仕事」「指名」と考えることが自然な彼らは、バッハであっても、リストであっても、モーツアルトであっても、最初から自分の名誉のために作曲などしない(宮廷作曲家を目指したことに関しては、人間の世情ですから、あしからず)。

別に私がクリスチャンだからではありません。
「伝える」と言うことを「使命」だと思えなければ、伝達芸能家は存在なしえないと思っているからです。

このことを、本当に心に銘じて、音楽家たちは存在するべきだと思っています。

さて、話は戻りますが、ではそれは音を出している瞬間だけ、楽譜の中身を演奏している瞬間だけ起こっているものなのか、というと決してそうではなく、音が止まっている瞬間にもその仕事は起こっています。

「余韻」というもの。

それは、作曲家たちが、楽曲を演奏する教会や劇場を知り尽くし、そこに残る残響をさえ、音楽だと捉えていると感じるから。

時代を遡れば遡るほど、そこは教会だったり、石の劇場だったりして、残響の役割も、長さも違う。

しかし、実質音が出ていた空間に存在して、固唾をのんで見守っていた舞台で音がふっと途切れて残響だけが残った時、人間の想像力はMAXになるのではないでしょうか?


話が偉く壮大になってしまいましたが(力はいっちゃった~^^;)
この「余韻」をこそ、演奏者が客席に与える快感として多く感じるべきだと思います。

まあ、平たく言えば、お客をもっと楽しませるには、「この次、どうなると思います~」みたいな瞬間がないと、ず~っと「正解」ばっかり提供されても、醍醐味が感じられないってことです(笑)

ば~んと演奏しておいて、ふっと声が途切れて、指が鍵盤から離れて、残響だけがふわ~っと残った時、そこにはその客席に座っている人数分の妄想が広がっているってこと。

そこを我慢できずに、音が切れた瞬間に次の音を出しちゃうと、拍子抜けになる。

「次はど~なんの~????」ってお客がジリジリするくらい、無音をScenaとして提供できるようになると、大人の演奏になってきますよね~。

この間から、30代の人たちの音楽を良く聴いています。

皆さん、20代からやってきたことを、外に向けてやっと発信できるようになってきた世代。

やりたいことも、アピールも、人一倍のエネルギーを感じる。

だからこそ、「伝達芸能家」として、作曲家たちのために、あるいは台本作家のために、自分の力量を最大限使って演奏をすることを、是非お願いしたい!

このところ、良く日本歌曲なども聴きますが、日本語なのにわからない。
言葉が分からないのじゃなくて、「詩」として伝わらない。

もしかして、「詩」として朗読してから歌うとかやったことないの?と思ったくらい、シラブルを感じることが出来なかった。

これが外国語となると尚更です。
(留学してても、です)

少なくとも、自分は何のために音楽家をやっていて、そして、どんな目的を持っているのか、それくらいのヴィジョンは、演奏を聴いてわからせて欲しい。

海外に何年行って勉強しても、日本では芸術だけで食べてはいけません。

それでも、本当に自分がやりたい「音楽」はこれだ!と心に決めて、ずっと演奏活動している音楽家たちもちゃんと存在している。

世間的には知られてなくても、自分とちゃんと向き合って、「使命」を理解している人たち。

日本で芸術を育てるのは、本当に大変なことだけど、こういう人たちがいるから、私も頑張ろうと思える次第。

次世代へつなぐために、今の30代~40代は本物の芸術家に育ってほしい。

そんな風に最近、心から思うのですね~。


さて、GWも後半ですね(^^)
今日はなんとか雨もやみそう?

楽しい一日を!
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by kuniko_maekawa | 2012-05-04 12:06 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

レッスン入った~!(@@)

おや~、びっくり!

前回の記事で「オペラレッスンしたい~」と吠えましたらば、3日後くらいにレッスンの依頼がありました!

う~ん、神様のなさることは「理に叶って美しい」と言いますが、やっぱ驚く(笑)。

しかも、依頼を受けたのはオペラのレッスンではありません。

交響楽曲の楽譜を読むお手伝い。

いや~、これは更にびっくり!

マジですか?

