世田谷パブリックシアター「偶然の音楽」

昨日、幼馴染と久しぶりに芝居を観にいきました。

お子さんがいらっしゃる彼女と会うときは、ランチだけ、と言うのが多かったのですが、今回は珍しく芝居か映画か、何か観たいと言う事になり、平日のマチネを探して行き当たったのがこの芝居。

2005年に上演されたものの再演です。

原作はポール・オースターと言う作家の小説。
これを遊機械/全自動シアターの白井昇さんが舞台用に書き下ろし、構成、演出も担当しています。

ある消防士が長年音信の途絶えていた父親の巨額遺産を受け取ります。
妻と別れ、娘を姉夫婦に預けていた彼は、車を買い、姉夫婦を尋ねる途中、若い賭博師と出会い、彼の大博打に遺産全部を賭け負けてしまいます。
その負債のために、勝負相手の屋敷に監禁され、25キロの石を積み上げて壁を作ることを強要された消防士と賭博師。
この閉塞された空間で壁を積み上げながら、彼らの人生は変わって行きます。

消防士を仲村トオル。若い賭博師を田中圭君がやっていました。

白井昇さんは役者さんとしてはTVなどで知っていましたが、演出をみるのは初めて。それに加えて、最近若手俳優としては実力派といわれている田中圭君に興味がありました。

それで選んだので、内容はまったく知らないまま劇場に。

物語自体は好きでした。
後味が悪いと感じた結末でしたが、軟禁状態にされている空間の中で、自分を見つめ、若者との友情を心の支えとし、逃げない人生を選ぶと言う心情を仲村トオルさんは丁寧に演じていましたし、期待の田中圭君もきちんとした台詞が喋れる人でありました。

舞台もグレーベースのチェス版のような床の上に、机や椅子、あるいは消防士の車であるサンバーンの模型など、人間も含めてチェスのコマみたいに感じられ、四谷シモンの「鏡の国のアリス」を想像させます。

賭博師と出会い、大勝負をやるまでは、ずっと舞台上を色んな方向に役者が歩いていて、消防士が行き着く場所、場所で役者が関わって場面を作って行きます。

照明操作は面白く、各場面のエリアを作るためのスポットもそうですが、実際に動きや台詞の情景に合わせてリアルに動いていくスピード感やタイミングが好きでした。

色んな趣向や方法は好きだったんですが、なんでしょうね?
なんだか、作品として観た時に、すごく中途半端に感じる。

パーツ、パーツは好きなところも多いのに、なんだか集中できないし、終わった後も面白みを感じない。

大きな問題は台本だったと思います。

これは使われている台本が悪いとか良いとかじゃなく、恐らく私の好みの言葉や展開ではなかったってこと。
好きな言い回しじゃなかっただけだと思いますが、それでも、何かすっきりしない感じの台詞。
具体的にはいえないのですが・・・・。

何というか、逆に言葉は沢山使われているのですが、実際に何が言いたかったのか良くわからなかったと言うことかもしれません。

舞台の趣向はものすごく凝っているのに、耳に入ってくる言葉が内容が無い。
そう感じました。

そして、主役である仲村トオルさんの台詞の喋り方。

この方は声はすごく良いと思うのですが、前編、抑揚を抑えた棒読みみたいな喋り方で、全然耳を刺激されなかった。

正直、彼じゃない人で観たくなりました。

しかし、田中圭演じる賭博師の方が、感情的には激しい役でしたから、演出家がそう指示したのかもしれません。この辺はなんともいえませんが、そんなことが芝居に集中させなかったものかも。


オペラの場合と同じですね、やはり役者や歌い手の声と言うものに魅力を感じなければ、やっぱり満足しない。

芝居の場合も、役者の特異さとか、個人的な妙技ばかりがたってもやはり面白くない。

台本が良くて、それを伝える役者の言葉が良くて、耳が満足してこそ、舞台上の趣向が楽しめる。

それを実感した舞台でした。

ところで、今回はパブリックシアターにも一文句言いたい(--#)

