サントリーホールオペラ「TEA」

今日は、またまたチケットをいただいて、サントリーホールに行ってまいりました。
演目は「TEA」副題に「茶は魂の鏡」と入っています。
これは再演で、2002年にサントリーホールが初演をして世界に発信したホールオペラと言う形式を取ったオペラで、タン・ドゥンと言う作曲家の作品です。

この人は映画「グリーン・ディスティニー」でアカデミー賞を取った人で、他にも、「マルコ・ポーロ」や「ペオニー・パヴィロン」など、どんどんと新しいオペラ作品や、オーケストラの曲を書き、グラミー賞なども受賞している人です。

物語は単純。日本の王子が唐の姫である恋人との約束を果たしに唐にわたり、そこで、茶の哲学書と称される「茶経」に出会います。しかし、それは恋人の弟皇子が偽ったもの。その本が本物かどうか、二人は命を賭して真実を探しに行きます。結局、弟皇子が持っていたものが偽りとわかるのですが、王子と皇子の争いに巻き込まれ、恋人の姫は死にます。

この物語を軸に、実際の茶経の中から格言みたいなものが持ち込まれているようですが、実に、秀逸な舞台でした。最近の私が観た公演の中では、ダントツ!

サントリーホールをご存知の方だと、お分かりでしょうが、このホールはステージ側にも客席があります。舞台は前面から、そのステージ側の客席に向かって、蛇行するように長い道が組んであります。10人くらいの、頭を剃ったお坊様みたいなコロスたちがあらゆる方向や形を作って、外観を作ります。その中で、歌い手達が、ある種の形を持って、動いていくのですが、決して、歌舞伎のようでなく、能のようでなく、やはりオペラなのです。

動きはコンテンポラリーダンスのようですが、しかし、歌い手達の言葉が、ものすごくしっかりしていて、段々舞台に引き込まれていきます。

曲はまったく現代曲で、面白いのは、3人のパーカッショニストが上下とステージ上に居て、彼らが扱う楽器が、例えば、水の入ったボールの中の水をコップで叩いたり、手で、水音を出したり、紙をくしゃくしゃにしたり、破ったり。オーケストラも、譜面を激しくめくって、音を出したり。
「音」と言う概念が非常に面白く、自由です。

その中で、歌い手達のパーツは、すごく単純で、言葉がはっきりしている。そして、それぞれが、才能のある人たちなんでしょう。英語でありますが、語る言葉に表情がめまぐるしく変わります。しかし、歌っています。見事!

舞台の世界観も好きでした。
扱っている題材が、「茶」と言うこともありますから、ほとんど哲学みたいなことを言っているのですが、演出のうまさでしょう、動きや居場所がすごく単純なのにもかかわらず、歌い手の言葉の扱いが非常に細かに出来ていて、それに付いた表情が決して死なない。単純な動きはそれを邪魔しないのです。本当に、私の大好きな世界。

コロスの人たちも当然歌いますが、それぞれが動きが綺麗。単純で、はっきりとした動きです。
どの人の歌唱もレベルが高く、声自体に堪能できたことも、好感を持てた要因です。う~ん、満足。

実は、昨日ある公演をやはり招待で観にいかせていただいたのですが、こちらは、いつ出よう、いつ帰ろうと思うようなひどい出来。歌い手も良くなかったのですが、何より、演出がひどい。同じ再演のものでしたが、まるで投げ出しているような創り方。私は、これも初演を観ていますが、まだ、そちらの方が、エネルギーがあった。

しかも、この公演の演目の方が、有名でわかりやすい曲です。なのに、今日の「TEA」の方が、まったく知らない作品で、難しい音がなっているにも関わらず、感動できる。これって、もう、舞台の関わり方のレベルとしか思えませんね。

こう言う舞台を私も創りたいです。形と言うことでなく、レベルやテンション、歌い手のクオリティーとしてです。とにかく、久しぶりに、モチベーションが上がった舞台でした。

それにしても、1年を通して、中々こう言うストライクゾーンの公演に出会うことは稀です。時として、私の理想が高いのかとも思いますが、ともすれば、自分の創る作品も、投げやりに見えていることだってあるかもしれません。気を引き締めて、これからも舞台を創らねば!全く、楽しい一夜でありました。
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-26 00:51 | 観劇日誌 | Comments(0)

