横浜シティオペラ「修道女アンジェリカ/ジャンニ・スキッキ」

日付が変わってしまいましたが、本日は(29日)横浜シティオペラの本番でした。これは私が演出助手で入っている公演でして、観劇日誌としては、あまり客観的なものではありませんが、まあ、初日があけたお祝いに、とりあえず書いちゃおうかな・・・っと。
演目は、プッチーニ作曲の有名な三部作の中の二つです(残りの一つは「外套」)。「修道女アンジェリカ」は不義の子を産んだ貴族の娘アンジェリカが修道院生活を送って、7年目に叔母である公爵夫人が尋ねてきます。理由は妹が結婚するために、財産相続を放棄する書類にサインさせるためで(つまり絶縁ですね)その際、残してきた子供が死んだことを知らされ、絶望のために自殺を図ります。しかし、聖母マリアの奇跡が起こり、死んだはずの子供が現れ幸せのうちに、昇天すると言う話。もう一つの「ジャンニ・スキッキ」は資産家のブオーゾが死んだ晩に親類達が遺産目当てに集まってきます。しかし、ブオーゾは財産をすべて修道院に寄付するとのこと。慌てた親類たちを尻目に、ブオーソの甥っ子が連れてきたのが、ジャンニ・スキッキという男。実はリヌッチョの恋人ラウレッタの父親だが、ちょっと得体の知れない頭のいいやつです。親類たちは、ジャンニにすっかりはめられて、財産をそっくり奪われてしまうと言うもの。両方とも50分くらいの1幕ものですが、とにかく音楽が素晴らしく、とくにジャンニの方は、音楽だけ聴いていても、十分に面白いのですが、その分、難しい。稽古の経緯は、ブログにもちょこっと書いてますので、まあ読み直して想像してください。
演出は恵川智美さん。もう10年来のお付き合いで、妹のようにかわいがっていただき、プライベートでも、仕事でも、良いお付き合いをさせていただいています。彼女の演出は、いつも基本的に楽譜を中心にオーソドックスで、奇をてらったところは無く、今回も、彼女らしく、きちんと作品を創っていました。今回は歌い手のスケジュール調整など、なかなか難しく、加えて歌い手たちの経験や、キャラクターなども、ばらつきがあり、、苦労していましたが、彼女には作品を絶対に作り上げると言う志が非常に強いので、本当に色んな手を尽くして素晴らしいものを作り上げていました。まったくいつも感服しています。特に、「アンジェリカ」の方は、彼女のリサーチ力の賜物でもあり、きちんとキリスト教の暦や背景にのっとった上で、人物像がしっかりと浮き上がっていました。もちろん、音楽的にもかなったものであることは言うまでもありません。元々芝居の出身ですから、「ジャンニ」などは芝居的要素も加わって、美にいり、際にいり、面白かったです。
歌い手たちも、素晴らしかったですが、特筆すべきは「アンジェリカ」で公爵夫人を歌われた岩森美里さん。二期会のメゾソプラノで、私も何回もご一緒してますが、今回のこの役はまさにはまり役。声がまず素晴らしい。深い音色もさることながら、高音域も低音域も、変わらない息の流れがあり、そこにちゃんと言葉がはまって役が見えてきます。動きはほとんど無く、歌うことだけを要求されていましたが、「本当に歌うって、こういうことなんだ」って改めて思いました。また、ぜひ、ご一緒したいです。本当に素晴らしかった。
そして「ジャンニ」のシモーネを歌った松山いくおさん。彼は藤原歌劇団のバリトンで昔から良く存じ上げているのですが、とにかく、オペラと舞台を愛してるのが、すごくわかって、稽古のときから、それがにじみ出て、細かい芝居や、まわりとの掛け合い、役の作り方等、毎回こちらも勉強させていただきました。なにより素晴らしいのは、その語感の良さです。元々声も、綺麗で心地よい息で歌う方なのですが、フレーズ感が素晴らしく、言葉が綺麗に耳に入ってきます。どんなに動き回っても、大丈夫。やはりご本人のセンスなのでしょうね。久しぶりにご一緒したので、嬉しかったです。そして、二期会のテノール大間知寛さん。リヌッチョを歌いました。この人も久しぶりにご一緒しましたが、すごく音楽観が広く、声がとても綺麗です。だからと言って、ただ綺麗に歌っているのではなく、彼の音楽からちゃんと役が見える。一貫してちょうど良い存在感があるのです。こういった歌い手さんも珍しいです。お芝居がすきなのだと思いますが、こういう方々ともっと作品を創ってみたいと本当に思います。
そして、もう一人、これは若手で今回一番の注目株(私的にですが)。「ジャンニ」の医師スピネッロッチョと公証人を歌った西村朝夫君。彼は藤原歌劇団の準団員で、今年武蔵野音大の大学院を卒業した、まだ若い歌い手さん。当初は違う役で乗っていましたが、事情があり、急遽この役に大抜擢(笑)。声の響きも良く、芝居の感も悪くありません。こちらが投げる色んなことにも、きちんと対処して、決して器用ではありませんが、稽古の度に毎回違ったことを見せてくれる、頭のよさがあります。そういった素養も大きな可能性を期待させますが、何より、受け口の広さを感じます。これが一番期待できるところ。きっと元々外側に意識が働くのでしょうが、自分にとって必要なことは体中を開いて受け入れようとするような感じがあります。物怖じしない強さがあるのも特筆ですが、この受け口を是非狭めないで、大きな枠の歌い手になって欲しいし、彼なら出来ると思っています。もちろん、まだ一杯やらなければいけないことはありますけどね。
しかし、今回は7月の終わりから稽古に入り、約3ヶ月の稽古でした。長い長い時間をかけてやっと開けた本番は、お客様の暖かい拍手で終わりました。とにかく頑張ってくれた、舞台監督他、スタッフの皆様に感謝。素晴らしい本番でした!
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by kuniko_maekawa | 2005-10-30 01:14 | 観劇日誌 | Comments(0)

