カテゴリ:演出家のつぶやき( 70 )

今年の抱負(^^)

さて、七草粥も食べてすっかり普段の生活が戻ってきましたね。

いつも思いますが、12月31日の0:00を一秒過ぎたところで「新年明けましておめでとう~!」って世界中が沸き上がる新年は、1年のうちで一番不思議な時でもあります。

たった1秒差で、すべてが新しく思えるって言うのもそうだけど、終わりと始まりのサイクルって、常に始まりがポジティブで、終わりがネガティブに感じます。

ま、だからこそ、「全てを捨てて新しい年に生きるぞ~!!!」と言えるわけでしょうが・・・。

それだけ12カ月を頑張って生きてるんですね。
みんな偉いぞ!

さてさて、今月に入ってようやっと「ポッペア」の負債を全部終わらせました。

2年かかっちゃったよ~!まあ自分がやったことだけどさ~(@@)

よく頑張った自分!

というわけで、新しい年になったところで、今年はどうすんだ?と珍しく自問自答。

多分、負債を終えてすっきりとしたから、なんとなく動けるような気がしてきたのでしょうね。

今年は何か発信したいと思うようになりました。

しかし、今まではそれぞれの発信に理由があった。
否、理由が無いと発信出来なかったので、むりくり理由を付けていた感じ。

昨年、事を興さなかったのは、負債があったからもあるけど、なんか理由が無かった。

周りからは結構「次は何をやるんですか?」みたいなことや、自主公演を続けている諸先輩方からの発信なども多々ありましたが、なんか動かなかった。

興味もあんまりなく、ぼんやり過ごしました。

今年も大きな「理由」はありません。

つまり、大義名分ということ。

けれど、事を興したくなったのは、アピールしたいテーマが出来たから。

これを発信するために、公演を興していこうと思い立ちました。

具体的な日程等はこれから。

でも、定期的に発信したいので、出来れば年4回を目指したい。

やることは、私の大得意?の「構成舞台」です。

オペラをやるのも良いですが、言葉を紡ぎたい私としては、舞台にはこだわらない。

レチターレでもやった、詩と楽曲を構成するパターンだと、テーマを扱いやすいしね(^^)

これから色々と企画を練る準備をするので、最初の発信は早くて夏かな~。
春には早すぎると思いますが、うまく整えばやるかも。

ぼんやりとはいえ、色々と頭をめぐるイメージを形にするには、やっぱり舞台を創るのが、私には一番出来る方法だと思います。

ほんとに伝えたいことを、ずっと伝えて続けていきたい。

始めるのは多分ゆっくりですが、今年は是非、皆様とホールでお会いしたいですね!

それにしても今年は本当に寒いですよね~(><)

日本中、世界中、既に仕事始めでしょうが、どうぞ健やかで楽しい一年をお過ごしくださいませ~!
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by kuniko_maekawa | 2013-01-09 11:20 | 演出家のつぶやき | Comments(6)

「待つ」と言うこと

このところは大学もお休み、演出の仕事も無し、3月に崩した体調もそろそろ復活しそうなあんばいで、のんびりと過ごしています。

礼拝や教会事務の仕事なども復帰したので、教会へは一番足を向けている。
いと嬉しきことかな(^^)

オペラの仕事と並行してやっている教会事務のお仕事も、4月からは相方が変わり、新しい流れになってくるので、今までよりも覚えないといけない事が増えて来たかも。更年期&40代のぼけぼけ頭では追いつかない~(@@)

でも、心を緩くして変なおばさんでいられる嬉しさったらない(^0^)
周りの方は御迷惑でしょうが(笑)

そうは言いつつも、4月からは少しずつ先に進まなければいけません。

大学の授業もぼつぼつはありますし、今は止まっている演出仕事も入ってくるかもしれない。

ここは神様にお任せと言いながら、体ももっと元気にしておかないとやばいし、心は尚更元気でいないとね。

さて、昨年度から私の中で大きく変わったことがあります。

それはですね、「待つ」と言うことが出来るようになったことです。

これは色んな場所や人や、物事や、様々において、非常に大事なことだと認識しています。

例えば、演出家として稽古場にいる時も、今までは自分のイメージややりたいことを相手に投げて、即座に帰ってくることを要求していたように感じる。

そうすると、必然的に沢山喋って、尚且つやってみせて、それでも出来なければ方法を変えてと、基本的に押しまくっていたような気がする。

例えば恋愛も、好きになったらその気持ちだけで突っ走っていってたような気がする。

買い物だって「欲しい!」となったら、矢も盾もいられず欲しいという気持ちだけで、借金してでも買ったかも。

これってなんだったんだろうと今は思います。

自分の中に沸いてくる欲求を我慢できなかったこともありますが、大きな違いを感じるのは、謙虚でなかったこと。

つまり、自分が「1」で他がそれ以下だと思ってたんじゃないかなってことです。

文章にすると尚更恐ろしや(^^;)

演出していても、自分のプランが一番で、そのこと自体は決して悪くないにしても、それが出来ない相手を受け入れる事が出来なかった。

すぐに出来ない相手をネガティブにとらえていた。

これが最近は、単に「相性が悪い」と思えるようになってきました。

別に仲が悪いという話ではありません。

相手にも才能があり、考えがあり、こちらの申し出に応えようとする気力があっても、お互いの持っている色が違う。

人間ですから当たり前の現象ですよね。

単に、お互いの相性が悪いだけだと思っています。

これは人づきあいも同じで、以前だったら責めていたことも「分かりあえない」だけだと思うようになりました。

つまり、相手の人間性を責めるのではなく、お互いに理解できるものが少ないと認識できるようになったってこと。

恋愛は最たるものかも(笑)。

どこまで自信過剰だったんだと今では赤面しますが、相手の気持ちは全く考えずに、「好き」と言う気持ちに支配されていて、もしかしたら相手のことも良く見てなかったかもと思います。

こう言ったことが現象として分かり始めたのは、いつの間にか「待つ」ことを覚えたから。

相手に投げた様々なことが、形になるのを待つ。

気持ちがある相手を、本当に好きな相手なのかどうか良く見る。

私のプランを相手が消化するのを待つ。

何より、自分自身がちゃんと理解できているのか、感情過多が収まるのを待つ(笑)。

多くはやはり仕事場で試されることですが、この「待つ」ことが出来るようになった私は、演出家としては、かなり成長している感じがしています。

3月の公演も、私があまりにも何も言わないので、学生にさえ「演出家のくせに、演技もつけないんだと最初は思いました」などと言われていましたが(すごい言い方ですけどね^^;)、一向に構いませんでした。

多くの学校公演や研究生の試演会などで、つい手をかけたくなる理由は「引き出しが無いから」。

公演自体は、学校や団体の外側へ向けてのアピールですから気持ちはわかりますが、本当に「引き出し」は無いのでしょうか?

