根本を見つめる

私のところでは、オペラのリブレットを読むのと同時に、希望する方には戯曲を読むと言うこともやっています。

これは、日本語をちゃんと扱いたいことと、目で見る文字のイメージを言葉にするときに、どれくらい音として捉えられるかと言うことをやりたいからです。

先日のレッスンで、この戯曲を読んでいる時に、いわゆる長台詞が出てきました。

ページの半分くらいに渡って、一人のキャラクターが喋っている。

それを読んでいるクライアントさんの音を聴いていると、どんどん棒読みになってくる。

読み終わってから、「ふ~」っとため息(笑)。そりゃそうですよね。

しかし、本来役者さんならば、この長い台詞をこなさなきゃいけない。

役者ではないにしても、書かれているわけだから、何かを駆使して読むのがテーマです。

長台詞がうまく読めない理由は、まず、読み手が飽きてしまうことが一つ。

段々長くなってくるうちに、読むと言う作業に集中できなくなってくるんですね。

それから、文章の区切り方がわからなくなる。

これも集中度にかかってきますが、後の文章が予測できていないために、変なところで区切ってしまう。

これは、読み込めば解消されることですが、基本的に文章を読みなれていないと、短い台詞でも、起こる現象。

そして、もっとも大きな理由は、誰かに読み聞かせていると言う快感が少ないこと。

これは再三書いていることでもありますが、通常オペラの現場でも起こることで、研究生や学生などは、声を出すこと自体を「勉強」の一環として意識していることが多いですから、誰かを気持ちよくさせるとか、驚かせるとかの快感を感じられない。

そうすると、手としてそれをやると言うことが意識の中にありませんよね。

さて、読んでいたクライアントさんに私が聞いてみたことは、「最初に、歌をやり始めた時の理由は?」と言う事。

何故、歌が好きになったか。
何故、芝居をやり始めたか。

そうすると、まず今の大人の頭で考えますから、結構理由が沢山出てくるのですね。

「やっぱ好きってことだったと思いますけど、それをもっと勉強したくなった」とか、こうで、こうで、こうなった的な答え。

でも、これは「何故、歌を勉強しているか」と言う質問とすりかえられています。

私が聞きたいのは、「そもそも歌が好きになった理由」です。

歌をやり始めたのは、歌が好きだったから。じゃあ、その歌が好きになった理由は?

私自身のことを言えば、小学校2年生のとき、歌のテストと言うのがあって、何でもいいから歌っていいと言われ、母に習った賛美歌を歌って、クラスの皆が「前川さんは歌がうまい」と言ってくれたこと。

うちは、母が歌が好きなこともあって、良く賛美歌を歌い聞かせてくれたのですね。

それを姉と一緒に歌っていました。

でも、その時は曲が好きだった。

自分の声のことなんか気にしたことも無かった。

ところが、初めて人前で歌ったときに、みんながいい声だと褒めてくれた。

それで、歌がすきになりました。

後は、それに乗せられるままに音大まで行ってしまったと言う、恐ろしい単純思考の人間だったわけですが(^^;)

とにかく、動機は人を喜ばせたからだと思っています。

おそらく、人前で何かをしたいと思っている人たちの大部分は、この理由かなと思っています。

自分が他人に影響を与えた。

ところが、これが勉強となったとたんに、理由は内側になります。

自分の歌い方や、リブレットの読み方や、言葉の発し方。

それを人前で表現として使うことは二の次になってくる。

長台詞がうまく喋れないのも、そう言うことが大きな原因の一つとなります。

クライアントさんにこの事を話して、もう一度「影響」と言う事を考えながら読んでもらいました。

そうすると、全然違ってくる。

忘れちゃいけないことだと思います。

「何故、歌を、芝居をやり始めたのか。」

太い根が土の下で頑張っているから、幹が育って華が咲く。

「経験」や「勉強」は肥料なんですよね。

水はなんだろう・・・。
血と汗かしら????(笑)

