グローブ座シェークスピアカンパニー「オセロー」

「観劇日誌」と言うよりは「TVのちから」だったりするのですが、日曜日の深夜にBS11チャンネルで「深夜劇場へようこそ」と言う、劇中継番組をやっています。結構遅い時間からで、最初に役者や演出家のインタビューが30分ほどあるので、よっぽど観たい劇中以外は、あんまり観ません。しかし、このところ稽古が休みで、つい遅くまで起きてしまうことと、「オセロー」と言う作品に興味があり、眠くなったら途中でやめようと思いながら観てました。
出演していたのは吉田鋼太郎という、俳優で、主に舞台をやっておりTVや映画には出演していないため、さすがに私も知らなかったのですが、舞台の方では有名なシェークスピア俳優だそうです。もちろん、それ以外の小劇場や他の芝居にも出ているのですが、元々シェークスピアカンパニーの出身だそうで、蜷川幸雄などが好んで使う役者さんなんだそうです。彼の話もおもしろかったのですが、放映された公演がTVで観ていてもすばらしく良かったので、思わずブログに書いちゃいました。公演団体はグローブ座シェークスピアカンパニーで、これは大久保にあるグローブ座の自主公演で、「子供のためのシェークスピア」と銘打って、「ハムレット」や「リア王」やシェークスピアの作品を子供用にわかりやすく、上演していたシリーズです。
グローブ座は今は貸し劇場になってしまいましたが、シェークスピアの生家があるアボンエイボンのあるシェークスピア劇場(だったと思う)を元に、馬蹄形の客席で、大きさも程よく私はすごく好きな劇場です。経営難で権利を手放すまでは自主公演しか行いませんでした。名前のとおりシェークスピアの作品も毎回上演され、時々海外の演劇団体が面白い作品を持ってきていて、思ったより安くお芝居を楽しめました。
さて、放映されたのは1999年に上演されたシェークスピアの「オセロー」と言う作品。ヴェルディ作曲の「オテッロ」といえば、おわかりでしょうか?ムーア人であるオセローが、トルコ人を撃退した褒美に、キュプロス島の総督となり、愛する妻デズデモーナとともに、幸せな日々を送っている。しかし、ふとしたことから自分の女房をオセローに寝取られたと疑いを持ってしまった、旗持ちイヤーゴが、オセローに復讐するために、策略をめぐらし、デズデモーナが副官のキャシオと浮気をしているとオセローに思い込ませる、それを信じたオセローが最終的にはデズデモーナを殺害し、己も果てるという愛憎劇です。
こう言う風に見ていると、シェークスピアと言う作家は、本当に大衆作家だと思います。私も大好きで、毎年秋にはシェークスピアの作品を朗読する会を行っています。一瞬荒唐無稽なあらすじですが、どの登場人物にも魅力があり、そして、悪に染まろうが、善になろうが、絶対的な理由がある。ですから、台詞が本当に生き生きしています。
さて、何が昨日の放映が何が面白かったかと言いますと、とにかく台詞回しがどの役者さんも本当にうまい。インタビューに出ていた吉田さんはイヤーゴをやっていましたが、オセローの佐藤 誓さんも恐ろしく上手な役者さんです。そして何より演出が良い。役者としても登場していた山下清介さんと言う方が演出をなさってましたが、とにかくテンポがすごくいいです。全員に黒いコートと帽子が用意され、それを着ているときは背景になったり、黒子になったり、ひとたびそれを脱いで衣装になると役としての仕事があるといった感じ。台詞のテンポが良かったのもそうですが、場面が変わるたびに、手拍子や、机を叩くことや、役者が一つの形になって動き回ることや、そういった「音」と「形」がめまぐるしく舞台を変えていきます。しかも、うるさくない。「子供のため」とは言いながら、こう言った作品はそうは簡単に表せません。それを非常にセンス良く適当に心地よい短さでうまく構成していました。そうはいってもこれは6年も前の公演です。何故、その時生で観ておかなかったのか、非常に悔しい思いもしました。
先述の吉田さんはそういえば、蜷川作品で見覚えもあるということが思い出されてきます。しかし、こんなに身体能力が高く、微妙な心理描写が表現できる役者さんだとは知りませんでした。やっぱりもっともっと見なくちゃいけません。たとえTVであってもこう言う発見がある。世の中には知らないことだらけです。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-29 22:42 | 観劇日誌 | Comments(2)

