通し稽古

「オペラのブログ」は久しぶりの更新ですね。
愚痴を吐いたまま、ほったらかしにしてました。はははは・・・・(^^;)。

さて、なんだかんだ言って、通し稽古となりました。
前回愚痴を書いてから、私のこだわりは、お客のためのこだわりとなり、そこからの自分のスタンスは、おかげさまでしっかりしています。
やっぱ、エンターテーメントと言うものに関わる時、個人のこだわりなど、ちっちゃいものなのですよね。

そうは言っても、悩むことは沢山あります。

私は作品を作るとき、まず段取りを渡してしまったらば、一回流れを見るために通してみます。
しかしその通しは、本当に流れを見るためで、その後、各場面を細かく作っていきます。

その作業が私に取っては本当に大切ですし、大変です。
場面自体が少なければまだいいのですが、場面が多くなるとやはりそれだけの時間が掛かります。

相手の力量にもよります。
これが、本当に良い歌い手とやっていると、問題はさほどありません。しかし、力量のない歌い手、あるいは学生となると、そう簡単にはいきませんから、3時間の稽古を使っても、その場面を全部稽古できないことがあります。

研究生も力量自体はありませんから、ひどく時間が掛かります。
それでも、頑張って3時間で二場面は見るようにしているのですが、これに加えて、授業の時間枠が本当に足らない。

役は、皆、ダブルで組んでありますから、倍かかるわけです。
それで、自主稽古と言って、自分達で教室を取り、集まる稽古をするわけですが、それを入れても足らない。

結局は、まったく細かくせずに通し稽古に出したりします。

今回も、そうなっています。
一応、授業で私が稽古をしている裏番組で、指揮者がずっと音楽を中心に稽古をしてますから、段々によくなって来ているのも事実。

しかし、解釈と言うものは伝わっていませんから、そこを調整するのにまたもや時間が・・・。

しかも、私が一回は細かくしても、それがうまく行くかどうかは別。人間相手のことですからね。

と、言うわけで、日にちで切って進めていかないと、いつまでも細かいことにこだわっていても、先に進まないと言うことになります。

それで、今日は「とりあえず通して見る稽古」(笑)。

そこで出来てないところをピックアップして返し稽古をしていきます。

春はそこまで来ている感じなんですが、まだ見えてきません。ここから先は、激を飛ばしつつ、皆を一番良い状態で舞台に乗せるのみ。頑張ります!!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-02-27 10:26 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

愚痴です・・・・(;;)

なんて、いきなりオペラのブログに書くべきものでもないのですが、ちょっとへこんでいるのです。

今は3月10日の藤原歌劇団育成部修了公演のための作品作りをしている最中。

研究生の場合は学校ですから、一応「稽古」ではなく、「授業」。
週に2回、3時間の授業の枠で二組を作っていきます。昼公演、夜公演とあるからです。

作品は、何回も書いていますが、チマローザの「秘密の結婚」。
本番まで、後ひと月を切りました。

稽古は段々佳境に入ってきます。
立ち稽古は1月の最初の授業から始まりましたが、何とか2月の頭までで、全部の段取りは渡しました。
しかし、渡しただけで本番に乗せれるわけではないので、一つ一つの場面を細かく作っていく作業に入っています。

しかし、ここに到って、時間との戦いに辟易しています。

足りません。明らかに・・・・。
そりゃそうですよね。相手は研究生。すぐに色んなことが出来るわけがなく、加えて、これは彼らの授業ですから、学んでいくことも大切。

しかし、この公演は売り公演で、お客様は2000円なりのお金を払ってご覧になる。

胃が痛いです(;;)。

研究生達は本当に頑張っており、一生懸命やっています。これにも、何とか答えたい。
女のこの多い、オペラの世界ですから、足らない声部は助演が入ります。
彼らもそれぞれに、力量を持っていて、期待できる人たち。彼らだから作れる役でもあります。

そして、私自身も、この作品にあるヴィジョンがあって、きちんと絵が見えている。それを形にする方法もわかっている。

しかし・・・しかし・・・・ああ!なんたること!稽古をする日にちが足りません!足らなさ過ぎる!

もう、ほとんど泣きそうです。
私が今とろうと思っている方法は、助演にも、研究生にも良く、尚且つ、この作品を絵にするのに一番良い方法なのに、それを丁寧に作っていく時間がありません。口惜しいよ~!!!

