楽譜を読むと言うこと

今日はレチターレの稽古が有りました。
今回は、指揮者を二人お願いして音楽稽古を観ていただいているのですが、今日もまた面白い稽古になりました。

本日の稽古は須藤桂司氏。
彼とは本当に長い付き合いで、私がこの仕事をはじめたときから、何かとご一緒していて、同じ時代を同じ現場でそれぞれ叩かれて育ってきた、同士と言う感覚のある人です。

加えて、音楽的なこと、特に楽譜の解釈や読み方、作曲家との向き合い方などは、彼から学んだといっても過言ではありません。

昨年も、レチターレに入っていただき、本当に実りの多い稽古をしていただいたのですが、今年もお手伝いしていただけることになって、今日も沢山のことを教えていただきました。

さて、彼のアプローチは、まず楽譜をどれだけ歌い手が知っているかと言うことから始まります。

今日はドニゼッティの「ドン・パスクワーレ」のデュエットだったのですが、最初にあるレチタティーヴォ・セッコに関して、いきなり面白い質問が飛んでいました。

本来、セッコと言うのはハ長調が基本です。
なのに、このデュエットのセッコはいきなり、変ロ長調から始まる。これ自体が不思議なことなのですが、楽譜上はただ、音符にフラットやシャープが書かれているだけです。

このことについて、彼は歌い手に何調かと言うことを、我慢強く質問していました。
そして、ことあるごとに「これは学問を聞きたいのじゃない、客の耳に聴こえる音を質問しているんだ。」

わかりますか?
つまり、何調であろうと、どんなリズムであろうと、客の耳には音としてしか聞こえない。
しかし、作曲家はそれをフラットで聴かせたいし、シャープで聴かせたい。それが歌い手の方に、どれだけわかっているかと言うことなのです。

例えば、音楽表記に関しても同じです。
Allegro(アッレグロ)と書いてあれば、「陽気に」とか答えてしまいますが、じゃあ、客の耳に陽気に聞こえるようには、どう歌えばいいのか、どの明るさが必要なのか、どういう息遣いが必要なのか。そういう風に、万事質問していくのです。

今日稽古したSopさんは、これは全く付いていけず。
頭ではわかっているのですが、実際に、彼がつっこむほどには楽譜を自分で読み込んでないので、音としては取ってあっても、音楽としては創られていきません。何より、そういう息遣いにならない。そして、息が使えなければ、どんなによい声が出ても駄目なんです。と、言うことで、玉砕。

それにしても、レッスンのときに音楽表記や、速度のこと、楽譜の音符のことなど、出来る限り勉強していっているつもりではありますが、レッスンでもやったことでも答えられないことがあまりにも多いと、「お金捨ててる~」と悲しくなりますね(;;)。

しかし、それは頭で覚えることではなく、やはり、使って覚えていくことなんですね。
今日の稽古で、それがわかってくれると良いのですが。よしんば、わかったとしてもその後に使っていけるようにならないと、やはり無駄なことになってしまいます。難しい問題ですね。

それにしても、こう言う稽古が組めることはやはりありがたいです。須藤君を与えてくださって、神様に感謝。これだからこそ、レチターレは意味のある「場」だと、皆が気づいてくれると言いのですが・・・・。

歌い手さんだけで、初めての演目をやる時、やはり楽曲を読み込んでいき、歌いこんでいくことに、もう少し投資をすべきなのかも知れません。音が取れなければ、コレペティを頼み、楽曲がわからなければ、指揮者のレッスンを受ける。そして、稽古に立った最初の時から、音楽をうたっていく。声だけではどうにもならないことが、沢山あると言うことを、今回参加してくれた人たちにわかることが本当の目的かもしれませんね。

また報告します。こう、ご期待です!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-10-30 22:44 | レチターレ | Comments(0)

言葉の理由

今日はちょっと面白いレッスンをしました。

レッスンをした子はレチターレに参加するSopで、その演目を台詞読みしたのですが、今日は実際に一緒に組んでくれるBariton君にも参加してもらって、相手をしてもらいました。

リブレットを芝居の台詞のように読んで行く理由と言うのは、再三記事にしているように、もちろん、言葉を自分のイメージや感情と繋げやすくするためです。それと、音符にくっついている記号のようにならないためでもあります。