私は3階の真ん中くらいで観ていたのですが、席自体がちょっと高さを持って作ってあるらしく、座ろうとすると足台が一緒に下りてきます。

つまり、席に座ると自然と足元に台がくっついてくると言う感じ。

新幹線の足台と同じですよね。あれが一体になってる。

ところが、この席と足台の間が離れすぎていて、私の足はつま先しか届きません。

確かに私は小さいのですが、これって男の人か、女性のでも160以上の人で無いと足は浮いたままだと思うのです。

しかし、大抵女性は身長が低いのだし、お年寄りとか年配の方などは、これが相当辛いと思われます。

だったら想定して、足置きとか別個に渡すようにすればいいのにと思いました。

足が浮いたまま2時間半も同じ状態でいなければいけないなんて、結構拷問ですよ。

それくらい考えてくれればいいのに。

こういう座席の高い席って結構あって、この間も文京区のシビックホールでオペラを観たときに、座席が膝の方に向かって上がっていて、やっぱり足が浮いてしまうんです。

これは座って背にもたれると、自然に身体が上を向くようになっているのですが(プラネタリウムの座席のようです)、これだって皆が同じ身長や座高じゃないんですから、考えるべきですよね。

2時間は短い時間じゃないです。しかも、5千円とか7千円とか取られるですよ!

劇場の良し悪しは、こういうところでも決まります。

今度からはパブリックで芝居を観るのは考えようかと思いましたもん(怒)

それはともかく、一緒にいった友人は業界の人ではありません。

これはすごく楽しかった。

いつもならば、どうしても私の勉強や経験の過程として舞台を観てしまうのですが、今回は本当にただのお客様でした。

第一目的はランチとおしゃべりなんですもん(笑)。

そのついでに「芝居でも・・・」なんて、ちょっと余裕のある遊び(^^)、楽しかったです。

それにしても台本って難しいな・・・・。

自分でも書いてみたいってずっと思っているのですが、原作のあるものでも、言葉の選び方、舞台空間の想像の仕方で、すごく良し悪しが決まります。

人を感動させるのって仕掛けばかりじゃ駄目なんですよね。

言葉に感動するのは、聞いている人間の経験や感情にダイレクトにくるものがあるからだと思うんです。

感性って相変わらずつかみどころが無く怖いものですね(^^;)
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by kuniko_maekawa | 2008-09-19 14:05 | 観劇日誌 | Comments(0)