オペラレッスン・リブレットを読む編

昨日、今日とオペラ・レッスン初心者とレッスンをしました。一人は「カルメン」のメルセデスを来年やるというので、そのために今から少しずつ楽譜の情報を得たいという人。もう一人は研究生機関で勉強中で、大学ではずっとドイツ歌曲をやっていて、何故かオペラが勉強したくなり研究生機関に入って、初めてイタリア語に触れ、オペラに触れたという人です。両方とも、まだオペラに触れてから時間が浅く、自分達もどういう風に勉強を進めていったほうがいいのか、迷っているということで、人を介して私のところにいらっしゃいました。
さて、こう言う方々と向き合って、最初にしなければならないことは、まずどうやって台本を読んでいくかと言うことをわかってもらうことです。とは言っても、何か特別なことをやるわけではありません。やることは楽譜に書いてある台詞を読んでいくだけですが、これが中々大変。
さて、オペラの場合は、大抵外国語ですから、それを訳して読み進めていきますよね。しかし、誰彼が語学力に自身があるわけではありません。そこで、登場してくるのが「対訳」と言うものです。これは、外国語の歌詞を日本語に訳したもののことを言います。私自身も語学に完全なる自信があるわけではありませんから、良く利用します。楽譜の概要を知るためにはとても重宝します。先述した二人も、ご自分の楽譜や勉強してるノートに歌詞を写して、その下に対訳を書き入れていました。しかし、それだけでは正しい情報は得られません。なぜならば、対訳は読みやすいように書かれている物も多いからです。CDの解説書やオペラの解説本などは一種の「読み物」として編集されているものですから、読み手に興味を持たせる言葉を選ぶのはしょうがないことでしょう。それに、生活感や国の違いから日本人である私達に理解できる言葉や文章にするということも起こり得ます。それで、あまり鵜呑みにしてしまうと、正しい情報が得られないまま楽曲を理解することになります。それから、イタリア語やフランス語など、日本語とは文章の位置が逆になることもあります。そうなると、楽譜に書き込んだ場合に正しい単語のところに対訳が書かれているとは限らないということもあります。これらを軽く考えてしまうと、「~な感じ」と言うことで、自分の歌うところも、相手の歌うところも解釈してしまい、リアクションを取ることが出来ません。
さて、こう言った自体は先述した二人にも起こりました。レッスンの仕方としては、まず書かれている台詞を原語で読んでもらいます。そして次に意味を聞きます。そうすると、彼女達の答えは対訳の文章を読んでいるもので、自分では直訳をしてないのです。そこで、まずそれを指摘して、出来ても出来なくても良いから、自分で訳してもらいます。そうすると、その文章の中に、対訳には書かれているけど、実際には書かれていない単語や言い回しに気付くわけですね。
皆さん、訳すのが苦手だとおっしゃるかもしれませんが、学術書を作っているわけではありませんから、そんなに完璧に訳す必要はありません。お薦めしているのは、文章を直訳することです。例えば、「Eccomi in lieta vesta・・・Eccomi adorna・・・ come vittima all'ara」と言う文章があります。これはベッリーニ作曲の「カプレーティとモンテッキ」のジュリエッタのアリアの一節ですが、対訳ですと「今、私は婚礼の衣装を着せられ、飾り立てられ、まるで祭壇に捧げられる生贄」となります。こう読むと一つの文章のようですが、先の文章をごらんになると判るように、大文字のEccomiが二つあり、「・・・」の部分もあります。と、言う事は単純に考えても文章は3つ。これを直訳していきますと「喜びの衣装を来て私はここにいる・・・・飾り立てられて私はここにいる・・・まるで祭壇の生贄のように」と、こうなります。この違いがお分かりでしょうか?先の一つの文章で解釈していまうと「Eccomi」の2回目が意味をなさなくなります。単語の訳し方によっても受け取り方はかなり違います。「Romeo potria la  fuggente arrestare anima mia」対訳ですと、「ロミオ様なら私の弱い心を受け止めてくれるわ」しかし、直訳してみると「ロミオは私の心が逃げるのをさえぎることが出来る」となります。これは単語に関する解釈の違いとか、読みやすい言葉にして対訳で伝えるということからおこることです。なんとなくお分かりになるでしょうか?
勘違いしないで頂きたいのは、私は対訳が絶対に間違っていると言っているわけではありません。意味としては正しいのです。当たり前です、専門家が書いているのですから。しかし、自分の読み方で文章を読むということを努力していかないと、役としての言葉が生まれてこないのです。今日、レッスンをしていったクライアントさんは、もっと範囲を広げて勉強していたのですが、一曲自分で訳したところで、頭がパンパンになってしまい、レッスンリタイア。でも、この大変な思いをして訳したものだから、頭に入っていくものなのです。次回は多分、もっと勉強してくることと思います。その楽しさをちょっとわかってくださった感じがしますから。次回は、単語のこともお話しますね。時に先に直訳した文章が間違っていたらご一報ください。私は、完璧であらねば成らないとは思っていないので、御指摘は喜んで受けます。それにしても、毎回レッスンのたびに、気付くことは一杯。本当にこの仕事を選んで良かったと思っています。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-27 19:57 | オペラ・レッスン | Comments(0)

