テアトル・エコー「エリック&ノーマン」

昨日は久しぶりにお芝居を観にいきました。
テアトル・エコーと言う劇団の「エリック&ノーマン~Cash on Delivery」。

この劇団は昔からある劇団で、声優の熊倉一雄さん(ヒッチコックの声の人です)がいらっしゃる劇団。

たまたまお誘いいただいて、何も知らずに観にいったのですが、すごく面白かったんです、これが!

「エリック&ノーマン」は原題「Cash on Delivery」。マイケル・クーニーと言う、イギリスの劇作家の戯曲です。

2年前に失業したエリックが、たまたま昔住んでいた間借り人の社会保障手当てを受け取り、そのままずっと架空の住人を創作して、保障手当てを受けて生活してきました。
しかし、あの手この手でせしめた給付金が、今や莫大な額に昇り、怖気づいたエリックは、手当てを打ち切るために、でっち上げた人物を一人ずつ抹殺していくという計画をします。

もちろん、本当に殺すわけではなく、「死んだ」と言う話をまたもやでっち上げようとするのですが、そこへあまりに一つの住所で受取額が多いため、社会保障省の調査員が現れ、しかも、今の間借り人ノーマンと鉢合わせしてしまいます。

実は、ノーマンにも架空の家族を作って、保障をもらっていたエリックは、彼を巻き込み、なんとか調査員を返そうとするのですが、そこに、彼の妻、妻が連れてきた精神科医、エリックの詐欺のパートナー、ジョージおじさん等、さまざまな人たちがあわられて、余計に話をややこしくしていき、最後にはにっちもさっちも行かなくなったエリックがすべてを暴露しておしまい。ハッピーエンドが用意されています。

これはいわゆる「ドア芝居」と言って、一つの家の中に、何人もの人たちが入ってきては、主人公に問題を投げつけ、主人公がその人物をとにかく、一つの部屋に押し込むと、また違うドアから違う人物が入ってきて、問題を投げつけるというもの。本来あってはいけないもの同士が、ドアの開閉によってニアミスすると言う、ハラドキ感がたまりません。

しかし、台本自体が本当に良く出来ている本で、まさにこのニアミスが細部にわたって、生かされて、まるで役者のアドリブじゃないの?っていうくらい、生きた台詞になっています。

アドリブじゃないかどうかは、その後しばらくして、そこで喋った言葉から、違う問題が起こるのでわかるのです。まるで網だくじを引いてみるみたいで、良く出来ています。

それに、役者さんも、本当にきっちりと芝居をしていました。
若い人も、ベテランも、誰も突出して来ません。どの役の人も、一生懸命真面目に喋っています。

これはオペラでもなんでもそうですが、コメディと言うものは、笑わそうと思っても無駄なんです。

だって、パニックして大真面目にそれを取り繕うということをやるから、端からみたら奇行に見える。へんな言葉を口走ったり、変な行動になったり。これがおかしいんですよね。

エコーの役者さんは、みんなこれがきちんと出来ていました。
だから、詐欺がばれそうになるたびに、色んな理由を出してきて、エリックとノーマンが言い訳を作るのですが、その言い訳をしているときよりも、言い訳をして相手がそれを信じた後の方がリアクションが可笑しいんです。「なんで言っちゃったんだよ~」って言う(笑)。

それにしても、久しぶりに何にも考えずに笑いました。お腹のそこから。

変なバラエティ番組を見るよりも、数段笑えました。

役者さんたちは、決して皆さんがうまいと言うわけではありません。
正直、変な間みたいなものも沢山ありましたが、とても好感を持ったのは、余計な事をやらずに、とにかくきちっと台詞を喋ることに集中して、動きが出来上がっているからです。