今日はその上に、もう一つ付加価値をつけました。
これは、今回のレチターレを機に私がこれから加えていこうと思っていることですが、言葉の理由をもつこと。

そんなの当たり前と言われそうですが、もちろん、理由無しに言葉は発せられません。
そこで、まずリブレットを勉強し、内容を理解し、そしてそこに自分なりの感情は入れていくわけです。

しかし、思いを入れて話せば話すほど、台詞はひどく不自然になってきます。わざと大げさだったり、躊躇するようなしゃべり方になったり、力が入ったり。

私達が通常会話をするときに、何か、そんな特別なことを意識して話すでしょうか?ないですよね。アニメの声優さんみたいな話し方。

ところが、歌い手さんたちも、seccoなどを歌ったりしゃべったりする時に、何かしなければ表現にならないと感じて、一生懸命しゃべることをやります。そこに不自然さが生まれてくるのです。

尚且つ、その話していることが自然に起こっている感情ではないと、動きも生まれてきません。

それで、今回はそこを絶対にクリアしようと思っているのです。
自然な感情とそれに伴う動き。
もちろん、内容は創らなければいけません。でも、言葉自体にしっかりとイメージがあれば、それをその感情で話したいと思えば良いのです。

もちろん、言うは易し行うは難しです。
今日レッスンした子も相手をしてくれた方も、頭ではわかっているのですが、方法が見つかりません。と言うより、自分の感情を「作る」と言う、今までの方法から抜け出せないでいるのです。

でも、私は諦めませんよ、今回は。
きっと自然な感情から生まれる言葉と動きがあるはず。それは、「話したい」と心が動けば良いことなのです。

今日のレッスンは、そうなるまでは至りませんでした。
でも、きっとこの二人とはこれからも長い付き合いになると思うので、気長に方法を見つけていこうと思います。

今回のレチターレは、そう言う意味では実験的です。
私だけが思っていることかもしれませんが、それでも、この表現の仕方が出来るようになれば、歌い手はもっと自由です。きっと。何より、お客様にもっと感じてもらうことが出来ると思うのです。映画や芝居を見たときみたいに。

またレッスンは報告します。明日は、レチターレの稽古。同じようにつついていきますよ。歌い手の可能性は、まだ発見されてないのです。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-10-26 22:48 | オペラ・レッスン | Comments(0)

お客様に対する責任

さて、16日から始まったレチターレの稽古、毎回、毎回、実りの多い時間を過ごしています。本当に、神様に守られてる感じ。

11月の初旬までは音楽稽古が中心ですから、先日の記事でも書きましたように、佐藤宏氏、須藤桂司氏、両指揮者によって、歌い手達はつつかれ、慌てふためいているわけですが(笑)、この両氏が共通していつもおっしゃることがあります。それは「お客に対しての責任」と言うこと。

これは、私も彼らの口から聴いて、改めてどきっとしているのですが、例えば、歌い手の声が良い響きでキープできないとする。これは、指摘されれば直ったりするわけで、そうなると、歌い手の意識が薄いと言うことになりますね。そう言うとき、彼らは必ずこういいます。「その声をお客に聞かせて、責任取れるの?」

これは、本当に大切な言葉です。
そう言う意味では、スタッフであっても、演奏者であっても、同じことが言えますね。私達が己を磨くのは、何よりもお金を出してきてくださるお客様に対して、どれだけのことが提供できるのか、どれだけ楽しんでもらえるのか、これに尽きます。作る側の「責任」です。まさに。

先日のレチターレの稽古で、一人の参加者が、あまりにも甘い勉強の仕方で稽古場のテンションを一気に落としてしまいました。
終わってから、一日経って、この「責任」に付いて、改めて私の意見を伝え、次回の稽古には絶対に、ちゃんと挽回してくると言っていました。気づいてくれたのなら、頑張ってくると思います。

レチターレは、自分達で音楽と舞台を創ると言うプロセスもそうですが、それがお客様に対してどれくらいの「責任」を自分が架されているのかと言うことを経験するのも、目的です。そうやって、責任を果たすことで育っていくのですね。それが、お客様に育ててもらうと言うことだと思っています。

それにしても、今回、佐藤、須藤氏に入っていただいて本当に良かったです。
これは、私の夢に描いていた形で、予算があれば、もっと、もっと、彼らと関わりたかったところですが、これだけが機会ではありません。絶対にまた、機会を作って、歌い手達を育ててもらいたいです。

さて、レチターレはまだ始まったばかり。12月まで気を抜かずに頑張りますよ!絶対に、楽しい公演になります。皆さん、是非、足を運んでくださいね!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2006-10-22 22:36 | レチターレ | Comments(0)