本番へGO!

今日も素晴らしく良い天気。まさに私の心を表しているような・・・・(笑)。本日はお休みです。と、言うのも、来週本番をあける公演の稽古が昨日で終わり、あとは劇場での仕事を残すのみとなったからです。歌い手さんは、今日からオケ合わせといって、今までピアノでお稽古していた音楽的なことを、実際にオーケストラと合わせていくという作業を行い、スタッフの方は、劇場の仕込みに入ります。本番の舞台に、セットを組み立て、照明を作っていく作業ですね。それが完了したら、双方舞台に集合し、GPと言う、本番と同じリハーサルをやり、晴れてお客様の前に出します。
ここまでにかかった日数はおよそ、3ヶ月。今回は、長めの稽古でしたから、そうなりましたが、実際は二月から一月半と言ったところです。それで、本番はせいぜい2回で、2時間くらい。考えてみたら、その本番の時間と言うのは、恐ろしく贅沢なのですね。たった2時間に、私たちも、どれだけの時間と準備を費やすのか。しかし、だからこそ、舞台は面白いです。その贅沢な2時間でさえ、人の目に触れた途端に、消えていきます。形の残らない、泡みたいなものですが、全部消えてしまうのではなく、例えば、私たちの記憶にある、においや映像のように、誰かの耳や目に、色んな形で残っていくものです。そのどんな形かわからない記憶のために、稽古をしているのだと、私たちは認識しています。今回は、色んな意味で、大変な稽古でしたが、何人か宝石を持っている歌い手さんにも会いました。この人たちとも、よほどの縁がなければ、この先どこでまた一緒になるかわかりません。もしかしたら、一生会わない人もいるかもしれません。すべてが一期一会なのです。私はと言うと・・・いつも、こうやって稽古を終えた時、大抵は私の中には何も残っていません。完全に終わっているのです。逆に何か気持ちが残るのなら、その稽古は自分にとってはあまりよくなかったのだと思います。何か遣り残していることがあるからです。今回も、おかげさまで、すっきり。後は、新しい気持ちで劇場に入り、やるべきことをやれば、すべて終わりです。
それにしても、本当に良い天気、今日は、次にやる仕事のための、準備に一日費やすつもりです。気づけば、もう11月。なんだか生き急いでるような気もしますが、好きでやってることですから、しょうがありませんね。本番はきっとうまくいくと確信があります。乞うご期待!
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by kuniko_maekawa | 2005-10-25 13:34 | オペラなお仕事 | Comments(0)