「稽古場」VoL5「セイヴィリアの理髪師」

はい、今年は初めて1年に二回、「稽古場」を組みます。

いつも事の起こりは簡単なのですが、今回も。
前回「リゴレット」が終わった後に、ジルダをやってくれた松田麻美ちゃんが「秋口暇です~」と打ち上げの時に言ってました。それで、何の気なしに、「じゃあ、また稽古組んでみる?」と、投げたところ、「やりたい~」とのこと。

私自身は少し忙しくなってくる頃でしたが、それでも、時間はたっぷりあるので、思い切って組むことにしました。

さて、女性がメインで「稽古場」を組むのは初めて。今までは、私がやりたい演目を歌い手に投げていたような感じでしたから、自分のヴィジョンを持たずに稽古場を組むのも初めてです。
それで、彼女に問うてみたところ、「おもいっきり笑わせる役」がやりたいとのこと。

ああ、これまた苦手なブッファものを示唆されているらしい。う~ん・・・。
松田麻美ちゃんは非常に感性豊かな人。彼女ならば、きっと、どの役でもある程度のことはこなしてくれると思う。しかし、私はどうだい???

おりしも、次期研究生の修了公演の演目を決めている最中。色々作品名が応酬される中、やはり上がってくるのはロッシーニ。やっぱり楽しくなくちゃってわけです。
しかし、私はロッシーニが大の苦手。第一、こんなに曲が楽しかったら、やることないじゃん!それで、いつも玉砕しているわけですが、その苦手意識を払拭するためにも、ロッシーニに決定。

「セヴィラ」にしたのは、研究生などでNO7のデュエット等をよくやるので、麻美ちゃんの認識があったからですが、それよりも、私の苦手意識が高い演目だったので、ええい、やっちゃえ!とばかり。

相手をしてくれるのは藤原歌劇団準団員の押川浩士君。
昨年の「稽古場VoL3.Don・Giovanni」に参加してくれました。まだ30代の若いバリトン君ですが、素晴らしく良い響きの声と、高い身体能力を持っています。「セヴィリア」のフィガロは一本演じた経験があるのと、元々こう言うブッファのセンスがあります。本人も二つ返事でOK。
う~ん、役者が揃いました。

さて、今日はピアニストをいれずにseccoの部分を台詞で作ってみました。
つまり芝居で言う、読み合わせと言うわけですが、これが中々どうして、すごく面白かったです。

まず、松田麻美ちゃんの感覚の良さは健在。この人は本当に相手の台詞からのキャッチボールにセンスがあります。一応は、こちらの投げかけを受け取って台詞を作り出してくるのですが、それがまったく思いもよらない形になって戻ってきます。「こう出てくるのか~!」って感じ。
これは、本当に面白い。

対する押川君は、感性は良いのですが、スイッチが入るまでがちょっと時間がかかります。
今日も、読み始めた最初は、どこまで自分の世界を守っていいものか、測りかねているようでしたが、麻美ちゃんのダイレクトな変わりようと、こちらとのやりとりを素直に受け入れ始めてからは、俄然スイッチが入ってきました。そうなると、この人はいきなり欲が出てきてびっくりします。

これは前回の「Don・Giovanni」でもそうでしたが、彼は楽しくなってくると「もっと観て、もっと聴いて、もっと笑って!」みたいな欲求度がものすごく激しくなるのです。

そうなると麻美ちゃんとの掛け合いは、まさに偶然の産物。どういう手で出てくるか、お互いにわからないけど、モチベーションとテンションは上がりましたから、結構真剣勝負です。しのぎを削るって感じがはっきりあって、どきどきしました。おもしろ~い!

さて、私は、と言うと・・・・。
これが不思議なことに、今日はまったく苦手意識が起こりません。いつもだったら、少し自分のボルテージが下がるのに、この二人を相手にしていると、むしろどんどんイメージが湧いてきて、次から次に言葉が出てきます。えええ~、こう言うことか~!!!