私は否だと思っています。

だって、その公演までに、アンサンブルの授業や試験や、院生ともなれば他の団体の研究機関に所属していたり、外でキャストとして歌ってり、留学経験のある学生も来ます。

これが「引き出し」で無くて、なんであろう??

それを言うならば、「プロほどの引き出しは無い」と言うべきであって、加えて学校公演にプロはいらないのであるから、結局、「今ある引き出しから使える物を精一杯出す」と言うことを学ばせればいいのじゃないかと思っているのです。

そして、彼らが自分の頭で考えて、理解して、その拙い、幼い引き出しからなんとか経験を引き出してくるのを「待つ」ことが、その世界で先に生きているものの、大きな役割じゃないかと思います。

だから「先生」と呼ばれるのだと、私は理解しています。

4月からまた、学生たちや、若い演奏家たちとの時間が始まると思います。

私の経験が積み上がり始めた今、やっと「待つ」ことの大切さを実感して彼らの前に立つことが出来る。

嬉しいですよね。


今日は良い天気で、少し暖かでした(^^)

事務のお使いで、新大久保を歩いていたらば沢山美味しそうな韓国料理のお店がずら~っと(@@)

噂のコリアンタウンはこれか~!

そろそろ内臓関係も良くなってきた感じがあるし、美味しいもの沢山食べて、元気に春を迎えたいですね~!
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by kuniko_maekawa | 2012-03-27 13:14 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

動かないこと

2月になりました!

来週はバレンタインデーもある模様。
まったく関係なくなりましたが、世の中はちょっとLoveモードですね~(^^)

今週から勤めているS音楽大学の大学院公演のための稽古に入っています。

演目はドニゼッティ作曲、オペラ「愛の妙薬」。

メジャー中のメジャー。
王道を行く演目ですが、全曲を演出するのは初めてです。

もっとも、演出家としてまだまだ駆け出しなわけですから、やっている演目の方が少ないですが(^^;)。

6日から始まった稽古は、本読みから始めて、実際に音楽をどう表現するかということも含め、いわゆるプレ稽古をやっています。

図面が上がってくるのが14日ということもありますが、学生公演だからこその醍醐味で、基本はスケジュールが取れていますから、外の公演のように、そこに一喜一憂することはありません。

しかし、相手が学生ですから、プロとは経験が違います。

試験期間を挟んだりし、中々教室等が自由に使えなかったりして、私に与えられている時間は、来週10日間くらい。

その間に、合唱も含めて通し稽古までやってしまおうと思っています。

この期間を先生方も含めて危惧してらっしゃる空気も・・・・。

でも私はまったく心配していません。

それは、今回の公演をちゃんと演出家として参加しているから。

どういうことかというと、この間の千葉でやった「カルメン」もそうですが、演出家で居る時の私は、基本的に細かい動きを要求しません。

大きなコンセプトを話して、後は歌い手さんの作ってきたものと感性をすり合わせていくだけです。

普段学生と付き合っている「オペラ実習」という時間は、基本的に授業なので、彼らがオペラ歌手になるのに必要なことを丁寧に創って行っています。

ですから当然、動きもつけるし、内容ももっと学生に考えさせる。

最終的にやるガラコンサートなどは、最後の授業として「観客に観せる」ということをやるために創っています。

何を一番大切にしているかといえば「学生の成長」です。

しかし、今回は学校公演といえども、2000円のチケットを売ってやるオペラ公演です。

ここで参加する学生たちが、何を学ぶかといえば、「お客様に対しての責任」なんです。

なので、一人一人が、「オペラ歌手」として、あるいは「声楽家」として、お客様に何をアピールするかを学ばなければいけません。

この時、私が考えることは「観客」のことだけ。

そうなると、何が一番大切かと言われれば、「音楽」なんです。

オペラをやるにあたり重要なのは、「耳の刺激」。

目で観ることは二次的なことで、客席に座っている観客は、無意識の内に入って来る音楽から想像を得ていると信じています。

ですから、それを壊すことはスタッフも含め、絶対に嫌。

私自身もそのことを厳命にして、極力動かない方向で進めています。

普段授業の時は、じっとしていると怒られている学生たちには不思議な現象(笑)。

オペラ歌手の仕事は「歌って表現すること」。

楽譜に存在している作曲家の意図を、それぞれが解釈して「歌って伝える」ことです。

と、言うわけで、もうほとんど粗立ちは終わりました(^0^)

明後日から合唱団を入れて、もう少し絵を創れば、後はただ歌わせるだけです。

それが成立して初めて、「音楽空間」が出来上がります。

そこを邪魔しないで、照明や舞台美術、衣装等、絵を創っていくのが私の仕事ですね~。

他の先生方は、10日で全幕本当に出来るのかと、大いに心配なさっていますが、出来るんです(笑)。

私にはその確信が、すでにあります。

そして、そのことを信頼できないようなら、オペラ演出家では無いと思っています(^^)


昨日は同じ教会の仲間と女子会!
ベトナム料理がホントに美味しかった~(><)


毎日が不調の日々ですが、更年期という原因があるので、「しょうがねえなあ~」って流せるようになってきました。

眩暈や不定愁訴はやっぱり辛いですが、年齢とともに次のステップに進んでいるんだと思うと、なんとなく受け入れています。

「まだ早い」とか言われても、確実に「老い」への準備も始まっているんですよね。

これは結構嫌ではありません。

人生をちゃんと歩いているんだと言う認識がある。

ここまで生きてこられたことが奇跡。

神様に感謝して。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2012-02-11 15:38 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

東総文化会館20周年記念公演オペラ「カルメン」

わ、前回からかなりの時間が経ってましたね~(@@)

寒いと手の調子があんまり良くないのと、このところずっと千葉県の旭市というところに通っていましたから、ブログは長々とお休みでした。

その千葉県旭市で、昨日、オペラ「カルメン」が上演されました!