エコーは声優さんとして仕事をしている人も多い劇団です。声と言うものの効力を知っている劇団のような気がします。

それにしても、同じ声を扱いながら、こんなにもアピールの仕方が違うのかと、やはりオペラとの違いを考えますが、私の中では、今は芝居の方に軍配が上がります。

少なくとも、身体を使うことを余儀なくされる役者さんは、自分の可能性を精一杯舞台に出してくると思うからです。

もちろん、歌い手は歌を歌うことが必要です。良い声を持つことが必要。
しかし、それを守るために、他の可能性を殺してしまうことが多過ぎる嫌いがあります。

周りの環境もそうですから、誰も不思議と思わない。お客様さえも時々そうです。

先日も、ある演奏会に行ったのですが、そこでの2時間、やはり聴こえてきたのは「声」だけでした。本当に聴きたいものは音楽なんですが・・・・。

芝居の台本、作曲家の作った音楽。どちらも同じテンションがあると、思っています。
例え、動こうが、動くまいが、同じ感覚をやる方が持てると、オペラも変わってくると思うのですが。

でも、たまにはお芝居に足を運ぶべきですね。
同じ世界にずっといると、そこだけで自分も安心して慣れて行ってしまいますが、それが実は一番怖いことだと認識しました。少しずつお金の配分もしながら、出来るだけ芝居の時間を増やそうと思います。

良質な芝居に出会うかどうかは、行って見ないとわかりませんが、反面教師的に、変な舞台にお金を出すことも大切なことでしょうから、とにかく行くことが勉強です。それも認識した舞台でありました(^^)
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by kuniko_maekawa | 2007-04-23 14:05 | 観劇日誌 | Comments(2)

嬉しいこと

気がつけば4月も中旬。後二月もすれば1年が半年終わったことになります。あっという間ですね。

さて、嬉しいことが二つ。

一つは、今月末の本番のために、ずっとトレーナー作業を続けているクライアントさんが、その公演の稽古場で、演出家から成果を認められたこと。

と、言っても、レッスンを始める前が何もなかったわけですから、比較対象としてのレベルはともかく、少なくともある方向性が見えたと言われたことは良かったと思いました。

「君はもっと可能性が広がるのじゃないか」と言われてきたらしく、本人も大喜びでメールをくれました。昨日から、また更に先に進むために、もう一段階レベルを上げて次の稽古に挑みます。

もう一つは、1年くらい一緒に勉強しているクライアントさんが、ある団体の公演の稽古でPrimaが欠席し、急遽アンダーを指名されたこと。
それ自体は良くあることではありますが、演目が彼女のレパートリーだったことと、これがはじめての大きなチャンスになるかもしれないということ。そう言うタイミングに彼女がプロデューサーに選ばれたと言うことが、重要です。

彼女自身も、急なことに迷って電話をしてきましたが、絶対にやるべきタイミングです。檄を飛ばして電話を切りました。

こういったニュースは本当に嬉しいです。

二人とも、自分の足らないものを必死で埋めて頑張った結果、良い現場とタイミングを得られました。

もちろん、その場で本領を発揮できるかどうかは、また別のことですが、その時のために私とのトレーナーレッスンがあります。

誤解のないようにお願いしたいのですが、これは別に私の力量と言うことを言っているのではなくて、彼女達が自分で私と言うトレーナーを選択して投資し、足らないものを埋めていった努力が核となり、自信につながるということですね。

最終的には稽古場や現場で頑張るのは彼女達自身です。そこには私は介在できません。

どんなプロセスを自分が踏んでいくのか。それを選んでいくのも才能なのですね。
私はそのプロセスの一つなのです。

ともかく、成功を祈ります。
しかし、もし、そこである程度の成果を得られなくても、それこそが彼女達の糧になります。何故って、足らないものが分かれば、埋めていく作業が出来る。歌い手人生は一生これの繰り返しですもんね。

さて、今日もまたレッスンが二本あります。
一人は先の彼女で、前回の稽古で演出家から出た駄目を考察して先に進みます。
もう一人は今日から始める新しい方。また彼女の核となるように、ゆっくりと進めていきます。

こう言う仕事を与えてくださった神様に感謝して。今日も頑張るぞ~!!!!(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2007-04-19 11:53 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

聞けない・・・・??