藤原歌劇団公演「アドリアーナ・ルクブルール」

・・・のGPに行って来ました。朝から台風騒ぎで、いけるかどうかぎりぎりまで外の様子をうかがいつつ、舞台がすごく綺麗だと聞いていたので、これで行かなくて、後からみんなに「舞台がきれいだったのに~」と言われるのもなんか悔しい感じがして、行ってきました。
しかし、行ってよかったです。舞台は本当にきれいでした。これは40年前くらいにローマ歌劇場で初演されたものらしく、道具はかなり古いですし、「描きわり」と言って、板や幕に絵を描いたものを舞台セットとして立てて使うものなのですが、この絵がすごく綺麗なんです。とても、ただの絵とは思えない。もちろん生明かりで見れば、ただの絵だと思いますが、しっかりと陰影も描き込まれ、舞台の明かりで見れば、奥行きさえもきちんと感じさせる絵です。3幕など思わず見てて唸りました。今と違ってコンピューターで絵を取り込むということも無かったでしょうから、本当に職人の腕が良かったのだと思います。
「アドリアーナ・ルクブルール」はチレア作曲の4幕物のオペラです。日本ではあまり上演されませんが、4幕のアドリアーナのアリア「この可愛そうな花」は有名です。それに2幕の公爵夫人のアリア。これもお聴きになると「ああ!」と思われるのではないでしょうか。話はごくごく簡単な世話話で、コメディフランセ-ズの看板女優であるアドリアーナと、その恋人の騎士であるマウリツィオ、マウリツィオが政治的陰謀をかなえるために愛人になっている、公爵夫人。その夫、それからアドリア-ナに密かに恋心を抱いている劇場支配人のミショネ。主に、アドリアーナと恋敵である公爵夫人との恋愛バトルに重きがおかれている感じですが、曲自体は壮大で、綺麗です。しかし、実際に歌うと成ると、多分大変な労力を要するだろうと想像されます。
今日はBキャストの方でした。アドリア-ナが出口正子さん、公爵夫人藤川真主美さん、マウリツィオ中蜂聡さん。そしてミショネが牧野正人さん。それぞれ素晴らしく歌ってましたが、ミショネの牧野さんが本当に素晴らしい。彼は昔からお仕事ご一緒したりして、実は昔から大ファンなのですが、とにかく声が美しい!1幕のアリアなど、涙が出ました。特に高音がどこまでも伸びていきそうで、豊かな響きが本当に感動しました。出口さんは身体の小さな方で、今まではルチアや「カプレーティとモンテッキ」のジュリエットなど、軽めの物の印象がありましたが、今回はこの大変な役を非常に大きな音楽観で歌われていたように思います。アドリアーナは役的にも少し抽象的で判りにくいと思いますし、女優と言うことで台詞を喋る場面もありますから、体力的にも大変でしたでしょうが、やはりプリマドンナと言う貫禄を感じました。
しかし、今日舞台を観ながら思いましたが、今日の演出は非常にオーソドックスに、奇をてらった物も何も無く、歌い手達もほとんど動かずに、ただ歌うことに専念していました。それが、こう言った音楽観の大きな作品には大切なことだと思います。観ていて、安心してシートに身体を預けていられるし、逆に絵としても印象深かった気がします。最近は、演出も何かを打ち出さなくては、という気概は見えますが、それが必ずしも成功しているとは思えません。そう言う意味でも、今日の舞台は懐かしく、安心して心から楽しめる舞台だったと思います。本番は27,28,29日です。お時間があれば是非いらしてください。中々最近お目にかかれない、きっちりとした良い舞台だと思います。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-25 21:14 | 観劇日誌 | Comments(4)

オペラ・レッスン リサーチ編

本日は久しぶりにレッスン。8月はお盆休みやら、旅行やらでクライアントさんたちも、それぞれ夏休みを謳歌するので、あんまり定期的にレッスンは入りませんが、お盆も開けて、秋からの公演や試験が動いてくると、またもや危機感を感じたクライアントがやってきます。
さて、いつでも何でも簡単にレッスンを引き受けているようですが、引き受けてしまってからが、結構大変。元々良く知っている作品や、一度は勉強したことがあるのものなら、大して問題もありませんが、オペラと言っても星の数ほど・・・・、知らないオペラは何万演目もあります。なので、今まで関わったことが無い演目がレッスンに来た場合、とにかくリサーチと準備に時間がかかります。これが半端じゃない。
例えば、今日のレッスンは「Suor Angelica(修道女アンジェリカ)」。プッチーニの有名な3部作の一つです。今年は、どうも流行っているみたいで私自身が演出助手で関わっている横浜オペラシティの公演を筆頭に、3公演は題名を見ています。しかも、あまり上演されない演目なので、余計珍しい現象になっていますが、秋にある公演に出演が決まったクライアントが依頼をしてきました。それが2週間くらい前。そこから、私のすることはこんなことです。
まず、辞書引き。これは基本中の基本。内容は対訳や概訳でわかりますから、より詳しい内容を知るために、或いは作曲家や台本作家の意図を読み取るために、私にとっては辞書引きがかかせません。しかし、この作品のように宗教的観念や、貴族階級の使う言葉であるとか、証書の書き方みたいな、専門的な知識が必要な場合、やはりそこを知らなければ、サディスションも出来ませんから、図書館へ走ります。そこでめぼしい本を見つけて、読んだり資料としてストックしたりして、またインターネットなどからも情報を探して、引き出しを増やしていきます。しかし、中には中々資料が見つからないものもあり、加えて生活観など、もっと根本的なことが判らないものもあります。その時は、音楽大学の図書館や、東京文化会館の資料室などに行き、映像を探したり、古いレコード盤を探して、その解説を読んだり。そうやって、楽譜と、知識と合わせて私の「言葉」を創っていくわけです。これね・・・・文章で書けば、これだけですが、本当に大変です。イタリア語はまだ範疇でありますが、独逸語、フランス語と来た日にゃ、文法書から始まる(^^;)
これだけの努力はしますから、当然レッスンはうまく行きます(えっへん!)。うまく行かなきゃお金を頂く意味はありません。それに、これが私のやり方なんですね。中々不器用なものです。
最近困るのが、私の顔を見るなり、「先生にご相談したいと思ってました!今度レッスンしていただけませんか。○○の△役をやるのですが、一本通して勉強したいのです。」などと社交辞令のように言われてしまうことです。まったくふざけた話です。でも皆さんは、その気があるから言っているのだと思われるかもしれません。とんでもない!本当にやる気のある人は、「今度」等と言う曖昧なことは言いません。例え言ったとしても「いついつに公演があって、出来ればこうで・・・」と言う、具体的なことを話します。そう言う人達は必ずレッスンに来ます。たとえ、一回でも。しかし、そうは言っても、可能性がまったく無いかどうかは私にもいえません。そこで、言われた演目をせめても楽譜だけでも用意して、対訳なり書いておこう・・・と勉強を始めるわけです。しかし、そうやって声を掛けてきた人間でレッスンに来た人は一人としてありません。いい加減、私もわかりそうなものですが、いつも、騙されます(笑)。しかし、そうやって勉強したものは血となり肉になっていますから、結局損はしていませんが、時間は取られますね~。お願いですから、本当に受けたい時だけ、私に声を掛けて欲しいものです。すごく時間をかけて準備してしまいますから。その間に、やりたい勉強もあるのです。わかってる?○○さん!さて、明後日も、苦手なフランス語のオペラをレッスンします。さっき図書館に行って来てこれからフランス語の辞書と格闘です。いつか、すべてのオペラの情報が頭の中に入っているようにならないだろうか・・・。日々精進ですね。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-24 19:16 | オペラ・レッスン | Comments(0)

