熟語の読解

8月の後半、三日間ほど、研究生の集中演習と言うのをやりました。

毎年行われるものですが、10月に前期のアンサンブル試験と言うのをやるために、7月か9月の頭に近いところで、二コマを三日間、まとめて稽古するのですね。
今年私が担当するクラスは、先生方の都合で、8月の後半に3日間。昨日まで怒涛のような日々でした。

しかし、夏休み明けの学生ほど、伸びきっているものはありません。授業は最初から暗礁に乗り上げ、私は怒鳴り散らすし、研究生はあたふたしているし、終わった時には疲れ果ててぐったり・・・。恒例のことながら、年齢とともに、疲れ方倍増(;;)。それでも、さすがに、一日中、稽古ばかりをしていれば良いので、集中度が違います。それなりに、成果があった子もいましたね。

さて、稽古は立ち稽古に入っています。前期の終わりの日までに段取りは付け終わり、一度チェックのために軽く通し稽古をして夏休みに入りましたから、細かいことは、これからです。しかも、20人以上いるわけですから、この3日間をあわせても、本番までに細かく稽古しきれるかどうか。それでも、内容をほったらかしにするわけにいきませんから、一回一回の演目も、きちんと場面として成立できるように、授業を進めています。

ところで、ここにいたって、ある疑問が・・・。
一人の研究生の演目をやっている時に、イタリア語の文章の内容をつついていました。どういう意味かを問うていたのですが、その子の訳し方が、どうも私の想像と違う。そのたびに、聞きなおして、もう一度答えさせて頭で考え直すのですが、どうも、腑に落ちない・・・。

彼女はいわゆる熟語大魔王なのです。
イタリア語に精通していない私は、単語を調べ、大抵文章を直訳します。対訳を当てにしますので、それに近い文章をやはり探すのですね。例えば、「lo metto a parte」と言う文章があります。これは、直訳すると「台詞をおいてくる」とか「役を置いてくる」とか、そう言うこと。そこのところを、聞いているときに、彼女が「参加させる」と訳しました。もちろん、聞きなれない言葉ですから「へ?」と、聞きなおす羽目になります。これは「mettere a parte」で「役をつける」とか「参加させる」と言う意味の熟語なのです。

彼女は万事、この調子でした。あえて、そうしてるのかと、思うくらい(笑)。
このこと自体は褒めるべきことです。辞書を引くと、熟語と言うのは、文例の中に潜んでいますから、それを見つけるのは結構大変。私はすっかり落としてしまっていたわけですね。彼女は良く勉強していると思います。

ところが、この演目に関しては、私が目安にしているVDの訳が、ほとんど直訳です。それで、私が迷ってしまったわけですが。この場合、どちらを良しとするべきなんでしょうね。

私が直訳が好きなのは、ベースになるニュアンスがはっきりするためです。違う短い文章で「si ben gli voglio」と言うのがあります。これは熟語では「彼のことを思っている」。これはドニゼッティの「ドン・パスクアーレ」と言うオペラの中でマラテスタと言う医者が話をしている言葉ですが、親友の恋人であるノリーナに向かって、その親友を助けたいといっているところで使っている言葉です。これは直訳すれば「彼に良いことをしたい(欲しい)」となります。私は、この直訳の方が、場面の言葉に合っていると思うのです。

そう言う箇所が、何箇所かある。実は、再起動詞もそうで、「mi(私の)、ti(あなたの)」と言う言葉が動詞の後ろに付くとそれだけで一つの文章になったり意味を形成します。例えば「divertirmi」と書くと、「divertire(気晴らしをする)」と「mi」が一緒になって、「私は気晴らしをする」と一つの単語でいえるのですね。

これは、くっついてなくても、その意味を成します。例えば、「mi divertiro」と書いても同じことが言えたりする。あるいは再起動詞の意味が生きたりします。

ところが、これも、わざわざそうしなくても良いこともあるような気がするのです。そうしない方が、ニュアンスがわかりやすいと言うことの方が多いと思うんですよね。

これは、ひとえに、私がネイティブ・イタリアーナじゃないからです。
まったくイタリア語に、生活感を持って訳せないので、想像してシチュエーションを膨らますから、ダイレクトの単語の意味の方が、人物のキャラクターや、場面を作りやすいのです。

しかし、対訳にも熟語として使ってない場合もあります。本当はどちらでも良いのですかね~????一度、誰かに聞いて観なきゃと思いながら、過ごすから、いけない。

今度はちゃんと確認して、次の授業に備えたいと思います。それにしても、辞書引きは、やはり大切です。それを反故にしないで、もう一辺、勉強しなおせと、神様が言ってるのですね、きっと。頑張ります!(^^) 
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by kuniko_maekawa | 2006-08-31 16:28 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

プロセス

一昨日、昨日と博多に行ってきました。
西日本オペラ協会というオペラ団体が9月6日に「アマデウス・コード」と題しまして、モーツアルトの「フィガロの結婚」をハイライトで上演します。何でも、11月にバーデン歌劇場と言うところが来福し、それのCMも兼ねて、公演に先駆けて「フィガロ」を少しご紹介しましょうと言うもの。レクチャーコンサートのような形式です。

この二日間のお稽古も、キャストの方々、裏方をなさっている方々が、大いに頑張ってくださり、大変、実りの多い、恵みのある時間になりました。神様に感謝!