ザルツブルグ音楽祭ガラコンサート

先日の芸術劇場で、今年のザルツブルグ音楽祭の模様を特集していました。
「音楽の友」も10月号はその情報が満載でしたから、お読みになったり、TVをご覧になった方もいらっしゃいますね、きっと。

今年はモーツアルト・イヤーですから、すべての演目がモーツアルト。劇場も改築して、ザルツの街がモーツアルト一色だったそうです。当然、オペラも話題のものが沢山。

その中で、アーノンクールが振った「フィガロの結婚」が興味をそそりました。
原作には無い一人の天使を出演させ、この天使が、感情がアグレッシブになると活気を持ち始めるのだそうです。つまり、嫉妬、情欲、偽り、怒り、こう言う感情に反応する。逆に、本来天使のイメージである、愛や優しさの場面になると、活気をなくしてしょぼくれてしまうのだそうです。これが、アーノンクールの音楽とぴったり合っていて、最高の出来だったようです。

TVでは、ほんの少しの紹介ですから良くわかりませんが、これはちょっと観て見たい気もしました。最近は、本当に演劇的要素を沢山含んだオペラ演出が多いです。本来、オーソドックス派の私ではありますが、センスがよければ、OK。元々ある楽譜を改ざんしてまで作りたいものがあるなら、ちゃんと魅せてみろって感じです(笑)。

さて、歌い手も、そう言う意味では、本当に色んな要素を必要とされていきます。
これは、その情報コーナーが終わった後に放送された、ガラコンサートに如実に現れていました。

このコンサートも、演目はオール・モーツアルト。
私は好きなので楽しめましたが、演目は有名なものよりも、あまり歌われないものの方が多かったかもしれません。

しかし、どの歌い手も、まず表情が恐ろしくあります。「過多」気味、と思うくらい。
最近は、あまりスター歌手もいなくなりましたから、名前も、あまり聴いたことが無いような人ばかり。ヨーロッパでは有名なのかもしれませんが、特に食指をそそられる歌手の名前はありません。

声を聴いても、おお!と思う感じもない。どの歌い手も一律に見えます。
だからこそ、歌手達のアピールがすごくエネルギッシュで、刺激があります。

表情もさることながら、場面の中のアリアとしても成立しています。まるで朗読をしているよう。
顔中、体中使って、楽曲を表現しようとしているのが、すごくわかりました。

なんていうのでしょうかね。
例えば、パヴァロッティなら、彼が歌うだけで良いや、ってお客が納得していることを、本人もわかっていて、「パヴァロッティが歌っている」と言う感じに楽曲を歌って見せるのですが、このガラコンサートに出演した人たちは、皆、楽曲を表現することに集中しているように観えたのです。

声は、TVですからわかりませんが、言葉の扱い方はダイレクトに聴こえてきますから、歌い手達の中で役として言葉を発しているのがわかりました。ふ~ん、すごい!

今は、歌い手そのものの力にも増して、演出の醍醐味を要求されます。
昔のように、声だけあればよかった、と言うことにはなりません。奇抜な演出もありますし、特に、ドイツやフランスではその要素は必須条件です。歌い手達の身体能力も、ぎりぎりの可能性を表現しているのでしょうね。

ルネ・ペーパと言う人が「Don・giovanni」のレポレッロのアリア「カタログの歌」を歌っていましたが、この人、すごく好きでした。声は全くバスでしたが、見事に唇がかぶらない。一つ一つの単語の形になっています。だから、表情が自然。TVはアップ仕様ですから、こう言うとき良いですよね(^^)。ちょっと強面のレポレッロでしたが、フィガロなど歌わせたら、いいだろうな~と感激。

こう言うはっきりした発語と表情が、ほとんどの歌手の方にありました。こう言う時代なんだと認識。一人、トマス・ハンプソンだけが、往年の名残のように、ほっぺたを膨らませて、口をパクパクさせて歌っていましたが、逆に、目立ってましたね。私が嫌いなだけだろうとも思いますが、はははは・・・(^^;)

ガラ・コンサートは美味しいとこ取りという感じで、楽しくて好きです。
一応プロが歌うなら、何を評価しても、こちらの勝手でしょっなんて、好き勝手に話しています。それにしても、時代は変わり始めてますね。日本の歌い手さんにも、これから大いに期待、大、です!
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by kuniko_maekawa | 2006-10-18 13:05 | 歌手 | Comments(0)

レチターレ第二回公演、稽古開始!

