TVドラマの台詞

最近、ある俳優さんが好きになって結構その人が出るドラマなどをチェックするようになりました。

好きになったのは、あるトーク番組がきっかけですが、やはり俳優さんですから映画やドラマが仕事なわけで、それを観た方が単純にその人の力量や売れ方がわかります。

もう終了したドラマでも、ネットで観れるのが現代。

色々とその人の出てた作品を探しては観ているのですが、若い俳優さんだからか、やはり台詞の音はまだ聴こえてきません。

好きになったのは雰囲気や笑顔やその人のパーソナルな部分ですから、それでファンになった人たちは、ある意味俳優としての仕事以上に、彼氏や子供や友達みたいな感じで、エールを送ることが満足ですよね。

しかしっこの辺の心理に参加するには私としては、多少ノリが悪くなります。

やっぱ好きな俳優さんなら、才能があった方がいいもんねっ!

TVドラマや映画に出演する俳優さんたちは、最初はモデルだったり、グラドルだったりしますよね。

だから、雰囲気はすごくある。
目力だったり、オーラだったり、きっとあると思います。
そうでなければ、まず世に出てこないし、人気が出ない。

モデルともなれば、服を着せてその服が見ている人たちにインパクトがあるように着こなせないといけないでしょうから、センスも感性も要求されるでしょう。

やはり、宝石のように自分を感じる瞬間も必要かも・・・。

今、表に出始めている人たちや、売れている人たちと言うのは、事務所の仕事も良いのだと思います。彼らが自然に鍛えられて、光って行くような演目を選んで出演させる。

芸能界は詳しくは無いですが、恐らくそうやってただの子供だった人たちを、商品価値がある人たちに育てて行き、会社も大きくして行き、更に良い素材を見つけてくることが出来る。エージェントの目利きも才能のうちだと思います。

スカウトしてきた人たちを、雰囲気や顔つくり、特技、あるいは育てたい部分、色んな事を踏まえて経験をさせて、うまい役者に変えていく。

そういう意味では、彼らはの世界はやっぱり厳しい。自分と言う人間を常に客観視して切磋琢磨してうまくなっていかないといけません。

確実な方法はただ一つ。
あらゆる現場で揉まれるだけ。

そんなイメージがあります。

しかし、ここまで手塩にかけて育てている俳優さんたちの芝居の部分に関しては、TVドラマの現場って、どうなんでしょうか?

元々雰囲気は良いし、TVの場合は音声さんが居て、台詞を拾ってくれますから、つぶやくような言葉を喋っても絵が美しければOKなのかしら??
確かに、それがこちらの感情を揺さぶったりします。

パーソナリティを先に好きになるということは、そういうことを成立させるのに、大切なことかもしれませんね。

やっぱり好きな俳優さんの表情には感情移入してしまいますもん。

でも・・・・私はやっぱり声が聴きたい。
好きなだけでもこんなに気持ちが揺さぶられるのに、聴こえてくる台詞が何の音も感じなかったら、すごく辛い・・・。

顔がアップになり、音声が近づいて、鼻息も聞こえそうなくらいの息漏れの台詞は、ある意味緊張感はありますが、うっかりすると聞き逃してしまいそう。

そういえば、いつだったか、オペレッタをやった時に、ミュージカルをやりたくて芸能プロダクションでレッスンを受けていた人が居ましたが、マイクに通る声しかレッスンを受けたことが無く、舞台で使い物になりませんでした。

TVドラマに出演する俳優さんの中には、若くても舞台経験を持っている人たち、文学座や俳優座、青年座、宝塚といった劇団出身者が居ます。

こういった人たちの台詞や動きは自然ではないかもしれませんが、でも、感情の放出が自分より外側で、ブラウン管を通しても客席に居るようにはっきりと伝わります。

バラエティーをやっていてもそう感じる。

TVドラマのあの雰囲気を否定しているわけじゃなく、もうちょっとちゃんと音として台詞を捉えたらどんなに良いだろうと思います。

こんな素敵な人たちが、胸に迫る切ない表情で、ふと唇を開く時、何を訴えたいのか聞きたい!と心が準備した途端、もごもごもご・・・・語尾息漏れ・・・目だけが泣いてるって感じになる。