駄目だしと言うもの

先日、ある歌い手さんから演出家との関係について相談を受けました。

その歌い手さんは出演していた公演で、稽古中に演出家からまったく「駄目だし」を受けなかったのだそうです。

「駄目出し」とは、立ち位置や内容のことなど、演出家のコンセプトと違った場合、そこをチェックして伝えると言う作業です。

その歌い手さんの役は脇ではありましたが、キャラクター的なことも何も言われず、どうやって役を作っていったらいいのか、わからなかったのだそうです。

「最後まで演出家との共通意識が持てなかった。私の力不足で演出家のイメージを引き出せなかったのでしょうか」

う~ん、言葉に詰まりますが、こういった演出家の影響は、私も考えさせられるところであります。

ただ、この演出家は私も良く知っている方ですが、決して仕事をしないというのではなく、役割を知っているからこそのことだと理解しています。

つまり、オペラ演出家は作曲家の演出助手だと言うこと。

また、それぞれの分野のスペシャリストとして公演に参加しているのだから、歌い手もその一人として、自身の技で作品に関わっていくのが仕事。

その仕事を全うしていれば、歌い手こそが内容を作っていく人であり、演出家の仕事は作曲家の指示する交通整理だけなんだということ。

そこを受け手がどう捉えるかによって、勘違いは起こりえることだと想像します。

しかし、通常の稽古場での演出家の仕事は、内容から形、全てにおいて責任を取ることだと思われています。

ですから、当然、演出家の意見が第一になり、下手をしたら動き方とか、手の上げ下げまで「決めてください」と言われる。

これは私からしてみれば「演出家の権限」なんてものではなく、単なる責任転嫁です。

楽譜のト書きや音楽を解釈できないと言う事の責任転嫁。

同じ台本を読んでいて、各分野が解釈をし、それを出し合うのが稽古場であるべきです。

もしかして、迷った時でさえ、頼るべきは演出家ではなく楽譜かもしれません。

さて、先の歌い手さんに話を戻しますと、この方はすごく真面目な方で、モチベーションも良く、どの現場に行っても、評判の良い方です。

もちろん、歌い手としての可能性も十分。
本人もそのつもりで、色々とオーディションも受けて頑張っています。

若いので経験はこれからでしょうが、自分でも現場を踏んで来始めた自信もあると思います。

恐らく、今回も十分に準備をして稽古場に立ったと思います。

ところが演出家は自分に何も言わなかった。

そこで、自分は何が出来ていないのか、いいのか悪いのか、わからなくなってきた。

そして迷ったまま舞台に乗ってしまいました。

しょうがないことだろうと思います。

どうしてこうなったのか。

実は、この歌い手さんは自分の評価を演出家に託していたのですね。

何をするにしても、演出家に答えを求めていた。

つまり、本来は作品と向き合わねばいけなかった時間を、演出家の意向を探るために使ってしまった。

ところが演出家のほうは歌い手さんの作ってきた役に対して、その仕事を認めていたので何も言わなかった。

このすれ違いが結局は歌い手さんを集中させなかったってことです。

多分、一言でも演出家が「それで良いよ」と言っていたらば違ったでしょうが、この演出家は良し悪しは自分の選択ではないと思える人で、楽譜の方向性が違ってなければ良いんですね。

難しいですね。

私は稽古場や現場で駄目だしが多い演出家は、結局は作曲家から逃げているのじゃないかと思っています。
もちろん、自分自身も含めて、そうです。

出来れば、すべてを作品と歌い手に委ねて、自分は外側を作ることに集中したいと思っています。

しかし、それをするには「信頼」が必要。

実は、これは先の演出家に聞いたことです。

どうやったら、何も言わないって言う稽古場が作れるのか。

「それって、信頼することだよね」

いとも簡単にこの演出家は言ってのけましたよ(^^;)

指揮者を信頼し、歌い手を信頼し、楽譜にすべてを託す。

どれだけ経験と知識を増やせばこんな言葉が言えるようになるのですかね~。

相談してくださった歌い手さんに感謝しています。

私自身も答えながら考えました。

この方の今回の経験が、長い歌い手人生の中の一つのプロセスとして残っていきますように。

尊敬する人たちがいてくれるので、歩ける道でもあります。

私の後に付いてきてくれている人がもし居るとしたら、同じように残して行きたいと最近思います。

叶う事を期待して。
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by kuniko_maekawa | 2008-09-14 16:44 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

ミラマーレ・ムジカ公演「愛の妙薬」

4日、5日と文京シビック大ホールにてミラマーレ・ムジカ公演ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」を観てきました。

ミラマーレ・ムジカはバリトン歌手の松山いくお氏の立ち上げたオペラ制作会社で、様々なオペラ公演を企画し精力的に活動をしています。

昨年8月に「魔笛」を公演した際は、演出助手で参加させていただいたのですが、今年はお客として観させていただきました。

「愛の妙薬」はポピュラーなオペラですから、内容を御存知の方も沢山いらっしゃると思います。

農園主の娘であるアディーナに、惚れているネモリーノ。しかし、使役人である彼とは身分の差もあり、いつもぐずぐずと自分の気持ちがいえないまま。
そこに、軍隊が農園に駐屯するためにやってきて、軍曹であるベルコーレがいきなりアディーナに求婚。ネモリーノが焦っていると、またまたそこにインチキ薬屋のドゥルカマーラがやってきて、誰でも惚れる「愛の妙薬」なるものを大げさに宣伝します。
しかし、どうしてもアディーナとの恋を叶えたいネモリーノは、本当はワインであるこの妙薬を買って飲みます。