始まりました!
今日から12月4日の本番まで一月半、10演目を音楽稽古、立ち稽古とこなしていきます。稽古回数にすれば、30回あまり。一人一人の稽古回数は少ないにしても、普通のオペラ公演と同じ稽古回数です。気持ちが引き締まりますね。(^^)

今年のレチターレのコンセプトは「モチベーション」。つまり、「理由」です。

新着情報でもお知らせしているように、公演のお題は「言葉の行方」。
これは、単純に言えば、各演目の持っている内容を、どうやって伝えていくのかと言うことではありますが、「言葉」と題打ったのなら、当然、伝えるべき理由があるはず。これを沢山探して行こうと思っているのです。

そう言う意味では、今年は昨年よりも、歌うことに集中できるようにしようと思っています。
構成舞台ではありますが、台詞自体は一人の語り部が語り、歌い手達にはとにかく歌ってもらう。さて、どれだけ、歌い手達は「理由」を見つけることが出来るでしょうかね?

今日は、第一回目の音楽稽古でした。
指揮者の佐藤宏氏が入ってくださり、ロッシーニの「チェネレントラ」の稽古。

佐藤さんは、藤原歌劇団の育成部(研究生機関です)で、今ご一緒している方ですが、私がアシスタントで仕事をし始めた時からずっと一緒で、最近は演出家としても、時々声を掛けていただいてご一緒しているので、彼に育てていただいたといっても過言ではないです。音楽的なこと、歌い手の指導、ほとんど彼から勝手に盗ませてもらったものばかり(^^;)。今回彼をレチターレにお願いしたのには、もちろん、訳があります。

佐藤さんは、常に劇場のサイズで歌い手の声と内容を聴いてくださいます。
つまり、オペラ歌手として、劇場で仕事をするために、何が必要かを教えてくださるのです。これは、研究生の授業でもそうで、音楽的なこともそうですが、何よりも、そのもち声をどう使うかを指摘してくださるのです。

皆さんは指揮者が、歌い手の声のことに付いて、発言すると言うことが不思議なこともあるかもしれませんね。けれど、オペラの場合は、声も楽器の一つです。歌い手の歌が聞こえなければ、言葉が伝わりません、その感覚を持って、音楽を作ってらっしゃるので、いつも、そう言うコメントをしてくださるだと思います。私は、これを本当に大切に感じているのです。
もちろん、音楽的な要素も比重は高いです。その両方を見てくださる方は、中々いないのですね。

今日も、本当に実の多い稽古となりました。
一人Sopを歌っている子が、良い声を持っているのですが、なぜかいつも、頬骨が落ちて、口を下に開けて歌います。これが、余計な力を産み、声帯も良く腫らしていました。

しかし、可能性は大いにあります。絶対に佐藤さんに聴いていただきたいと思っており、今日、それが叶いました。
丁寧に観ていただき、響きを落とさないようにして、声を出していけば、本当に良い声。びっくりします。

今は、声楽的なことは、本人の習っている先生を否定することもあるので、中々指摘することも出来ませんが、それでも歌い手になるのに、何が必要か、そこだけを中心にきちんとしたことを指摘してくださる。貴重な存在です。何より、これが劇場で歌うために必要なことですから、なお更です。

さて、良い弾みが出来ました。
これからの一月半、とにかく楽しく実りの多い稽古をしようと思っています。随時、ブログでも紹介していきますね。お楽しみに!そして、どうぞ、12月4日、角筈区民ホールに足を運んでください。結果はとにかく劇場で!(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2006-10-16 21:34 | レチターレ | Comments(0)

台詞読み編

とは言いながら、前にも書いたかもしれません。ブログも2年目になると、記事のネタも重なってくるというもの。もしや、覚えていたなら、お許しくださいね。(^^;)

さて、本日はリブレットを台詞にするというレッスンをしました。
作品を勉強する時、プロセスとして、必ずやることなんですが、まず最初に演目を持ってきて、やることは、リブレットを読むこと。これは、単純にイタリア語の文章を訳して、内容を解釈するということですね。それと、一緒に、楽譜の中の音楽記号や音楽表記を探していって、これも解釈していきます。楽譜の背景を可能な限り、見つけていく。