女性も男性もそうです。

私の今はまっている俳優さんも、残念ながら、まだ音が聴こえない。

もったいないなあ、かなり目が語れるのに・・心地よい響きの声なのに・・・台詞としての音がまだ聴こえてこない。

彼の音はどんな音なんだろう・・・・。

どんなに目が物を語っても、声が耳に心地よくても、伝わるのは言葉の音。

やっぱり私の進む道は、「音」探しなんですよね・・・。

なんて言いながら、今日も動画サイトに走っちゃおう~っと!!!!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-29 23:44 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

「・・・つもり」の弊害

さて、ただ今トップの記事でもお知らせした「ドン・ジョヴァンニ」の稽古真っ最中です。

まだ始まったばかりですから、段取りを渡しながら形を作っているところでありますが、私の最近の稽古の仕方として、この段取りを渡していく時に、大雑把なことではなくて、細かい説明を加えながら、丁寧動きをつけていくということをやっています。

あっちへ、こっちへ、と言う方向だけを話すのは簡単ですが、それだと、その動きだけをこなすことがメインになるので、出来るだけ、動きは大雑把に、しかし、何故その方向に行きたいかということは、事細かに話して稽古を進めています。

そうはいっても、時間が決まっていますから、あらかじめやる場面を設定したら、なんとかノルマはこなすようにしていますが、それでも、ただ動きだけを渡すということは極力しません。

何故かと言うと、私の持論として、舞台空間は想像空間だという認識があり、これに定義をおきたくないからです。

つまり、私の渡したコンセプトやヴィジョンに添って、歌い手も、スタッフも、それぞれの感性で想像して形にしていき、それを尚更お客が音楽を聴きながら、想像する。そうやって創られる舞台こそ、本当の意味での劇場空間だと信じているからです。

なので、私自身も段取りをつけていっている最中でさえ、ほとんどスクリプトなどをしなくなっています。

以前は、自分のやり方や経験に自信がなかったからでもありますが、すべての場面に関して、楽譜に事細かに書き入れていました。

上手に行って、下手に行って、こうやって抱いて、こうやって突き飛ばして・・・・みたいなことを、絵も書いて稽古場に持って行っていました。

これが仕事だと思っていたようなところもあります。

けれど、最近は楽譜には一切書き入れません。

もちろん、勉強はします。
単語を調べるとか、歴史的なこととか、音楽的にインスピレーションが沸いたこととか、余計なことばかり?が書き込んであります(^^;)

しかし、段取り自体はほとんど書いていません。

じゃあ、どうやって作っているかと言うと、ひたすら頭の中です。

リブレットを読んで、音楽を聴いたらば、浮かんできたある絵を中心に、ただ頭の中でシュミレーションをしているだけです。

それを具体的にする時は、楽譜をただ読んでいるだけです。
ほんとに、ただ読んでる。音楽も一緒に聴いたりしません。

そして、稽古場に行って、実際に動いてくれる歌い手たちに最初の方向性だけ渡したら、もう稽古を始めて行きます。

そうやって稽古場で生まれてきたものがコンセプトであり、ヴィジョンであります。

このやり方が、多分、私に一番合っていて、恐らくそれ以外のことは出来なくなってきています。

しかし、これの弊害は、対する歌い手がこのやり方を受け取れない場合に起こります。

彼らの中に絶対的な定義やセオリーなんかが存在していると、あっという間に想像はされなくなり、「具体的な形」を渡さないとまったく稽古場が動かなくなります。

その彼らが大抵使う言葉が「~するつもりでした」って奴。

例えば、音楽的に調整が変わったりしたときに、自然に動きたい時なんかに、相手がきっかけを自分で作っていて、そこじゃないとてこでも動いてくれないとか、ただ、言葉的に強い意味合いだったので、動きのきっかけに使いたかったとか・・・・。