仕事を選ぶということ

普段、私達の仕事はレッスンにしても、演出助手にしても、いきなり電話がかかってきて、「いついつ空いてますか?」から始まります。まあ、レッスンの場合は一も二も無く引き受けて、空いているときに入れていきますが、演出や演出助手はそう簡単に仕事を受けられません。簡単に受けてしまうと、何か問題のあった場合の苦労の仕方はるかに大変です。そこで、とにかくリサーチをします。それでも、演出の場合はまだ、自分が主となりますから、それ如何でいくらでも自分よりに方向を変えることが可能ですし、たとえ降りたとしても、自分だけに傷がつくわけですから、まだ危ない橋を渡れます。もちろん、スタッフを抱えてしまったら問題はありですが。しかし、演出助手はそうはいきません。これが一番仕事を依頼された時に悩む職種です。
なぜかといいますと、まず依頼はほとんどが演出家から来ます。現在、演出助手の絶対数は恐ろしく少ないですから、彼らがわらをも掴む状態と言うのは、わかります。自分で言うのもなんですが、私くらいのキャリアをもって、ある程度の仕事をこなせると言うアシスタントは、もっと絶対数が限られます。片手でも余るほど。その上、演出家達は、皆、十中八九他に仕事を掛けています。ですから、稽古を任せられる演出助手が必要なのです。そして、相性。人間対人間ですから、誰でもいいとは行きません。私の姉弟子である演出家などは、「前川じゃないと駄目だと思う」と、ありがたいことに言ってくれます。しかし、これらの演出家の信頼は、はっきり言って私には重荷です。依頼が来るときは、皆、心底私を欲してくださっていますが、いざ、稽古が始まり実際に演出家の稽古場離れ(他の稽古場に行ってしまうことです)が始まっても、もう引き受けているのだから文句も言えません。そして、「やっておいて」とほったらかしにされてしまう。その間に、どんなに一生懸命稽古をしてある程度形を創っても、演出家が戻れば、影も形も無くなってしまう・・・。もちろん、そればかりではありませんし、アシスタントと言うのは元々、そう言う立場ですから、しょうがありません。それで現場が成り立っているのです。だからと言って、すべてを引き受けてしまうと、結局自分の首をしめることになります。ですから、とにかくリサーチをして、よく考えて「選ぶ」と言うことをします。
私は元々演出助手と言う職種に特に食指が動かず、生活の糧として考えており、今までも、特定の演出家としか仕事をしていません。それも、ここ2年くらいは断ることが多くなってきました。去年、思い切って演助の仕事をやめたのですが、それでレッスンだけして井の中の蛙になったので、今年は少し元の生活に戻そうと思って演助仕事を引き受けました。しかし、すでに精神的にはかなり辛い状態。仕事が楽しくないわけじゃないんですが、自分ではない自分でいる時間が長すぎます。そんなところに、また一本の依頼。来年の秋の話ですが、思わず電話口で「あんまりやりたくないな~・・・」(笑)。演出家をむっとさせてしまいました。私を気に入って、仕事を依頼してくれています。ありがたいことですし、彼らは絶対に私がやると思っているのですね。しかし、私にも仕事を選ぶ権利はあると思うのです。常に、自分が良い状態で居られない現場には、居ない方がその団体のためにもなります。どこか、本気になれずに事務的に仕事をしていては物創りは出来ませんもの。なんのことはない、愚痴です(笑)。
今日いただいたお話は断ろうと思っています。スケジュールは空いているのですが、演出家が本番前後に忙しいことと、今年の今の状態を来年も続ける気にはならないからです。こう言う人間ですから、一向に出世しません。しょうがないですね。これが私ですから。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-22 18:20 | オペラなお仕事 | Comments(0)