さて、今回は、お稽古の日数が限られておりました。
最初が先日行きました、8月3日、4日。そして、今回の23日、24日。後は本番前、9月の4日に衣装合わせ、通し稽古をしましたら、5日に舞台稽古、6日に本番です。
ですから、私が彼らとお稽古できる回数は、稽古場で5回、ホールで一回。
レクチャーコンサートで抜粋とはいえ、1幕から4幕まで、ある程度の有名な場面は歌います。時間にして1時間40分くらい。衣装を着けて、本編と同じように、演技しますから、結構大掛かりになりました。それをこなすのには、ちょっと少ない稽古です。

しかし、キャストの皆さんが、非常に風通しが良かったことと、一生懸命自主稽古をしていただいた結果、昨日の最後の通しなど、良い仕上がりになっていました。本当に、皆さんの努力に頭が下がりました。

オペラの稽古は時間がかかります。
音楽稽古から始めていけば、一月以上。キャストや幕が多いものだと、もちろんそれ以上かかる場合も往々にしてあります。
しかし、だからと言って、毎日稽古していれば、それでいいかと言うものでもないのです。

今回、これだけの稽古回数が、逆に良かったと思っています。何故かと言いますと、私とお会いしない稽古の間、ご自分達で自主稽古を組み、そこで、練り上げて創るという作業をきちんとしていただけたからです。これが非常に大切なこと。

先に書いたように、オペラは時間がかかります。それに、演出家はどうしても絵を作らなければいけませんから、稽古の時間を取りたがりますし、歌い手の方も、「こなす」時間が欲しくて、やはり稽古をしたがるのですが、お互いが、そういう利害をもって稽古をしていますと、結局は言われたことを「こなす」稽古になって行きます。

もちろん、演出家、指揮者の要望を媒体としてこなせるのも、歌い手の要素としては必要です。しかし、この場合、稽古場が当て込むために使われることになってしまい、本来、作品を作ると言う段階には、中々いかないのが現状です。

私も、オペラを演出し始めたころは、稽古回数が欲しかったです。
やはり、自分の絵が欲しかったですから、歌い手と一緒に、コンセプトを創り上げる時間が欲しかった。
しかし、ずっとやり続けている「稽古場」や昨年やった第一回目の「レチターレ」の公演を通して、稽古場のあり方みたいなものが、ようやく理解できてからは、稽古回数を、なるべく減らしています。なぜか、稽古場は「試す」ところだと、認識しているからです。

例えば、「レチターレ」などは、一演目3回の音楽稽古、3回の立ち稽古で創っていきます。最初、これを見たときに、歌い手達は稽古回数が少ないとやはり感じるようです。彼らの感覚は、音楽稽古の時に、指揮者と一緒に仕上げていくと言う感覚があると思います。それで、自分達の力量を考えて、もう少し指揮者と稽古したいと思うわけですね。

しかし、私は音楽稽古であっても、「試す」のであれば、稽古場に来る前に、歌い手が音楽を作っておく必要があると思っています。それを稽古場で「試して」みて、指揮者がチェックする。その上で合議して音楽を創り、それを持ち帰って、膨らませてきて、それを「試す」。立ち稽古にも同じことが言えます。

上記のようなことが、理解できて、私と付き合ってくれている人たちとの稽古は、まさに「創る」稽古になります。皆が、材料に下ごしらえをしたものを、稽古場で調理する。それが理想であり、どういう作り方をするかというところに「プロセス」と言うものが生まれます。この「プロセス」が大切なのです。

西日本オペラ協会のコンセルピエールの方々とは、期せずして、こう言う稽古が出来ました。
私が来ない間の自主稽古で、前の稽古から、今回の稽古の間に、彼ら自身のプロセスを踏んだのです。それを「稽古場」で創っていって、また更に9月までの段階を踏んでもらう。そうやって、本番に一番良い状態でお客の前に立ちます。

今回は出来ると思います。皆さん、前回とは大いに違って、稽古場を作ってらっしゃいましたもん。理解できても、出来なくても、稽古場が成立している時は、空間が止まらないのです。本当に素晴らしかったです。

そうはいっても、次回は舞台稽古。その時私達のやることは、もう、お客様のことを考えるのみ。どこにどう立てばいいのか、どう歌いかければいいのか、細かいことはせずに、外側に自分達を出していくことをやって行きます。これだけ、頑張っているのですもの、絶対に成功します!皆さんも、応援しててくださいね!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-08-25 13:44 | オペラなお仕事 | Comments(0)

被せるって???