結局は薬の効力など無くても、愛は成就するのですが、そこまでをドニゼッティの軽快な音楽と、綺麗なメロディー、特にデュエットの素晴らしさは筆舌に尽きますね。私も大好きな作品です。

演出は松本重孝氏。

私が唯一尊敬し、常に常に目標とし、追いかけている演出家であります。

今回もオーソドックスで、けれど十分物語りにのめり込める素晴らしい舞台が出来上がっていました。
彼の演出は、なんと言うか・・・何もしない美徳と言うか・・・。

もちろん、何もしないことは無いと思います。
彼の方法として「何も言わない」と言うやり方があるのです。
良くわかりませんよね・・・(笑)

でも、私にはこれがまねしたくても出来ないすごいことで、本当は稽古場とかにも詰めていたいんですが、影響を受けるのがわかっているので、最近は本番だけ見させていただくと言うくらい・・・。fanなだけです(^^;)

舞台美術、荒田良さん。
今回は一景だけのセットで全ての場面が演じられていました。

イタリアの片田舎によくある稲穂が前面の奥にあって、その周りを木立が囲っているのですが、その色や線が、まるで絵画から抜き出してきたような質感で描かれています。

彼女のセットは、いつも落ち着いて、はっきりした角度と線が好きなのですが、全てにおいて品格が感じられるのが特筆です。

そうだな、ミニチュアハウスの中で遊んでいる感じ。色も含めてすごく好きでした。

衣装は私もいつもお仕事させていただいている前岡直子さん。

農民の衣装が舞台を埋める割合が多くなる作品ですが、ベースの色は淡く、しかしスカーフや小物。スカートの線など、ちょっとしたところにはっきりした色が入っており、それが品があって好きなんですね。

今回は演出と相まって、オーソドックスな時代衣装。

形も好きですが、その時代の中での階級色というか、使われる色を駆使している点が特筆でした。綺麗だった。

彼女自身、すごく勉強家で努力をして衣装を創っていく人ですが、こういう仕事をみると触発されます。

衣装家や美術家は、絶対的に時代考証というものが外せません。

日本のものならまだしも、当然外国のものもありますから、勉強量と言うものは私たちの非ではないかも知れません。

なんといっても、実際に身につけていたものだったり、街中に建っていたものだったりする物ですから。

しかも、その建物に舞台上でどう人が動いていくのか、キャラクターや感情的に、どんな衣装を身に着ける人なのか・・・台本を読み解釈して最初の段階から作っていかないといけません。
素晴らしいですよね。

もちろん、演出家のコンセプトと言うものがそこにはあるだろうけれど、プランナー達の努力が無ければ立体化されないわけですから、やはり素晴らしい才能だと思います。

キャストはアディーナ:高橋薫子(4日) 竹村明子(5日)
       ネモリーノ:藤原海考(4日) 角田和弘(5日)
       ベルコーレ:党 主税(4日) 折江忠道(5日)
     ドゥルカマーラ:松山いくお(4日) 志村文彦(5日)
      ジャンネッタ: 鈴木涼子(4日) 楢松雅子(5日)

どちらの組もキャラクターがはっきり出ており、松本氏の「何も言わない」稽古によって、歌い手本来の役作り、音楽作りの力量が楽しませてくれる公演となっていました。

4日のアディーナ高橋薫子さんは大学の同級生。
藤原のプリマで、ファンも多い実力派です。

名実共に、素晴らしいアディーナでした。

彼女のハリのある、しかし美しい声は、耳を十分に満足させ、尚且つ見た目のかわいらしさ。元々可愛い人ですが、輝きはひとしおです。

何より、アディーナと言う役が、もう彼女の中で一つのレパートリーとして存在しており、自分のものを持っているという核がしっかりと感じられて、こちらが何も考えずとも、安心して楽しめるというのが素晴らしい。音楽性となると、尚更そうです。