もしやと思っていましたが、こうまではっきりするとは。
私がブッファを創るためには、良い歌い手が必須条件と言うことです。
今まで、この演目は、研究生のアンサンブル試験の時しか触ったことがありませんでした。しかし、相手は研究生。こちらがどんなに動かしたくても、動いてくれません。

私の頭の中では、楽譜上の世界観は出来ていましたから、後は歌い手に渡してしまって、適当に動いてもらえば、いつもだったらイメージが湧いてくるのに、この演目だけは全然駄目だったのです。

ところが、今日はすんなりやりたいことが出てくる。そして、楽譜に絵が見えてくる。
これはひとえに、麻美ちゃんと押川君のレベルが高いからです。もう、絶対にロッシーニをやる時は歌い手で決めることを決心しました。私のレベルじゃ、それが得策なんですね。いやいや~(^^;)

次回は音楽稽古。ピアニストは「リゴレット」の時に参加してくれた、田村ルリちゃん。彼女もとても楽しみです。感性は麻美ちゃんにも押川君にも負けません。彼女の感性も無限大。

今日も思いましたが、「稽古場」をやってよかったと思うのは、本当に、こう言う気づく瞬間があること。そして、それが打ち上げ花火にはならずに、必ず私のうちに「経験」として残っていくことです。これをやって、また私の中が変わってくる。

来年、「稽古場」を拡大して、ある演目をやりたいと思っています。これは公演に出来たら嬉しい。必ずやろうと思います。さて、次はどうなることやら。本当に楽しみです!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-23 23:36 | 稽古場 | Comments(0)

役を創るということ

さて、まもなく、研究生達の発表の場がやってきます。10月1日が試験なわけですが、今は大詰め。自主稽古を頑張って入れて、良いテンションになってきました。

先日、初めての通し稽古をしましたら、案の定、緊張とパニックでしゅ~っと縮んでしまって、まるで望遠鏡をさかさまに見るみたいになってましたが、ま、これも、良くあること。経験のない彼らにはしょうがないことですね。これから本番までの間で、その筋肉の収縮を良くし、本来の役目である「歌うこと」に戻してあげなければいけません。

この授業には3人の助演君たちが入ってくれています。
彼らは皆、研究生を出ており、大抵は出身クラスの助演に入ってきます。一人は40代、後の二人は30代。この若い助演君たち二人が、目下、私のひそかな楽しみとなっています。

二人とも、研究生に居る時からの付き合いですから、3年くらいの付き合い。しかし、その間に、ちょこちょこと、私のやる小さい試みに付き合ってくれて、成長過程を見させてもらっています。毎月なにかしらの本番を持っているような、忙しい彼らではありますが、それだけ、実力と可能性を備えているということでしょうね。これからが大いに期待できます。

しかし、この彼らに対して、最近思うことは、本来の「役つくりを」どう捉えているかという疑問。

何故、こんなことをいうかと言うとですね、歌い手は、元々、声が資本。ですから、まず、歌が歌えるようにならないと、体が自由に動きません。ですから、歌唱の実力がないうちは、どうしても、「役を自分に近くする」ことで、歌唱が苦手な部分を補います。

わかります?
単純なことを言えば、自分で出来る範囲でしか動かない、歌わない、と言うことです。

例えば、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」のフィガロをやっているとします。楽譜上、seccoの音架が、追い詰めるような速さであるにも関わらず、その解釈が、自分の苦手な部分であると、違う解釈をして、納得させるのです。seccoの場合、往々にして、「自由に歌ってよい」と言う、お約束が横行していますから、それでも、芝居が成立していれば、許されることが多いです。

しかし、私には、それが気持ち悪くて困ります。
つまり、そこに、作曲家が居て、彼が作っているキャラクターがあるにもかかわらず、そこに現れてくるのが、歌い手自身のキャラクターでしか見えない。楽譜と相談してキャラクターを決め、内容を解釈しているこちらとしては、これを崩すのも至難の技です。

先の彼らが陥っている穴は、ここのところです。
非常に身体能力も高く、頭も良い二人ですから、自分達のやりたいように、芝居を作ることに長けています。しかし、それで、守られて出来た作品は、表に飛び出てこないのです。つまり、彼らの範囲内に納められている。

これは、ある意味、危険です。
このままでは、彼らは何をやっても個人的なキャラクターしか呼び出せず、一向に役の器が広がりません。しかし、意に反して、歌唱能力は上がってきている。体が自由になっているのに、自分の出来る範囲でしか動こうとしない、こう見えるのです。