育てて生きたいですね。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2008-08-30 11:54 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

華を持つ

最近はオペラのお仕事がきれているので、ネタが無く、更新が遅れています。
それでも根気良く覗いてくださる方々、ありがとうございます。

仕事が無いので家にこもっているのですが、TVだけは良く観ており、中々面白い現象を沢山感じています。

昔はあまり見なかったドラマも、最近は脚本に興味があってみるようになりました。

そうすると、必然的に俳優さんの名前と顔を知ることになります。

特に男優さん。

女優さんも沢山若い人が頑張っていますが、今は「イケメン流行」ですよね。

よく、「華がある人」という言い方をします。

舞台でも日常でも言われることで、その人に目を引く要素があるということ。

その「華」はどうやって作られていくのか。

こればっかりは、「元々その人が持っているものだから」というのが良くある答え。

確かに。

これこそ、天性というものですよね。

後は、経験。

特に俳優さんやモデルさんは、観られてなんぼ、ですから、経験を積めば積むほど、つまり、人に観られる回数が増えれば増えるほど、その人の輝きは増してきます。

しかし、本当に大切なのは、「観られる」と言う事の意味をどう理解するか、じゃないかな。

同じように今、人気が上がってきている男優さんで、すぐに主役級になる人たちは、やはりどこか自分に核を持っているような気がする。

もちろん、脇に居る人たちも「核」は持っているでしょうが、何というか「覚悟」がない感じがするんですよね。

つまり、自分が売れていくということがどういう意味を持っているかということ。

私が思うに、「売れる」ということは、きっと自分で無くなることなんじゃないでしょうか。

否が応でも、別の自分にならざるを得ない。
商品としての価値を、自分もみざるを得ない。

そして、それを周りがどれだけ期待しているかも、もちろん如実に感じるでしょう。

それってしんどいですよね、多分。

しかし、そうやって磨いていくからこそ、原石はダイアモンドになる。
そこに努力があると思います。

ところが、準主役で売れている人たちというのは、別の自分にならないですよね。

「役者をやろうとしている」人になっちゃう。

商品としての自分を客観視してない感じなんです。

女性もそう。

ちょっと綺麗な女の子が、スタイリストさんや、美容師さんにセンス良く飾ってもらって、身近な存在としてキャーキャー言われてる。

そういう女の子、男の子たちには生活観があります。

スター性がない。

これだと、誰でもなれる気がして、今や素人文化が花盛りってことなんでしょうね。

舞台の世界は、もう少し現実離れしています。

やはり、ステージが生ものであるだけに、そこには非現実的な人たちが居て欲しい。

遠めに観るしかない舞台では、容姿の綺麗さもTVほど必要とされませんから(綺麗に越したこと無いですよ)、ダイレクトにその人自身の実力が物を言います。

しかし、同じレベルの俳優さんで、優越をつけるとしたらば、やはり自分の存在をどれだけ無くすかにかかっているような気がします。

役になりきるとか、そういうことじゃなくて、「価値観」として。

歌い手も同じですね。

歌い手は、「声」という、もっとも身近で、もっとも非現実的なもので評価が下される。

容姿は完全に二の次です。

声さえ良ければ、デブでもブスでも問題ない。

目をつぶっても、好きな音楽に酔いしれることで、観客は満足が出来るのです。

ってことは、オペラの場合、ひょっとして人間よりも、声にこそ「華」が必要なのかもしれません。

そのためには、良い声を持っているだけではもちろん駄目で、商品価値を揚げるために、どうこの声を道具として磨いていくかにかかっている。

言葉の感性、音楽観、表現の素晴らしさ。

「自分のための声」を磨いているだけでは、準主役で終わりますよね。

どうやって「華を持たせて」行くのか。

私たち演出家も同じことですね。

カリスマという言葉は、人気が出るとすぐに使われてしまいますが、別に、その人は神様じゃない。

そう持ち上げていくのは、周りの人間たちです。

マスコミや、実際に関わった人たちが褒めるだけ。

それは口コミで伝わって行き、名前が売れて有名になっていく。

しかし、流行が終われば消えていってしまいます。

ずっと華を持ちつづけるにはどうすればいいのか。
そこにこそ、努力が必要ですね。
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by kuniko_maekawa | 2008-08-26 12:38 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