「うさぎ屋日記」の方で散々騒いでいた、伴奏つき歌唱レッスンと言うのを今日やりました。
練習のかいあって、なんとかレッスンは事なきを得て、ほっと一息。いや~、やってみるもんですね~なんて、ちょっと気が大きくなっちゃったりして・・・・やっぱりもっと練習しなくちゃ、ぶんちゃっちゃ形式以外の物はまったく役に立たなくなりますね。ああ、昔真面目にレッスン受けていればよかった。うう~(;;)

さて、本日は珍しくテノール君のレッスンでした。研究生の時の教え子で、非常に良い声を持っています。日本人には珍しくヴェルディやプッチーニのもの楽に歌える良い発声を持っているので、すでに大きな舞台に使われ始めています。
しかし、昨年くらいから、聴くたびに声が変わってくるので、変だな~と思ってましたらば、ある団体の稽古場でばったり会って、少し話したところ「声を聴いて欲しい」となった次第。
まあ、それで少しはちゃんと歌わせにゃならんと、言うことで一生懸命ピアノを練習したわけです。

しかし本当に良く歌う奴です。やっと30になったくらいですから、これから可能性が十分にある声と響き。ただ、発語を意識することがまだ出来ずに、声と響きと言葉がバラバラになってしまいます。つまり、声を出しても響きがついてなくても、力で出してしまったり、言葉のニュアンスだけでしゃべってしまって、声が薄くなってしまったり、色々バランスが悪い。

そこで、母音をつなげて息を作ってもらい、響きを絶対に離さないという方法で発語をすることをやってみました。すると、繋がった瞬間に、すんばらしい声!は~、才能はあるんですよね~、この人は・・・・・(@@)

本人もこの方法は喉が疲れず、体が自由になるらしい、五線を越えたAの音など(高いラの音ですね)チェンジを考えなくても、息だけで十分歌えます。それで、「このまま息だけで体が上手に共鳴すれば、そのままHigh Ce(高いドの音、いわゆる三点ドって奴です)までいけちゃうかもって話をしたらば、歌の先生が五線を越えると、被せて歌えと言うのだ、と言う話になりました。つまり、少し、奥に持っていって響きだけを捉えて、高い音になったときに、口を開けて声を開放する方法があるのですね。

しかし、それをする場合は、よほど綺麗に息が通ってない限り、どんどん詰まっていって、結局高い音が開放されずに終わる場合があります。良く、テノールの人が、高い音になってくると、ちょっと詰まった音に聴こえるときなどは、そう言う風に声を制限しているのだと思います。

バリトンも同じように、五線を越えてくると上唇を開けた口に被せるようにして、暗い音を作ろうとします。しかし、それをしても、やはり声はふさがれるだけで、共鳴が良いとは思えません。

Pの音を作るときにも、こう言うことありますね。唇を被せて、声の大きさを小さくするような。でも、同じです。吸った息は吐き続けるしかないのですから、Pにしたい場合は、息を細くするだけで、止めるわけではありません。

そのテノール君ともこう言う話をして、実際にやってもらった上で、彼は納得してかえって行きましたが、結局は身体が楽かどうか、喉が疲れていないかどうか、そして、何より気持ちよく歌えたか、どうか、そう言うことが、方法を見つける目安です。

少し方向性が見えたといって、喜んでもらったので、それはそれで今日のレッスンは良かったと思っています。
誤解のない様に言って置きますが、私は発声はみません。あくまで、場面としてみた時の、楽曲の構成やそれにおける言葉の解釈、そして、それを伝えるための発語の方法を見ているわけです。でも、そのすべてをきちんとなすためには、良い発声がいります。

こう言うことに投資が出来るというのは、彼の目的の高さと意思の強さを感じて嬉しくなりました。ちょっと感激しましたね。それに、このテノール君は、息が使えるようになると、本当に素晴らしい響きの声が出てきます。レッスン室で倍音が聞こえて来る。ちょっと興奮しましたね。

またこう言うレッスンが出来ると嬉しいと思います。こうやって、色んな声を聴くことは、本当に私に取ってはありがたい学びの時間。レッスン代をもらうのが悪いくらいでした。