さて、このところ色々と忙しかったのですが、レッスンはおかげさまで続けています。
引っ越してからは部屋が寝室と別になっているのと、広くなったのでレッスン環境は本当に良いですね。それと比例して、クライアントさんが増えたりして、いや、嬉しいです(^^)。

前の記事でも書きましたが、今月末の本番のために、一人の若い歌い手さんがレッスンに来ています。

面白いのは公演の稽古と同時進行で進めていけること。
そのために、彼女は8回ほどレッスンを入れて、その都度、稽古で出来なかった部分を埋めていきます。これは非常に意味のあること。

昨日も彼女のレッスンでしたが、その日のお題は、稽古でついた段取りを、まず検証してみることでした。

検証と言うと難しいことになりますが、演出家から段取りをもらって、それを実際に自分でやってみて、さらに私に見せて、そう見えるかどうかをチェックする作業ですね。

ここで、間違いがないように言っておきますが、私がやっていることは、添削作業ではありません。

彼女が演出家からのサディスションを自分なりに表現する際に、彼女のやりたいことが、どう見えるかを客の目線で見ているだけです。

ですから、すごく単純です。「こうしなさい」ではなく「こう見える、見えない」。それを彼女が受け取ってまた別の方向性を作る。しかし、あくまでその公演のコンセプトを外すことはしません。それは意味の無いことですから。昨日も、そういうレッスンでした。

最初に、彼女にどう言う段取りが付いているのか聞き、それで実際に動いてもらいますが、この時に、彼女から聞いた情報が、実に曖昧なんです。
場面の設定、部屋の状況、自分の居方。何を聞いても、はっきりしなくて「あ、どうなんだろう・・・」

そこで当然、「演出家に聞かないの?」となります。そうすると「聞けない」との答え。なんで??

これは、どう言う稽古場が作られているかにもよりますが、往々にして若い子はあまり演出家に質問をしません。聞けば、わかってないと思われるのが嫌だったり、稽古場の雰囲気がそうでなかったり、演出家が「自分で考えて来い!」と怒鳴る等々、理由は色々ですが、しかし、分からないものは聞かなければなりません。例え、演出家に嫌われようと、馬鹿にされようと、確かな情報がないと、まず要求されているキャラクターが作れませんよね。

怖がっている場合ではないのです。

若い歌い手は、必ず稽古場で馬鹿にされます。場合によっては、誰にも相手にされなくなります。本人の実力がなければ、なお更です。

それに、本当にわからないアホも実はいます(笑)。しかし、こう言うアホは、あまり周りが見えてないので、馬鹿な質問を投げかけてくることの方が多いです。それこそ、自分で考えろって言うこと。明らかに分かる状況設定や、時代、楽譜の音楽記号など。

この類は、質問することが、自分をアピールする方法だと思っています。それで、演出家と話をしている気になっている。これはどうしようもありません。

「質問できない」と悩むのは、大抵は真面目で、責任がある歌い手です。
自分の力量のなさ、勉強不足、そういったことは自分で解決するしかないということを知っている歌い手。

だからこそ、本当に必要なことは聞かねばなりません。
その時、演出家が受け取れなかったら、それは演出家の狭量と言うものもあるでしょう。私も、いつも、選択に迷います。

取りあえず、昨日は色んな可能性を、二人で割り出してある形を作りました。
彼女は、それをもって来週稽古に向かいますが、さて、どう出てくるか。

こうやって稽古場での経験を重ね、皆、育っていくんですよね。
この壁をどう破るか。勇気を持って、知りたいことを演出家に質問してみる。稽古場を怖がらないのが、オペラ歌手の最初の一歩です。
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by kuniko_maekawa | 2007-04-13 20:29 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

トレーナー作業

春は新しいクライアントさんがやってきます。今年も3人ほど問い合わせがあり、面接をしてレッスンを始めています。桜と共に、新しい刺激が私にもあるので、とても新鮮。

どの方も熱心で、これから始めることに期待感を感じます。

その中で一人、公演のための役作りに来ていらってる方がいます。
この方のレッスンは、久しぶりにトレーナー作業の依頼。

どう言うことかと言いますと、日程が決まっている公演までに、ある程度のプロセスを踏むこと。それから、そのプロセスが公演の稽古と平行して行われること。私とのレッスンが稽古場に反映されるということをライブとして行えるということです。