それが終わったら、実地に入るのですが、有効なプロセスの一環として、台詞読みをします。
文字通り、リブレットを感情を入れて、読む。その際、楽譜の音符は関係なく、芝居の台詞として成立させます。

ただし、その台詞を読むのに、いわゆる台本では無く、楽譜を見ながら読むということをやっていただきます。つまり、楽譜を見ながら、歌詞を台詞に直していくというもの。

何故、こんなことをするかと言うと、基本的に、歌い手は楽譜の音符に付いている文章を言葉にしていく必要があります。台本の言葉だと、文章が綺麗に並んでいて、読みやすいのですが、楽譜になると、途端に音符読みしてしまい、アクセントなどがめちゃくちゃになります。
ですから、敢えて、楽譜を見ながら読んでもらうのです。

今日も、そうやって読んでもらっていたところ、まあ、見事に音符読み。
歌っている音符の高さで、アクセントをつけています。これでは、まったく棒読み。
それを指摘しながら、段々に感情を載せていく。そうすると、その子の表情がまず、付いてきます。それから、息が使えるようになる。

そして、歌詞を読むという作業をしていることに慣れると、丁寧に単語を構築していませんから、早口になることもわかりました。なるほど・・・。これは怪我の巧妙(笑)。

私が最近課題にしていることは、歌い手達の身体能力をどこまで出せるかと言うこと。
もちろん、個人差もありますが、それでも、それぞれが多分、持っている能力は、使ってない部分がほとんどだと思います。それを、どうにかして、表に出したい。

人に見せる体にしたいのですね。
そのためのモチベーションをどこに持つか。やはり、言葉。これに限ると思うのです。

今日レッスンした子も、自分が言葉を扱いだした時に、感じる開放感には気づいたみたいでした。これが、次に繋がるといいのですが。

ちなみに、この先有効なプロセスとしては、リズム読みです。
文字通り、音符どおりに言葉を付けることですが、その際大切なことは、イタリア語のアクセントと、ニュアンスと、音楽表記を同時に入れていくこと。

つまり、歌わないで、音楽を創ることです。そう言う作業をして、初めて声にしてみると、明らかに発語が意識されてきます。皆さんも、どうぞ、試してみてください。そして、開放感を感じたら、それは結構いけるという証拠です!(笑)
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by kuniko_maekawa | 2006-10-11 04:48 | オペラ・レッスン | Comments(0)

稽古場VOL5「セヴィリアの理髪師」最終日

昨日、「稽古場」の三回目の稽古をしました。
本当は、今日までの予定であったのですが、参加者の諸事情により、急遽打ち切り。演目はロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の7番のデュエット。

一回目は台詞のみで芝居を作り、二回目はsecco部分を音楽稽古。そして、昨日は楽曲の部分を中心に音楽稽古をしました。

参加してくださったのは、藤原歌劇団準団員の松田麻美ちゃんと押川浩士君。
前回の記事にも書きましたが、本当に、この二人の才能にはびっくりします。特に、押川君。
いや~、歌います。本当に良く歌います。
ロッシーニには、アジリタと言う、早いパッセージの部分が随所に出てきます。これが、見事にすべての音が聴こえてきます。しかも、その早い部分にも言葉と言うものはありますから、それをちゃんとした単語や文章で捉えてくれる。元々、艶のある良い響きの声を持っていますから、どんなに早いパッセージでも、言葉が呪文のようになりません。すごい~・・・!

この人は、VOL3の「Don・Giovanni」の時でもそうでしたが、「面白い!」と言うスイッチが入ると、俄然、心と体が開いてきて、こちらが予測不可能な能力がどんどん出てきます。まさに、才能の宝庫!びっくりです。

対する松田麻美ちゃんは、今回も、「リゴレット」同様、彼女の元々のレパートリーではありません。メゾの曲ですしね。しかし、感性の豊かさと芝居の感覚は相変わらず、鋭いです。
この人の特色として、そういった感性が「熟している」ということがあります。

ブッファのものを演じる落とし穴は、とかくメルヘンチック、漫画チックになってしまうこと。
内容自体が深くないものも多いので、つい、コメディアデラルテのコロンビーナみたいな感覚で作ってしまいますが、彼女には、それプラス、ブラックな資質があります。これが、最高に面白いです。それこそ、予測できない。一癖も二癖もありそうって言う、ロジーナが出来上がります。

しかし、これは彼女の経験とか知識もさることながら、言葉の捉え方が豊かだから起こりえることです。「裏を読む」と言う言葉を良く使いますが、それは、相当に頭が良く、言葉の感覚の引き出しを一杯持ってないと出来ません。役者でもそうですね。この感性が、彼女にあるのです。素晴らしい!