彼とは実に研究生依頼、5年ぶり。こうやって少し大人になった教え子が先の可能性を伸ばしたいために、レッスンを受けてくれるのは本当に嬉しいです。これからも、また違った形で、彼とトレーナー作業を続けていけたらと思います。この日のために、神様はレッスン室を与えてくださったのでしょう。感謝、感謝(^^)。またの機会を心待ちにしてしまいそうです。才能とは、わくわくするものですね、改めて認識しました!
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by kuniko_maekawa | 2006-08-14 20:44 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

ラ・ヴォーチェ公演「椿姫」

昨日、またもやご招待いただいて、久しぶりに「椿姫」を観にいきました。
このラ・ヴォーチェと言う団体は、リクルートが母体になって起こしている団体(確か)で、3,4年前からオペラを毎年上演しています。

今年はデヴィーアとブルゾンをメインに「椿姫」を上演しましたが、昨日は日本人キャストによる公演でした。
ヴィオレッタは出口正子さん。アルフレード、市原多朗さん。ジェルモン、堀内康雄さんと言う、素晴らしいキャスト。

私は、実は「椿姫」なるオペラが好きではありません。
曲は素晴らしいと思うのですが、どうも、話の内容が・・・・。「ボエーム」のミミといい、このヴィオレッタといい、なんか、自分の言葉を持っていない女性というに、なんとなく興味が無いのですね。もちろん、幕が進めば、必然的に彼女達の言葉が生まれてくるのですが。

それで、あまり大きな期待は無く、それでも出口さんと市原さんの歌唱が好きなので楽しみにしておりました。
しかし・・・・、思ったよりも、良い公演で観てよかったとおもっています。

まず、出口さんが非常に素晴らしかったこと。感性もさることながら、その歌唱に魅了されます。
彼女は、もち声としてはあまり好きな音ではないのですが、しかし、どの音も響きが変わらず、息が途切れることがありません。これは素晴らしい。ですから、彼女の語りたい言葉、音楽が良くわかりますし、彼女の小さい身体(おそらく150センチ無いと思います)すべてが共鳴管となって、客席に声と言葉が飛んでくる。年齢を重ねるごとに、ますます磨きがかかってきて、このところは、どの作品を聴いても、素晴らしいです。

市原さんは、扁桃腺炎を起こしていたらしく、途中、高音が出なくなるなどのハプニングもありでしたが、最後まで歌いきり、ほっと一息。歌唱自体は満足の行くものではありませんでしたが、それでも、声の美しさと、何をしてもはっきりと意図が見えるというのは彼らしく、明快。今度は万全の体調で聴いてみたいです。

そして、思ったより素晴らしいと思った理由は、舞台装置です。
川口直次さんと言う、重鎮ですが、その方と、補として入られた方のコラポレーションが良かったらしく、幕を開けた瞬間から、目を引かれる舞台でした。単純に綺麗。それと、切り口が(つまり、方向性ですが)一つではなく、新国の中劇場と言う狭い空間ながら、奥行きを感じさせるものでした。それに、舞台を完全に囲っており、反響板としての役目も完璧。中劇場で音響を使わずに、あそこまでの音が出せたのも、そのセットの功績です。

そして、藤原歌劇団合唱部の方々。今回は、わりと今まで合唱部でも中堅どころが集まったようで、衣装のさばきや、空間の使い方が上手。本当に、あ、うまい!と、思わせるものがあります。昨今は予算の問題で、若い子もすぐに使われたりするのですが、そうすると問題は衣装のさばきだけでなく、声の厚みも薄くなるということ。今回は、それがありませんでした。
やはりオペラは合唱が基本。この部分がよくなければ、どんなオペラも魅力半減です。

今回はいろんな意味で楽しみました。ただ、演出と、指揮は両方とも×。私は嫌いです。演出家のほうは昔から知っていますが、一向に変わりません。つじつまの合わないことも沢山見えました。誰も何も言わなかったのでしょうか?そろそろ、プロデューサーの方にも、良い才能を見極める目が出来ても良いのではないでしょうか?日本にも十分良い舞台を作れる演出家がいるというのに。

この舞台は20、000円。ブルゾン、デヴィーアだと30、000円です。この金額を払わせる責任は、プロデューサーにあります。そして、それを見極める目は、客の目になることだと、本当に思います。そこは反面教師にして、とにかく、関わった歌い手の皆さん、スタッフの皆さん、お疲れ様でした!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-08-13 14:32 | 観劇日誌 | Comments(2)

熊川哲也・Kカンパニー公演

本日はチケットをいただきまして(いつも頂き物なんですが)、熊川哲也氏率いる、Kカンパニーと言うバレエ団の公演を観にいってきました。

生でバレエを見るのは久しぶり。ひょっとしたら6,7年ぶりくらいな感じです。
熊川哲也氏は、確かロンドンのロイヤルバレエ団のプリンシパルを長年やってらして、何年か前に帰国。映画に出たりしながら、自分のバレエ団を創り上げて、看板となって踊っています。
ハンサムですし、TVでみると、自信家で、有言実行と言う感じの人ですが、実際にどれくらい踊るのかの興味も手伝って、ありがたく劇場に向かったわけですが、これが、思った以上に良かったです。

