絨毯座公演「偽のアルレッキーノ」「イル・カンパネッロ」

27日、28日と浅草にあるプレミアムホールと言うホールで絨毯座の公演が行われました。

この団体は演出家の恵川智美氏が立ち上げた実験劇場的団体で、絨毯一枚のスペースで出来るオペラをモティーフに、スッタフ、出演者等がワークショップなどを通して公演を作り上げていくというシステムを持っています。

今回は第二回目の本公演で、コンメディア・デラレテをテーマに二本のファルサ(1幕物の笑劇)を上演しました。

一本はマリピエロと言う現代作曲家の作品で「偽のアルレッキーノ」1920年か30年代の作品だったと思います(すみません、不確かで^^;)
内容はたいしたことは無く、ヴェネツィアの美しい淑女ドンナ・ロザウラが婿選びのために歌会を催し、それに集まる婿候補たちの葛藤を描くもの。

マリピエロと言う人はドビュッシーの影響を受け、古楽を独学で学びながら自分の音楽を形成した人らしく、この作品の歌会で使われる詩に対しても、モンテヴェルディのようなマドリガーレが使われています。

面白いのは、それ以外の音楽が急に現代っぽかったり、映画音楽のようだったり、たった40分くらいの楽曲ですが、層が厚く耳を奪われます。

演出は久恒秀典氏。
イタリアに留学された後、新国立劇場や藤原歌劇団、ラ・ヴォーチェなどで演出助手をし、最近演出家として活躍され始めています。

私も何度もお仕事をご一緒させていただいてるので、彼がどれだけ舞台や音楽を愛しているか、何よりあらゆるものに対してものすごく博学であるのを知っていますが、そいう言ったものをうまくOUT PUTしていた舞台だと思いました。

セットは荒田良氏。アイボリー調の白一色の床と袖パネルの上には二層の幕があり、これがアップダウンします。幕は均等に縞模様が入っていて、透けるパーツと透けないパーツがあります。

この舞台を両作品とも使ったのですが、久恒氏の方は家具をほとんど使わずに、衣装もコンメディア・デラルテの基本のものを使い、舞台の中に良い色調を出していました。

そこで行われる歌い手たちの動きも、荒くはありましたが、人形劇を見ているような形式は感じます。

照明は私も毎度お世話になっているASGの稲葉直人さん。
相変わらずの丁寧な仕事ぶりには感心しますが、それ以上に今回は演出家のイメージをかなり良い形で明かりにしていたと思います。

本当のところ、お二人がどんな打ち合わせをして、どんな話をしたかはわかりませんが、舞台を観ている限りでは、ある意味特殊な色と趣向だったと思いますが、それをちゃんと一つの作品として見せることが出来ていて大成功だったと感じます。こういう舞台を創れること自体、これからが大いに期待できるお二人だと思いました。

もう一つはドニゼッティ作曲の「イル・カンパネッロ」

裕福な薬屋の結婚式。
これからいよいよ初夜だというのに、花嫁の元恋人が横恋慕して初夜を邪魔しようと色んな人物に変装して薬を買いにきます。
結局薬屋は初夜を邪魔されたまま、花嫁を残してローマに旅立つ羽目に・・・。

荒唐無稽な話ですが、ここはさすがにドニゼッティ。
音楽がとても楽しいし、良く出来ています。

演出は恵川智美氏。
相変わらずの手堅い趣向で、楽しい作品に仕上がりました。

特に歌い手の功績が大きく、薬屋を歌って今尾滋氏、エンリーコを歌った柴山昌宣氏、この両氏は絶品!声も演技も音楽観も大いに楽しみました。

もっとも、こちらの作品は字幕Qが難しく、私自身は調光室で固まってただけでしたが(;;)

照明はASGの望月太介さん。
彼は昨年も絨毯座でプランをやっていましたが、今回は恵川さんがそれぞれのスタッフのプランに乗るというコンセプトで進めたために、彼本来の感性みたいなものが良く見えて面白かったです。