今回は、東総文化会館というところの20周年記念と言う事で立ち上がった企画でしたが、昨年の震災で大きな被害があり、旭市は被災地となりました。

故に、震災復興支援事業の一環として改めて行われることになった、意味のある公演でした。

ビゼー作曲オペラ「カルメン」は、御存知の方も多くいらっしゃると思うのですが、人を傷つけてセビリアに流れてきて軍隊に入ったドン・ホセが、ジプシーの女であるカルメンと運命的な出会いをし、結局破滅に向かって行くという内容。

復興支援事業となったとき、この内容が問題になるかと危惧しましたが、そこは主催者である東総文化会館の御尽力を得て、最後のカルメンがホセにナイフで刺されるというショッキングなシーンも、そのまま行われました。

東総文化会館では、2006年に「魔笛」を上演したという縁があります。

その時は初めてオペラを上演すると言う事で、紆余曲折しながら、ホールの職員の方々にも御協力いただいて、結果的に素晴らしい公演となった思い出深いホールです。

その時、プランナーで参加してくれたスタッフたちも、今は第一線で活躍中。

ホールの主催ということで、ほぼ本番で使う舞台が稽古場になるという贅沢な環境でしたし、良い経験を与えていただいたと思います。

今回も、そこは変わらず、ホールの職員の方々、制作を担当なさったSさんも同じように御尽力いただきました。

ソリストは基本地元の方をオーディションで選ぶという方向でしたが、カルメンを歌われた斎藤加奈子さんは東京の方、ミカエラを歌われた小林未奈子は地元千葉の方が選ばれ、ホセの望月光貴君とエスカミーリオの鶴川勝也君は、助演としてお願いしました。

そしてここの特色である合唱団。

千葉県県民合唱団と言って、登録をして団員となり、公演ごとに参加者を募るというシステムのようです。

今回も60人くらい集まってくださいました。

素晴らしかったのは、6年前の「魔笛」に参加してくださった方が今回も参加してくださって、懐かしいお顔を見せてくださったこと。

舞台スタッフもボランティアの方を募集するのですが、そこにも懐かしいお顔がありました(^^)!

たかが6年、されど6年。

生まれたばかりの子供が小学生になりますよね。

皆さんお変わりなくお元気で、今回も一生懸命頑張ってくださいました!

「カルメン」は合唱オペラです。

地方やアマチュアの団体が公演演目に選ぶのも、やはり合唱部分が多いからだと思います。

前回の「魔笛」は合唱は2曲でしたから、それに比べると倍以上。

皆さん、最初は目が点!(笑)という感じでしたが、結果的にはすべて暗譜でもちろん衣装をつけて、動いて、素晴らしいオペラ合唱団と化していました!

ご指導くださった先生方もさることながら、実は年齢層が若くない合唱団の皆さんの努力たるや!脱帽です!

年齢層のことを言うと、皆さんなんとなく冗談っぽく笑っていますが、真面目な話し、40代からの記憶力は、それまでに比べると圧倒的に低下していきます。

私自身も、それを如実に感じていますし、それで苦しむことも多くあります。

この合唱団は平均年齢60歳くらいだと思われますので、そこはかなり覚えるのに苦労がいると思います。

そこをなんとか完全暗譜で、舞台に立ったということが、とにかく凄いのです!

そして、何よりも皆さん、楽しんでらっしゃる!
これが何より素晴らしい!

御一緒している私も本当に楽しんでいました!
ありがとうございました!(^0^)

そうそう、今回は「カルメン」を一本というのではなくて、訳詞をし、台詞で繋いで、いわゆる構成舞台を創りました。

基本的にオペラ歌手にお願いしたのは主要4役。

後は合唱団の中からお願いして、台詞を喋っていただいたり、歌っていただいたりしました。

これが凄い!

レメンダートとしてMCの役割をしてくださった山下健一君。
長い台詞を全部覚えて、独特の声色と台詞回しで、プロと言っても遜色ない役を作っていただきました。

フラスキータの宮負治子さんとメルセデスの成毛由紀代さんは、オペラ歌手でも大変な二役を、良く歌ってらっしゃいました。声が綺麗で言葉がストレートに聴こえてきます。
こういう時、オペラ歌手は実は創りすぎているのかもしれないと思いますよね。
この素直な綺麗な声がちゃんと物語を進めてくださったいました。

本来はダンカイロという役を、今回は密輸団のボスとして歌ってくださった中澤正道さん。
6年前の「魔笛」の時も、山下君と一緒に僧侶をやってくださいました。
この方はものすごく音程と声が正確。安心して聴くことが出来ます。台詞もはっきり慌てないで喋られる。
指揮の佐藤さんが絶賛してました!

そして本来のズニガを軍人という役にして歌ってくださった板橋憲一郎さん。
実はこの方はオーディションを受けにいらしたのですが、その後合唱団に参加。しかし綺麗で伸びのある声をお持ちです。丁寧に対応していただき、絵を添えてくださいました。

こんなに沢山のことを担ってくださった合唱団の方々、本当にありがとうございました!

そして、今回ソリストで参加なさった方々、お疲れ様でした!

ほぼ皆さんが同じ年齢だったこともあって、チームワークがすごく良くて、久しぶりに大笑いしながら稽古を進めていました。

カルメン役の斎藤加奈子さん。

藤原歌劇団の準団員で、私も昔から良く存じ上げている方。オーディションを受けての挑戦でした。

身長もあり、堂々としている歌い姿が正にカルメン!声も年齢とともに豊な艶を感じてきました。
今回も、ハバネラを歌いだした途端、素晴らしく艶のある声に思わず耳が奪われました。

非常に頭の良い方で、一を伝えると10を知ると言う方。
しかし、それをもう一つ練りこんで、表に出した時には彼女のラインが丁寧に出来上がっていて、そこに安心感がある。

30代後半というのは、まだまだ自分の力量に自信を持つのに勇気が居る年代ですが、この舞台を通して、先の安心感みたいなものに磨きがかかった感じがします。これからが本当に期待できるメゾソプラノですね(^^)


同じくオーディションで選ばれたミカエラの小林未奈子さんは、昨年藤原歌劇団の育成部を終了したばかりの新人さんです。
おそらく、この公演がデビューかも。

初々しさもそうですが、彼女の元々持っている美しい声が本当に魅力的です。
清らかで強さを感じる。

御本人も明るくて前向き。とてもしっかりした気持ちを持っているように感じます。
今回は周りが経験のある先輩ばかりで大変だったと思いますが、御自分の持てる力をきちんと出し切った本番だったと思います。

もともとの持っている声や感性は素晴らしいものをお持ちなので、これから、本当に良い経験を積んでいかれることを祈ります。
結局は環境が自分を創っていくということもありますので。
将来が期待できるソプラノ歌手ですよね(^^)


ホセには望月光貴さんをお願いしました。

やはり藤原歌劇団の所属のテノールですが、この人の声は本当に素晴らしい!
久しぶりにBlliranteってこんな声だ!と堪能しました。

けれど輝かしいだけではなく、そこに優しさを感じる。
ホセにはぴったりでした!