これを解消するにはどうするか。
単純なことです、苦手な部分も含めて、楽譜どおりの解釈に自分を近づけること。それが出来るテクニックを磨くこと。読解能力を磨くことです。

何を歌っても、その役になりきってこそ初めて、オペラ歌手は評価されると思います。
やはり、作曲家の作品を表に出す、表現媒体なのですから。この媒体になる能力が、どれだけ高いか。これが、これからの若い彼らの課題です。

ことあるごとに話をしているのですが、どこまで変わってくれるか。残念ながら、レッスン生ではないので、細かいことは出来ません。でも、いつも、側にいてくれて、何かしらの作品つくりに関わってくれる人たちなので、気長に接して行こうと思っています。彼らも、神様から与えられた、祝福ですもん。これからが、ますます楽しみな、若者達です。(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-18 13:55 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

L'opera Piccola公演ロッシーニ作曲「絹のはしご」

本日はご招待いただいて、オペラ公演に行ってきました。

この団体は、昨年発足した団体で、私のアシスタントをしてくれていた若者が演出をしています。出演者も、スタッフも、友人で作られた珍しい団体で、プロが入っているのは、ひょっとして、照明と音響くらいではないでしょうか?

「絹のはしご」はチマローザの「秘密の結婚」とほとんど同じ内容。父親に内緒で、恋人と会っている主人公が、この恋を成就するまでの話で、これに父親が選んだ婚約者、従姉妹、道化役の従者などが絡んだ喜劇です。音楽も、巧妙で綺麗。私も大好きな作品です。

今回は、この作品を2010年に設定し、現代服のパリジャンとパリジェンヌの恋にしていました。客席に入ると、パリを思わせる音楽が流れ、照明のホリゾントに、パリの恋人たちの写真が映し出されます。そして、次々に説明文がテロップのように流れてきますが、残念ながら、この時点で先が想像されて、実はうんざりしていました。

この団体は昨年も観ています。昨年は、目黒パーシモンの小ホールで、客席も100席くらい。1幕もののファルサ(笑劇)をやったのですが、これは丁寧に作られていました。そういえば、このときも、序曲の時に、字幕が一杯出て、説明過多でしたが、今回は、それがもっと強烈になった感じ。困ったな~と、思いつつ、本編に。

二回目になる今回の公演は、埼玉芸術劇場の小ホールでなされました。ここは現在、蜷川幸雄と言う演出家が芸術監督で、非常に面白い試みを沢山やっています。この小ホールも、300席ながら、天井が高く、上下にバルコニーがあり、そこから客席に下りる階段や通路が非常に面白く、演出家としては、相当空間を使って、遊びたくなるだろうと想像できます。

しかし、今回は、この演出があだとなっていました。
歌い手は、色んな通路を使って、出てきます。そして、色んなところで歌います。
父親に隠れて付き合っている恋人たちは、夜中の12時になると、バルコニーに絹で作ったはしごを下ろして、男性が女性の部屋に上がってくるのですが、これを現すためにも、バルコニーは得策でありました。

しかし、残念ながら、空間を使おうとして、空間に煽られている感じがあり、歌い手たちは、ただ、ばたばたと劇場を走り回っていることになります。使われ方が効果的ではないのです。バルコニーは、お客の目には思ったよりも高いです。そこと、舞台と客席を繋げようとすれば、かなり目線や視覚効果を考えなくてはいけません。それが、平面に見えるということは、絵でしか捉えられておらず、空間として成立してないと言うことだと思います。

加えて、音楽的要素が薄い、公演でした。
一つは歌い手達の歌唱の力量が、低いということです。多分、まだこれから歌い手として勉強していく人たちであると思うのですが、それぞれが、まず、何を伝えたいのか、がわかりません。
セッコにいたっては、単純に言葉が聴こえない。楽曲に入っても、アンサンブルとしての影響など、いつもだったら、音楽的に満足してうっとりするところもありません。楽曲の構築がなされてないのです。

今日の舞台は、ピアノと指揮者を舞台奥においていましたから、指揮者とのコンタクトは非常に取りにくいことになっていました。それもあるのかもしれませんが、大きな理由は、歌い手自身に音楽の「動機」が見えないことです。