相性

さて、本番も近くなってきました。後2日稽古をすれば、小屋に入ります。(劇場に入ることをこう言う)。本日も稽古をしていましたが、このところ、ある歌い手が演出家の言うことが理解できずに切れ気味。演出家の方も、自分の言うことが、伝わってないと切れ気味。双方すれ違いのまま何日間が過ごしていると言う状況が起こっています。両方を良く知っている私からしてみれば、単に相性が悪いと言う感じもしますが、こういった場合、大方は、双方の期待が大きいといことに原因があります。つまり、演出家の方は、もっと出来るはずだと思い、歌い手の方も、意図を汲みたいと頑張りすぎる。そうすると、結局ちょうどいいところで、決まらなくなる。ずれるのですね。
こうなると、演出家は何やってもわからない、になるし、歌い手は、何やっても駄目と言われる、ってことに・・・・。しかし、お互い人間ですから、好き嫌いもあれば、そのときの精神状態もあります。私は、好きになると、結構いいところしか見えなくなるタイプで、逆に、嫌いになると、同じ空気を吸うのを許さないって感じになりますから、その瞬間から、透明人間にしてしまい、自分を守ることに徹してしまうので、ここまで真摯になりませんが、真っ正直な演出家であるほど、「こいつはわかってない」となった途端に、マイナスのイメージから必ず見てしまうことがあります。ちょっとした失敗にも、「だから、わかってない」って。
まあ、こうなってしまったら、何かうまいタイミングで、関係が修復されるしかありませんから、そういうときに、やはり演出助手の出番となってくるわけで、少しでも、良い状態で歌い手や演出家がいられるように、なんとなく気をつけるようにしています。結局は溜まってしまったものを出し切って、解決するしかありませんから。つまり、コミュニケーション不足が大きな原因なのですね。例えば、ある特定のキャラクターを作ってしまったりすると、やはり不安でしょうから、どう見えるか、演出家の意図がきちんと演じれているのか、そうなったときに、ちゃんと聞けばいいのです。「大丈夫ですか?そう見えていますか?」って。でも、だいたい歌い手の方もまじめですから、「自分でやってみて、駄目なら言われる」ってやってしまうわけです。もちろん、それが正しいですが、うまい稽古の居方をする人は、そういった演出家や、指揮者とのかかわり方も、上手です。そして、何が必要で、何が必要でないかちゃんと選べる。
相性と言うものは、他人が変えられるものではありません、しかし、本人同士は変えることが可能です。演出家に関しては、今が一番ピークのときですから、違う目でその歌い手さんを見るのはちょっと難しいかもしれませんが、歌い手さんのほうは、なんとか、頭を柔らかくして、頑張って歩み寄って欲しいです。そうそう良い現場ばかりではありませんものね。それにしても、その歌い手さんも、頑張っているからこそ、こういう現象も起きるというものです。とにかく、後少し。良い舞台にしたいですね。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-23 00:54 | 歌手 | Comments(0)

・・・・しているつもり

先日稽古をした後に、演出家からの駄目出しをもらっていた、わかい歌い手さんが「自分ではやってるつもりなんですけど」と話しているのを小耳にはさみました。この「つもり」と言うのは、結構、どこでも聞く言葉で、そういう意味では舞台にいる側の唯一の戦う言葉のようにいつも感じます。ですから、あまりむげにはできませんが、私たち舞台の前にいる側からすれば、「つもり」と言うのは、良い言葉ではありません。結局は前にいる私たちを拒否している言葉に取れるからです。
なぜかと言いますと、前で見ている演出家や指揮者の駄目だしは、客席の目だと思ったほうがいいからです。お客がわからないと言ったからといって、わざわざ「こうやったつもりです」と説明はしませんよね。しかし、歌い手さんのほうも、一生懸命考えてきたことをいきなり拒否されて、がっかりするのもわかります。しかし、ここで我を通すことは決していいことではありません。それよりも、「わからない」と言われたら、「どうすればわからせることができるか」という、考え方を発展させるべきです。今、やったことは、少なくとも演出家にはわからなかった。じゃあ、これはどうだと言う、展開です。その繰り返しをやって、初めて新しい形が生まれる。これが稽古場でやるべきことです。
そのために、歌い手さんは一杯引出しを作っておかなければいけません。いつでも、色んな着替えを出せるように、どの洋服が演出家の、あるいは指揮者の好みかわかりません。お客に至ってはもっとわかりません。自分では好きな色でも、そればかり着ていては、イメージが定着してしまいますし、洗わなければ人が寄り付かなくなってしまいます(笑)。これは、私たち前にいる人間たちにも言えることで、逆に、どうやって色をつけていけばいいのか、その人以上の着替えをいつも用意しています。そして、お互いに、服を着る前に、稽古場でまず、裸の付き合いをするのが一番大切なのです。「やってるつもり」と頑張る前に、その服を脱ぎ捨てる勇気をもって稽古場に挑んで欲しい。そうしたら、一番良い仕立の服で、客の前に立てるように、私たちスタッフが誠心誠意仕事をしますから。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-21 13:58 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