実は、「カルメン」を演出するのは今回が初めてでした。

アシスタントでは何回とやって、内容に関してのノウハウはありますが、「自分が創るのならば」というヴィジョンはありませんでした。

こういうと怒られそうですが、最近私はその時参加してくれる歌い手さんが創ってくる音楽を聴かないと、ヴィジョンが浮かんでこないという、いかにもオペラ演出家(?)な感じで創っていくので、歌い手さんの声や音楽が動かないと、まったく困ったことになってしまうのです(^^;)。

しかし、彼と斎藤さんが作ってくださった音楽に私のヴィジョンを乗せて、本番で初めて成立した箇所が二箇所ほど。

1幕のセギディーリアと4幕の終幕の冒頭です。

本番観てびっくりでした(@@)

「あ、成立した」って感じ(笑)。

こういう瞬間を創るには、稽古場でただ話すだけなんですが、その話をちゃんと受け止めて、ただ歌ってくれたという感性に感動でした!

望月君には恐らく、そういう感性が沢山潜んでいると思います。

本人もまだ知らないものなのかも。

声のこともそうですが、その感性が開いた時、この人は想像できないくらい素晴らしいテノール歌手に成長するだろうなとものすごく期待しています。また御一緒出来たら嬉しい歌い手さんですね(^^)


同じく助演のエスカミーリオを歌ってくださった鶴川勝也君は、昨年のMMC公演「ポッペアの戴冠」にも出演していただきました。

その時はバロックのもので、彼の持っている綺麗な声の音色を堪能し、言葉を紡いでもらった感がありましたが、今回は花形闘牛士ということもあり、コーラスと一緒に歌う有名な「闘牛士の歌」など、華やかな雰囲気。

久方の二枚目役は、彼も楽しかったらしく(?)、まずは姿かたちがカッコ良かった!(^0^)

コーラスと一緒にソリストが歌う場合、当然マイクなど使うわけではありませんから、60名の合唱団が多く奈声で歌ったら、当然ソリストの声は消されてしまいます。

しかし、鶴川君の声は必ず聴こえてくる。

大きな声でというわけではなく、音色が勝っていると思います。

「ポッペア」の時もそうでしたが、本当に綺麗な音色。

そしてそれがどんなに大きな音楽を歌っても崩れません。最後に鶴川君の声だけがす~っと客席に飛んでくる。

もっと大きな声を出す人や、太い声で歌う人はいると思いますが、御本人の綺麗な響きを失くさずに、その声だけが最後にまっすぐ客席に飛んでくる快感は特筆!

ブッファもセリアもいける声と感性があります。
出切れば二枚目をやらせてあげたいけど、どっちも魅力がありますね。この人もこれからが楽しみな人。


こんなに素晴らしい歌い手たちをまとめてくださった指揮者は、大先輩の佐藤宏さん。

昨年の仙台での公演も御一緒していただき、また楽しい時間を過ごさせていただきました。


先ほども書きましたが、最近の私は、とにかく音楽をちゃんと演奏して欲しい感がものすごくあるんです。

歌い手は歌うことが仕事。

しかし、ただ歌うのは仕事じゃない。

思いと言葉を伝えるのが仕事なわけですが、それは誰かに聴いて創るものじゃない。

歌い手自身が創るものだと思っています。

そこを司るのが指揮者の役目。

私は、浮かび上がった音楽を絵にして客に観せることが仕事なんです。

だから一々「どうしますか?」と聴かれると切れる(笑)。

佐藤さんは、私の師匠も一目置いている指揮者です。

彼が何が素晴らしいかというと、ちゃんと仕事をしているから。

へんな言い方ですが、それは最終的には「客への責任」なんです。

歌い手たちやオーケストラとどういう音楽空間を創るのか、すべて、彼に任されています。

でも、利己的にそれを受け止めるのではなく、彼はすべての人たちの仕事をまとめる才能に長けているのです。

例えば、1幕のカルメンの「セギディーリア」も、どうやって歌いだすかを斎藤さんと話して「後は彼女に任せよう」と最後に私と打ち合わせをします。

これを不思議に思う人はいると思います。

演技のことは演出家に聞けというわけですよね。

でも、この場合は斎藤さんがどうしたいかが重要です。

歌い手たちはみんな同じ思いやバイオリズムを持っているわけではありません。

その時、その時、感じることは千差万別。

それを演出家に聞くなんて愚問です。

私も答えられません。

多分聴かれても「どうする?」と歌い手に聞き返します。

そういうことをきちんと理解して、現場を回すことが出来るのが佐藤さんです。

御一緒して勉強になることばかり。

今回も密かに沢山経験しました(^^)V


舞台上のことは、ザ・スタッフの大澤裕さんという舞台監督さんが、本当に丁寧に細かくお仕事していただきました。

予算も厳しく、舞台監督以外はプランナーも今回はお願いせずに、ホールの方に創っていただき、台組みや蹴込みの色塗りなども全部ホールの方と大澤さんで創っていただきました。

それを考案して指示するだけでなく、やった方々の達成感までも考えていただいて、きちんとお仕事していただきました。

佐藤さんもそうですが、若いときから御一緒している大先輩とこうやって演出家としてお仕事できるということは、なんか、やってて良かったな~と思う瞬間なんですよね~(笑)。

本当に嬉しかったです!


公演を一つ終えると、こうやって宝物を沢山いただいたんだと改めて認識します。

自分自身に得たものは、多分次回の仕事の時に、「あ、これが出来るようになってた」と言う瞬間までわからないものなのですが、終わってからの満足感や心地よさを考えると、本当に良い公演だったとわかります。

こういう機会は一期一会。

来週からは、3月の大学院オペラ公演の稽古が始まります。

「好き」を仕事に出来ている幸せ。実感中!(><)

また旭市に特急に乗って通う日が来るその時まで、皆さん、どうぞお元気で!!
そして、会場に足を運んでくださったお客様、本当にありがとうございました!!
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by kuniko_maekawa | 2012-01-30 17:04 | 演出家のつぶやき | Comments(10)

Cantabile~歌うように

表題の単語をご存知でしょうか?