ばかばかしい喜劇ですし、音楽の層も厚いので、ある程度何をやっても大丈夫ですが、その上に彼の明かりが色んな仕掛けを施していて、お客さんの目を楽しませました。
そういう意味ではものすごくはっきりした明かりで、思わず笑っちゃうくらい(笑)。

両作品とも、演出も照明も楽曲も好対照でよい公演だったと思います。
お客様も本当に喜んでいらっしゃったようで、大拍手でありました。

絨毯座は毎年ワークショップや小Laboなどさまざまな形でオペラに関わることをやっています。

こういった形に関しては好みでしょうし、自主公演であることには変わりないですが、色々とある団体の中でも期待できるのは、一つ一つのクオリティを下げずに続けていこうと頑張っているところです。

立ち上げたところで、一回目や二回目は何とか行っても、やり遂げていく団体は数少ないと思います。そこを大いに期待できる団体だと思います。

次回の公演をまた期待して。
関係者の皆様、お疲れ様でした!
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by kuniko_maekawa | 2008-03-30 18:59 | 観劇日誌 | Comments(2)

Q出しをするの巻き

鹿児島のお仕事が終わって一週間。
月日の経つのは早いですね~。

演出家のお仕事はとりあえずしばらくお休みで、ただいま、27日、28日本番公演の字幕Qについています。

団体は絨毯座

演出家恵川智美さんが旗揚げした実験的オペラ劇場と題する団体で、今年はコンメディア・デラレルテをメインにドニゼッティとマリピエロと言う、二人の作曲家の作品を上演します。

普段は恵川さんのアシスタントなどでお世話になっているのですが、昨年たまたま字幕Qをやらせていただいてから病み付きになり(笑)、今年も私の方からお願いしてやらせていただいています。

ここで言う「Q(キュー)」というのは、照明などもそうですが、楽譜上での字幕や照明を出すきっかけのことです。

Q出しというのは、それを実際にボタン操作する人の横にいて、合図する役目。

しかし、これがどうして中々難しいものなのです。

例えば、字幕Qを出すとします。

やっていることは、楽譜上のきっかけの音の時に「どうぞ」と声を出せばいいのですが、実際はボタンを押すタイムラグも考えて出さなければいけませんから、楽譜上のきっかけより少し早めに「GO」の声を出します。

それも、指揮者を観てないと出せない場合もあれば、seccoなどのときは、歌い手の動きや息を見て、出さなければいけません。

加えて、字幕などの場合は、OUTキューと言って、字幕を出したくないときのQも存在し、なおかつその消え方なども、視覚的に好みがありますので、舞台全体を考えながらのQ出しとなります。

時と場合によっては、キュー自体を変えたりも。

照明Qなども、照明家が欲しいきっかけで必ず出してあげたいので、真剣になります。
思わず鼻息荒くなるって感じ(笑)。

何故、そこまで神経を使うかと言うと、照明や字幕は、演出意図をかなり表現することになるからです。

ダイレクトに観客の目を捉えてしまいますから。

それだからこその面白みも多々あり、私は出来れば1年に何回か、Q出しというのをやっておきたいのです。なんと言っても、本番まで関わることが出来ますしね。何せ演出家はGP終わったら仕事無いですから(^^;)

今回も、セットの両脇に字幕の看板があるということで、きっと照明と同じくらい字幕が視覚的に表現しちゃうだろうなと思い、照明家とキューがかぶらないようにしたり、演出意図にそってOUTキューを残したり、と楽しく関わっています。

歌い手も充実していて、両演目とも楽しめます。
本番は27日(木)、28日(金) 浅草のミレニアムホール(台東区生涯学習センター内)にて18:30開演です。チケットは全席指定で5000円。

まだチケットありますので、ご興味のある方は是非会場に足をお運びください!
私の華麗なる(?)字幕Qも堪能できますよ~!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2008-03-24 00:01 | オペラなお仕事 | Comments(0)