音楽稽古

もう日付は変わっちゃいましたが、本日は音楽稽古なるものに顔を出してきました。
オペラの公演をやる場合、最初に始まる稽古が音楽稽古です。何せ、音楽が主体ですから、楽譜を勉強して覚えていく事から始まりますが、この「音楽稽古」と言うのは、一番色んな形を持ってしまうものなのではないでしょうか。
私自身は音楽稽古と言うのは、すでに歌い手自身で、或いはコレペティ稽古などをし、音楽を作ってきた上で、マエストロ(本指揮者です)の音楽とあわせていくという、そう言う作業をするものだと思っていますが、中々ここまでもちゃんとした音楽稽古になることも少ないような気もします。こう言ったことは、やはり大きな団体に関しては、きちんとなされています。藤原歌劇団や二期会などは、外人キャストやマエストロ等からの要求もあるでしょうし、何より、やはり歌い手のレベルは高い。それに音楽スタッフのレベルが高い。こう言うところは、類は友を呼ぶで、良い歌い手や演出家が居れば、それに見合ったスタッフが集まると言うことでしょう。
しかし、地方オペラや、小さな公演では、逆に一番難しいのがここのところです。何故か・・・。正直に言わせて頂くと、良い音楽スタッフが育っていないからです。
今日も、本指揮者ではなく、副指揮者がソリストの音楽稽古をしていましたが、頑張ってはいるのですが、彼の仕切りではとてもとても、音楽を創るというところまでいきません。まず、稽古場の空気が締まりません。彼自身の温厚な性格もあるのでしょうが、これは信用が無いことを示してもいます。つまり、舐められてる。どんなに、休憩中や稽古中に楽しい雰囲気になっても、音がなったらなんとなく場が締まるものですが、今日はそう言うことは一切ありませんでした。それもしょうがないかもしれません。彼のやっている稽古はただの音取りですから。オペラの場合、アリアなどはもちろん自分で勉強すればある程度音楽も創れますが、アンサンブルと言って、2重唱以上に成ってきますと、さすがに相手が居なくては音楽が創れません。音をとってきたものを、合わせていくのが稽古場。そこをまとめて音楽を創り上げるのが指揮者の仕事です。しかし、今日の彼は、音楽を流すだけで、例えば音が間違っていた、言葉が間違っていた、アンサンブルに乗り遅れた、こう言ったことを繰り返すこともしませんでした。かといって、テンションが高くも無く、これでは音が身体に入ってきません。立ち稽古もそうですが、駄目なところはしつこいほど返しをしなければ、体がなじんでくれません。こう言う風に、仕切る人間によって、音楽稽古はただの音取りで終わるか、音楽を作る現場になるかが決まります。これはピアニストにも言えることです。オペラの稽古場でピアノは「オケ」と呼ばれています。文字通りオーケストラの代わりですから、指先一つで歌い手にインスピレーションを与えるような音が出せる事が望ましいです。これは指揮者より大切かもしれません。耳に聴こえてくる音一つで、稽古場が明らかに変わります。歌い手のテンションが変わるのです。本当に繊細な仕事だと思います。
指揮者もピアニストも人材が少ない上に、ある意味個人のセンスや、頭の良さなども絶対に必要ですから、中々良い人材が育ちません。しかし、やりたい人は多いらしく、どこにいっても「指揮者」とかいてある名刺をいただきます。しかし、その名刺を頂いた人達の中で、きちんとお仕事をして下さった方は片手で終わります。これは実は今のオペラ界で一番問題なのかもしれません。
音楽稽古はオペラに於いては芝居の台本を読み合わせるのと同じことです。歌い手も指揮者も、演出家も、音楽稽古の段階でお互いのコンセプトを持ち出して話し合い、そして作品を読んでいくことが必要だと思います。地方に行くと、もっと環境は良くなく、ピアニストも弾けないピアニストが多いです。しかし、これは責めるわけには行きません。東京にいると言うことは情報が多いというだけです。だからこそ、私達が地方で仕事をすることは意味があります。日本中にオペラを広めるには、こうしたスタッフを育てていくことも大切なことだと、本当に思います。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-20 00:38 | オペラなお仕事 | Comments(0)