Cantabile

「カンタービレ」と読みます。

あ、「のだめカンタービレ」の「カンタービレ」です(笑)。

Cantare「カンターレ・歌う」と言うイタリア語が語源。

オペラの楽譜には、良くこの言葉が入っています。

例えば、「椿姫」の二幕のジェルモンの小アリアや、「愛の妙薬」の1幕のアディーナとネモリーノそれぞれ恋愛観を歌うところなど。

もちろん、他の楽器の楽曲にもものすごい確率で出てくる音楽表記です。

「歌うように」楽器を演奏する。まさに。

でもですね、オペラの楽譜にこの表記が出てくると、いつも一瞬「?」と私は感じます。

だって、オペラは元々歌ってるんだもん。なんでわざわざCantabile?

もっと不思議なことに、周りは案外普通にこの言葉を受け取っていて、まさに朗々と歌っている。

おかしいぞ~。だれも疑問に思わないのかしら???

先日授業でも、このことを学生い投げてみたらば、まさに初めて聴いたような顔してましたが、たぶん、そこにいた誰もが、「言われてみれば・・・・」って思ったと思う(笑)。

Cantare「歌う」と言う単語は、辞書で調べてみると、歌うと言う意味以外に、「大きな声で宣言する」とか「朗々としゃべる」とか、いわゆる、メロディアスなイメージ以外の意味が沢山出てきます。

ただの「歌」と言う感覚とはちょっと違う。

ここがポイントかな~(^^)

つまり、Cantabileと出てくると、私の中では正に「歌うように」良く響く声で喋る、あるいは、詠唱する、と言う感覚が強くなります。

もっと言えば、「場面の音楽を歌う」と言う感じ。

その場面を、その役の心を込めて、歌って聴かせる。

それこそ、オペラは全部がそうじゃないのかと言われれば、実はちょっとずつ違うんです。

例えば、セッコなどは、もちろんセリフにメロディがついていますが、この場合の歌の役割は、セリフを響かせるマイクのようなもの。

アンサンブルになれば、声の声部によって和声が構成されますから、今度は楽器の役割が強くなる。

場面の状況を音で聴かせてはいますが、実はそこには「言葉」はあまり存在しない。

オーケストラと同じ役割を与えられているからです。

すべての音の中に声と言葉と含めて、場面の音楽空間を創る役割がある。

アリアはどうか。

これは正に詠唱。

個人の感情を伝えるための音楽。
ここにはキャラクターの言葉があり、空間も心理的。

平たく言えば、お経かな(笑)。

つまり、空間よりは個人が優先される音楽なんですね。

お経と言うのは、祈りの言葉をメロディに乗せて、伝えるものですから、同じ感覚です。
讃美歌もしかり。

Cantabileは、これらの中間。

ある場面に存在しているキャラクター達が、会話として大切なことを詠唱しているのが役割だと感じます。

だから、「歌うように」歌う必要がある。

良い響きの声で、美しいメロディに乗せて、今ある場面の人物として歌う必要があるんですね。

そうすることによって、そこには場面としての人物が浮かび上がってきて、なんというか・・・物語を絵にしたような空間が生まれます。

う~ん、わかります~?(笑)。

神話を絵にしたような・・・あるいは宮廷の家族の肖像画みたいな、物語性のある音楽空間。

やっぱ説明できない・・・・(^^;)

ま、とにかく「Cantabile」は要注意単語だと言うお話でした!
(これが落ちかいっ!)

今日は寒いですね~(@@)

先週から今週、悩んでいたことに一つの決断をしました。

神様に沢山祈ってから、行動に移しましたが、あっけなく撃沈(笑)。

まあ、しょうがないかな。
それも御心ならば・・・・・(^^;)

やっと冬らしくなりますね。

風邪などお気をつけて!

Cantabileには騙されないように~(笑)
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by kuniko_maekawa | 2011-11-18 13:33 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

音楽を創る

勤めているS音楽大学の公演が近づいてきました。

3,4年生は試演会として、月曜日にお客様の前で発表します。

初めてオペラをやる3年生はモーツアルトの「フィガロの結婚」。

1年やってみて、もう少しオペラをやってみたいという4年生は同じくモーツアルトの「Cosi fan tutte」。邦題は「女はみんなこうしたもの」なんて上手い題名がついてます。(^^)

こちらは毎回ドキドキしながら、楽しい公演になって行きますが、12月には大学院の学生たちも、ガラ・コンサートとしてお客様の前で、披露する機会をもらっています。

今年で勤務丸4年。
公演回数は6回目となりました。

最初は手探りでやっていた公演も、さすがに今は授業の教授陣も、演奏者も、学生たちも慣れてきてくれて、色んなことが楽になってきています。

さて、授業であろうが、通常の売り公演であろうが、やはりこれはオペラですから、大切なのは音楽です。

いつものMMCの公演では、それを自分で創ってみたくて指揮者を置かずに歌い手さんたちと創っていくという作業をしていますが、ここでも考え方は同じ。

特に大学院の公演は1000円の売り公演ですから、やはり最終的には音楽を聴かせたい。

S音大の学生は、これだけ歌うんだ~!と、お客様を唸らせたい。

学生たちと一緒にそれを目標にがんばっています。

先週最初の粗通し稽古をして、大体のことも見えたので、今から本番までにやっていくことは、「音楽を創ること」。

もちろん、私は指揮者ではありませので、「音楽を見せる」と言った方が近いかもしれませんが、このことを丁寧にやっています。

外公演と違うのは、相手が学ぶ最中の学生だということ。

大学院ともなれば、そこそこ歌える学生が集まっていますが、彼らが今から覚えていかないといけないことは、まさに「音楽とは何ぞや」ってことです。

若いということもあり、彼らはものすごく早い段階で、自分たちの持分である楽曲を覚え、全くの未経験でなければ、なんとなくの形も作ることが出来ます。

ある程度の時間は必要となりますが、さすがに4月からここまで半年以上もやっていると、すでに楽曲に対して慣れや自信が出てくる。

本来はここの部分が既に歌い手にある状態で、オペラ公演の立ち稽古は始まりますが、そこは学生。

この自信と慣れが出来るまでに半年かかる(笑)。

そして、若さの怖さは、この段階で「出来上がっている」と無意識に完成してしまうこと。

つまり、勉強するにもやり尽くした感が出て来て、以上のことを見つけられないことです。

そこは経験ですから、しょうがないですよね。

だからこそ、彼らは学生をやっている。

本当はこの段階から始まると言うことを、本番までの一月くらいの間に理解してもらうために、授業を進めています。

具体的にはどうするのか。

「音楽を創り」ます。

今現在、彼らが慣れてしまった「芝居」と称しているものを、「音楽」に変えていく作業です。

リアルタイムでは有り得ない、楽曲のテンポ感で、歩いてみたり、走ってみたり、笑ってみたり、泣いてみたりする。

歌と歌を繋いでいる間奏が、ただの間奏ではなく、感情の起伏だったり、舞台の場面だったり、効果であったりすることを、身体で歌いながら、ずっと切れずに呼吸するということを理解する。