もちろん、これに加えて歌唱の妙もありますから、この二人で音楽を作っていくと、今まで気づかなかったことが、沢山見えてきますね。

そして、今回は大活躍のピアニスト、田村ルリちゃん。
彼女は、本当に面白い感性を持っています。もちろん、ピアノの音色自体も、豊かではっきりしていて好きなのですが、それ以上に、イメージの膨らみが、相当刺激を受けます。

通常、「稽古場」の稽古は、私が主となり、感じたことを勝手にしゃべっていきます。そうですね、議長のようなものですね。
それを歌い手達や、ピアニストがイメージをそれぞれ受け取って、膨らませていくのですが、ルリちゃんとやっていると、私の横で、黙って楽譜を観ているかと思うと、ぱっとイメージが膨らんだ瞬間に「今、感じたんだけど・・・」といいながら、彼女の思ったことをまったく主観的に、言葉にしたり、音にして見せてくれます。それを、聴きながら、またもや私達も「あ~、だから、そうなんだ~」と、その部分を音楽的に試してみる。そして、立ち稽古に発展させる。これが、かなり刺激的。

今回は、このイメージの受け渡しが、本当に面白かったです。

ロッシーニは、ご存知の方もいらっしゃるかと思うのですが、音楽がとても、楽しくて愉快。綺麗な音形も多いですよね。
しかし、この楽しさや、愉快さにあまり意味づけを感じられずに、私などは困ってしまっていました。

本来、深く理由を掘り下げて作りたいタイプでもあり、音楽的にも、そう感じるものの方が得意である私です。
ロッシーニ、ドニゼッティはそう言う意味で苦手だと思ってました。

しかし、昨日の稽古で、楽曲をイメージ合戦していた時、ふと、オケが随分身勝手に動いているのだな、と気づきました。

例えば、ロジーナが最初にアジリタを歌いますが、それに付けていたかと思うと、ふと、フィガロの歌いだしに合わせて、簡単に方向が変わる感じがする。
文章にするとわかりづらいのですが、変わり身を感じるのです。

それを口に出して話しているときに、ルリちゃんが、「オケを引いていると、役に付いて変わるときに、お客を引っ張っていく感じがする。だから、お客をいつも、驚かせたり、裏切ったりする。そう言う意味では、随分、お客に対してサービスしている感じがする」と言い出しました。

おおお~!それって言いえてるかも。
この楽曲の内容は、ロジーナとフィガロが、どちらがイニシアチブを取るかと言うものであり、その腹の探り合いが面白いのですが、オケはそれぞれのパーツに簡単に付いていって、いきなりロッシーニクレシェンドをして、二人を濁したり、お客の予想を良い意味で裏切っていくのです。
そうかと思えば、ここは、みんなで楽しみましょう~、といわんばかりに、デュエットの絡みになると、歌い手とオケの3者三様で、楽曲が盛り上がってくる。まるで、宝塚の鈴を振ってるカーテンコールみたいです。面白い~!!!

ロッシーニが作曲を始めたころ、オペラはサロンや晩餐会の出し物でした。
作曲の代償として、彼らは食事にありつくことができた。面白くなければ、客はすぐに幕を降ろさせたでしょうね。
客をどれだけ、飽きさせず、面白がらせるかが、その日の食事と引き換えだったわけで、かなりの切迫感はあったのでしょう。必死でエンターテナーになりうるしかなかったわけです。

こういったことは、本当に試してみないとわかりません。
私にしても、アシスタントをしていたとしても、今あるオペラの作品に、どれだけ関わることが出来るでしょうか。「稽古場」を始めて本当に良かったと、昨日もつくづく思いました。

それにしても、毎回、思うのですが、こんなことを続けていられるのも、参加してくれる人がいるから。しかも、みんな本当に才能があります。感謝しています。

この先、もっと、この形を広げていけたら、どんなにいいか。
来年からは、「稽古場」を、もう一段階外側に広げようと思っています。今年は二回も出来ました。来年は、三回、四回。歌い手を変えて、作品を変えて、作って行きたいと思います。とにかく、至福の時間でありました!
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by kuniko_maekawa | 2006-10-04 15:12 | 稽古場 | Comments(0)