先に進むこと

先日、母校の大学院オペラを観にいった際に、客席に懐かしい教え子発見。4年前に研究生のクラスを修了した男の子で、そのときはバリトンでしたが、修了時からテノールに転向し、4年間頑張っていました。この彼と、もう一人親友がいつも私の傍にいて、なにやかやと助けてくれて、うれしかったのを覚えています。もちろん、今でも、時々ご飯を食べたり、メールを出したり、仲良くしてもらっていますが、このところ、あんまり顔を見ていませんでした。開演15分前くらいだったので、隣に座ってちょこっと話をしていると、テノールに変わってから、あまり人前で歌ってないとのこと。合唱の仕事はもらっているようなのですが、ソロとしてはバイトと、レッスンと自宅を通っているのみ。これは、「魔の三角地帯」。さっそくお説教開始です(笑)。
若い歌い手の多くは、この「三角地帯」に陥ってしまいます。「まだ声が出来ないから、」とか「歌えないから」とか、こういった理由で人前に出るのを避けるようになります。しかし、歌い手の声は客の前でつかってこそ、意味のあるもの。レッスンで、先生だけに「良い、悪い」と言う判断を任せていては、声が育ちません。うまくはなるかもしれません。しかし、それが「好み」と言う曖昧な判断に任せてこそ、本物になっていくのです。そういう意味では、歌の先生だって「好み」で声を聴いています。その耳が常に正しいかどうか、二人だけの世界ではわかりませんものね。不特定多数の耳にさらされて、どれくらいの人の耳に自分の声が心地よく響くのか、その緊張感を重ねて、歌い手は大きくなります。
先のテノール君も良い声を持っています。一生懸命バイトして、頑張っています。だからこそ、もっと人前に出てきて歌って欲しい。切々と訴えた15分間でした(笑)。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-18 11:43 | 歌手 | Comments(0)

前川の野望

今日は久しぶりにレッスンをしました。昨日までの辞書引きおかげで、ドイツ語もなんとか。まあ、楽譜の中身を読み取ることと、単語自身のイメージをクライアントと探していくことは変わりませんので、なんとかクリア。やはり、稽古しているよりこういった作業のほうが楽しいし、勉強のしがいがあります。最近は、よく「演出家デビューはまだ?」などといわれたり、「演出家になるんですよね」と言われたり、することも多く、演出助手が年齢を重ねて、行けば、なんとなく演出家になるんだよね~っと言う、流れの中に私もいるような感じです。そうですね。もちろん、演出家にもなるでしょう。今は、やらなければいけない、という義務感も感じますし、確かに演出をしているときは楽しいし、好きです。しかし、私には本当にやりたいことがあります。「場」を作ることです。しかも、出来るだけセルフプロデュースで。
皆さんはオフブロードウェイをご存知ですか?NYにあるブロードウェイ。こちらはご存知ですよね。言わずと知れたミュージカルやお芝居の殿堂。客席数も1000を超える大きな劇場もいっぱいあります。オフブロードウェイと言うのは、100席から500席くらいまでの劇場が集まっている個所です。ロンドンにもイーストエンド、ウエストエンドと言う劇場街があります。私は毎年トニー賞と言う、ブロードウェイで上演された公演に対するアカデミー賞のようなものですが、その授賞式をTVで観ています。これはかなり栄えある賞ですが、今年の受賞した俳優の二人ほど、オフブロードウェイでロングランを続けている舞台からオンブロードウェイに乗ってきて、賞を受賞しました。この授賞式を観ていたときに、オペラ界にはこういったシステムが無いと言うことを、ぼんやり考えていました。もし、力試しや、経験をつむための小さい場所があったら・・・、歌い手たちや、私たちスタッフにとっても、きっと良いだろうな。
私は、そうやって試す場所がほしくて、「稽古場」と言うプロジェクトを持っていますが、それをもっと膨らませたいと常に思っています。実際に、舞台があって、客席にお客様がいて、衣装をつけて、照明をあびて、歌い手と指揮者と演出家と、心行くまで稽古をしたものを公演として打つ。そこで力と経験を物にしたら、大きな舞台に行けばいい。いわゆる、オフブロードウェイのオペラ版を作りたい、まじめにそう思っているのです。
さて、これには大きな問題があります。お金です。公演を打つには本当にお金がかかります。たとえ500席でもです。しかし、なんとか形にするべく、今は、状況を見ています。何時、私は動けば良いのか、誰に働きかければ良いのか、どれくらいの時間がかかるのか。まずはセルフプロデュースだと思っています。ゆっくりと、じっくりと、時期を待ちながら、この夢は現実にしようと思っています。皆さんも、祈っててください。まず、出来ると信じることが私の財産なのです。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-12 21:55 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