作曲家の言葉を聴きもらさないように、細心の注意を払って耳を凝らしていますが、相手は動くために、音楽やリブレットを理由にするわけです。

これには本当に頭にきます。
何故か?こういうことです。

ある元恋人同士の掛け合いで、女が「私は恋に落ちてしまったの、ひどい人!」と言う台詞を短調で歌い始めます。しかし、途中「恋」と言うところから和音の中の調整が段々長調に変化していっている。そして「ひどい人」と言うところでフォルテになるという場面があるとします、。

私は、耳でリブレットを読みながら長調に変化していく和音構成になった時から、自然に相手に方向を取るだろうととふと感じ、そう言ってみる。そうすると、歌い手は「ひどい人ってところで振り向くつもりでした」と答えてくる。

ある意味正論に感じるかもしれませんが、その調整が変わったときから表情なりがそうなってくればそれもありだろうと思います。その場合は、私と方向性が同じです。

しかし、そういう歌い手は往々にして、きっかけだけを作りたいので、音楽と表情の変化、つまり感情変化は別です。

そして、その「ひどい人」までこの歌い手は何をしているかというと、振り向くタイミングを外さないように考えているってわけです。

これは、おそらくオペラだから起こることだと思います。

つまり、音楽が勝手に流れてくれるので、感情の変化を気にしなくても、ただ歌えばそう聴こえる。

しかし、この音楽の変化は作曲家の演出的要素だと思っています。

ですから、調整の変化や、それを客が聴いたらどう想像するかということを歌い手がわかっていて、故意的にやるべきなんじゃないかと私は思っています。

この温度差はいつも私を苛々させるものなのですが、わかってもらえる時まで、言い続けるしかないってことだと肝に銘じて、毎日稽古場に行きます。

「つもり」なんて存在しない世界だということ、いつかみんながわかって欲しいと願っています。

私は、この「~でやるつもりでした」が大嫌い(笑)。

もちろん、理由として叶っている時もあります。

しかし、タイミングの話をしているのではないことをわかって欲しい。

作曲家と対話すること、そしてそれを解釈し、表現すること。

それは決して「自分のやりたいこと」ではないんです。
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-26 23:47 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

経験と勉強

さて、昨日から本格的に「ドン・ジョヴァンニ」の稽古が始まりました。

初回の昨日はピアニストがいなかったこともあり、音楽を使わずにリブレットのみで、実際に芝居を作りながらの稽古をしました。

ほとんどの歌い手さんが初めて一緒にやるので身体能力を知りたいと言う事もあります。

中々どうして、こちらが投げかける適当な玉を良く受け取って動いていました。
これは期待できるかも???

とはいえ、これからが始まりです。

昨日はフランクにお互いを知るための稽古でしたから、舞台設定もなしに方向性も決めずにやっていました。

明日からの稽古は実際のコンセプトに添って作って行きます。

今回の公演で私のやりたいことは、空間を創ること。

本番のホールであるアミュー立川の小ホールは客席とステージの距離がものすごく近いです。

その代わり横に長くて、いわゆるうなぎの寝床(長方形の舞台をこう言います)。

しかも、舞台も客席も床面、壁面とすべてが白です。
その中に客席だけが青と言う、なんとも制限のあるホール。

そうなると完全暗転なども無理で、ちょっとした明かりでもあれば、ハレーション(反射です)で、あっという間に明るくなります。驚くなかれ、携帯電話の画面でもそうなりますよ。