「授業」という形態で理解させるには、これが一番難しいです。

なぜならば、これには「経験」も必要だからです。

初めて音を取って、たかだか半年歌ったくらいでは、身体に音楽は流れてこない。

これは、そのことを解釈するということでも同じです。

楽曲の中の、たった一つの小さな音でさえ、何かのきっかけになるのに気付くのには、経験と年齢と回数が必要となる。

まったく歌舞伎や能と同じで、回数を重ねるにつれて、あるいは年齢を重ねるにつれて、気付く箇所や音が違って来ます。

同じ役を何回も歌うということは、そのままその人の年輪になって行き、「技」に変わって行きます。

これをたった一回のガラコンサートのためにどこまで出来るかということですが、それはやはり「音楽」にしていく努力をするだけなんですね。

これから彼らがオペラ歌手になるのかどうかはわかりませんが、でも、本当の「最初の一歩」を踏み出しているということに、たった一人でも気付いてくれれば、幸せですね。(^^)

さて、今日は冬の雨。

明日はお休み。

やっと・・・・・(;;)

今週は予期せぬ痛いこともあり、ちょっと疲れました。(^^;)

暖かくして、ゆっくりやすみましょう~(^-^)

でもね、ちょっと嬉しかったのは、その予期せぬことが起こった時、自分の核心がぶれなかったこと。

そのために、相手を責める気にならなかった。

自分の器が大きくなっているんだと、成長しているんだと、初めて感じた瞬間でしたね。

一応、この年まで生きて来ただけのことはあったらしい(笑)。

考えなきゃいけないことは沢山ありますが、一つ一ついつの間にか終わるでしょう。

感謝して(^^)。
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by kuniko_maekawa | 2011-11-11 17:17 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

台詞というもの

前もそんなこと書いたような記憶があるな~・・・。

って言うか、これだけブログも書いてると、年間やることに代わりが無いわけですから、いつの間にか同じことを書いてますね(笑)。

昨日仙台から戻ってきて、今日はちょっとへたり気味でお休みしています。

稽古自体はとても楽しく、歌い手さんもピアニストさんも、本当に良いレベルの方々が集まっていますから、とても楽しい(^^)。

ま、台本と訳詞が自分の創ったものなので、事あるごとに赤面しているというのを除けば・・・ですが(^^;)

ところで、この台詞という物が私は非常に好きです。

多分、根本は人が喋っているのが好きって言うことがあるのだと思いますが、昔から、小節や漫画を読んでいても、結局はまるのは登場人物の台詞で、その言葉に自分の語感がハマると、その作家が好きになると言う感じでした。

今は少々大人になったので、台詞と言うよりも、その作家の文章の流れみたいなものと内容に惹かれて小説は読みますが、やはり心に残るのは台詞です。

映画はまだ絵を観ていますが、芝居は最たるもんで、目では無く言葉で観ている感じが大ですね。

好きな台本作家ももちろん居ますし、自分で喋っている言葉や、書いている言葉にも影響があります。

この「台詞」が好きな理由はもう一つ。

とにかく「自由」だから。

なんと言うか・・・「その時、その場所で、その人が喋る言葉は、その人の心が感じることで、どんな言葉がその頭に浮かんでくるかは、喋ってみないとわからない」・・・的な自由さを感じているのです(わかります?^^)

これはですね、オペラのリブレットであろうと同じことが言えると思っており、だからこそ、歌い手が違えば、聴こえてくる言葉と音楽が違ってくるという醍醐味を感じていますが、もっと言えばオペラの場合は、単純に自由とは言えず、実は自由さと不自由さが相まっているものというところに魅力を感じています。

芝居では、行間は喋っている役者のものだけれど、オペラにおいての行間は、ずっと流れている音楽です。

そこには作曲家の意図がある。

オペラは常にベースにたった一人の人間の思い入れが存在しているのですね。

それを演奏者のパーソナリティーがオリジナルにしていく。

わかります?(笑)。

まあ、わかんなくても良いんです。それが私がオペラを創り続ける理由って言いたいだけなので(笑)。

そういう意味では、仙台でやるフィガロは、両方の面白さを感じています。

元々学校公演のために作った物ですから、「教育的にオペラとはなんぞや」的なことも必要と思い、オペラという形式を知るために、台詞とセッコを混ぜて構成しています。

こういう形を上演する時気をつけることは、喋っている台詞と歌っている台詞のテンションが変わらないこと。

歌い手さんの常として、やっぱり歌っている方が体のテンションは高いです。
当然ですね。身体が楽器ですから。

しかし、これが台詞になると急にテンションが下がるのでは面白くない。

同じ口から出ている「音」なんですから、喋ろうが歌おうが、同じテンションを持っていたい。

そのために、歌と台詞の間を極力切らないで創ってもらっています。

息の使い方が同じであれば、絶対にテンションは変わりません。

そうするためには、ずっと身体に風が回っているように、動きも喋りも歌うことも同じレベルで流れているのがベストです。

実は、こういう形式のものを作っている時が一番楽しい(^^)

音楽だけでは作曲家の言葉に捕らわれて、楽譜に思い入れが入っちゃうし(^^;)、台詞だけだと、どこまで自由になって良いのかわからず、開きっぱなしになっちゃって収集つかないし(笑)、一人の歌い手を軸に、喋って歌って、音楽を追いかけているのは結構楽なんです(^0^)v

やっている方は多分すごく大変だと思いますが、皆さん、良く着いてきてくださって、昨日の通し稽古は、まだまだ粗立ちにも関わらず、かなり楽しかったです!