そのために、彼女は何回かのレッスンの日程を決め、計画を立てました。
内容はまずはリブレットを読むこと、それから歌唱表現。その上で身体表現も合わせてやっていきます。

これだけならば、通常のレッスンでも同じ事をやっていますが、それらを進めていくのに、稽古状況の進行と兼ね合わせ、出来るだけ両方が彼女の役作りに意味があるように、進めています。

こう言う風なライブ感は初めてです。本来トレーナーはこういった作業が本業だと思っているので、嬉しい反面、責任は多く感じます。

私と彼女の作る方向性が、稽古場の方向性とあまりに違っては問題があるでしょうし、何より、彼女にとって意味のあるやりかたをしなければ、価値が無いことになります。

そしてメンタル面。
これは一番大きなものらしく、彼女が稽古場で抱えてくる、色んな疑問や不安を一緒に解き明かしながら、彼女の精神力も上げていきます。

こう言うトレーナー作業が、増えてくれると本当に嬉しいと思います。出来れば稽古にも通って、演出家の作業を見ながら、サポートしていけると一番良いのですが、そこまではトレーナーと言う認識もないでしょうから、将来の夢ということで。

レッスンを依頼してくれた彼女に感謝しています。私の能力が、彼女のために充分に発揮されることを神さまに祈るのみですね。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2007-04-07 22:02 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

キャラクターの情報

先日、スタッフの友人と話をしていたところ、彼女の現場の歌い手が、キャラクターを作るうえで、演出家からの情報が少ないと話していたというのを聞きました。

キャラクターを作る上での情報・・・・・。

その稽古場にいたわけではありませんが、不思議な言葉だな、と思いました。

彼女曰く、その演出家は別に何も話さないわけではなく、役柄に付いては段取りをつけながら、ちゃんと話をしていたようです。しかし、その歌い手さんには伝わらなかったのでしょうか、最後まで悩んでいたそうで、彼女も苦笑していました。

なんとも言えませんが、その歌い手さんはどんな情報を欲しがっていたのでしょう。

キャラクターの年齢や、職業、家族構成、場面設定、そんなことは、どの演出家でも話すだろうと思います。そうしないと衣装やセットも出てこないし。

その他の情報は、楽譜を読んでいくしかないのでしょうが、もちろん、演出家が読み込めなくて、リブレットや音楽からのイメージが少なかったのかもしれません。

それと同時に、歌い手の方も、楽譜からキャラクターを創るということが、出来ない人だったのかもしれませんね。

私も基本的に、外側から得られる情報、つまり、年齢や職業や、そういったものは説明し、その後は、稽古をしながら、楽譜から得たイメージを伝えていきます。
しかし、その時に歌い手も一緒に読んでくれないと、結局はキャラクターが生まれなくなります。

そう言うときは、稽古場がゆがんでくるのでわかるのですが、私自身は、稽古時間中、死ぬほど喋っています。どんな言葉で歌い手にイメージを持たせられるか分からないからです。

それでも、まったく話の通じない歌い手さんも、正直います。
そう言う人たちは、ひょっとしたら、キャラクターの情報が少ないというのかもしれませんね。
各言う、私も言われているのかもしれません。

稽古場は人間同士が向き合わなければならない、面倒くさい世界です。

揉め事が起これば、お互い相手が悪いと思わないと、自分を守れない。

私の戦友は、私が共通の舞台で演出を批判すると、「自分は歌い手だから、いつも歌い手が悪いんだと思うことにしている」と言います。そういえば、私は演出家だから、やっぱり演出が悪いと思う。歌い手は何をやっても、その舞台を作らないといけないから。でも、戦友は、どんな素材にもなりうるべきだと思っているので、先のコメントになります。

彼と私の舞台作りはこれで成立しています。

世の中の稽古場が、こう言う考え方で進むと、もっと風通しの良い稽古が出来ると思うのですけどね。
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by kuniko_maekawa | 2007-04-03 22:09 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)