再三このブログでも書いていますが、芝居であれ、オペラであれ、舞台に居る人の仕事は「台詞」を伝えることです。オペラの場合、この「台詞」を伝える道具が、「響きのある一番良い声」で無ければなりません。だからこそ、歌い手自身の解釈によって創られた言葉が聴こえてきて、私達に届くのです。

これは、演出家や指揮者にも、要求されることです。その「核」となる「動機」が皆に見えなかった。

これは観ていて結構忍耐の要る舞台になりました。
もとより、エネルギーは高いですから、お客様は楽しんでらっしゃったと思います。これは、観ている方の好みもありますから、こう言う舞台が好きだという方もいらっしゃったでしょう。

しかし、笑っているのは、友達同士の楽屋受けのような感じも見えました。それに、昨年よりも、キャパシティの大きなホールでやったのにもかかわらず、レベルが変わらなかったという風に見えたのです。

私たち作る側は、常に、自分のやりたいことを客に押し付けてしまう恐れがあります。それは、どうしても、「面白いものを見せたい」と言う願望が強いからですが、それ以上に、「自分のために、作りたいものを作る」と言う願望が勝っているはず。

しかし、それではいかんのです。「自分のため」ではなく、「作品を世に出すため」に私達がある。それはこの先品を初めて観るお客様のためだ、と、若い彼らにもわかってくるといいのですが。

こう言う団体は本当にエネルギーだけはすごいです。何もかも、自分達で創り上げていくことの素晴らしさも感じます。けれど、回数を重ねるごとに、歌い手や主催者も大人になっていくべきです。本来の作品はどうなのか、何を自分達は伝えていくべきなのか。そのために、どんな才能が必要なのか。

公演を楽しくしたいために、趣向を凝らすのは結構。しかし、それによって、内容が消されてしまうのは本末転倒です。それを理解して欲しいと願ってやみません。
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-16 22:26 | 観劇日誌 | Comments(0)

歌い聴かせ

さて、9月も中旬になってきました。今日など、気温もちょっと低くて、まもなく冬?って感じですよね。

さて、10月1日、今通っている研究生機関の試験があります。
これは、オペラのアンサンブルを、それぞれの研究生の声にあわせて選び、演技つきで発表するわけですが、今年は、エネルギーのあるクラスで、授業内では収まらないところを、自主稽古で埋めようと頑張っています。おかげで、結構ヘビーな日程になりました(^^;)。

さて、最近、私が研究生達や、レッスンのクライアントさんたちに、よく言うことは「歌い聴かせる」と言うことは、どういうことかと言う事です。

単純なことですね。
皆さんは、子供やお年寄りなどに、本を読んであげたことがおありですか?あるとしたら、どうやってお話を読んであげるのでしょうか?

相手は何も知らない子供や、耳の遠い老人。目の見えない人かもしれません。
きっと、それぞれの場合によって、一番わかりやすいことを、やろうとなさるでしょうね。ゆっくり読んだり、声音を変えたり、相手の目を見てとか、ニコニコしながらとか、常に考えているのは、聞き手のことだと思います。

オペラであっても芝居であっても、やることは、まさに、これと同じことです。
良い声を使い、表情を変えて、動いて、何も知らないお客様に、舞台の上から歌い聴かせる。
この感覚がやっている方に、すごくあるべきです。

研究生達も、一緒に創ってくれている助演の人たちも、皆、演目にこなれてきて、体が自由に動くようになり、歌えるようになり、形が出来たように感じる。
しかし、本当に大切なことは、その先のことで、いろんなことが出来てくるから、尚、お客様に私達の言葉を、音楽を伝える手を尽くさないといけません。

昨日も授業を観ながら、そのことが快感として、どれくらい皆にあるんだろうと、考えていました。
一生懸命歌って、動いて、でも、それが全部自分のためにあるのじゃなくて、お客様に語って聞かせている方法なんだってこと、わかっているだろうか・・・・。わかってくれるといいなあ・・・・。

学生は、経験がない分、外側に意識が行くのが遅いです。
これはしょうがないことで、私たちは、それでも、言い続けることが大切だと思ってますので、例え、試験であろうと、試験官に向かって、彼らが「歌って聴かせる」と言うことを、少しでもやって見せてくれたら、大正解だと思っています。