演助稽古その後

基本的に演出助手稽古と言うのは、演出家の居ない時に、段取りを整理したり、そのとき参加していらっしゃる歌い手さんの足らない部分を補足したり、色んな意味で、穴埋めをするのに良い時間ですが、めったにあるものではありません。逆に演助稽古が多い公演は、その分演出家が稽古場を離れているということですから、決して良いとは思えません。しかし、時には必要な時もありますから、私的には結構有意義な時間となるわけですが、じゃあ、その稽古をした後、演出家が戻ってくると、どうなるかと言うことを今日は書こうと思います。
しかし、そんな難しいことではなく、大抵、演出家が戻ってきて、通常の稽古になると、ほとんど演助稽古で創られたものは、なくなって、新しいものに変わっていきます。これには色んな意味があり、少し、コンセプトを超えてしまっている場合や、うまく処理が出来て、演出家がそれに上乗せしたい場合や、最初から変更するつもりで、稽古にいけない間、流れを止めないために放っておいた場面を修正したり、整理したり、こう言ったことが起こってきて、あっと言う間に演助稽古で創ったものは無くなります。歌い手さんたちも、当然演出家が戻ってきた稽古のほうが、重要であると思ってらっしゃいますから、集中力も違いますし、そこから膨らんでいくものもありますから、当たり前の流れではありますが、私はいつも、この演助稽古の後の演出家稽古という時間が、あまり好きではありません。緊張すると言う事はありませんが、やはり、作ってみて、演出家のめがねに叶わなければ、変更となりますから、歌い手さんにも申し訳ないし、コンセプトを変えたつもりは無くても、読み方を違えば、違うことを話をしていることもあります。もちろん、そのときは素直に歌い手さんにあやまります。混乱させてしまったということですもんね。今日も、そう言う稽古でした。
正直に言えば、やはり稽古で創ったものが変わって行くのは残念です。こう言うところが、私がアシスタントに向いてないとところですが、演出家は、稽古の積み重ねを認めてくださっていて、膨らませているのですね。その先の方向性を見ていれば、礎になることを喜ばなければいけません。結果的には、本番の時に、お客様を喜ばせるのが皆の目的です。こうやって、色んなプロセスを踏んでいって、良い本番が出来るのですね。今、関わっている公演は今月の最後の土日が本番です。後、半月。そろそろ盛り上がっていかなければ!
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by kuniko_maekawa | 2005-10-11 01:24 | オペラなお仕事 | Comments(0)