この舞台をどう使って「ドン・ジョヴァンニ」を飾るのか。

これが最大の課題です。

どうしてもただの長方形の箱にしか感じないホールですから、どうせなら空間を全部使って何かやろうと思っています。出来てからのお楽しみ(^^)。

さて、こういう実験的な舞台を創る時、私が欲しいものは「経験」です。

知識は勉強すれば何か得られるでしょうが、「経験」はそうは行きません。

実際に舞台を創って見なければわからない。

セットにしても衣装にしても照明にしても、言葉で説明することと、自分の手で出来ることは全然違います。

なので、スタッフをやっている限り、仕事はすべて「経験」でしかありません。

そして、その「経験」を助けるのが「勉強」。
ずっとそう思ってきました。私の中では「勉強」よりも「経験」が重要視されています。

しかし、往々にして、特に若者たちは仕事をすることを「勉強」と言いますね。

「勉強ですから」「勉強します」「勉強が足らない」等々・・・・・。

もちろん、正しいですよ。捉え方の問題です。

でも、私は「勉強」と言う言葉を使われると、どうしても「守り」を感じて引いてしまうんです(^^;)

例えば私と仕事しても、その仕事をデータとしてしか受け取ってもらえてない感じがする。
あ、こういうやり方もあるんだ。ファイルしとこう~・・・みたいな・・・・(笑)

逆に「経験です」と言われると、こいつ侮れないと思います(笑)。

私自身のレベルも、彼ら自身のためにあるんだと宣言されているような気がするからです。

考えすぎと笑うなかれ、「経験させてもらいます」と言うのは、相手の胸を借りて実際に行動し、自分のレベルを上げるということです。

こちらは望むと望まざるとに関わらず、自然にサポートしていることになる。

気が付けば「盗られた!」となるわけで、相手のものになった自分の何かを嘆いたところで後の祭りです(笑)。

私は、この「経験」と言う言葉が大好きです。
自分自身も、誰かも、経験することやさせることに生きがいを感じます。

多分、自主公演や、「稽古場」や、朗読会や、どんなに大きな仕事をやり始めても、きっとやめないでしょうね。

扱う舞台が大きくなればなるほど、「経験」を積むことをやり続けると思います。

ってことで、今回の「ドン・ジョヴァンニ」。
私と共に、歌い手やスッタフがどんな「経験」をするのか、興味ありませんか~????

是非、会場に足を運んでください。
この「経験」は、お客様によって完成されるものなんです。(^^)

皆様のご来場を心からお待ちしていま~す!!!
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-22 18:33 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

レチターレのこと

昨年まで3回続けたレチターレ公演。

これは私のところにオペラ・レッスンを受けに来ている人たちを対象にした試演会です。

毎年、その時一緒に勉強している人たちのことを考えて、演目や構成内容を決めて有料で行っていました。

昨年は照明なんかも入れたりして、公演としても結構面白かったのですが、またも、それを潮にレッスン生が、パタッと来なくなりました。

いつもならば春になると、ひとりふたりと新しいクライアントさんがいらっしゃるのですが、今年はそういう気配もなし。

私自身もずっと演出家仕事の方が忙しかったこともあり、特に募集もかけておらず、なんとなくレッスンもストップしていました。

寂しいことではありますが、これも選ばれる方としてはしょうがないことであり、需要がなくなったのだな~と認識するばかり。

これを生活の糧にはしていませんので、日々のことが変わるわけではありません。
また、新しい出会いを期待して私のクオリティを上げる努力をしてくのみ。

と、言うわけで、毎年楽しんでいただいた方々に申し訳ないのですが、今年は朗読会も、レチターレも、おそらく公演は行いません。

レッスン生がいない限り、舞台上で表現すると言うプロセスは必要ないからです。
これは私のための公演ではないので。

トレーナーをやめるわけではありませんから、また必要な時には声をかけてもらいたいと願っています。

そういえば、タイミングが悪くて、昨年と今年は「稽古場」も発信していません。
あっちが立ってくれば、こっちは立たずって奴ですね(^^;)

今年は体調管理のこともあるので、5月の「D・G」が終わったら、少しずつ新しいことを考えようと思います。

8月には「音演出」します。

これは私が本当にやりたいことへの序章。

時期が来ましたらまた詳細アップしますね(^^)