作品は3つ。ローラン・プティというフランスの有名な振付家が振付けた作品が二つと、後はバランシンと言うこれまた有名なモダンダンスの振付家の作品を一つ。実に2時間半の公演でした。作品がどれも面白かったというのもありますが、驚いたのは、このKカンパニーのダンサー達が、コール・ド・バレエ(群舞の人たち)であろうが、ソロであろうが、非常にレベルが高いということ。

確かこのバレエ団に入るのに、結構オーディションが厳しいということも聞きました。バレエ学校も、確か一緒に作ったような話も聞いたような・・・。
私はあまりバレエに詳しくありませんが、見るのは好きで、よくTVなどでは観ています。その稚拙な経験で、私がうまいと思う基準は、軸があること。

ご存知の通り、バレエはバランスです。トゥシューズで片足で立ったり、ターンをしたり、その軸がしっかりしてないと、ふらついてバランスを崩します。やはりレベルの高いバレエ団は、コールドであっても、この軸が崩れない。非常にしっかりしたバランスを持っているように思います。

2つ目にやった、バランシンのシンフォニーと言う作品では、女性の群舞とソロパートで構成されていましたが、その女性の群舞が本当に綺麗でした。

そう言う意味では、この熊川さん自身も、すばらしくバランスが良いダンサーです。叙情性ということでは、あまり感じませんでしたが、なんと言うか、始末がいい。
例えば、女性をリフトして降ろす時、ターンしてポーズを決めるとき、跳躍(これは高い)をして降りる時。すごく丁寧なんですね。これは、非常に気持ちがいい。そして、おそらく彼は才能があるのだろうなと、思います。
何故なら、リフトして降ろすときなど、恐らく一番力が必要なところで、それをワンクッションおくくらいに丁寧に出来るということは、かなりの体力と気力がいると思うからです。

そう言うことを、難なく出来てしまうのは、身体能力が高いのだろうと思います。力が強いだけではなく、その足を下ろした瞬間に、そこが次のテンポになるように見えるからです。こう言うところに、感性が見える。う~ん、すっごい!

圧巻だったのは、ローラン・プティの小品で「死に行く若者」と言う作品でした。
台本はジャン・コクトー。屋根裏部屋で一人の若者が、悪魔とも見える女性に翻弄され、自殺するという内容ですが、熊川さんと女性ソリストだけで綴られて行きます。

最初の「ラプソディー」と言う作品もそうでしたが、プティの作品は、振り付けの妙よりも、舞台や衣装の色に度肝を抜かれます。なんと言うか、汚くて綺麗。これは、フランス独特みたいで、前に新国で「ホフマン」を観た時も、フランスの演出家でしたが、舞台上がひどく汚く綺麗でした。

これはいつも不思議に思うことなんですが、例えば、赤と青緑、とか黄色と赤とか、グレーと赤とか、何か、色としてアンバランスに感じるものが、激しく使われていて、けれど、舞台としてみると、非常なインパクトを感じて目が離せないという感じ。これがびっくりするのです。

その「死に行く若者」はボエームのような屋根裏部屋があり、薄暗い色で統一されているその部屋に大きな窓があり、それが、まったく原色の赤や、青、クリーム色など、何秒かごとに変わっていくのです。これが汚い(笑)。でも、目が離せなくなります。

その中で熊川氏の踊る若者は、非常にナイーブで、研ぎ澄まされたナイフのように、体の切れがするどいです。テーブルを自転しながら、一周するのですが、その自転している速さがどれくらいでしょう、さっと一回転したらテーブルを叩き、同じ動作を繰り返してテーブルを回るのですが、空気の切れる音が聞こえてくるようです。振り付けもすごく面白かったのですが、何より、彼のその空気の切れるような、研ぎ澄まされた身体の動きに魅了されました。
きっと白鳥とか踊るよりも、こっちの方が彼には良いかもしれません。最も、観たことないのでわかりませんが。

何にせよ、看板となって一つの団体を立ち上げ、育てていくのは大変なことです。彼はまだ30代だったはず。ダンサーとしても、段々厳しくなっていきますよね。でも、日本では稀有な団体かもしれません。学校も出来て、新たな踊り手たちの教育もやって行きたいとのこと。是非、頑張っていただきたい。またまた、私の経験値があがった一夜でした。たまには、バレエも良いですね。ちょっと、頑張ってまた生ものを観にいこうと思います。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-08-12 00:16 | 観劇日誌 | Comments(6)

セッコの扱い方

昨日、今日と新しくお借りしたレッスン室でのレッスンでした。いやいや、快適。場所も家から程よい近さで、目白からも池袋からも歩いていける距離。何よりも、レッスン室が広く、天井もありますから、空間としても程よいのですね。昨日は、歌唱ではなくて台詞を読むレッスンでしたから、空間を感じながらの、台詞を扱うということが出来ました。これはやはり読み手の感覚を変えますので、非常に良い。その先にすすむイメージも持ちやすいです。ああ、神様に感謝!