歌い手の病気

このところ、毎日天気が悪くて寒いですね。いつのまにか秋を通り越して冬支度が始まってる感じです。しかし、晴れてくると夏日になり、まだまだ衣替えも出来ません。これだけ気温差があると、具合の悪い人たちと言うのが稽古場でもしばしば出てきます。やはり気を使うのは歌い手さんの風邪。声を出すのが商売ですから、喉をいためたり、咳が出たりとなると、さすがに心配です。しかし、プロの歌い手さんは、こういった体調管理も恐ろしくちゃんとしています。もともとご自分の許容量や体調を良くご存知で、それを崩さないための食事や、衣服の調整、稽古の配分、時々唸るほど感心する人もいます。しかし、大抵は忙しさにかまけて、いきおいで仕事をしてダウンするのがほとんど。これには同情はあっても、どこかで「だから言ったじゃん~」と言う呆れた感情も伴います。自分のことを知らな過ぎる。そして、もっとも嫌悪感を感じるのは、それを理由にすれば、何でも許されると思ってい歌い手さんです。こういう人たちは、全般にずるいですから、なんとなくわかるのですが、先日も午後と夜と二コマの稽古を組んでいるときに、一人の歌い手さんが私のところにきて、「すみません、夜のお稽古は見ていこうと思っていたのですが、風邪を引きそうな予感がするので、帰ります。」と言ってきました。しかも「予感がする」と言うところを「予定がする」と言い間違える始末。あほですね。この日は組み分けをしてましたので、別に見ている義務はないわけです。しかし、若いかただし、違う組の稽古を見るのは客観的にヴィジョンを作る良い機会ですから、私たちは推奨しますが、歌い手さんはあまり見ると言うことを好みません。やってみないとわからないと言うんですね。ですから、強要はしてません。にかかわらず、先のようなコメントを言ってくるのは、不真面目だとは思われたくないだけですが、それも私にしてみれば、こっけいに見えます。この歌い手さんはその後トイレであったときに念入りにお化粧して帰り支度してました。具合が悪いようには見えませんでしたね。
もちろん身体のことですし、本当に具合が悪いかどうかはわかりません。しかし、長年この仕事をしていると、つい、疑ってかかる癖がついてます。よくありませんね。だって、その前の稽古まで元気に稽古してても、次の稽古の時には奥さんから電話が入ってドクターストップがかかりましたとか言われると、「やる気ないんじゃん」とかついおもっちゃいます。その人のために組んだ稽古だったりすると、余計そうです。でもね、本当に真摯な歌い手さんは、逆にどんなに調子が悪くても稽古場に来たりします。これも時々困りますが、気持ちはありがたいし、本人も自分の落ち度で風邪を引いたとわかっている、そのことがこの歌い手さんを戒めて大きくしていきます。こういう歌い手さんは決して「風邪を引く予感がする」とか言うことを言い訳に使いません。潔いのです。私も時々、忙しすぎる歌い手には休む手段として「熱を出せば」とアドバイスしますが、それはそのまま無理をして、結局は大事な稽古を休むのが良くないと思うだけで、仕事を重ねて無理をしている現状は承認できません。私たちスタッフは、同じく身体が資本でも、絶対に稽古場にいるものだと回りも自分も認識しており、めったなことでは休めません。それこそ、親が死ぬか、身体のどこかが切れるか、折れるか・・・・・。発熱くらいじゃ休まないと思います。それは私たちが歌わないから出来ると思われるかもしれませんが、私たちは稽古場がどれだけ大切な場所か知っているからです。ここで作ることが出来なければ、本番は失敗するって。
まあ、ずるいひとは、スタッフであろうと、歌い手であろうと、同じレベルで稽古場にいます。そして何より問題なのは、この人たちが自分たちが「ずるいことをしている」と言うことがわかってないことにあります。とにかく、みなさん、お体大切に。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-10 13:04 | 歌手 | Comments(0)

オペラを売ると言うこと

昨日稽古の帰りに演出家やスタッフと話をしている内に、小劇場の話になり、美術家のかかわっているある劇団が、立ち上げて3年か4年の間に急成長したと言う話題になりました。作品自体は11本くらいらしいのですが(それでも多い)、毎回お客がついてきて、あっという間に1000人以上の客席のホールで公演が出来るようになったそうです。お気づきかと思いますが、芝居の場合はオーケストラなど入るわけではありませんから、団体の集客数でホールが決まるわけです。ですから売れてない劇団はだいたい100席から500席くらいまで。売れてくればそれ以上の席数のホールに移っていく、小劇団から大劇団?になっていくわけです。こんな話をしているときに、演出家が「どうしてオペラは売れないのかしら?」と投げかけをしてきました。当然、売ってないからですよね。
よくミュージカルやパフォーマンスの来日公演が行われるときに、2時間くらいの枠で、タレントが実際にその公演を海外まで行って紹介したり、歴史ドキュメントみたいにしたりして、プロモーションをする番組があります。皆さんも一度くらいご覧になったことがあるのではないですか?あるいはCM。海外招聘オペラ公演の場合などはCMが主ですよね。しかし、何かしら一般の人に向けて発信がある。日本のオペラ団体でこのプロモーションをしているところは皆無です。たまにNHKのエンターテーメント番組で紹介されているくらいで、毎日人の目に触れるということがありません。ラジオでもそうです。これでは趣味のものといわれてもしょうがありませんね。皆さん知らないんですから。しかし、私はこのプロモーションをすると言うことがひょっとして制作側の一番大切な、そして重要な仕事だと思っています。日本のオペラ界は「売る」と言うことを嫌います。クオリティが下がると思っているらしい。でも、結局はオペラを高尚なものにおいておきたいプライドでしかありません。それがいろんな弊害を生んでいます。たとえば、歌い手もスタッフも、オペラ以外の仕事をすると、質が下がったように見られるとか、逆に芝居畑やミュージカルの演出家がオペラを演出すると「あれはオペラじゃない」とか。枠を超えると言うことを極端に否定するような感じがあります。しかし、海外の歌い手や演出家はみなミュージカルもオペラもやります。舞台と言うものにジャンルを持たないのです。あたりまえでしょう。ただ、歌い手に関してはまったく違う能力が要るので、確かにオペラ歌手、ミュージカル俳優をかねるのは難しいかも知れませんが、それでも昨今はオペラのようなミュージカルもたくさん作曲されています。つまり、台詞でなく楽曲で物語が進行されていたり、楽曲自体が難しかったり。やはりグローバルなのです。ですから制作も、もっと柔軟にメディアを利用して、オペラを観たいという気を興させることが、まず重要なことではないでしょうか?それだからこそ、中身をよりよくする意味もあると言うものです。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-06 12:10 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