ま・・・しょうがないです。これが、学校と言うもの。
自主稽古も含めて、作っていっても出来上がらないと思います。

あ、誤解のないように。公演としては成り立ちます。もちろん、良い舞台を創るつもりです。
それは、私のこだわりを捨てれば、あっという間に出来上がります。そういう形も知っています。

でもね・・・。この作品だから出来る形だと思ったんです・・・私のやりたかったこと・・・・。
やってみたかったこと・・・・。ううううう・・・(;;)

このことばかり考えて、ほとんど毎日鬱ってます・・・。
だってさ、私、そんなに一本演出する機会もないしさ・・・・。

と、言うことで、こだわりは捨てて、出来ることをやるのみですね。演出家がこだわると、ろくなことはありませんから。

これを読んでいる研究生の皆さん、君らは本当に良くやっている。悲しい思いも、楽しい思いしながら、頑張っている。先生はひそかに喜んで、授業を楽しんでいるのだよ。だから、もう一分張り頑張ろうね!きっと良い舞台作るからね!

私のやりたかったことは、また自分で機会を探します。欲が出ると本来の目的を忘れます。
大切なことは、一緒に舞台を創っている研究生たちが、どれだけ宝物を拾えるかなんです。

是非、本番観に来てください。彼らは本当にすごいパワーを持っているのです。私のへぼな演出を、それ以上に楽しく見せてくれる可能性を持っています。会場へお越しの際は、絶対に損はさせませんから!

愚痴は愚痴。がんばりまっす!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-02-16 22:01 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

発語をする意識

さて、レチターレが終わり、それぞれがまた新しい楽曲に取り組むことになりましたので、最近のレッスンは地味に机上での作業です。

中には試験やオーディションのために、歌唱レッスンをする人もいますが、往々にしても問題になるのは、やはり発語のこと。

内容を解釈し、吟味したところで表現として言葉をどう扱うか、いつも問題はそこです。これは永遠オペラをやり続けていく限り、持ち続けていかなければいけない問題ですが。

私と一緒にオペラを創る経験をしてくださった歌手の方達には、少しながらこのことをわかっていただいて、お稽古をします。

レッスンでもやはりそこに重点を起きたくて、今年からは特に丁寧にそのことに関わっています。

受け手のほうもそこが必要と言うのは理解していただいているので、まず、リブレットを読み内容を解釈すると、次に台詞として台本を扱い、これをリズム読みする。ここまでの作業を流すことなく、ちゃんとやることにしています。

しかし、台詞まではなんとか形になっても、やはり詰まるのはリズム読み。

これは、楽譜どおりに台詞を読むという作業。
何故推奨しているかというと、台詞として読めた言葉が、実際に歌うとただの音符に返信するからです。

問題は色々です。
まず、歌い手は「声」だと言う認識が、歌うほうにも聴く方にもあること。
もちろん、それは正しいです。
声がなければ、歌い手としては成立しません。
しかし、声があるから成立するとは限りません。なぜなら、そこには「言葉」があるからです。

この瞬間に、声は言葉を伝える道具であるとわかります。
では、どうやって伝えるか。
これが「声を使う」と言うことですよね。それが出来て、初めて歌い手は「歌える」と評価される。

この認識が無い人が恐ろしく多いです。
ですから、歌いだした途端に言葉は音符に同化され、ただ「声を聴かせるため」にある旋律になります。意味の無いこと。

それを意識するために、リズム読みをやります。

この時大切なことは、イタリア語ならイタリア語のアクセントどおりに読むこと。

旋律として扱うと、そのアクセントのところが長い音符だったり、付点で言葉が刻まれたり、中々言葉として意識できる要素が少なくなります。

しかし、その長い音符もイタリア語のアクセントの感覚で読みます。そうすることによって、母音の長さや、フレーズ感が意識できるのです。

先日もあるクライアントさんとリズム読みをしてましたらば、どうしても、長母音のアクセントと長い音符の区別が付きません。例えば、台詞ではきちんと読めても、音符読みすると、途端に棒読みになってしまう。音符に捕らわれていて、アクセントに感情を込めることが出来なくなっています。これが如実に語っていますね。

彼女は自分のその感覚に気づいてくれましたから、これからの努力で、少し変わるかもしれませんが、彼女だけの問題ではありません。歌い手さんが、どれだけ発語をしていくかと言う意識レベルをもてるかどうかで、付加価値がまったく違うと言うことなんです。

これを解消する良い方法の一つに、発声練習を言葉ですると言うことがあります。

これは皆さんに推奨しているのですが、例えば、どんなパッセージでもよいので、一つ作って、それを「Il mio signore」とか「Tante amore」とか「Bella luna」とか、何でもよいので、言葉にして発声します。

AとかMaとか決まった音で発声していると、その時は良くても、結局は声を出すことのみに終始して、音楽としての音の捉え方も意識されなくなります。音を出した瞬間から、それが音楽だと認識して欲しいのですね。