私、ちゃんと「オペラ・レッスン」って銘打ってますけど、大丈夫ですか????

でも、新しい経験だし、オケスコアの読み方とかでは当然無く、楽曲を勉強する入り口が欲しいとおっしゃったので、だったら是非!とお受けしました。

ベルリオーズ作曲の「幻想交響曲」。

え~、実はさわりしか聴いたことないので、今から大勉強ですが、いや、楽しみ(^^)

本来ならば「分野以外」とお断りすべきなのかもしれませんが、依頼してくださった方がプロでは無いことと(しかしめちゃくちゃアマオケのトラで演奏回数踏んでます!)、本当にはっきりと目的意識をお持ちの方で、「来年の本番のために今から勉強する材料として」と、レッスン意図も明確。

プロかプロじゃないかは「仕事」として成り立っているかどうかだけなので、意識の上では完全にプロです。
楽曲や公演に対して物凄く真摯で、姿勢がちゃんとしていらっしゃる。

それに、私のやろうとしていることは、すべての「音楽」に対してどう感性を開いて養っていくかと言う事に尽きるので、歌に限らず、楽器でも同じことは出来ると常々思っていました。

神様が「経験」を与えてくださったのだと、感謝しきり!

以前は経済的なことも担いたいと、必死にレッスンを募集していたり、アピールしてたりしましたが、最近は音楽以外の仕事も音楽の仕事も稼ぐお金に違いは無いので、なんでも「仕事」と捉えて生活の糧を得ています。

音楽だったら尚更嬉しいけど、働くことはそれ自体が恵みだと思っているので、取り合えず働いていたい。

具体的にはいつからどうやってレッスンを始めるかこれからの御相談ですが、いや~、ほんっと楽しみです(^^)

今日は、諦めていたコンサートに先輩演出家さんが誘ってくださいました。

遅れるから辞めようかなと思ってたんですが、本当に今日になって偶然にお誘いいただいて・・・神様が「行ってこい!」っておっしゃったんだと解釈。

嬉しいです~(^0^)!

なんだか大荒れの天気みたいですね。

お出かけの方はお気をつけて!

今日も一日楽しんでいきましょう~!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2012-05-02 11:15 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

オペラ・レッスンしたい~!

と、このところ切実に思っています。

理由は様々ですが、ここ2,3年は個人的なトレーナー作業よりも、演出家としての活動の方がメインになっており、丁寧に楽譜の内容を話しながら歌い手さんと向き合う時間が少なくなってたな~って最近思うようになりました。

それでも一昨年までは、お二人の方がレッスンにいらしていましたが、それぞれの理由で昨年はお休み。
スポットのレッスンが一件入っただけでした。

このところ色々あって、心が閉じていたので、あんまり音楽を感じるということも無くなっていたのですが、それもひとつ問題が取り合えず解決したので、なんとなく普段の感覚が戻ってきたことも理由の一つ。

レッスンをしたいと思うのは、経済的なことではなく、改めて丁寧に楽譜と向き合ったり、言葉と向き合ったり、クライアントさんの感性と向き合ったり、そういうことを再びやりたくなったからです。

ここ5年くらいの大変な経験を踏まえて、今からのレッスンは、今までより更に深く丁寧に内容を読めるような気がしています。

もちろん、楽譜を読むということは、演出家であってもトレーナーであっても同じですが、作業の形態は違います。

トレーナーはinで演出家はOUT。

演出家の仕事もなんとなく自分なりのセオリーが出来た感じがするので、これも大きく変わるだろうなとは思っていますが、今はもっと深く丁寧に作曲家たちと向き合うことをやりたい感じがする。

そういう意味ではトレーナーで無くても、演出家でなくても、そういうことは出来ると思いますが、取り合えず身近なところで吠えてみました(笑)。

勉強したい!強く思い始め、動き出そうとしています。(^^)V


さて、昨日40年来の幼馴染と人生初の野球観戦に行きました!