私のところでプロセスを踏んでくれた歌い手さんたちが、多かれ少なかれ、何かを得て、それを他の舞台で思う存分発揮してくれていることを祈りつつ・・・・。
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-17 13:19 | レチターレ | Comments(4)

文学座公演「DOUBT~ダウト 疑いをめぐる寓話~」

本日吉祥寺シアターでお芝居を観て来ました。

文学座公演「ダウト」です。

パトリック・シャンリイという戯曲作家の台本で、2004年のトニー賞やピューリッツァー賞など受賞しました。

シャンリィは「月の輝く夜に」と言う映画ご存知ですか?これの脚本を書いた人。
私はその前に「お月様へようこそ」や「ニューヨークの女たち」などお芝居の方で知っていました。
元々好きな作家ではありましたが、この作品は特に秀逸。
今もブロードウエイでロングランしていると思います。


これには副題として「疑いをめぐる寓話」と言う題が付いています。

1964年のカソリック教会の学校が舞台。
校長であるシスター・アロイシスの元に若い教師であるシスター・ジェームズが訪れます。
その日鼻血を出して早退した生徒の話をするためでしたが、ひょんなことから神父であるフリンが特定の生徒を気にかけていると言う話になり、そこからアロイシスにある疑惑が生まれます。

つまり、フリン神父がその特定の生徒に性的関係を強要しているのではないかというもの。

しかもその生徒は黒人。
前の学校で殺されそうになって転向して来ました。

フリン神父は彼を司祭室に誘って話をしているとのこと。

しかし、教室に戻ってきたときには彼の様子が変で、息が酒臭かった。

これだけを書くと、確実にフリンが加害者のように思えますが、具体的な証拠は何もありません。

フリン神父は30代後半で、はつらつとした容貌と機知にとんだ話方、誰とでも気さくに応対し、生徒たちにも人気がある。

その生徒は家でも父親に殴られ、愛に飢えていた。

酒臭かったのは祭壇用のワインを飲んだから、そのために礼拝の持者役を降ろされなければならないのを阻止するために、彼をかばったとフリンは言います。

しかし、アロイシスは頑として彼を疑ったまま、なんとか学校から追い出そうと手を尽くします。

間に立ったシスター・ジェームズは段々と何を信じていいのかわからなくなり、悪夢を見始める。

物語は最後までフリンが有罪か無罪かをはっきりせずに終わります。

役者さんは三人とももちろん文学座の俳優さん。

見事な人たちばかりでした。

特にアロイシスを演じた寺田路恵さん。
TVでもお馴染みですよね。秀逸です。

この役は、ただ頑固だけでもだめで、頑ななまでにフリンを疑うその姿勢にこそ、啓示があります。

フリンと対決して彼の言い訳を納得したシスター・ジェームズに彼女がこういいます。
「あなたは早く解決したいだけ」

まさに、こういい続けるのがこの役です。

曖昧な対象に関して、大方の意見に流され、真実を見つけない現代への警告。

それでも結局は解決できない正義をものすごく頑固に貫き通そうとする。

大変なこの役を見事にこなしていました。

芝居の醍醐味は本当に役者の仕事にあります。
舞台はそれを絶対に壊さないためにあるような感じでした。

実は今回の目的は照明家の沢田祐二さんの明かりを観るため。

沢田祐二さんは吉井澄雄さんと共に、照明界の大御所。
私ももちろんお名前は存じ上げています。

吉井さんはむか~し、照明のQ出しをしたことがあって、ご本人との面識はありませんが、関わらせていただいたことがあります。

しかし、沢田さんはご一緒する機会がありませんでした。

でも、彼を手本とする照明家も多く、私自身もこのところ、色々と沢田さんのお話を聞く機会があり、いつか沢田さんとお仕事したいなんて夢もあり、軽くストーカー入っているのです(笑)。

と、言うわけでチラシやネットで沢田さんのお名前が入っている公演を探して「ダウト」がヒットしました。

しかも美術はこれまた大好きな朝倉摂さん。

客入れの時からどきどきするくらい世界観が好きでした~(;;)

沢田さんの明かりは本当に怖いくらい変化が自然です。動いてから気づく。

オペラと違って芝居の場合は音楽はありませんから、台詞の中で明かりも動いていくわけですが、芝居に入り込んでいて佳境の台詞になって行くにつれて、いつの間にか明かりが変わっていて役者の雰囲気が変わっている。

それに「ふと気づく」と、どきっとするんです。
あああ~、なんでこんなことできるのかしらん???