今週末、また仙台に行って固め稽古をしたら、10月の一週目に通し稽古をやってその次の週に小屋入りです。

東京では少ないと思う稽古回数ではありますが、それは逆にいつでも集まれるという甘えの下にある回数だと思います。

地方では、皆さん、生活が8、稽古が2と言う割合で生活していらっしゃいます。

だからこそ、この「2」の割合がとても意味を持っていて、毎回すごい集中力です。

いつもの癖で多めに稽古がないと、なんて思っていた私の方が甘い。

本人たちの努力と、内容の良い稽古が出来れば、稽古回数は問題ではありません。参りましたっ!(笑)

さて、もう少し私がやらねばならないことはあります。

今日はちょっと休んで、明日からまた色々と準備を始めて土日はまた稽古場へ。

ああ~!ちょう~たのしい~!!(^▽^=)

しかし、一緒に行っている東京組みの男子が、まあ~食べる食べる!!!(@@)

この三日で有り得ない太り方をしたので、今度こそ節制しなければっ(笑)

まだまだ暑い東京だと思ってましたけど、風だけは秋の雰囲気になってきましたね。

9月も中旬。
今年はどんどん季節が過ぎますね~(^^;)

とはいえ、季節の変わり目。
お体御自愛くださいね~(^-^)
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by kuniko_maekawa | 2011-09-19 15:40 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

言葉に開く

さて、9月1日から始まったS音楽大学の授業。

今年は人数が多くなったため、4コマ増えて結局月、水、木、金と週四日大学に通っています。

そのうち月曜と水曜は9時から16時までのフルタイム。

相変わらず身を削るような時間を過ごしていますが(それにしては痩せない・・・@@)

今年度は、イタリア人のソプラノ歌手も講師として大学院の授業には参加しています。

なので、いつもはガラコンサートの一週間くらい前にイタリア人の指揮者が来るので、そこからイタリア語モードにしていればよかったのですが、今年はいきなり授業に行ったら、世界はイタリアに変わってました(;;)

さて、そのことはともかく、最近ちょっと気付いたことがあるんですが、最近私は外国語に関して耳が開いているみたいなんですよね~???

例えば、去年までだったら、イタリア語を聴いていても、喋っていても、やっぱり頭で日本語に変換していたので、喋れなくなることが多々ありました。

今年はなんだか自然に会話できているように感じる。

言っときますが、完璧ではありません。

相変わらず文法はめちゃくちゃで、相手が一生懸命理解してくれようとするのは変わりませんが、なんか壁が無い。

相手の言うことも、ちゃんと聴こえてくる。

返す時も、自然と言葉が出てくる感じがする。

あんまり頭で変換してないのかも・・・。

不思議なことに、英語もフランス語もドイツ語もそうみたい・・・。

これって本当に不思議な感覚。

頭で考えていても、なんとなく言葉が出てくる。

映画を観ていれば、言葉が耳に入って来る。

とはいえ、完璧ではないですから、意味がわからない単語も沢山ありますが、フレーズや単語そのものがちゃんと耳に聴こえてくるのです。

これは不思議。

イタリア語に関しては、多分5年間大学でイタリア人指揮者を相手に、分けわかんないイタリア語会話をしてきた結果だろうと想像しています。

英語やフランス語はそのことに影響されて開いているように感じる。

英語に関しては、やっぱ昨年NYに行って、街で喋っている雰囲気を覚えているという感じ。

それとこれも大きいと思うんですが、私は教会の日曜学校で「バイブルクラス」というグループに入っていて、このグループは、英語の聖書を読みあうんです。

うっかり知らずに入っちゃったんだけど、これが結構効を奏しているような気がします。

「天にまします我らの父よ~」という主の祈りも英語で祈る(覚えられせんが・・・^^;)

この二つのことがベースになっていて、日本語以外の言葉に耳が開いている感じなんですよね。

そうなると案外自然に言葉を喋れるようになってきて、単語さえ出てくれば楽しく会話できています。

相手も、日本語がわかるわけじゃないから、ちょっとした単語だけでも母国語で会話できると嬉しいし、その方がダイレクトに良い話が聞けることがあって面白いです。

特に授業に居るソプラノさんや指揮者は、経験値がすごいですから、やっぱ感心することもしばし・・・。

これは同じように学生たちにも投げかけられるわけですが、これがまた不思議と彼らは私とかになんちゃって通訳をされて、それ以上言われた単語を調べようともしない・・・・。

外人の言うことはわかんなくて当たり前って思ってるのかわかりませんが、興味が無いみたい(^^;)

そうは言っても、私自身も必要に迫られて勉強したイタリア語ですから、あんまり言えないかもしれませんが、やっぱり言語が広がると、理解することが増えて楽しくなりますよね(^^)

そうは言っても、ちゃんと理解して喋るには、やっぱりその国に行って暮らすのが一番。

これから長期で留学出来る人は羨ましいかな・・・。

さて、昨年海面状血管腫という病気をしてから、間もなく1年。(@@)

早いものですね~。

今年も同じ轍を踏まないために、ただ今絶賛睡眠時間厳守中(笑)。

ちゃんと寝て、食べて、身体を保ってギリギリ仕事が出来ています。

毎年こんな風に年をとっていくんでしょうね~(><)

さて、そろそろPCを切って寝ます。

そろそろ涼しくなってくれると良いですね~(^^)
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by kuniko_maekawa | 2011-09-14 20:45 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

探すということ

公演をやって毎回苦労するのは、男声の歌い手さん探し。

芸術関係は全部そうだと思いますが・・・あ、もしかして世界的にそうなのかしら?

男性と女性の比率が悪いのです。

特にクラシックの世界では本当にそうで、声楽やバレエなどは男性が引く手あまただと思います。

オペラ等は合唱団も同じ。

しかし難しいのは、技術があるものに関しては、おわかりでしょうが誰でも良いわけではないということ。

それに、人対人ですから、依頼する方と依頼される方が、誰でも仲良く出来るとは限らない。

そうなると、選択肢はかなり狭まります。

もちろん世の中には色んなタイプの人が居ますから、「どんな人でも大丈夫!一期一会を楽しみましょう!」なんて勢いで、誰でも一緒にやってみるという方なら問題はないでしょう。