さて、今日は歌唱レッスンでした。と、言っても、私は発声を見るわけではありません。そこは皆さんちゃんと歌の先生に付いてらっしゃるのですから、問題はありません。私が歌を聴くのは、実際にその歌い手さんの音楽観と、場面が構築されているか、発語の距離感や、イメージとしての音などを聴くためです。ですからアリアといえど、オペラの一場面としてみますから、そう言う意味では、楽譜の内容を細かくつつくことにはなります。それを、今、彼ら、彼女らが持っているテクニックで出来るのかどうか、そう言うことも、見つけていく作業ですね。恐らく、稽古場で、要求されるであろう、歌唱が出来るようになるためだと思っても良いです。

本日はセッコの歌唱を聴きました。12月の試演会に出演する子で、先月くらいから、丁寧に勉強しています。歌唱能力はある子で、研究生を修了した時も、1番だったと思います。感性も悪くなく、自分で考えることも出来ますが、ちょっと声を出した時に消極性を感じます。それは、今日のセッコにも現れていました。

セッコというのは、主に古典のオペラの中にあるもので、重唱やアリアが、その場面の思いを歌うものならば、セッコはそのつなぎにある、台詞のような部分です。ですから、物語が進行していき、キャラクターなどもわかるような台詞が多いです。音は単音で、通奏低音の伴奏しか入りません。ただ、歌い手の言葉のみで、物語を進めていくところ。これが、案外難しいです。

まず、基本的にしゃべる。アリアのような歌い方でセッコを扱うと、言葉がまったくわからなくなり、物語は進行しません。ですから音符も細かいですし、読み方によっては如何様にも解釈の出来る、難しいものです。アリアのように歌わないにしても、きちんとした発声と声でしゃべらなければ、やはりお客には伝わりません。ここが難しいところですね。

今日レッスンをしたSopさんは、言葉の感覚は非常に良いですし、イタリア語も綺麗に入ってきます。しかし、元々感受性の強い彼女は、思い入れが入ると、どんなに楽しい会話をしていても、眉がよってきて、語尾が延びてしまいます。しかも、母音の響きが無くなって、段々に声が消えていく感じ。これは、あまり使えません。
加えて、彼女が今やっている曲は、本来はメゾのものです。ロッシーニの「セビリアの理髪師」のロジーナと言う役。ですから、彼女にとっては音が低い。これは、無理無理やらせているわけでもなく、ロッシーニは、メゾのものでも、パッセージの形を変えれば、十分にコロラトゥーラの技術を持ってSopでも歌えるのですね。それで、彼女がやってみたいということになったのでやっているわけですが、セッコはそのままです。ですから、Sopには低い中音域が一杯出てきます。

まず、ここから呪縛を取っていきました。つまり、低い音に力を入れない。どうしても声が届かないのではないかと言う、不安がありますから、力を入れて言葉をしゃべってしまいます。其れを、響きだけにして後は息でしゃべるという風にしてもらう。それから、低い音でしゃべらなければならないところを、彼女の出しやすい音に変えて、言葉をしゃべってもらう。そうすると、本来扱っている母音の音が聴こえてきます。彼女は、その母音の扱いが、ちょっと奥目です。つまり、あごの辺りでしゃべっている感じ。ここに引いてしまうのですね。

文章だと中々表しづらいのですが、簡単に言うと、一番響くはずの母音を口の奥で作る癖があるということです。感情が入ると余計そうです。それと、3度や4度くらいの音の跳躍を、低いところから始めるために、8度くらいに感じる癖もあるみたい。例えば、五線の中にあるファの音からドの音に上がるのに、大した高さじゃないのに、すごく構えて力が入る。それで、言葉が奥に飲み込まれるということです。

こういったことは、感性があればあるほど起こります。何かを表現しなくてはいけないと思うのですね。そこで、まず単純に自分の良い響きに当ててもらい、あとは出ない音は捨てて、出る音は母音を前に扱うということに終始してもらいました。すると、ちゃんと言葉が聴こえてきて、明るいSopらしい音が出てきます。