鹿児島オペラ協会公演・オペレッタ「メリー・ウイドウ」

1月からずっとお稽古に通っていました、鹿児島オペラ協会の「メリー・ウイドウ」、15,16日で無事に本番を終えました。

なんどか記事にしていますが、この協会は30年以上の歴史ある団体。
鹿児島在住の声楽家の方々により、長年鹿児島の文化的側面を支えてきた功績があります。

私はもちろん初めてお仕事をいただいて今回参加させていただいたのですが、何よりも協会員の方々が本当に音楽とオペラを愛してらっしゃり、団体を愛してらっしゃるのをヒシヒシと感じながらの二ヶ月間となりました。

「メリー・ウイドウ」はレハールの最初のオペレッタで、彼としても名前を世に出したヒット作品。

ハンナとダニロと言う元恋人たちが故国ポンテヴェドロの公使館での舞踏会で再開します。
身分違いの結婚をダニロの親類に反対されたハンナは、あてつけにパリの大富豪と結婚。ところがこの大富豪が突然亡くなったために、ハンナは莫大な遺産付きの未亡人。
ダニロは再び恋の予感を感じながらも遺産目当てと言われたくなくて言い出せません。
この二人の恋の鞘当を軸に、公使館大使の妻ヴァランシェンヌとパリの伊達男カミーユの浮気、公使館大使の政治的思惑などが絡まって、結局はダニロとハンナが結ばれるまでを綺麗で楽しい音楽と台詞で進行していきます。

皆様も「ヴィリアの歌」や「メリー・ウイドウ・ワルツ」など、多分耳に聞けば、思えばある曲ばかりだと思います。

オペレッタの中でも、特にファンの多いこの作品を、今回は鹿児島オペラ協会の歌い手さんたちが、「鹿児島オペラ協会ヴァージョン」として確立してくださったと思います。

それぞれの役の方が、見事にキャラクターを出してくださったのもそうですが、何より大きな作品の流れの中で、それぞれの役割を会員の方々がわかって演じ、歌ってくださったのか、結果的に「鹿児島オペラ協会ヴァージョン」を作り上げたと思っています。

今回は東京から私が伺ったこともあり、私とのお稽古は少ない時間でした。
しかも、ほとんど段取りではなく、方向性だけお話して稽古場をほったらかし?にする状態でしたので、私が行くまでの間、彼らが自分たちで作品を作っていきました。

これは、最近の私の傾向でもありますが、最初に段取りを渡すのは簡単なのですが、それでは形を追っていくことになるので、嫌なのですね。
出来るだけご自分たちで考え、役を作っていく作業をやっていくのが歌い手の仕事です。

それをこの協会の方々は意図を汲んでくださり、黙って作り上げる稽古をしてくださいました。

特筆すべきことは、すべてが協会の中の歌い手たちで行われていること。

地方の団体はどうしても演奏者の絶対数が少なく、男性なども東京から助演をお願いすることが多い中で、この協会は、すべてのキャストが協会員であり、そのために経験の少ない歌い手たちの配慮や育成にも、お互いに気をかけ、あくまで自分たちで手作りしていく公演をなさっています。

ですから、どのキャリアの方々も突出していません。
皆さんが、同じように稽古場にいらっしゃり、同じように稽古を熱心になさっていく。
それをして、こういう熱い舞台が出来上がるのだと感じました。

これが若い子達に受け継がれ、今回も、踊り子をやりながら裏方をやってくれたり、キャストとして乗っているのに、演出助手(優秀でした!)や舞台監督助手をやり遂げてくれた方など、そのエネルギーとバイタリティーには、こちらが舌を巻くくらい。この人たちがいなかったらば、公演はなしえませんでした。しかも、ちゃんと歌う方をメインに考えていて、裏方も頑張るという、一番良い形が彼女、彼らには見られました。