オーディション

先月オーディションを受けたクライアントから結果報告が来ました。4人レッスンをしたのですが、今のところ二人ほど、何かしらの役に付くことが出来たみたいです。良かった良かった。しかし、面白いのは、一人は希望していた役ではなく、オーディションとして受けた演目でもなく違う演目の(二演目ありましたから)役をもらい、一人は自分のキャラクターとは全然違う役をもらいました。これがオーディションの面白さですね。
オーディションと言うのは、公演をする場合にその演目の役を選ぶために、公募をし、実際に歌ったり演技をしたりするのを、演出家や指揮者プロデューサーなどが審査し、役を決めていくと言うものです。しかし、これこそ恋愛と一緒で、相性や、好み、さらには一目惚れなど、審査する人によって大きな偏りがあります。もちろん、それだからこそ団体それぞれで色にあった歌い手なり役者を選ぶわけですが。
さて、日本のオペラ界でオーディションと言うシステムがポピュラーになってきたのは、ごくごく最近ではないでしょうか。やっていたのかもしれませんが、それは団体のプロデューサーに寄る「声聴き」だけで、演目に対して、オーディションをするというのは、私がこの仕事をし始めた時は、あまりお目にかかりませんでした。しかし、最近はオーディションと言うのは盛んです。理由は色々でしょうが、大きな理由は歌い手の数が増えてきたこと。それと、積極的に若い歌い手や地方の歌い手を使おうと言う動きが出てきたこと。これはすごく良いことだと思います。なぜかというと、切磋琢磨することで層が厚くなるからです。
ブロードウェイやウエストエンドなど、世界に名だたるエンターテーメント地域では毎日毎日、どこかしらでオーディションがなされています。どんなに小さい公演でもです。これは、それだけ役者の「層」が厚いことを示しています。この切磋琢磨が必然的に役者のレベルを上げていき、芝居やミュージカルの質を上げていきます。言ってしまえば蹴落とすことでのし上がっていくこのシステム。人を踏み台にする強さも無ければ、エンターテーナーは育ちません。自分を売って生きているのですから。海外の場合、オペラでもこれは成立しています。日本に来る外人の歌い手達も、やはりレパートリーとしている役を持って、劇場を廻りふと役があいた時に必ず入り込んで完璧に歌いこなして、名前をあげていきます。
残念ながら日本では、これほど切磋琢磨する必要はありません。「場」がないからです。それに、女性はまだ役を掴もうと頑張らなければ、「場」がありませんから、必死になりますが、男性はほとんどがゲストでも歌えます。その現状があるが為に、男声はほとんどオーディションを受けないのではないのでしょうか?もちろん大きな団体の欲しい役は受けるでしょうが、年に何回「受けよう」と思うでしょうか。若い歌い手は名前を出すために頑張るでしょうが。それも2,3年の間でしょう。それに実際公演数も多くはありませんから、オーディションの数もそうありません。
これは鶏と卵みたいなものですから、公演が成り立たなければ、オーディションもありませんし、団体で数が足りていれば、新しい人を入れる必要は無かったりするんですね。難しいところです。そのうち、「場」が増えてオーディションも一杯やって、歌い手達の「層」と言うものが厚くなっていくのも私の夢ですね。私にはある野望があって、それを現実化させたあかつきには、必ずオーディションを実行しようと思っています。私の創った「場」でどんどん切磋琢磨して、歌い手達が育つ日も、絶対に遠くないうちに成し遂げようと思っています。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-18 20:16 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

オペラ・レッスン 立ち稽古編

本日は東京から。昨日無事に戻ってきました。しかし、戻ってきた途端に雨、雷、地震。これに火事と親父が加わったら日本人の嫌いなものがすべて揃うことになりますねぇ・・・・。
松本にいく前日にレッスンを一本やりました。レッスン生は研究生機関に在籍しているソプラノで、秋にアンサンブル試験があり、その演目を今勉強しています。先に我が家でリブレットと楽譜を読むと言う机上の作業をやりました。そして、その後の展開をどうするかと相談したところ、実際に動いて見たいと言うので、場所と伴奏者と相手役を用意して、3時間の立ち稽古を組みました。私がトレーナーを始めて依頼、初の立ち稽古レッスンですね(あ、変な名称)。音楽を入れて、実際に歌ってみると言うところまでは割りとやりたいと言う人達は多いのですが、動いてみるとなると、中々大変です。まず、動ける場所が必要。それも実際の場所を想定すれば、そんなに狭いところでは稽古が出来ませんから、それなりの場所が要ります。そして、伴奏者。ここまではなんとか用意できても、相手役となるとまた大変です。運良く同級生などに頼めるとよいでしょうが、お願いする場合それなりの謝礼は必要でしょう。もちろん交渉して寸志でやっていただくことになりますが、それ+レッスン代なんてことになると、やはり個人でやるには安いお金ではありません(今回はすべて合わせて1万くらいだったと思います)。それはこちらにも十分判っていますから、この3時間を決して無駄にしないように、心してレッスンをします。それに、そこまでの準備をしてまでも、自分のレベルを上げたいと切望している熱意も買います。中々できるものじゃありません。今回のレッスン生はその研究生機関でも、よく歌える方だと思います。彼女が学生だった時に関わったことがあり、よく知っていたのですが、きちんとした意志と目標を持っています。それだからこそ、妥協せずに勉強する方法を持っているようです。
さて、レッスン自体はほぼ普通の立ち稽古と変わらないことをやっていきますが、今回はすでに研究生機関での演出家による立ちが付いていますから、それを邪魔しないことと、その演目を違う方向から広げていきたいという彼女の要望もあったので、出来るだけ私のヴィジョンはそこには入れないようにして、単純に楽譜上で起こってくるものを立体化すると言う方法を取りました。つまり、出入り口や方向性を決めたら、後は形を与えずに、音楽を成立させると言うやり方です。単純に言えば、楽譜に書いてあるとおりに動いてみると言うことです。例えば、フォルテ、ピアノのダイナミックス、アクセント、クレッシェンド、ディクレッシェンド。そう言うものをト書きとして捕らえながら、尚且つ自分の作っていく音楽とリブレットのイメージが会っているのかどうか。それを私が前で見ていて、チェックをして行くわけですね。もちろん、この世界に定義はありませんから、何をやってもいいのですが、観ている客が違和感を感じることや、本人がやっていることがそのままストレートに客に伝わらないことなどを客観的に指摘していき、どうしたいのか、とうやったら自分のやりたいことが伝わるのか、考えさせていきます。これも自分で考えないことには、本人の体から生み出すことがありませんから、たいせつなことです。
さて、このソプラノさんは、身体能力は決して低くありません。頭もよく、こちらの投げかけも、それに自分が対応し切れてないことや、方向性が違うこともすぐさまキャッチは出来ます。しかし、やはり「歌う」という事に捕らわれすぎていて、どんどん自分を閉じ込めてしまう。単純に「歌うと気持ちいい~!」と言う、開放感がまずありません。これは皆さんそうなのですが、まず歌を歌うための身体の形と言うのをそれぞれの方がもっています。基礎の形。バレエで言うと1番のポーズと言う奴です。しかし、バレエの場合は、それは2番、3番につなげるための基本ポーズなのですが、歌い手さんの場合、その基本のポーズですべてのことがなされているような感じです。これは体を楽器にするために必要なことですが、そのフォームを保つために、一歩も動けないなら意味が無いと思われます。
きちんとレッスンをしていれば、フォームはそうそう崩れません。むしろ無意識に身体の中に入っていることは一杯あるはず。頭で考えなくても体が勝手に覚えているものです。ですから立ち稽古のときに、一々何かを考えている必要は無いはず。その思考回路になっていかないと、まず体が解放されてきません。それでも、こう言う「場」を自分で頑張って作るのですから、彼女のオペラへの情熱は熱いです。1時間くらいかけて、やっと体が自由になってくると、俄然テンションが上がってきて、次の段階へ進むことが出来ます。この解放される時間を少しずつ短くして行くことが彼女にはたいせつなことでしょう。
ちなみにこの日相手役をしてくれたバリトン君も、最初に会ったときは頭でっかちの頑固君でした(笑)。しかし、経験を積むこと、時間をかけて自分を解放することをやっていき、最近はだいぶ稽古場で自由に息が出来るようになってきました。努力していますね。ずっと見ている私としてはやはり嬉しくなります。
稽古場を離れた時は、十分に頭を使うことや、反省すること。フォームをきちんと正すこと、こう言ったことをやっていくべきです。しかし、ひとたび稽古場に入ったら、それらは全部忘れて、ただ音楽と自分の欲求に正直に、身体を投げ出すこと。稽古場は「試す」ところです。そこで丸裸になることを、歌い手も私達スタッフも要求されています。そうやって、色んなことをやって「作品を生み出し」ていくわけです。彼女の今後の発展を期待しています。良い資質を持っていますから。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-16 12:43 | オペラ・レッスン | Comments(0)