え~っと、ヤクルトと中日?だったかな?
(興味と知識はこれくらいです^^;)

初めて入った野球場は神宮球場。
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野球は長くじっと見てなくちゃいけないイメージもあり、ルールも良く知らなかったのですが、取り合えず
真新しいことに興味があって行くことにしましたが、これが結構面白かった(^^)

9回と延長3回。
適当なところで帰りましたが、綺麗なライトを観ながら、周りの応援に載せられて大声出したり、手を叩いたり、暇な時は友人とず~っと喋っていたり、おつまみ食べたり!

なんか大人の遠足みたいで楽しかった(^^)

別にどちらのチームの応援と言う事も無かったのですが、ヤクルト側に座ったのでヤクルト応援。
有名な傘のダンス(友人談)もばっちり!
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スポーツ観戦って始めてだったけど、外の空気を沢山吸って、大声出して気持ち良いものなんですね~!
オペラも野外でポップコーン食べながら、大声出して出来ると良いのに(笑)

昨日の疲れのせいか、天気のせいか、今日は不定愁訴Day(;;)

朝から得たいの知れない落ち込みが続いています。
それも後何年か後には夢の後先みたいになっているのかしらね・・・・。

今日も一日楽しく過ごしてくださいね!(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2012-04-26 12:07 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

キリスト教的音楽解釈

ってほどでもありませんが、クリスチャンになってよかったと思えることの一つに、西洋音楽を解釈する時に肌でわかる感じがするということがあります。

単純に、楽曲の中の言葉や音楽がはっきりとそれを表している時もありますが、暗にそれが表されている時に、見つけちゃったりすると、なんともいえない感動がある。

今日も聖歌隊で「感謝せん」という曲を練習しましたが、この楽曲は元々ヘンデルの歌曲を日本語訳にして歌ったものです。

日本語の方は、ごくごく簡単に「ああ感謝せん 主の導きに」と言う様なことを繰り返し歌うだけですが、元の歌曲では、もう少し違って、

「主に在ることを感謝します。
あなたの群れをイスラエルまで
海を通り抜けて導いてくださることを

主はどのようにこの群れを移動させるのか
主の御手、その守り、平安を与えられ
その善行は成し遂げられる

主に在ることを感謝します。
あなたの群れをイスラエルまで
海を通り抜けて導いてくださることを」

と言う様な内容になっています。

あの・・・・これ原曲の歌詞がドイツ語で、私の許容範囲では「こんな感じ~」ってくらいしか訳せないので(^^;)
取り合えず「・・・という様な内容になっています」ってことで・・・(><)

この曲のすごいところは、たったこれだけの歌詞なのに、聖書のある箇所を思い出させるような楽曲の構成になっているところ。

ヘンデルといえば生まれは1685年ですが、活躍時はだいたい18世紀です。

しかし、そんな時にもうこんな楽曲が生まれていたのかと思うと、感動しますね。

この歌詞で「あっ」と思うのは、「あなたの群れをイスラエルまで、海を通り抜けて導いてくださることを」
という部分。

これは映画「十戒」でもおなじみのシーンでありますが、旧約聖書の「出エジプト記」でモーセとイスラエルの民がファラオの追っ手を逃れて、波を割って出来た道を歩いてわたるという箇所を連想させます。

曖昧な書き方ですが、楽譜にはそれを示唆したことがかかれてないので、取り合えず限定はさけますが、おそらくそうであろうと思います。

この曲は三拍子でハ長調。

「Dank(感謝)」という言葉を三小節半伸ばして二回も歌います。

この伸ばしている間に、ずっと伴奏が和音を一拍ずつ叩いています。

文章では表しにくいですが、三拍子によくあるワルツのような流れ方ではなくて、一小節に三つ四分音符がちゃんと入っています。

まずこのリズムが足踏みを感じさせます。

ここまでで、モーセに導かれたイスラエル人たちが、恐れを克服しながら海に向かって自分たちの場所へ行くために歩いているのが、まず想像できる。

そしてもっとすごいのは、「あなたの群れをイスラエルまで 海を通り抜けて導いてくださることを」と歌った直後から、その4分音符に一つずつ波線の記号がついてきます。

え~っと記号の名前がわからない~(@@)誰か教えて下さい。

とにかく、その記号が入ると、和音を全部流すように弾くことになります。

う~ん、これも文章に出来ない~(;;)

和音を一緒に抑えるのではなくて、バラバラにグリッサンドのように弾く。

擬音にすると「パラン、パラン♪」と言う感じ?
あああ~、ごめんなさい~(^^;)口で説明するな~!