言葉の音

ちょっとオペラから離れて・・・。(最近ネタが無いんです)

日々、時間があると私は韓国ドラマを観ています。(^^;)

いきなり、こんな話もなんだと思うのですが、もちろん、真面目な話(笑)。

最初は、ストーリーに惹かれているのだと思っていました。

単純至極な恋愛話が、きっと私の世代の少女マンガを彷彿とさせ、こんなに大好きなんだわ~、俳優もみんなかっこ良くって、非現実的だしさ~、と毎日のように動画サイトに走っているのですが、最近は、どうも違うことに惹かれているような気がしてきました。

何かというと、ずばり「韓国語」、なんです。

元々、アジア圏は色々と興味があって、中国やモンゴルやインド、行ってみたい国は様々ではありました。

しかし、普段、一番身近であるイタリア語を第一原語と考え、勉強したりしていましたので、言葉というものに興味は惹かれてないと思っていました。

必要を感じなかったというか・・・・。

ところが、最近、妙にこの韓国語の響きが耳に心地よいのです。

なんでしょうね~、不思議です。

ハングル文字はまったく理解不可能だし、原語的にもピンと来るような単語があるわけでもないのですが、とにかく「音」がすきなのです。

韓国語はハングル文字と漢字表記を使います。

ですから、名前もハングルで書いてあるのと、漢字で書いているのと、両方観ます。

発音も日本語にどこか近い。
その辺は中国っぽい。

例えば、「先輩」という単語は「ソンペイ」、「約束」は「ヤクソケ」。

時々こういう発語に出会っては親近感も覚えます。

何せ、毎日死ぬほど観てますから、その分言葉を聞いているわけで、リスニングはこうやって鍛えられるのだと認識。

ちょっとした単語は字幕と照らし合わせて覚えてしまいます。

何が私の好みの音なのかしら???

一番心地よいのは、硬い音と柔らかい音が一緒にあること。

「サラゲ(愛してる)」や「マッシソヨ(おいしい)」とか、「コマオ(ありがとう)」これらの語尾や音の途中が抜ける感じがするんですよね。
それがすごく感情的に感じる。

例えば、「うん」って相槌を打つとき、韓国語では「オ」と言います。

でも、これも口を見ていると、結構深い「オ」の口で、それを音にする前に感情が派生するみたいで、表情が微妙に動いてから音が出るんですよね、それが女性だったりすると、結構可愛い。

「好き」という言葉「チョワエヨ」って発語なんですが、これもなんだか子供が言っているみたいな感じ。

今書いているのは、すべて、私の耳が聞き取っている発語ですから、正しいとは言えないので、御了承いただきたいのですが、この柔らかい音のと比例して、硬い音もバランスよく入っている。

例えばね、「早く食べて」って言う時「バッリ モゴ」って(あくまで、こう聴こえるってことでですよ)。こんな色んな硬さの音が組み合わさってるのが心地良いんです。
「チャッカンマンニョ(待って)」、「チョギ!(あの!)」、「イェップタ(かわいい)」こんな感じ。

「アポジ(お父さん)」「オンマア(お母さん)」「ヒョン(お兄さん)」「オンニ(お姉さん)」家族を呼ぶようなこの音は言い方でしょうけど、人や感情によって、微妙に音の長さや柔らかさが変わって歌っているよう。