そして、そして、何よりすごいのは、彼の使うアンバーがものすごく納得できること。

アンバーと言うのは夕焼けなどをあらわす時に照明に使われるオレンジ色の明かりのこと。

本来は「褐色」がアンバーだと思っていますが、良く情景として使われます。

私はこのアンバーが大嫌い。

どうしても和的に暗いイメージがあるのと(行灯みたいに)、有色人種である日本人の肌に一番合わないと思うから。単純に汚く見える。

ところが、今日初めてアンバーってこういうことなんだと理解できたことが・・・。

これって文章にしにくいので、とりあえず今度自分で色を使う時にそうしてみようと思いますが、う~ん、さすがだ~と唸りました。

もちろん、これは私が感じることですから、本当に沢田さんがそう意図して作ってらっしゃるかどうかはわかりませんが、とにかくすごいと思ったんです。

いろんな意味で完成度の高い舞台でした。

ロビーで販売していたシャンリィの台本を早速買って電車の中でもう一度感動。

最近ちょっとオペラ離れしている私。

勢いづいて3本ほど観たい芝居のチケット買っちゃいました。

それにしても芝居も最近はチケット代、結構高いです~。
でも、これは投資。勉強代です。

明日から一週間は21日からの立ち稽古に向けて準備を始めます。

色々と触発された二週間でした。

さて~、また本腰入れて頑張るぞ~!!

いつか、沢田さんや朝倉さんとご一緒できるように。
いや、ご一緒します!
願えば叶うはずですから!がんばろ~っと!!
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-13 21:37 | 観劇日誌 | Comments(0)

仕事を選ぶこと

スタッフをやり始めて今年で20年になります。

なんか文字にするとすごいキャリアに感じますが、私自身は時間の長さは感じておらず、今だ出来ることも出来ないこともあるわけですから、まだまだこれからと思っていますが、20年といえば、0才の子供が成人式を迎えるわけで、これはすごい・・・。

ひょっとしてこれからこの年齢差の仕事仲間も現れてくるわけで・・・う~ん、歳食ったなあ~・・・と感慨深いわけです。

しかし、実際にどんな仕事をして来たかといわれたらば、これが案外簡単に言えちゃうくらいの本数と内容だったりします。

これは職種によると思います。

私の職種は主に演出助手でした。

一つの公演にベタで入らなければならない仕事。
演出もそうですが、一本公演を行うのに準備期間から初めて本番まで2ヶ月くらいです。

そうすると、1年間ふるに仕事があったとしても6本。

実際はそんなに本数やっていませんから、大きな公演はせいぜい2,3本でしょうか。

そうなると20年といえど、単純計算すれば4,50本となり、案外数え上げられたりするわけです。

しかも、私は偏屈で、結構仕事を選んでいましたから(わ~、偉そうだ~)、きっと一生懸命やっていたほかのアシスタント仲間に比べれば全然仕事の本数は少ないです。

演助でそうなんですから、演出なんてやっている今は本当に年間の仕事は少ないです。

どうやって食ってるんだろう????