地方でのお仕事

本日は長野県の松本市に来ています。9月19日に松本市芸術館の主宰でガラコンサートがあり、その稽古のため。2部構成で後半が「カルメン」のハイライトで、合唱団がなんと200人。子供をあわせると230人あまり。私はこの「カルメン」の演出助手に入っています。
さて、年に何回もありませんが、こう言ったいわゆる「地方オペラ」の仕事に入ることがあります。神奈川や千葉あたりだと、泊まりでお稽古に行くと言う事はありませんが、やはり長野、仙台となると21時まで稽古をした場合、帰りの電車が微妙で泊まりになります。それに大体地方オペラの母体は地元の合唱団だったり、キャストの方も学校の先生や、普通の会社員だったりしますから、彼らの稽古ができる曜日となると、土日が中心。そこでまとめて稽古してしまうわけです。そんなわけで、昨日から松本に入り、この土日を稽古して明日月曜日に東京に戻ります。
ところでこの地方稽古は案外ハードです。なにせ、ただ稽古の為に来ているわけですから、まさに「缶詰」。朝から晩まで、ただ稽古です。例えば、本日の稽古はこんな感じ。

11-12 児童合唱のみの稽古。
13-15 児童合唱団+合唱団(大人)合同立ち稽古
15-17 ソリスト音楽稽古。合唱団立ち稽古
17-18 ソリスト、合唱団合同立ち稽古
18-21 ソリスト立ち稽古

どうです?すごいでしょ?もちろん、間に休憩は挟んでいきますから、時間がずれることもありますし、逆に早く終わることもある場合もあります。それから、地元のスタッフにお願いする場合は、打ち合わせも多くこなします。演出家など、間断無く声を掛けられる感じ。とても大変ではありますが、さすがにこれだけ集中できると、お稽古自体はちゃんとしたものになります。一緒にやってくださる方も、私達も限られた時間と言うことが判っているので必死です。そして、何より合唱団の方々がとにかく一生懸命だし、楽しそう。彼らはもちろんアマチュアで、参加費を支払って舞台に乗ると言う楽しみを持っています。ですから、本当に一生懸命だし、勉強なさいます。そして、舞台が大好きです。
いつもいつも「オペラとはなんぞや」などと嘯(うそ)ぶいている私達も教わることが一杯あります。やっぱり楽しいのが一番ですよね。こう言った公演における演出助手の仕事は、ただただ、出演なさる方々の楽しい気分を壊さないことと、地元の出演者、東京からのゲストの間を埋めていくこと等、普段よりも橋渡しの役割が強いです。でも、ひょっとしたら、普段よりも楽しんでいるかもしれません。それにしても、朝から子供と一緒に舞台を駆け回るのは、40代の身体には少々・・・・・(^^;)。今日も、頑張ってきます!
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by kuniko_maekawa | 2005-08-14 09:59 | オペラなお仕事 | Comments(0)