すべては好みの問題でしょうが、こんなに耳が心地よい原語も珍しい。
私って、前世は韓国人だったのかしら。

真面目に韓国語を勉強しようと思い始めている今日、このごろです。

「オペラなブログ」番外編ですね(^^)
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by kuniko_maekawa | 2008-08-18 12:57 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

演出家で居ることの意味

芝居やオペラやミュージカルや、あらゆる舞台は演出家が構成し、創っています。

そのコンセプトに、舞台美術家や照明家、衣装家、と言うプランナー達がヴィジュアルを創るために添ってきます。

現場での指揮は舞台監督の範疇ですが、基本、演出家の意向にそって物事は進んでいきます。

とりあえず、私も演出家です。

大きな舞台を創ることは少ないですが、前述した人々の中心となって舞台を創っています。

なんでこんなことを書いているかと言うと、なんだか演出家ってわけわからない職種だなあ~と常々思っているからです。

暇にしていると、他公演を良く観にいきます。

自分で観にいきたいと思ってお願いすることもありますし、お誘いをいただくことも多いです。

そのたびに、やはり演出を目にするわけで、何も感じないわけにはいかない。

残念ながら往々にして、あまり好きなものはありません。

特にオペラは。

自分も同じ分野に居て、作品を知っていたりすれば尚更、読み方が気に入らなかったり、音楽が気に入らなかったり。

好きな場合ももちろんあるのですが、演出家なんて、それぞれがポリシーを持っていますから、絶対に許せない場合の方が多かったりする。

しかし、お客様は喜んでいるし、歌い手たちも満足しきった顔をみると、それは個人的な感想で、公演自体は大成功だったのだろうなと認識はします。

だから、それだけで演出の良し悪しは決められない。

そこに参加しているプランナー達もそうです。

演出家のコンセプトに添って、プランを出しているのだから、それが彼らにとっては正解ですよね。

これが、私の大好きなプランナーだったりすると、やっぱり切なくなる・・・・。

それでも、この演出家のコンセプトでも、ここまで綺麗な明かり、衣装を出してくるんだ~と思えば、それも彼らの職人的才能で、やっぱ一緒にやりたいと思うのですが、どうしても許せない場面も出てくる。