指揮者は坂本和彦氏。
私は大学を出て初めて入った専門学校のオペラゼミでお会いしてからのお付き合い。(私が歌っている姿を知っている、数少ない方です^^;)
普段は演出助手と指揮者として、の方がご一緒する機会は多いのですが、今回は初めて演出家としてお仕事させていただきました。

ご自身もチューリッヒに留学経験をお持ちで、ドイツ語に堪能なのもそうですが、オペレッタと言う作品の概要、内容も造詣が深く、何よりオペレッタを愛しておられるのが稽古中から感じられ、また、鹿児島オペラ協会とも10年以上の付き合いと言う中での信頼も含め、彼がいたから出来上がった「メリーウイドウ」でありました。

いろんな意味で、本当にいろんなことを教えていただきました。これからもまたご一緒できる機会があれば、と期待する方です。

スタッフも今回は出来るだけ現地の方でお願いしました。
舞台監督と舞台美術家はどうしても打ち合わせが密になるので、東京でお願いしましたが、それ以外は、すべて鹿児島の方々にお願いできました。そして、出来上がったのは、こんな舞台です!
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最後のビームは何ものじゃっ!って言われそうですが、今回カンカンのシーンがあって、この踊り子たちを飾れとばかりに、おもいっきり煙りたいて、ビーム出したわけでして、ついでに言えば、両サイドの柱の明かりもぐるぐる回ってました(笑)。

踊ったのは、先に書いたように、協会の若い歌い手さんたちです。
いやいや~すごかったですよ~。
最初は衣装も恥ずかしがっていたのですが、どうしてどうして、いつの間にか立派な踊り子になって、胸元がっつりメイク入れてました(笑)。

振り付けは瞳まりあさん。
宝塚出身で、関西で振り付けなどをした後、鹿児島に戻られてご自分のスタジオを持っていらっしゃいます。

華やかで、エネルギッシュ、そして生命力に溢れて欲しいという注文を見事に形にしてくださり、素敵なカンカンにになりました。

そして、照明は吉永好人さん。
鹿児島のバレエや芝居を一手に引き受けて舞台を創ってらっしゃる照明家です。

年齢はおそらく、私よりも10は上でらっしゃると思うのですが、本当に丁寧に付き合ってくださり、こんなに綺麗な明かりを出してくださいました。

私の引き出しのなさゆえに、一瞬パニクッた私の目が開くまで我慢強く待ってくださり、良い舞台を創ってくださいました。ただ、ただ感謝っ!

舞台美術は本郷智美さん。
以前、アシスタントとしてご一緒の現場はあったのですが、プランナーとしては始めてお仕事しました。

この方も持ち前の好奇心とエネルギーで、私の目を開かせてくださり、予算上の都合もなんのその、しっかりした強さを持った舞台を創ってくださいました。特に3幕のタペストリーの色と線が舞台の空間を決めてくれました。これで明かりを創ったのです。大切な出会いとなりました(^^)

舞台上のこと以外にも、メイクヘアをやってくださった青山美容室の竹村さん、衣装製作を手伝ってくださった、「ぐーちょきぱー」代表の坂元和子さん、本当に沢山の方々の手をお借りして、今回は成し遂げることが出来ました。感謝ばかりです!

私にしても、久しぶりに多きな器のお仕事でした。
鹿児島オペラ協会の方々も、本当に協力してくださり、私の我侭も沢山聞いてもらって創れた舞台でした。思い出深いです。

これを糧に、また新しい舞台を創り続けていきます。
ここで得たことがどんなことかは、次の舞台を創ってみなければわかりませんが、きっと今までに無い私の引き出しが増えていると思います。

関わってくださった方々に感謝の思いをこめて。
鹿児島の皆さん、また会いましょうね~!!!(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2008-03-18 16:30 | 観劇日誌 | Comments(5)

手作り

舞台の仕事をしていると、いろんな意味で「手作り」と言う言葉を聞きます。

文字通り、小道具や衣装などをこつこつと自分の手で作ることもそうですし、「手弁当」と同じ意味で、予算があまり無い時に、持ち寄りのものを出す時、小さな舞台ということでもそう。