レッスン代

トレーナーの仕事を始めるにあたり、一番困ったことはレッスン代の査定です。いったいいくら頂けばいいのか。双方満足する金額はどれくらいなのか。随分頭を悩ませました。声楽家の友人達に聞いても、答えは様々ですが、だいたい7千円から1万円。もちろん、その金額には自分のプライドと実力が入っています。「それだけ頂いてもおつりが来るくらい、きちんとレッスンする」。本人達のキャリアも十分にあり、自信のほどが伺えてなるほどと頷きました。
しかし、そうと成ると、なおさら悩んでしまいます。私のキャリアと実力と言うのはどれくらいのものなんでしょうか?それにオペラトレーナーなんて、実際は皆さん聞いたこともないような職種でしょうし、具体的にどういうレッスンができるのかもわからない。そこでいきなり1万は高いだろう。私でも払わない。そこで本格的に始める前に試験的に1時間千円でやっていた時がありました。レッスンは大体1時間半から2時間。一回2千円と言う感じです。まあ、このくらいの金額なら受ける方も、気兼ねも無いだろうし、もし、価値観を感じなくても損しない金額だろうと・・・。そこから始めていったある日、レッスンを受けに来てくれたピアニストの方が、謝礼を置いて帰られたのを見てびっくり。5千円入っているのです。すぐに電話して「いただきすぎです」とお話しましたところ、「2千円では安すぎます。私には5千円でも安いと思います」とおっしゃっていただきました。そこで、はたと気付きます(ほらね、私はいつも気づくんです)。そうか、レッスン代というのは、価値観で決められるものなのだ、と。つまり、私の設定した金額が高いか、安いかは受けての問題で会って、誰しもに納得のいく金額なんかありえないってことです。受ける側がたとえ2千円でも価値が無いと思えば、高いものになり、10万でも価値があると思えば、安いものになると言うわけですね。良い勉強をしました。それで、去年本格的に始めようと思った時に、私は私なりの査定をして今の4千円と言う金額に収まりました。正直言うと、少し安いと思っています。しかし、私はとにかく、私のレッスンを続けていただきたいし、そこで結果を見てからでないと、本当に私の頂きたい金額をいただけないと思っているので、まずはこれで良しとしています。毎週通っても1万円を少し出るくらい。多分、皆が通っている声楽のレッスンのほぼ1回分か2回分で受けられるはずです。ここまでして、定期的に勉強することを進めるのは、私のやっていることは幾つものプロセスが必要だからです。一本の役を勉強すると言うのは時間がかかります。しかし、それを成し遂げると言うことが大切です。ですからなるべく時間をかけて、本人の考え方も変えて行きながら、すべてのプロセスを終えると、1年やそこらでは足らないかもしれません。ですから、特にオペラ公演等に間に合わせるための事でなければ、長期計画でレッスンをして行くのが望ましいのです。そのためにまず、通いやすい条件を整えました。それから、これが大きな理由ですが、私のことを必要とするのは、まず若い歌い手のたまごたちです。彼らは生活のほとんどを親の仕送りか、バイトで自活するかに頼っています。ですから、あまり経済的に裕福ではなく、融通も利かないことがしばしばです。その中での4千円なら、洋服を1枚我慢すれば、なんとか出る金額です。絶対優先的に歌のレッスンには行くでしょうから、それとは一つ別のランクで見れるようにしていることもあります。言ってしまえば、語学の勉強などと同じくらいの優先順位でしょうから。別に卑下しているわけではありません。それ以上の価値を持って、毎週通ってくださる方ももちろんいますので。しかし、私のやっていることはやれば必ずレベルはあがりますが、やらなくてもなんら支障が無い部類のものです。それを敢えて通ってくると言うのは、その人の強い意志とと目的意識と価値判断しかありませんから、受けたいと思った時に、金額のせいで足踏みをして欲しくないと言う思いが強いのです。
先の記事でも書きましたが「レチターレ」が終わって戻ってこない人達の理由は「経済的なこと」です。一人は夏に頑張って立て直して、秋からは戻ってくると連絡がありました。あとの方は見通しが立たないのだそうです。私は頂いている方ですから、これをじっと我慢するしかありません。彼らが価値をもってくれていても、そのお金を捻出する方法が無ければ、選択肢は他に譲るしかないでしょう。こう言うことも、レッスンを始めてから勉強したことです。ですから、毎日バイトして、なんとか隔週でも、私の所に来てくれる人達をみると、本当に彼らの為に最善を尽くさないといけないと思います。「秋から戻りたい」といってくれている人は、私のところで勉強を始めて1年、一番の成長株です。彼女自身も、それからオペラとのかかわり方も、すごく変化している最中です。是非、やめないで続けて欲しい。もちろん、彼女に関して、私は根気強く待つつもりです。その「志」を信じていますから。これもトレーナーの仕事の一つだと思っています。
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by kuniko_maekawa | 2005-08-11 13:13 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)