ありがたい学校関係、研究生期間、レッスン生などが日々の暮らしを支えているわけですが、こんなに好きなことばっかやって良いのかね???と言うのが最近の疑問。

今まではあんまり仕事も来なかったし、演出家として仕事しようと思ってなかったこともあり、キャリアを積むことに貪欲ではありませんでした。

しかし、周りを見てみると、今頑張っている演出家の方々は、来た仕事を必ず引き受けて丁寧に関わってキャリアを積んでいらっしゃる。

う~ん、すごいな~。

私もこういうことをやって、大きな舞台も小さな舞台も経験を積むべきなんでしょうけれど、なんででしょうね・・・。貪欲さがいまひとつ・・・。

結構前川は仕事を選んでいると言われている演助時代。

確かに選んでました(^^;)。

アシスタントはやっぱり演出家次第ですから、それはかなり慎重に。

それに制作作業と密接に関わりますから、そこのところも、自分の首を絞めるような形にはしたくなかったので、吟味していました。

しかし、演出家としてはそうはいかんでしょう。
舞台を創らなければ仕事は出来ません。

う~ん・・・。

しかしですね、なんとなく今は良いかなって・・・。

それは今日図書館に行って「音楽の友」を読んでいた時のこと・・・。

数ある演奏会案内の記事を何とはなしに見ていました。

まあ、あるわ、あるわ、色んな公演。

形態も出演者もさまざまです。

しかし、それぞれにスタッフがちゃんといて、必ず公演はなされるようになっています。

それを見ながら、私がそんなに焦って仕事を求めてもしょうがないかなって・・・。

沢山スタッフはいます。
演出家も、指揮者も、演奏者も・・・・。

もちろん、どこにも私の名前はありません。知名度は皆無ですから。

だったら、いつものように、自分が本当に息の出来る現場を創って、または選んで経験をゆっくり積んでもいいじゃない?

それをして「仕事を選んでいる」と言うなら勝手に言って。

本当に大切なことは、自分の理にかなった舞台が創れる現場を探すことだと思っています。

でも、考えてみたら、今までやった仕事はどれも自分に取って最上の形で終わっています。

仕事の量じゃない。
質なんですよね。

その公演が小さくても大きくても、会場にいらっしゃるお客様が楽しんでもらうために創るのは同じです。

そうやって創り続けることが経験ですね。
頑張ろうっとっ!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-09 18:46 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

プランを考えるの巻き

さて、トップの記事でもお知らせしてますが、5月にモーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」を演出します。

今回は私と1年を通して勉強してきたグループの試演会。
しかし、チケットを出しますし、カットはあっても久しぶりの「ドン・ジョヴァンニ」ですから、ちゃんと舞台も創ることにしました。

この団体は特別大きなプロダクションではありません。
照明だけはお願いできましたが、それ以外は自分で考えて作って行きます。
実は、これが今回の大切なコンセプト。

つまり「手作り」をすること。

そのコンセプトを実行するべく、少しずつ自分のイメージを形にすることをやり始めました。

これはもちろん通常の公演でもやらねばいけない仕事で、演出家の仕事のほとんどを占めているといっても過言ではないかも。

作品を読んでいって、そのイメージを伝えて形にしてもらう。

今回はそのデザイナーは照明家しかいませんから、舞台と衣装は自分で作ります。

これが中々難しい。

イメージを出すことは簡単ですが(まあ、ある程度ね・・・)、それを実際に形にするには方法を知らなければいけません。

私にはこの部分がまったく抜け落ちていますから、具体的に何を使えば、どうなってイメージどおりのものが出来るのか、これを探すことから始めていきます。

大きな団体で仕事をすると、この部分を試すことが出来ませんから、自分にとっては良い場であります。

さて、のんびりと時間をかけてと言いながらも、立ち稽古は今月の21日から始まります。

そこまでには方向性くらい作っておかないとまずい。

今日は図書館へ行って、なんとなくの資料を借りてきました。これらの本たち。
e0022232_17523861.jpg

何がなにやらでしょう(笑)?