以前、この「手作り」と言う言葉は、舞台ではあまり使いたくない感じでした。

ある程度の予算がきちんと組める仕事は、それぞれプランナーを頼むことが出来ます。

ですから、演出家の仕事としては、彼らに対してイメージを捻出し、それを形にしてもらったものをまとめていくことだけになり、己の手は出さないというのがある意味鉄則(これは私のセオリーです)。

しかし「手作り」する舞台というのは、そのどれかがなしえない、予算の無い舞台か、学校公演のように制約がある舞台という感じで、特別感があるからです。

出来ればセオリーどおりに、客席にじっと座って、出てくるものを観ていたいのが信条。
未熟な己はさておいて、形を求めれば必然的にそうなりたいのです。

しかし、昨年から私が関わっている舞台は、すべてが「手作り」感満載。

文字通り、己が手を出してパネルを作ったり、衣装を考えたり、ヘアメイクのデザインまで・・・・。

私は本来、「色」を扱うのが苦手で、そのために、衣装、照明に関しては、絶対にプランナーが欲しい人です。

もちろん舞台美術まで入ってもらえれば涙が出そうなくらい嬉しいことなんですが、まだまだ勉強中の私の舞台は、あらゆる面で「手作り」するしかありません。

しかし、最近、私の中で「手作り」と言う言葉がまったく違った感覚を持って捉えられています。

すごく単純に行ってしまえば、「手作り=楽しい」。
このセオリーが、完全に確立されています。

おおおお~!
結構文字にしたらば恥ずかしい~(=><=)

何故恥ずかしいかといえば、センスが無いからで・・・・・・・・、でも、とりあえずやらねばならない状況から、それが結構自分の世界観を創れると密かに納得できてきました。

私の言う「センス」と言うのは、自分のセンスもそうですが、客席に座っているお客様に対してのことです。

お客様が芝居を観て、「センス良いな~」と感じられるものなのかどうか。

これは内容も含めて、いつも不安が生じるところ。

万人に同じ意見はないとわかっていても、やっぱり限界を超えたくなり、「誰が観ても、美しい舞台が創りたいじゃん!」となる。

プランナーが入ってくだされば、その責任は、ある程度彼らにもあるわけで、「どっかな~、わかるかなあ~」と言う不安を分かち合える(と、言うか任せられる・・・)のですが、これをすべて自分でやるとなると・・・。

今回の鹿児島でのお仕事でも、衣装とヘアは結局自分でデザインを出しました。
すべてではありませんが、結果的には。

どちらを担当してくださる方も、普段は舞台の仕事をなさらない方々。

ですから、色、形、意味、全部を聞かれます。
生地も一緒に買いにいったり、実際に髪を結ってもらって話したり。

大変でしたけど、これをやることが自分の中に「丁寧さ」を生みます。

「手作り=丁寧=楽しい」って図式が気に入ってます。

当たり前じゃ~!!!!
と、怒られそうですが、コンプレックスってやっぱり不安を作るのですよ(^^;)

さて、今週本番を終えたらば、次回は5月にモーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」をやります。

若い歌い手さんたちが1年勉強をして来た試演会ですが、一本作ります。

その時は、小さいながらも舞台、衣装、小道具をすべて私の「手作り」で。
照明はプランナーに参加してもらい、色を固めてもらいます。

先月師匠の舞台を観て、勉強しなおしを心に決めた私。
まずは「手作り」からです!(^^)
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by kuniko_maekawa | 2008-03-10 12:51 | オペラなお仕事 | Comments(0)