紹介する方もそういう人には楽。

私も毎回頭を悩ましては結局同じ名前を何回も挙げています。

第一条件は、「風通しが良い」ということ。

つまり、お互いに「あ・うん」の呼吸があるとまでは行かなくても、こちらの投げかけるものに対して壁が無いと言うことです。

歌い手さんは、自分の声というものに繊細です。

良い声をキープできる、安全なフォームを崩したくない。

自分をむき出しにして稽古場にいなければいけないのはわかっていても、出来れば壊されたくない。

良くわかります。

けれど、その精神的なことや身体的なことも含めて自分自身が「楽器」なわけですから、こちらはいじらないわけにはいかない。

その時に壁を創るのではなくて、まな板の上に乗ってくれる人が理想です。

もちろん声も良いに限る。

しかし、歌い手の声が悪いはずはありません。

それでは歌い手とは言えない。

なので、私自身が歌い手さんを探すときは、わざわざ「声」のことは聴きません。

そして、良い声で歌うことが出来るのならば、身体が自由に動くのが道理。

それが稽古場で不自由に成るのは、単に精神的なことです。

あるいは、発声的なこと。

そうなると基本的な話しになってくるので、問題外ということになりますね。

さて、私の周りにも、何人か、残念ながら数えるほどですが、風通しの良い歌い手さんが居ます。

そういう人達との稽古では、ほとんど喋りません。

喋る必要が無いんですね。

こちらが欲しいものを投げる。

そうすると相手は「出来るかどうかわかんないけど、とりあえずやってみるから何かあったら言って。」

こういう時は、大抵問題ありませんからスルー。

よしんば違うものが出たとしても、それこそ歌い手さんの感性ですから、いただきの物が多い。

結果、新しい発見と経験が出来たりして、あ~、気持ち良い~って満足しながら稽古を終えることになる。

これは結局自分のことを考えずに、お互いが稽古場にただ「居る」からなんですね。

その時集中していることは、恐らく作品のことだけ。

どうやったらその役になれるのか、どうやったらその空間を創れるのか、どうやったら作曲家の意図に近づくのか。

そのことだけをお互いに考えて稽古場に居る。

心と身体をいくらでも風が通っていく。

至福の時です。

最近、こういう稽古場を創れる歌い手さんが色んな事情でオペラの舞台を踏めなくなっている。

探せば現れてくるのでしょうが、こればっかりは一緒にやってみないとわからないので、最初の一歩がいります。

今もバリトンを探して色んな名前を頭でめぐらせていますが、どこでヒットするのか・・・・(^^;)

良い出会いを祈るしかないですね。

今日はお休みでしたが、部屋の掃除をしていたら、急にTV周りの配線を整理したくなった。

なんだか一日中かかって、絡み合ったコードと格闘(@@)

結局二本使ってないコードを取り出して、LANコードの接続の仕方を変えてみたけど・・・・。

すっきりしたかな(^^)

今週はまた仙台へ。

また布団の下に豆が落ちてるような感じがしだしてきたけど、楽しく頑張ります(^0^)

明日も一日お元気で!
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by kuniko_maekawa | 2011-08-24 21:14 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

オペラを日本でやる意味

前日の記事。

室内歌劇場の不正受給についての記事でしたが、途中、すごいことが書いてあったのにお気づきでしたでしょうか?

「オペラ界では、昨年の日本オペラ連盟に続く、支援金を巡る不正発覚だ。同歌劇場は、上演機会の少ないオペラを日本初演することに定評がある。しかし、海外の歌劇場が毎年のように来日公演を行っている現状で、今回のケースでは最大1事業約4800万円という多額の支援金を出してまで、国内でオペラを制作する意義があるのか、疑問視する声もあがりかねない。」

昨日の記事を書いたときは、この内容も含めて、なんだか嫌になっちゃってあまり言及しませんでしたが、改めて読み直してみて、これはかなり恐ろしい意見だと認識しました。

だって、本場のオペラ公演が日本でも観れるんだから、4800万もお金を支援してまで、わざわざ日本産のオペラを作る必要があるのかってことですよね?

つまり、日本でオペラを制作する意味が無いってことですよね?

これはネットニュースであっても、読売新聞の記事です。

国内大手の新聞社で、こんな記事が平然と書かれるってことは、日本で、日本人がオペラを制作したり、歌ったりすること自体を否定されているってことですよね?

今まで、こんな風にはっきりと、日本でオペラにお金を出す意味が無いといわれたことは無かったと思います。

文章は「国内でオペラを制作する意義があるのか、疑問視する声もあがりかねない」と客観的ですが、そんな声がどこからも上がってない今、この意見は記者の意見です。

少なくとも、日本で一人は、国内で日本産のオペラをやることに意味がないと言う人が出てきたってこと。

すごく怖い。

海外産の芸術を、日本人がやる意味が無いといわれる日が来るとは・・・・・。

しかも、外来の歌劇場公演を肯定してのこと。

つまり、海外から本物が来るんだから、わざわざ日本で、日本人のオペラを高い金を出してやる意味が無いってこと。

つまり、我々のやっていることは、本物じゃないといわれたってことでもあります。

足元が崩れますね・・・・。

4800万は確かに高い。

普通に考えれば。

でも、記事にも書いてあるように、オペラは総合芸術で、すべての報酬をきちんと払ったら、億のお金がかかります。

そんなことは、規模を見れば誰でもわかる。

だからと言って、不正を許容するわけじゃありません。

でも、亜流と言われる筋合いはない。

日本のオペラ界が、どれだけ頑張っていたのか、不正受給をしなければ成らなくなった理由はなんなのか、そこは誰も書いてくれないくせに、本物じゃないんだから、金を出す必要がないというのはひどい。

この記事を読んで、日本のオペラは亜流で本物じゃないと思う人が出て来くる可能性があります。

そのおかげで、これまで100年をかけて、オペラを愛し、根付かせた先人達の苦労がすべて水の泡になる可能性があります。

ああ・・・ぞっとする・・・。

言論の自由はどこにでもある。

けれど、真実を見向きもせずに不正の結果だけで、全く意味の無いことにされるような記事を書くべきではない。

だから日本で芸術が育たないんだとは、誰も書いてくれないくせに・・・・。

こういう記事が出た時、不正受給の内容だけは取りざたされて、仲間内でも事しめやかにその団体に関して、「まずかったね~」などと噂話で終わります。

けれど本当にまずいことは、お金を不正にもらったことと同様に(もちろん許されません)、何故そうなったかと言う理由が「日本でオペラ公演をやること自体が分不相応だ」とされることだと思います。

でもさ~!すでにオペラは日本の文化になっていますよ~(ーー#)。

元は海外の芸術でも、100年という歴史が出来ています。

日本の作曲家による名作も沢山出ており、海外でも上演されています。

世界中で活躍している日本人オペラ歌手も輩出されている。

オペラに限らず、西洋音楽の分野で、今や日本人演奏家はぬきんでて活躍しています。

理解できてないのは、日本自国だけです。

どうして海外のレベルが自国よりも高いと言い切って甘えているんだろう・・・。

すごく憤りを感じます。

不正受給は悪いことです。それは認めるわけにはいかない。

でも、オペラを日本でやる意味が無いとは言わせない。

それは自国のレベルを余りにも低く見すぎて安心している、日本と言う国の甘えに過ぎないと思うからです。

「オペラを日本でやる意味」

そんなものあるわけ無いじゃない。

やってしかるべき自国の芸術なんだから!
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by kuniko_maekawa | 2011-08-17 22:17 | 演出家のつぶやき | Comments(0)