まあコレステロールの本は今の自分の興味だけですが、他のものは今、頭にあるものを実際に形に出来そうな方法が見つかりそうだと思って借りてきました。

それでどんな舞台になるのやら・・・。

観てみたい方は、どうぞ会場に足を運んでくださいね。損はさせませんよ~(^^)

さて、今日はじっくりと腰を落ち着けて、これらの本を読みふけるべし。
自分でもわからない発見がいつ起こるのか・・・。神様のみぞ知る、です!
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-06 18:06 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

プランナーと関わること

4月になりましたね~。
怒涛のような1年間が終わり、新しい年度が始まりました。
今月からはまた先生稼業も開始。演出家稼業はちょっとお休みです。(^^)

昨年から何本かやった仕事は演出家としての経験になることを考えてのことだったので、舞台美術、照明、衣装と出来るだけ外側からでも見れるような位置にいつもいることにしていました。

実際にスタッフワークが出来た現場もありましたから、その時は実体験として色々と考えることが多かったですが、外側から見ているときのほうが疑問符は沢山。

演出家と言う仕事に対しての疑問符は段々と消えていっています。
実体験していくことが答えになりますから、これは私のセオリーと方法を見つければよいこと。

でも、一番謎なのはプランナーとどうかかわるかと言う事。

って言うよりも、プランナーという人たちそのものだったりもして・・・・。

別に人間性の話をしているわけではありません。

例えば、私がいつも一緒に仕事をしてもらっているプランナーでも、演出家が違えばまったく印象が変わります。その能力の方がすごい。

一人の演出家とだけ付き合うわけではないですから、当たり前のことで、それが良かろうが悪かろうが、演出家の好みの問題ですから、それによってプランナーの能力が問われることはありません。

お客にしても、どの舞台をみるかは好みの問題で、そういう意味では演出家、照明家、衣装家、美術家、誰の舞台を観たいかはお客次第。

ものすごいファジーな世界に生きてるな~と改めて認識。

演出家次第で印象を変えるプランナーたちの能力は計り知れませんが、私が良い印象を持たない舞台を観た時でも、結局はそれが演出家の問題だとしたらば、それは自分にも確実に返ってきます。怖い世界だ・・・・。

こうなるといつも仕事してくれるプランナーたちの顔も宇宙人に見える(笑)。

私はこれからどうやってプランナーと関わっていくべきか・・・。
そして、誰と一緒に仕事をしていくべきか・・・。

なんだか、逆に考えていた方が良い感じがしてきています。

つまり、プランナーが演出家を選んで仕事をする。

自分が出したい色、形、それをうまく使ってくれる演出家を選んで舞台を創る。

なんでこんなこと考えているかと言うと、私が本当に望んでいる舞台創りは、すべての人たちが作品の素材になること。

そのためにはどのセクションも突出したくは無い。
けれど演出家と言う仕事はお山の天辺にいなければいけないというのが常識。

でも、その天辺もパーツだってことを忘れたくない。
私の創りたい舞台を創るのが仕事ではなく、「作品」を世に出すのが仕事。

面白い舞台を創りたいのは心情。
でも、絶対に自己満足になりたくないのが本音です。

この1年間のおかげで、多少は演出家としての認識もあるらしく、アピールもあればお説教もあり、驚くコメントも色々・・・・。

なんだか良くわかりませんが、前川はずっとこのまま地味~に舞台を創り続ける演出家でありたいと願っています。

一つ一つの舞台を丁寧に。
じっくりと作品と向き合っていきます。

こんな演出家でよければ、どうぞ、プランナーの皆さん選んでください。
ただし、本当に地味~にこつこつと舞台を創りますので、明るい展望が開けるかどうかわかりませんよ(^^;)そこんところを加味してくださいね。

さて、次回は5月24日にアミュー立川の小ホールでモーツアルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」を公演します。

1年通して若者たちがseccoを読んできましたから、それを形にしていきます。
17時30分開演。1800円。
照明だけプランナーをお願いして舞台を作って行きます。地味~にねっ(笑)。

情報はまたアップします。
さ~て、2週間ほど休んだらばまずは地味初めに「ドン・ジョヴァンニ」で頑張ります!(^^)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2008-04-01 16:16 | 演出家のつぶやき | Comments(2)