セッコであろうと、アリアであろうと、声が必要なのは同じです。しかし、息の分量と、力の入れ具合は、すべて同じとはいえません。それから、案外皆さん、響きと言うものに集中しないのだということに最近気づきました。恐らく、「歌う」ということに捕らわれすぎていて、それがただの響きと息なんだ、と言う単純な図式にはいたらないのでしょうね。一生懸命、何かをやらねば良い声は出ない言わんばかりです。

私は単純に響きと息があれば、恐らくもっと体を開放できて、発語が可能になると思っています。その単純なことが、皆さん難しいのですよね。

それにしても、このレッスン室でのレッスンは本当にメリットがあります。こんなにも色んな方向でクライアントさんを観ることが出来る。これから、私自身も、もう一ランク上がらなければと、心から思います。頑張ります!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-08-08 17:45 | オペラ・レッスン | Comments(3)

アマデウス・コード

3,4日と、博多でお稽古してきました。
9月6日に、アクロス福岡の円形劇場で、モーツアルトの「フィガロの結婚」を、レクチャーしながらコンサートをするという趣向の公演をやります。主催団体は、西日本オペラ協会、「コンセール・ピエール」。団体自体は老舗であり、私の師匠なども、良くお世話になっている団体です。私も、10年位前に、師匠の演出した「フィガロの結婚」を博多まで観にいったことがあります。

実家が近いこともあって、先輩などがかかわっていたりして、他の地方団体とは違って親近感があります。今回も、ピアニストの方に、同じ高校出身の方などいて、びっくり!元々は、声楽をやりたいと思って、その高校の音楽科に入った私。それが演出と言う形で、また福岡に戻ってくるのは変な感じです。土地の感覚もわかって、なんだか懐かしく二日間のお稽古させていただきました。

さて、「アマデウス・コード」と銘打ったこのコンサートは、秋に来日する、バーデン歌劇場の「フィガロの結婚」を観る前に、一度楽しく「フィガロ」をお勉強しませんか?と言う、主旨の元、アクロス福岡が西日本オペラ協会に依頼したものです。
当初、コンサート形式にするようでしたが、このオペラ協会に講師としてかかわってらっしゃる、藤原歌劇団団員の松山いくおさんが語りをやるということになり、だったらちゃんと、構成をしようということになったみたいで、私にお話をくださいました。

博多に行く前に、松山さんと二人で、どの曲をどういう風に使うかという、ご相談をし、イメージなども話しながら、構成をさせていただき、いざ、博多へ。
いや~、楽しいお稽古でした。

まず、参加してくださるキャストの方々の、受け入れ態勢が非常に良いです。
風通しが良い。私は、演出やトレーナーをするにおいて、良く、この「風通し」と言う言葉を使いますが、本当にそれによって、随分、稽古場が変わるのです。
どんなに、こちらが頑張っても、アイデアを持ってきても、やはり、受け手が心を開いてくださらないと、まず、新しい展開になりません。そこを開くのに、すごくエネルギーをかけてしまう。

しかし、この団体のキャストの皆さんは、まず、「とにかく、言われたことを受けます!」と言う、器が見える。不器用、器用はあっても、とにかく受けてくださる。それが素晴らしいと思います。それと、これは松山さんの功績も大きいのでしょうが、音楽というものを、非常に真摯に扱ってくださいます。

最初、構成を確認するために、ざっと頭から音楽と構成内容を流して行ったのですが、その時から、それぞれ歌われる方の音楽が、前向きです。空間を前に捉えてらっしゃる。ですから、空間の息が止まりません。個人個人では、その度合いが違いますが、全体の印象として、稽古場の空気が音楽から動くというのを感じました。素晴らしいことです!

そこから、派生していく稽古ですから、私のアイデアや、投げかけは、す~、す~っと彼らの方に受け取られていき、段取りはあっという間に渡されてしまいました。びっくり!!(^^)
後は、この渡されたものを、どう膨らませていくかと言うことのみですね。これは、次回のお稽古でやって行きます。

お稽古の後の飲み会でわかったのですが、お話をした歌い手さんが、ピアニストも含めて、非常に楽譜や音楽に興味を持ってらっしゃる。色んな疑問を持って、投げかけを返してくださいました。こう言うことにモチベーションが高いというのも、初めてです。きっと、彼らの中で、学ぶということのテンションが高いのでしょうね。そして、それが出来るためには、どうすればいいのかという、考え方をしてくれる。こう言う人たちとお稽古をするのは、楽しいです。少しのことで、ふっと変わってくれます。風通しがいいというのは、こう言うことを言うのですね。

もちろん、ここまで歌い手の方々が、学ぶ体制になってきたのには、私の師匠や、先の松山さんの努力があると思います。彼らの指導や稽古が、協会の方々に何が必要かを、きっと伝え続けているのだと確信があります。そのおかげで、私の稽古があるとすれば、本当につながりって大切だと改めて、認識します。