一度、皆さんもお試しください。
声は使うためにあるのです。それは、お客様に言葉を伝えることだけ。それが歌い手の仕事ですから。(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-02-12 11:39 | オペラ・レッスン | Comments(2)

経験を積むことの意味

色んな現場で色んな歌い手を見るに付け、その人たちの「経験」と言うものの捉え方に、その歌い手の資質を感じます。

「経験」を広辞苑で引くと、こんなことが書いてあります。
<人間が外界との相互作用の仮定を意識化し、自分のものとすること。人間のあらゆる個人的社会的実践を含むが、人間が外界を変革すると共に、自己自身を変化させる活動が基本的なもの>

他にもこう言うことも・・・
<何事かに直接ぶつかる場合、それが何らかの意味で自己を豊かにすると言う意味合いを含むこと>

良きことが書いてありますね。まさに、この通り。
つまり、様々な場所や人と共に、己を変革させて豊かにさせるということですよね。
私も、これは「経験」だろうと思っています。「相互作用」の結果。

しかし、目の前にある現状はそうとも言えないみたいです。
例えば、自分のやりやすいようにしか、稽古場を成立させられない人。
多分、こう言う人は、どこの稽古場に行っても、自分以外の人達を疑い、結果的には、受け入れないと言うことでしょうが、この人の過程を見ていると、受け入れたところだけよくなっていきます。例えば、声とか、語学とか。そこは扉を開けているのでしょうね。そう言う意味では相互作用の結果が良く見える人かもしれません。

それから、なんでもかんでも仕事とあらば引き受けて、稽古場を重ねている人。
これは、周りも間違いやすいことですが、沢山、稽古場に行けば、「経験」が積み重なるかと言うと、そんなことはありません。
私の周りにも、忙しい人は多々ありますが、その忙しさの中の稽古場でお会いしても、対して変化は見られません。もちろん、出来てくるものはあるのですが、それは「方法」を知っただけ。残念ながら、ご本人達もわかってない様子。方法を知ることと、経験を積むことは違うことです。

プロといわれる人たちには、メソッドが必要です。
研究生のように、一々手取り足取り言われるわけではありませんから、なんとか形に表さなければいけませんから、こうすれば、こう見えるということを、先輩歌い手などから学んでいくわけですね。それは非常に結構。やはり、皆が職人である場合、技は必要でしょう。

しかし、それで稽古場が通ってしまうと、それを使うことばかりになって、実は、ちゃんと中身を成立させるという勉強や知識を得ることが忘れ去られていきます。

沢山の稽古場で覚えた簡単なやり方は、真実を隠してしまうことがあります。
つまり、目で見えたものが出来ているように見えれば、文句も言われないということですが、これが、器用貧乏といわれる人たちで、こちらもプロだと思ってますから、内容自体がわかって無くても、学生のように、多くは言えないのが現状。

その「言われない現状」を「出来ている」と勘違いして、そのままメソッドだけで沢山の仕事をこなしているのが「忙しい歌い手」です。

こうなれば、いっぱしの歌い手だとみなして良いのでしょうが、大学や研究生の時には、掛け値無く内容に取り組んでいた教え子達が、段々に、こうやって「大人の歌い手」になっていくのを稽古場で感じるのは、どうにも心が痛いです。

しかし、気づかなければそれまでですから、一緒にやれないと思えば、結局は離れるしかありません。もっとも、この世界、同じ現場になることなど、何年かに一回あれば不思議と言う世界ですから、離れたと自分では認識しても、周りはわからないことは常ですけれど(笑)。

しかし、こう言うときの孤独感は、並大抵ではないですが、同じ稽古場にいる、大人の歌い手の中にも、まだ意識レベルを外側に持って、伸びて行きたいと思っている人はいますから、そう言う人を見つけて作品を作っていく。それは大きな喜びですよね。

私は、本当に真摯に自分と向き合って、オペラを愛していて、誰のためでもなく、お客様のために、素材となりきる歌い手をずっと探しています。そして、出来れば、そう言う歌い手とだけ、公演を作りたいと願っています。

実は、これも、これから私が成し遂げようと思っていることで、本当の意味での真摯な歌い手を、探していこうと思っています。そして、その人たちと話をして、公演を打っていく。
どんなことでもお互いを向き合って、稽古場を成立させられる歌い手。少なくとも、自分を楽器だと認識できる人と一緒にやりたいと願っています。

そうすれば、夢の舞台が出来ますよ。それこそ、世界中、どこにも無いかも知れません。絶対に成し遂げます。乞うご期待!です!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2007-02-02 12:29 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)