言いたいことは、このことによって海の波が想像され、「導いてくださることを」と歌いながら、イスラエルの民が海に足を入れたのが想像できるのです。

足元にちゃぷちゃぷと波が当たっていることが感じられるのです。

そして、波が段々に左右に分かれていって大きな道を作っていく。

その中を歩きながら、「主はどのようにこの群れを移動させるのか主の御手、その守り、平安を与えられ
その善行は成し遂げられる」と歌は続きます。

そして再び「主に在ることを感謝します」となり、海を渡りきるのです。

これはですね、聖書を知っていると言うだけでもかなり面白いと思いますが、加えて私が感じることは、主を信じて枝分かれした高い波の中を恐れを捨てて歩き出すと言う心情的なこと。

モーセやアロンは簡単に歩き出せたでしょうが、他のイスラエル人たちは奇跡を見ながらも、その神様も含めて、この奇跡を畏れたであろうと想像します。

開いた道に足を下ろしたとき、残っている波が自分たちの足をぬらす時、恐れを主に預けて歩き出す。

それが「主の善行が成し遂げられる」ということであり、成し遂げるためには、イスラエル人たちは歩き出さねばなりませんでした。

イスラエルの民は、昔からこうやって苦役を強いられていた。

恵をいただきながら、試練も沢山いただいて、それをすべて受け入れて歩いてきた。

こういったことを肌で感じる時が、自分はクリスチャンだと感じられる時でもあります。

ああ・・・・至福の瞬間。

聖書を知っていれば、内容は同じことを解釈できると思います。

映画を知っているだけでも、気付く人はいるのかも。

でも、心の中にある同じ情景を想像するのは、誰でも出来るものでもない。

同じく主を畏れ、主に在ることを感謝し、恐れを克服する努力をする自分がいるから感じられることでもあります。

大きな恵ですね(^^)

ただ、国家として差別を受けたことは無いので、ここはやはり歴史を知り、想像するに尽きますが・・・。

今日はとにかく涼しかったですね~(@@)

パワーストーンを変えたついでにヒーリングを受けてきました。

なんだか良い感じ。これに関してはまた後日。

クリスチャンの癖にと言い無かれ、神様はなんでも許してくださるのです(笑)。

気温差がこれから益々起こりそうですが、体調など崩されませんように。

今日は良く眠れそうです(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-21 22:26 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

なぜ私は歌わないのか???

同じ教会員のMさんより、ものすごく興味深く面白いお手紙をいただきました。

御本人の許可をいただいてここに掲載したいと思います。

いや~、これこそ音楽の力だと思いますよ(^^)

では、御堪能あれ!

「私は他の人から良く『Mさんは良い声だ。その賜物を生かすために聖歌隊で歌ったら』と言われます。
多くの場合、言葉を濁してまともな応答をしていません。その理由について申し上げたいと思います。

最初に、私は私の声が良いのか悪いのか全くわかりません。でも、音楽に才能のある人々がそういうのであれば、そうなのでしょう。そしてこれまでも、その声に乗せられて3度ほど聖歌隊として歌い、キャンドルライトサービスでも歌ったこともあります。しかし長続きしませんでした。

何故か。

楽しくないからです。

私は歌うことは好きですが、合唱は楽しくありません。

私に取って『歌うこと』と『合唱すること』は全く別物であると、思い感じているからです。
再度書きますが『歌を歌うこと』は私に取って喜びです。しかし『合唱をすること』と『合唱のために練習すること』は私に取って全く楽しくないことであり、苦痛でしかありません。