授業は後5回。もう、どんどん通していきますから、後は、はじけるだけです!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-13 21:45 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

和物のオペラ

昨日何年か振りに「河童譚」と言うオペラを観ました。

これは30分の短いオペラで、民話が題材にされています。
いたずら好きの河童の河太郎が、村の娘お花に横恋慕して、村長の息子にばけて一騒動起こすと言うもの。歌い手も4人で納まります。

日本のオペラにはこう言う小さなものが多いです。「あまんじゃくとうりこ姫」「三人の女房」「釣り女(だったかな?)」等々。民話、能などの題材が多いのも特徴ですよね。

これとは反対に、「夕鶴」や「黒船」「山椒大夫」等、沢山の大きなオペラも、もちろん作られていて、今も尚、新作は毎年のように、公演されています。

しかし、大きなオペラは、なぜか、楽曲が難しく、あんまり楽しかったり、美しいと感じたことがありません。中には、大好きなオペラもあるのですが、それでも、往々は音楽的に好きになれず、あまり聴く機会はありません。

それに反して、小さなオペラは、単純で、覚えやすい音楽が多く、かといって、音楽的に弱いかと言えば、そうでもなく、私はどちらかと言えば、小さいオペラの方が好きです。

昨日も、改めて「河童譚」を聞くと、アンサンブルも、楽曲の構成も、良く出来ています。短いものは学校公演などでも、皆、持って回りますから、私も、何度かやった経験があるにも関わらず、改めて感心して聴きました。

どうしても日常、洋物を主にして、私たちは勉強しますが、時々はこう言った日本オペラを、真面目に勉強することもやった方がいいですよね。特に、きちんと勉強して、歌唱もしっかりした人が、やるには本当に良いと思います。

日本語を歌唱するのもやはりベルカント。イタリア語よりも、子音が立ちますが、どの原語にも母音はありますから、同じように歌えるはず。ベルカントが習得できている人であれば、なお更、言葉も良く聴こえるだろうと思うのです。

さらに、私達の母国語である、日本語を扱うということは、本来のボキャブラリーさえあれば、イタリア語を解釈するより、簡単です。そして、聴いている人たちも、簡単に分かり合える。
セットや衣装もそうです。私達が、皆、知っている原風景。それを、きちんとした歌唱でお客に語り聞かせられれば、本当に楽しい空間になりそうです。

各言う私も、一度も日本オペラを演出したことはありません。是非、一度「夕鶴」を演出したいと思っていますが、願いが叶った暁には、セットや衣装、所作にいたるまで、きちんとした和物の世界観を作った上で、きちんと芝居を乗せたいと思っています。

昨日招待してくれた歌い手さんが、いみじくも言ってました。「やはり、自分は”和”の世界で作られていると思います」って。まさに、そうだと思います。大切にしたいですよね。母国語ですもん。(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-10 14:51 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

西日本オペラ協会「アマデウス・コード」

6日に博多のアクロス福岡の円形ホールでモーツアルトの「フィガロの結婚」のレクチャーコンサートを行いました。題して「アマデウス・コード」。以前もブログで何回かご紹介しましたが、秋にアクロスでバーデン歌劇場が「フィガロの結婚」を上演するにあたり、宣伝も兼ねて、ちょっと内容をお勉強して本編を楽しみましょう、と言う趣向のものです。

今回はMCを間に挟み、4幕あるオペラの中から、14の場面を選んでの構成舞台です。
私は、舞台構成と演出を担当しました。
元々は藤原歌劇団団員の松山いくおさんが、構成もなさると言うことでしたが、彼自身も歌われるし、レクチャーコンサートと言え、場面は芝居を付けるわけですから、とりあえず初めてみる人に、役はわかった方が良いということで、衣装を入れたいと言うことになったそうで、そうなると、外側を創る人間があったほうがいいだろうということで、私を依頼してくださいました。