自分で考えるということ

皆さん、お芝居の台本を見たことありますか?TVドラマの台本も芝居の台本も、、書き方は同じだと思いますが、ページを開くと、二段階になっていて、上の段には役者名や場割が入っていて、下の段には台詞が入っています。基本的には縦書きで、台詞の間にト書きと言って、実際のこの場面では何をするかと言う、戯曲作家の行動的な指示が括弧書きで記されています。
このト書きはオペラの楽譜にも入っています。台本作家、あるいは作曲者が歌と歌の間に、あるいは歌いながら、どういった行動をしてほしいか、指示してあるのですね。
私たちスタッフは、当然このト書きを読んで、小道具や、舞台セット、時には人の立ち位置までも作るときがあります。それくらい重要ですが、もうひとつオペラの場合は、そこに音楽が入ってきて、行動に伴った音やそのときの心理描写などが、想像できるようになっています。これはやはり作曲家がいる限りあたりまえのことです。そして、このト書きは歌い手さんにとっても、役を作る上での大切な要素になります。つまり、その作品にかかわる人たちが、すべてその楽譜の元に動けるのも、ト書きを読んでいるからです。
一昨日、ある稽古場で一人の歌い手さんが、稽古中私のところに質問にきて、「~をした後、私は何をすれば良いんですか?」と一言。最初何を言われてるかわからないくらい、びっくりしました。だってト書きに書いてあることでしたから。どうやら、動きがついてないと思ったみたいです。昔、オペラの現場はこういった感じでした。手取り足取り、演出家が方向性をつけて、歌い手さんはある意味お人形でもよかった。いい声が出ればよかった時代でした。しかし、今はそういう稽古場はほとんどありません。演出家はまず、大まかな方向性だけをつけて、あとは歌い手の作ってきたものと、自分のコンセプトを合わせていきますそれが音楽家としてあたりまえの仕事ですし、それが出来なければ、オペラ歌手ではありません。その質問をしてきた歌い手さんは、割と大きな公演にも出てますし、まさかここまで、ご自分では何も出来ないとは想像もつきませんでした。音も言葉も危うく、自分で役を作るなんて、皆無に等しい人です。ましてやト書きを読むなんて、考えたこともなさそうです。この人一人で場面が成立するならまだしも、オペラは一人では出来ません。今回は特に作品がアンサンブルオペラみたいなものですから、この人のおかげで、周りはただただ混乱しています。困ったもんですね。
しかし、先述しましたように、この歌い手さんが育ってきた時代はそうだったのかもしれません。ただ歌っていれば誰かが面倒を見たのでしょう。しかし、どんどんと変わっていく状況に、自分を対応させることをしなかったのは、ただの怠惰です。だって、同じ年代ですばらしい歌い手さんはたくさんいますもん。その人たちは、常に勉強し、自分を高めることをやめません。少なくとも、自分が役として何をすればいいかくらい、わかっています。
これからはもっともっと歌い手さんは、いろんなことを要求されます。それに答えていくためには、やはり自分という歌い手力量を知り、レベルを上げる努力をしていくしかないのです。事実、それを怠らないすばらしい歌い手さんがいっぱいいるんですから。そういう人たちだけで、舞台が作れたら、私たちスタッフも、本当に幸せですね。
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by kuniko_maekawa | 2005-10-05 13:24 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)