これまでも教会で、音楽の才能、素養がある人によって合唱の指導をしていただきました。

多くの人はその指導によって、合唱が良くなったといいます。

しかし私にはどう合唱がよくなったかはわかりません。

読めない楽譜を見ながら、音程が外れていないか、この音は直前の音よりも上がっているのか、下がっているのか、この音符の長さは何だっけ?この記号はどのような意味なのか、いつ息を吸うのか、どのタイミングで声を出すのか、いつ止めるのか、指揮者のあの動作は何を意味するのか、そもそも今の自分は楽譜のどの部分を歌っているのか、など、わからないことだらけで歌っていました。

当然そこでは多くの人の言う、合唱の楽しさと言われていることなどは、全く感じません。

そして当然ながら、楽しくないことに関して学ぼうという気は起きません。

私に取って「歌を歌うこと」は自分自身の楽しみのためです。自分が喜びを感じるためです。

その時、その歌を聴く他人を要求しません。一人で自分のために歌えば良いのです。

それは風呂場であり、通勤途上であり、酔っ払っての帰宅時であり、興が乗ればどこででも私は歌います。
もちろん、その時の状況は考えますが、歌うことに関して、一人だけで完結し、それ以上の広がりを必要としません。

ところが「合唱をすること」は広がりを、つまり聞く人々を要求するのではないかと思います。

聴く人を意識して、歌い方が、いかに作曲者、指揮者、指導者、それぞれの意図に合致しているか聴く人にわかって欲しい。練習によってこれだけうまくなったのを知って欲しい。こういうことを意識しているのではないでしょうか。

例えば、『これはこのように歌うと良くなる。他のパートの声を聴いてテンポがずれないように。声量のバランスを考えて』と言われます。そのような合唱に関する規範の下に、歌う人間はその規範に押し込まれていくような気がします。少なくとも私はそう感じます。そもそも合唱とはそういうものなのかもしれません。

ただ、私が歌う時は、そのようなことを全く考えないで歌いたいのです。

その時『それは歌というものを理解してない、合唱は成立しない』と言われるかもしれませんが、最初から合唱などをしたいと思わない私にとって、その言葉は何の意味もありません。

別の言葉で語れば、私は好きな時に、好きな曲を、自分の好きなように歌いたい。

自分が気持ちよいように歌いたい。その時リズムも自由、音程も自由、興が乗れば作曲しても(ただ間違っただけでしょうが)良い。

これは音楽ではない、歌ではない、合唱ではない、ただ勝手に音楽らしい音を出しているだけだ、と言われるかもしれません。その様な考え方に対し『私は音楽をしたいのではない、合唱をしたいのではない、これが私の楽しめる歌い方なのだ』と答えます。

なぜ楽しくも無い合唱をしなくてはならないのでしょうか。

でも教会員として年に二回、ないしは三回ある、壮年会の聖歌隊には参加はします。教会で決めた活動であると思うからです。

音楽が好きな人々には想像もつかないと思いますが、このような感じ方をする人間もいるということを知ってください。

結論 『合唱の楽しさを感じない人、わからない人を合唱に誘うな』

礼拝の会衆賛美の時が、誰にも何も言われずに歌えるので、私にとって歌うのが一番楽しい時です・・・・」

いや~、どうです?堪能しました?

私はこれを読んだ時、本当に感動しました(^^)

「音楽を好き」ってこんなに自由なことなんだと思って。

私も私の周りも、音楽を仕事として、毎回作品を表に出すために、楽譜を言葉にしながら関わっていくことがあたり前になっていますが、人それぞれ音楽の愛し方が違うということを思い出しました。

私も最初に音楽が好きになったのは、小学校2年生の時の歌のテストで、みんなに褒められたからです。

合唱だったわけでも、オペラだったわけでもない。

素晴らしくピュアで、面白いお手紙いただいて本当に感謝です(^^)

音楽家の皆さん、これが音楽ですよ!

心して、自分たちの仕事を顧みてみましょう!

今日はちょっと調子が悪く、ぐったりです(;;)

この時期に梅雨みたいな天気・・・・・更年期的に辛い・・・・。

もう寝ちゃおうと思います。

あ・・・記事を書くのが面倒でお手紙を載せたわけでは・・・・はははははは~(^^;)

今日も一日大好きな人も、大嫌いな人も、とにかくお疲れ様でした!
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by kuniko_maekawa | 2011-07-28 20:56 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)