演出家ってなんだろう?って思うのはこういう時。

一緒に仕事をするスタッフ達は、やりたいことをはっきり言う演出家が好きです。

お任せの場合もありますが、そうするとコラポレーションしているように感じないと言われる。

しかし出してきたコンセプトに対して、どう関わるかはやはりプランナー達にお任せになる。

だから、自分と同じ感性を持ったプランナーとやるのが一番良い。

好きなことを瞬時に察知してくれて、データに入れてくれる。

彼らもそう思っているかもしれない。

でも、それが演出家の頭一つになると、客はどうなんだろうかと思う。

客にはわかんなくても良いから、自分たちの好きなことをやろうぜっ!って言うのは、やっぱり違うと思う。

これは制作にも当然言えることですが・・・。

何のために、この公演を打つのか。

どうしたいから、この演出家を選んだのか。

作品も、歌い手も、役者も、制作がどういう公演にしたくて選んだのか、良くわからない。

オペラの場合は、商業的に成り立たないと言う部分に皆が甘えている気もする。

予算が無いから、歌い手が居ないから、自分たちの場が無いから、勉強だから(これが一番嫌いです)、色んな理由で、個人的に公演が立ち上がってきている。

私は自分の中に二つのものが常にあって、いつも公演を観た後、なんだか腹具合が悪いようなものを感じる。

舞台を創り続けたいと切望している情熱に駆り立てられる自分と、演出家というものの曖昧さと責任に辟易している自分。

舞台を一つ創るたびに、そう思います。

すべての問題を解決するためには、結局は大きな組織を作るしかないのかもしれないとも。

今がなんだか変わり目のような気がする自分があります。

だからこそ、焦らず、じっくりと成すべきことを見つけないといけないかも・・・・。

先日、師匠と飲んだ時に、その時はまだ創る事にこだわっていた私と違って、彼は「今思うのは、これから先、何を残していけるかと言うことなんだ」とおっしゃっていました。

私は45歳。彼は59歳。

先を見る目が違うのか、と思っていましたが、そうでないことに今気づいています。

私がどうしても受け入れられない舞台は、多くが演出家や製作者が好き勝手に創って、そのまま捨てていっているものです。

そこには、やりたい放題やった演出家の残像が廃棄されるのみ。

でも、それじゃいけないんです。

人、一人の思い込みが垂れ流しになるのじゃなくて、関わったスタッフたち、出演者たち、何より観てくれた人たちの心に、確実に残る何かを提供しなくてはいけないんです。

だから、作品に嘘をついてはいけない、簡単なことをしてはいけない、丁寧さや誠実さを欠いてはいけない。 
そう、改めて思います。

今は、ちょっと舞台を創るのを休みたい気分。

どうせ、仕事も切れています(^^;)
良い機会ですから、じっくり考えて、これからは焦らず、本当に必要な舞台だけを創って生きたい。

切に、切に、そう願います。
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by kuniko_maekawa | 2008-08-11 12:55 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

絨毯座小Laboシリーズ音演出による「オルフェオとエウリディーチェ」

昨日、無事に「オルフェオとエウリディーチェ」の本番が修了しました。

門仲天井ホールと言うスタジオでのライブでありましたが、60人以上のお客様が客席を埋めてくださり、当初の予定よりも沢山の方に聴いていていただくことが出来ました。

暑い中、会場に足を運んでくださった皆様、本当に本当に、ありがとうございました。

今回のコンセプトは「音演出」
これについては、プログラムの序文に揚げた文がありますので、それを引用させていただきます。

『オペラ作品を演出をする時、この楽譜をどうやって読み込んで立体化するのか、と言う事のみに、私は恐ろしく捉われる。そうしないと、役も舞台もヴィジュアルも創れないと思い込んでいて、恐らくそれは、私の中の唯一の正義だ。
そうやって作品と向き合っている間に、いつしか「音演出」をやってみたいと憧れを持つようになった。
「音演出」とは、私が勝手に創った造語である。楽譜の中にあるすべてを解釈し、それを動機として歌い手たちの中身を刺激し、それに刺激された歌い手たちの中から起こってきた感情を「音」にして伝える。その「音」を創ることに集中することこそが、表情を作り、身体を作り、役を作る。それをやってみたかった。____<以下省略>』