さて、この円形ホールは定員188席の小さなホール。文字通り、丸い劇場ですが小ぶりで、天井も低く、プラネタリウムのような感じです。舞台はこれまた円形で、この円が3重になっており、中心の円以外は三分割されて段差が付きます。ギリシャの円形劇場みたい。すり鉢になっているのです。床面は木目、壁は深い緑。明かりを当てると、青にも見えます。今回は、半分は客席、半分は芝居エリアにしましたから、110席くらいのほんとに小さい空間になりました。会場自体も広くないので、客席も含め、各通路を、時代衣装をつけた歌い手達が、縦横無尽に歩き回り、お客さんの近いところで、歌います。これは、本当に面白い空間でした。

歌い手さん達は西日本オペラ協会では若手の人たち。年齢は幅がありましたが、経験値として足並みが揃っていて、稽古場や舞台での雰囲気が非常に良かったです。何より、経験をちゃんと先につなげたいと言う、エネルギーがあり、積み重ねがちゃんと見えて、本番は見違えるほど良かったです。

今回の構成は、松山さんとお話をして、選んだ場面を、ばらばらにつなげました。松山さん曰く、映画の予告編みたいにしたい、とのこと。それで、1幕の場面を歌ったら、3幕に飛び、そこから2幕へ、など、MCを挟んで、色々時空が飛びまして、それも面白い効果を生みました。
しかし、選んだ場面はきちんと内容を創りましたから、品は失わず、加えて内容のテンションも下がらない。音楽としても聴かせることを前提に皆さんが作りました。かなり、クオリティも高かったと思っています。

今回は衣装をまとも(?)な時代衣装にしましたので、これが一際良かったですね。何せ、何も無い舞台です。お客様にも雰囲気を伝えるのは衣装しかありませんでした。
e0022232_22192763.jpg

どうです?綺麗な衣装でしょう?
これも、最初に着た時はなんか着慣れなくて、「つるし」みたいになっていたのですが、不思議なもので、着慣れてくるに連れて、歌い手さんの日常が舞台の方に近くなってくるのですね。本番の2回目には毎日着ているような着こなしになりました。

西日本オペラ協会は、古い団体で、ずっと地道に活動を続けています。その中で、本公演と、若い人たちのための公演、講習会やレッスン等、どうすれば、歌い手さんのクオリティを上げることが出来るか、若い人たちの教育をどうするか、何より団体として、目的を持ち、活動を続けていくか、常に常に、理事長はじめ、役員の方々、それに付いていく若い人たちが一生懸命模索しています。
素晴らしいと思います。東京はやはり中心でありますから、刺激は多く、歌い手のキャリアを重ねていくことも出来る。しかし、大都市とはいえ、地方になると、どうしても閉塞感はあると思います。しかし、その中で、団体としても目的を強く持ち、活動を続けていき、こうやって公演を成功させて、また次の経験値にしていく。意識の高さに、感服しました。

是非、これからも、こう言う活動を続けて行っていただきたいです。今回、この場をいただいて、本当に感謝しています。結局は、私のような未熟なものも、こういった大きな器の地方団体に育てられているのですよね。

もう一つ、特筆は、この円形ホールの管理で勤務してらっしゃる九州舞台の鶴野さん。
今回は舞台監督はいませんでしたから、私が兼用したのですが、この方がいらっしゃったから、回すことができました。
本当にこの方は舞台が好きで、物創りが好きな人です。体中からそれがにじみ出ていてなんとも良い感じ(^^)。
これはね~、舞台関係者なら、誰でもわかるんですが、私達スタッフが元々持っている、空気みたいなものがあって、いわゆる「同じ匂い」みたいなものなんだけど、それを感じると兄弟みたいに近しい空気になるのですよね。
しかし、それに甘えてはいけないので、お互いきちんと仕事はする。でも、究極のところで「こうやったら良いですよ。こうしましょうか?」って会話になってくる。

普通、管理の方は、仕事の性格上あまり依頼者と関わりにならないように、しなければならず、時々怖い方もいるのですが、今回は本当に仕事がやりやすく、楽しかったです。しかも、照明、音響、小道具の直しまで・・・(^^;)すべてに良い感覚で、お稽古も観てないのに、ちゃんと舞台の上に絵が出てくるのです。素晴らしい!本当に彼とお仕事できたのは収穫でした。感謝です!