指揮者と演出家

オペラを上演する際に、まずどのセクションから決めていくかと言うと、おそらく指揮者と演出家です。

指揮者は音楽的な部分を、演出家は視覚的な部分をそれぞれが創作の権利として持っています。

どちらも、作品を読んだ上でコンセプトを持って公演を上演させようとします。それゆえ、読み方が違ったらば、まったく違う見解を稽古場に展開させる可能性もあります。

もしかしたら、オペラ公演を成功させるのに、どれだけこの二人のコミュニケーションが取れるかにかかっているかもしれない、と思うほど、中々微妙な関係を持っています。

私もご他聞に漏れず、この関係性について、いつも悩みます。

なぜかというと、時としてお互いの読み方が違った場合に、固執すればするほど、現場や歌い手さんを迷わせてしまうからです。

しかし、自分のコンセプトはできるだけ守りたい。
目で見える部分はそれが出てきてしまいますから、耳で聴こえる部分がまったくそれと別個だと辛いものが出来上がってきます。

なので、私は基本的に指揮者と仕事をする時は、出来るだけ彼の持っている音楽的コンセプトに従います。
それが一番歌い手さんにも良いし、何よりも、視覚的に音楽と違ったものをお客に見せるという暴挙を阻止することが出来ます。

ところが指揮者に合わせていると、「おまえは演出家なんだから言いたいことは言った方がいい!」なんて言われてしまうこともしばしば・・・。

これには頭の痛いことなんですが、基本「オペラ」なんだから、音楽的なコンセプトに勝るものは無いんです。

第一、本番まで指揮者はタクトを持って、作品を左右する権利を持っています。

演出家は舞台を創ってしまったらば、後は演奏者に任せて本番は権利を失います。

これ一つ取っても、指揮者の立場が大切なことは良くわかります。

下手な言い方すれば、演出家はいなくても、オペラは上演されるのです。

誤解しないでいただきたいのは、決して卑屈になっているわけではなく、そういう役割だと思っているということです。

もちろん、読み込んだ楽譜に対して、私も自信を持っていますから、相対した時に、きちんと説明できることはやります。

しかし、彼らの殺し文句である「楽譜はそうなっていない」と言う事を言い出されると、専門家としての彼らの意見に従わざるを得ません。

なので、実は指揮者と仕事をすると言うことは、私に取っては結構辛いことなんですね。
自分のコンセプトを指揮者よりに出来るだけ形を変えないでやることばかりを考えなければいけないからです。

しかし、私の経験があがってきて、楽譜を読む力がついてくれば、自然と指揮者との溝は埋まります。

事実、ここ何年かはご一緒する指揮者の方々と、良い経験をさせていただいています。

多分、私の作ったものにも筋が見えて、彼らの音楽的な見地から見ても、なんとか我慢で来ているものなのだと想像していますが。

ところで稽古場で、良く歌い手さんが困るのは、指揮者と演出家の見解が違うこと。
お互いにキャラクターを持っていますから、それを駄目出される。

そういう時にお勧めしているのは、迷わず指揮者のコンセプトを優先させること。

結局は彼のタクトで歌い、彼の音楽の中に存在しているわけですから、折り合いがどうしてもつかない場合は、それをチョイスする権利を、歌い手さんは持っています。

そうやって誰しもが素材としての才能を出して出来上がっていくのが舞台ですから。

私が誰にも文句を言わさずに、自分の作品を作り上げるには、台本も、曲も、自分で書くしかありません。なおかつ指揮も(^^;)

まず作曲家がいて、しかも、もう何百年も前に亡くなっている彼らの作品を解釈して創るオペラは、結局はいろんな人の頭で出来上がっています。

十人十色。
まったくイメージをぴったりあわせるのは無理がありますよね。

私は演出家としては、この部分もいまだ経験中。

夢は「音演出」で、私の感じている音楽をすべて立体化させたいと願っていますが、果たしてそこに指揮者をおくべきかどうか・・・・。

その時は、多分、おかないと思います。

私の音を、私だけのイメージで舞台に創ってみたいから。

それだけ、オペラは魅力があるってことですね(^^)
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by kuniko_maekawa | 2008-03-04 17:59 | 演出家のつぶやき | Comments(2)