この文章を書いている時に、まさにこのことこそ「私の正義だ」と、初めて気づきました。

こんなに想いをもって、音楽と楽譜と関わっていたなんて、思ってもみなかったことです。

しかし、この「正義」は確実に私の要になり、本番までを支えてくれました。

この「音演出」を叶えてくれたのは、絨毯座の座員であり、ピアノを弾いてくれた野口幸太君と、三人の素晴らしい女声たち。

私のコンセプトに快く乗ってくださり、6月の末から本読みを始めました。

演出家である私がやると言うことで、当然舞台を創るのだと思った方も多かったのですが、今回は、言葉を創りたかったので、形式としては演奏会です。

椅子を3台用意し、スポットを落とし、そこに歌い手たちが立って、ただ、歌うのみ。

しかし、これがどういうことかは私たちはしっかりと理解していました。

演技をするのではなく、語ること。

オペラ歌手にはもっとも嫌なことだろうと思います。

動いて出来る自然な息や、表情などもあるからです。

でも、その動機こそが言葉にある、と分かっているからこそ、今回の試みに乗ってくれた方々です。

時間をかけて、私たちは本当に丁寧に作品を創っていきました。

何度も話し、方向を変え、実に毎週末をひと月あまり。

そして、見事に「語り歌い」が実現したのです。

実は、ある種の人たち?には密かに「前川ワールド」と呼ばれている、私の投げかけ。

自分では意識していないのですが、稽古中は、ただ、ただ、聴こえてくる声や言葉に関して感じたことを喋り続けているだけの機械となっている私。

恐らく喋っていることも、かなり抽象的だったり、映像的だったりすることを、彼女たちは本当に我慢強く、そして楽しくキャッチボールしてくれました。

特に、オルフェオを歌ってくださった、諸 静子さんは1時間ちょっとの今回の作品をずっと歌いっぱなしで、支えてくださいました。
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深い声を持っていて、バイタリティのある彼女の「音言葉」は、聴く人の心を突いたに違いありません。
「オルフェオ」と言う題名にしてもおかしくないほど、メインで歌わなければならず、それぞれの場面で細かい感情の機微があり、非常に難しい役どころを、ゆっくりと時間をかけながら、消化していく忍耐強さ。
そして、それが開花された時の、歌唱の素晴らしさ!
これから本当に楽しみなメッツォです。

そして、「稽古場」等、私のプロダクションに無くてはならないソプラノ、エウリディーチェを歌ってくださった松田麻美さん。
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本当に容姿の美しい方で、立ち姿にも惚れ惚れしますが、素晴らしく良い感性でいつも私のインスピレーションの源です。

期せずして、諸さんと彼女の声の質の相性が良かったのも相乗効果で、お二人のデュエットなど、本当に素晴らしかった。

アモーレは佐藤恵利さん。
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普段は日本オペラが多いせいか、イタリア語を歌唱するのに苦労してらっしゃいましたが、生来の真面目さで、発語はもちろん、歌唱表現としても遜色の無いアモーレとなりました。
明るく、綺麗な声で、どの高さの音でも変わりない響きがあるのはさすが。
子供のような、大人のような、けれど神託を与える神としての役割をきちんと語ってらっしゃいました。

ピアノの野口幸太君は、企画者でありますが、弱冠27歳の若さで音楽を率いて、歌い手と私の橋渡しをやってくれました。

稽古の度に、変わってくる彼のピアノにもインスピレーションを沢山もらい、同時に私の音楽的な要求も、すぐさま形にしてくれると言うアンテナの良さも素晴らしいと思いました。

時に、今回野口君以外は、私も含めて40代。

再三記事にもしましたが、この同年代と言う空間が、私に取っては新鮮で、そして素晴らしく気持ちの良い空間でした。

彼女たちは、まず自分たちの力量に関して、本当に、シビアなくらい冷静に分かっており、出来ることと、出来ないことを、きちんと判断します。

そして、出来ることは最大限に、出来ないことは違うアプローチを探しながら、あるいは、私に求めながら、出来ることに代えていくと言う能力に長けていました。

これが本当に素晴らしかった。

今回、彼女たちと丁寧に作品に向き合えたことが、一番の収穫だと思っています。

「音言葉」がどれくらい出来上がっていて、どんな風にお客様の耳に入ったかはわかりません。

字幕も出しましたが、それによって何を感じて帰っていただいたかも・・。

もちろん、演奏者は本当に良く歌っていました。そして、語っていました。

感動したと言うメールもいただきました。

それで十分。

何かを感じてもらえたら、それが良くても悪くても、十分。

ただ、私と彼女たちで創った「音言葉」を聴いてもらいたかった。

そして、成されました。

私が「正義」だと確信した作品との関わりを、私はもっと確実なものにしたくなりました。

そのために、何をしなくてはいけないか、どのくらいやらなければいけないか、答えはないですが、ずっとずっとこうやって、丁寧に作品と向き合って、創って生きたいです。

この公演を聴いてくださった方々、本当にありがとうございました。

そして、歌い手のみなさん、幸太君、本当に感謝です!