まったく、神様はいつもちゃんと、私を見守っていただいてくださって、こんなに素晴らしい祝福を与えてくださいます。今回のお仕事でであった人たち、すべての人たちのおかげで、こんな素晴らしい公演になりました。またこう言う舞台を創りたいです。お客様に近くて、暖かくて、席に着いた途端に、夢の世界へ連れて行って挙げられるような・・・・。本当に、幸せな一夜でありました!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-08 22:43 | 観劇日誌 | Comments(8)

伊藤康英・音楽の夕べ

昨日教え子にご招待いただいて、作曲家の伊藤康英さんの作品演奏会に行ってきました。

皆さん、ご存知ですか?伊藤さんはピアニストとしても、作曲家としても、素晴らしい才能をお持ちの方で、おそらく40代の中ごろくらいだと思うのですが、私は何年か前に日本オペラ振興会で上演された「ミスター・シンデレラ」と言う、彼のオリジナルオペラ観まして、もう、大感激!

日本のオペラ作品は、なぜか耳に心地よいものが少なく、どうもなじみがありません。どうしてでしょうね?西洋の音楽に対抗しているのでしょうか、わかりませんが、不協和音や、変なリズム。中には好きなものもありますが、往々にして、メロディが複雑で、あまり好きではありませんでした。

しかし、彼のこの作品を聞いたとき、いきなり目が開いたという感じ。楽しく、覚えやすいメロディが満載。だからといって、簡単なだけのメロディーでもなく、アンサンブルがきちんとしていて、まるでモーツアルトのオペラを聴いているよう。私の師匠である松本重孝氏の演出もさることながら、とにかく作品が楽しくて大感激でした。

招待してくれた教え子は、最近伊藤さんの作品を歌う機会に恵まれ、気に入ってくださったようで、今回の演奏会に出演のこととなりました。いや~、しめしめ(^^)

さて、本当に楽しい演奏会でした。
きっと、私の感覚が、伊藤さんの曲にメガヒットなのでしょう。どの曲を聴いても気に入って、感動します。
演奏会は伊藤さんのお話を交えながら、彼の作品を紹介していくのですが、面白かったのは、彼が出している連弾用の作品です。普通、二人で引くことを連弾と思っていますが、彼の新しい作品集である、「どんどんぐるぐるピアノ」と言う曲では、何人でも鍵盤を移動しながら連弾を続けていきます。文字通り、ピアノの鍵盤の前を人がぐるぐる回って弾くという代物。それも、メロディーはすごく単純。
この作品は、小学校で全員で弾けるキーボードの曲を書いて欲しいと依頼されて出来た作品だそうです。この発想もすごいけど、作る彼の才能がすごい。

彼曰く、単純でわかりやすいメロディで、十分に音楽は作れるとのこと。これも、大きくうなずきました。
難しいことは、何もいらない、音楽はわかりやすくて楽しい方が良い。
事実、彼の作品は、どれも本当に綺麗で簡単なメロディーです。だからといって、子供が歌うような曲ばかりでなく、その和音の構成が、こちらをどきどきさせるのです。

伊藤さん自身も非常にピアノの技術のある方ですから、連弾も、子供用でなければ、本当にオーケストラの演奏みたいな和音の構成です。しかも、すごく楽しそうに弾かれる。体中から音楽が大好きだと言っているみたいです。それを観ているだけでも楽しい。

それにしても、参加している人たちも、さすがに彼のおめがねに叶った人たちばかりで、皆、実力派ばかりでした。

後半は「キュウリに求婚」と言う合唱曲を小オペラに改訂された作品ですが、これがまた楽しい楽しい(笑)。たった4人とは思えないほど、和音とリズムの構成が、厚く聞こえます。だからといって、わーわー歌っているのではなくて、なんていうんでしょう・・・、40分近くある楽曲に飽きることが無いのですね。素晴らしい。

彼自身のテンションもすごく高くてお話も楽しかったですが、きっと体の中から音楽が湧き出てしょうがないのでしょうね。そんな感じの演奏会でした。私は俄然ファンになり、これからCDなり、集めなきゃ!次回の演奏会も是非、行きたいと思っています。皆さんも、お名前覚えていて下さいね。伊藤康英さんです。この才能はすごいですよ~!!!
[PR]

by kuniko_maekawa | 2006-09-02 21:21 | 観劇日誌 | Comments(0)