年齢を重ねていくのは当たり前とはいえ、第一線で歌い続けていける実力は、努力無しにはありあません。

ずっと変わらず輝きを持ち続ける彼女の見えない努力に感動でした。

そういう意味では、5日組みの折江さん、角田さんは、同じ理由で十分に納得した居方だったと思います。

特に折江さんは、59歳と言う年齢で、ベルコーレの軽妙なパッセージを見事に歌いこなしておられ、まさに努力の賜物。

もちろん、もともとの才能も持ってらっしゃるのでしょうが、それだけでは長く歌い続けていられない。やはり努力がここにもあるのだと思います。

その中にあって、若い歌手たちも頑張っていました。

この公演はオーディションをしてキャストを決定します。

そのオーディションで選ばれた5日のアディーナ 竹村明子さん。

2月に学校公演のフィガロで御一緒した時も、持ち前の明るさと、根性ともいえる、勤勉な姿勢楽しいスザンナを作ってくれたのですが、今回は、もちろんそれを上回る、素晴らしいアディーナを歌ってらっしゃいました。

元々、綺麗な響きの声を持っていて、心地よい歌唱をなさる方でしたが、一本を通しての経験がまだ少なく、ペース配分が一番大変そうでしたが、そこはやはり努力の人。

もともとの良いところはそのままに、プリマとして、主役として、何より音楽をちゃんと語れる歌い手として舞台にいらっしゃいました。素晴らしい。

もちろん、経験としてはこれからだと思います。
けれど、きっとこれから良いオファーが来るのではないでしょうか、本当に先の楽しみな歌い手さんです。

オーディション組みではネモリーノを歌われた藤原海考さんが特筆でした。

良い声を持ってらっしゃるのはそうですが、ほとんど出ずっぱりのこの役を、一度も空気を止めずに居続けたというのがまず素晴らしい。

つまり、役として舞台に居続けたということです。

居方が素晴らしかったのですね。

でも、それって居るだけではだめです。

結局は彼の音楽観やリブレットの解釈が根本にあって、自分はそれを歌っているだけ・・・、そういう素材で居ると言うことです。だからこそ、特筆すべきことです。

オーディション公演の面白さはこういうところにあります。

有名な人たちは名前で聴きに行くこともありますが、若い歌い手さんたちは、出会う確立はそんなに多くありません。

だからこそ、こうやって新しく出会うことが出来るオーディション公演は意味のあることだと思います。

この方々が、これを機会に質の良いオファーに出会えると良いですね。
本当にそう願います。

今回の公演で、もう一つ特筆すべきことがありました。

合唱団の質の良さです。

こう言った自主団体の公演は、藤原や二期会とは違って、合唱団の方々も寄せ集めになりますが、「愛の妙薬」は基本的に合唱オペラ。

どこの公演を観ても、合唱団がどれだけ良いかで決まるところはあります。

今回は、これが大当たりで、合唱団が楽しかった。

それぞれの方々が、御自分の役を楽しんで、尚且つきちんと歌唱表現もなさっていて、見ていても聴いていても面白かったです。

自分で演出するときに、大人数のミザンス(位置取りとかです)を考えるのは、やはり苦手なのですが、それでも、合唱オペラをやってみたいと思うのは、こういう公演を観た時。

絵として居られる彼らに脱帽でした。

やはり舞台は良いですね。

映画やVDも感じるところは沢山ありますが、生きている舞台が一番良い。

特にこういう成長過程の団体の公演は意味があると思います。

これからのミラマーレ・ムジカにも期待しつつ・・・。
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by kuniko_maekawa | 2008-09-06 13:33 | 観劇日誌 | Comments(0)