さて、また一歩、足を進めるときが来ました。
靴の紐を締めなおして頑張ります。

いつか「音演出家」と呼ばれるために・・・。
(ちょっとかっこ良過ぎるかな~^^;)
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by kuniko_maekawa | 2008-08-07 23:20 | Comments(0)

「オルフェオとエウリディーチェ」

さて、次回公演のお知らせです。
またもしばらくトップに置かせていただきますね。更新記事はその下にアップしていきますので、合わせてごらんください。

8月6日(水)門仲天井ホールにて
グルック作曲オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」を上演いたします(開演19:30)。
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画像をクリックしていただければチラシが大きくなります(^^)

これは演出家恵川智美氏の主催される絨毯座と言う団体の「小Labo」と言う枠で、
オペラを様々な方向から検証し、上演するというもの。

今回はピアニストの野口幸太君の企画・プロデュースにより、私とのコラポレーションを実現してくれました。

テーマは「音演出」

聴きなれない言葉ですよね。
当たり前です、私が創りました(笑)。

そうですね、平たく言えば、音楽を「朗読」すると言うようなものでしょうか...


オペラは基本、作曲家と言う大演出家が書いたもの。
私たちは、彼らの音を読み、言葉を解釈し、舞台を作って行きます。

そもそも演出家の仕事は、歌い手たちの導線、セットや衣装や照明や外側の装飾等が仕事ではあるのですが、それを起こしていくのに不可欠なのが楽譜。

そして、その楽譜は先に書いた作曲家によって、すでに演出されているの物であり、それを読み解くことが結局はオペラ演出家の言葉となって行きます。

私は常々、この楽譜と言うものを芝居の台本のように、すべての出演者、スタッフに扱って欲しいと思っています。

楽譜を言葉にしていく。
そして、それを伝えるために音楽と声を使う。

「オルフェオとエウリディーチェ」は有名なギリシア神話が元になっている古典オペラです。

竪琴引きのオルフェは最愛の妻エウリディーチェを毒蛇にかまれて死なせてしまい、嘆き悲しんでいる。
そこに愛の神が現れ、「ゼウスの慈悲によって、生きながら黄泉の国に行くことが許可され、もし、竪琴で地獄の怪物たちを治めることが出来たらエウリディーチェを連れて帰ることが出来る」と伝えます。
喜び勇むオルフェオに、愛の神はある一つの条件をつけます。
それは「眼差しを向けないこと。いつもの口調を使わないこと」
オルフェはその条件を飲み、黄泉の国に向かいます。

この時代のオペラは様々な変容を遂げていくプロセスが見えます。
グルックも変革を望んでいました。

そのため、台本に劇的要素を沢山要求しています。
しかし、音楽的にはバロックの様式を色濃く残しており、その温度差が面白いのと、音楽が様式的であるからこそ、言葉の扱いによって楽曲が変容するだろうと言う期待があります。

この台本をどうお客様の耳に届けるのか。

今回は三人の女声に参加していただき、試みに付き合っていただきます。

オルフェオ     諸 静子さん
エウリディーチェ 松田 麻美さん
アモーレ(愛の神)佐藤 恵利さん

それぞれに才能と感性をお持ちの方々。
敢えて女声の作品を選んだのも、言葉の繊細さ丁寧さが欲しかったから。

声は言葉を伝える道具です。
耳に心地よいのが必須だと思っています。

どうぞ、この試みに参加していただきたいと思います。
歌い手たちがどこまで作品の媒体となって、言葉を伝えることが出来るのか。

私が、どこまで作品を解釈し、作曲家のアシストが出来るのか・・・・。

チケットは1800円(当日券2000円)
お問い合わせは
絨毯座制作部(ナヤ・コレクティブ) 03-3921-4309
jutanza@coral.dti.ne.jp
もちろん、このブログ、または前川のHP(http://www.rak3.jp/home/user/kuntz/)
でも受け付けます。

是非会場に足をお運びください。
沢山のお問い合わせをお待ちしています!
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by kuniko_maekawa | 2008-08-06 13:44 | 演出家のつぶやき | Comments(0)