いずれにしても、足らないものに気づいて、それを埋めたいと願い、努力する。今回の参加者の方々には其れが見えました。ですから、次回はもっと膨らませてきてくださるのではないかと、期待しています。

それにしても、師匠が踏んだ轍を、恐れながら踏ませていただくのは、本当に恐縮しますが、嬉しいです。師匠の撒いた種を私がつぶさないように、松山さんが育てた芽を私が摘まないように、花を育てて生きたいと思っています。

松山さんがおっしゃっていましたが、地方の方々のこう言う学び方は本当に、素晴らしい。やはり、忙しい生活の中から、遠い場所から、様々の理由をもって、それでも勉強したいとレッスンを受けに来る時に、もし、自分に取って、つまらないと思えば、すぐに、話はなくなる。それだけ、目的意識と投資をすることの大切さをしっている、と。私もそう思います。

東京から人を呼ぶのは、大変なことです。報酬はともかく、交通費、宿泊費、様々なことが面倒くさいです。それでも、得たいものがあれば、やはり、そのお金を投資する。その価値観と言うものが、はっきりしているのですね。

東京に住んでいると、何でも、出来るような気がしますが、だからこそ、ヴィジョンやモチベーションが低くなっているのかも知れません。見習いたいものですね。
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by kuniko_maekawa | 2006-08-06 16:44 | オペラなお仕事 | Comments(0)

受け取ること

今日レッスンに来てくださった方が、先日やった「稽古場」にしきりと感動してくれてました。
Sopさんですが、彼女は昨年某有名コンクールで2位を取り、今年は色々アクティブに動いて、自分の経験を増やしている最中。私のところにも、ある歌い手さんを介してでしたが、楽譜をちゃんと読んだことが無いというので、マメにいらしています。その彼女の姿勢自体も素晴らしいのですが、その「稽古場」を見た感想というのも、新鮮で結構感心しました。

「稽古場」のような稽古は、目的を持たずに、ただただ、そこで何が起こってくるのかを、試していくものです。それが観ている方には、生ものに感じるみたいで、段々に形になってくる場面に予想できない楽しさも感じるみたいです。その彼女は、歌い手二人の開放感にも感心していましたが、何より、彼らの楽しみ方が全然違うといっていました。今までは、きちきちと一生懸命何かを創ることをやっていたけれど、本当に大切なことは、「生み出すことなんだ」って気づいたのですって。

こりゃまた素直で、正しい感想です。
稽古を観てくれる人は、一様に面白いと言ってくれます。しかし、こんな風に気づいてくれる人はそうそういません。いつも、歌い手達のそれぞれの能力や、私の言葉の使い方などを具体的に言ってくれますが、稽古での「楽しみ方」について、感激した人はいませんでした。これって、結構大切。どうやって、稽古場に自分を解放し、それを膨らませていくかは、常に、そう言う単純なところにあると思うのです。だから、目的を持たない「稽古」をする。その意図をダイレクトに受け取ってくれたので、びっくりしました。きっと彼女も感性が良いのでしょうね。

歌い手は、中々面白い体を持っています。メンタル的なことと、非常にあいまって、繊細なところです。先日も、ピアニストさんとセッコのレッスンをしまして、そこに歌い手さんを二人ほど入ってもらいました。

このレッスン自体は、二度目でピアニストさんも慣れて来ており、それはそれなりに、実りの多いレッスンでしたが、そこに来てくれた歌い手さんも、一回目にやった時と同様、ものすごく楽しんでいました。

それはそうです。歌い手には、ほどんと何も考えさせずに、サディスションだけ与えて、自由に動いてもらいました。つまり、簡易稽古場を作ったわけですが、こういった、目的を持たずに、ただ、ポイントだけを差していって、感覚をするどくすると、どうも、やっている方のスイッチの入り方が違うらしいのですね。不思議です。参加してくれた歌い手さん、四人とも、レッスンが終わった時には、当の本人であるピアニストよりも、テンション高かったです。

多分、このレッスンの最中も、「稽古場」も、私の感覚がレーザー光線みたいに、鋭くなっているからでしょうね。稽古場は演出家によって、最終的には作られます。私は、媒体になってくれている彼らを、文字通り操るために、どこの紐を引っ張れば良いのかを、彼らが頭で考える前に、試しています(これは実感がある)。ですから、彼らはこちらが投げたものを、考えようとする前に、へんなところを引っ張られるので、体や感覚が先に動くのですね。多分、そういう感じじゃないかと思っています。

いずれにしても、やっぱり実りの多い時間でした。なるべく回数を増やしていけると、本当にいいと思っています。終わってからもまだ、これだけ楽しい夏のイベントです。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-08-01 22:06 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)