脇役のお得度

暇になると、韓ドラの世界にはまり込む私・・・。

最近もずっと「HIT」と言うドラマをネットの有料動画で観ていました。

女性警部補が主役の刑事ドラマで、主役の女優さん好きなのと、ドラマの展開もスリリングでテンポがあるので楽しんでいます。

昨日最終回まで観たところで、ちょっとした法則に気付き悦に入った私。

このドラマには主人公のほかに、彼女のチームである刑事たち、彼女の恋人である検事、その友人たち等々、沢山の人たちが参加しています。

その人たちそれぞれにドラマがあり、こういう多人数ドラマにあるエピソードの創り方をしていますが、その中でもっとも大切なのは、この主人公を追い詰めていく連続殺人犯。

重要な役側ですから、当然実力俳優がキャスティングされますよね。

ドラマを観ながら、有名な役者さんなんだろうな~なんて思って観ていましたが、最終回のちょっと前の回から、どうも主人公の影が薄い。

この主役の女優さんも実力派といわれている人ですが、なんか、観ている間に彼女と彼女の恋人役以外の役者の方に目が奪われていくんですね。

二人の場面になると、ああ、そうだった、この女優さんと恋人役の人が中心のドラマなんだよねって思い出すくらい。

そこで結論。

そうか、やっぱ主役って誰でも良いんだよね~。

もちろん、下手では困りますが、看板女優や男優と言うのは、その人自身の知名度や綺麗度、飾っておいて十分にアピールがある人であれば、案外誰でも良いのかも。

でも、犯人役や、脇を固める俳優は、それなりに個性が無いとドラマの要にならない。

重要なのはそこのキャスティングだと思います。

特にこういうチーム色の強いドラマだと絶対そうかも。

これってオペラでも当てはまる場合があります。

特にアンサンブル色の強いものは。

例えば、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」やモーツアルトの「魔笛」など。

「ジャンニ」は欲深い親類たちの遺産騒動に加担して、まんまとその遺産を奪い取る男の話ですが、このオペラで重要なのは、やはり親類たちのキャスティングです。

もちろんジャンニも誰でも出来るキャラクターではないですが、周りの影響を受けないキャラクターですから、ある程度個性が確立されていれば、選ぶこちらが迷うことはありません。

しかし、この親類たちは違う。

きちんと声を持っていて、尚且つキャラクター的な芝居が出来て、音楽的センスが良い人が希望。

全般重唱で場面を進めていく彼らのアンサンブルは非常に音も難しく、これを歌いきるには相当実力が要ります。

反してジャンニの娘役のラウレッタなどは、プリマとして名前は出ますが、有名なアリア「私のお父さん」を一曲歌ったら、そのアリア前にちょっとしたアンサンブルがあるだけ。

それこそ、綺麗な容姿と綺麗な声を持っていれば、案外誰でも良いです。

「魔笛」などでも、主役のタミーノやパミーナよりも、物語を支えている三人の侍女やモノスタトス、パパゲーノなどが重要です。

特に侍女たちのアンサンブルは非常に大切。

この3人の音楽が成立しないと、この作品は要がなくなるように感じます。

通常私などがオーディションを審査する時、こういうことが基本です。

確実に脇を固めてくれる人材こそ望む。

でも、受ける方はやはり主役をやりたいですから、ラウレッタやパミーナにオーディション希望者が殺到しますね、親の心子知らずというか・・・(^^;)

もちろん、演目によってですから、当然クオリティ高い主役がほしいことも当然ありますけれど、それでも名脇役は必ず存在しますよね。

こんなわけで、ジャリタレでも主役はやれますが、脇役は誰でも出来るわけじゃない。

どっちがお得か、よ~く考えてみよう(これが分かる人は確実に40代ですねっ)!

そういう意味では合唱などは最たるもんで、「カルメン」や「ボエーム」、「セビリアの理髪師」等々、合唱団が良くなければオペラは面白くないですよね。

ここもオペラの醍醐味だと思います。

私自身は演出するとき、もっとも苦手なのはこういう大勢のシーン。

絵を描くときに色んな色鉛筆を使えないのと一緒。

こういう手腕があれば、もっと舞台の飾り方が違うのにと常に思います。

作り手にも、主役よりも脇役と言う法則は成り立つと思うんですよね。

存在を無くして存在を得る。

なかなかできることではありませんね~(^^;)
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by kuniko_maekawa | 2008-11-29 12:30 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

アンドリュー・ワイエス展「創造への道」

あああ・・・感動・・・・。

まさにこの言葉しかない感じでした。

久しぶりに心から感動した美術展に行ってきました。

アンドリュー・ワイエス展。

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで12月8日まで開催中。

是非、行ってください!

これは観ないとわからない。

アンドリュー・ワイエスは1917年生まれの画家。

現在も91歳で存命です。

私が最初にこの画家知るきっかけになったのは、ある漫画家がその絵を模倣して作品に使っていたからでした。

寂しげな麦畑みたいなところに、ただ、立っている女性の後姿・・・・みたいな絵だったと思います。

どんな絵か忘れてしまいましたが、その細部にわたる描写や何より人物の透明感みたいなものにすごく惹かれてその画家を探しました。

それがワイエスと言う画家との出会いです。

もう30年も前の話。

けれど、それからずっと実際の絵をみる機会はありませんでした。

折につけ、画集を手にとっては、彼の色彩や透明感に憧れていたのですが・・・・一生本物は観ないで終わるのかな~なんて思っていたら・・・・

いきなりの絵画展!

もう、行くっきゃない!

ものすごく期待に胸を膨らましてBunkamuraへ。

そして・・・そして・・・、期待は感動に変わりました。

う~ん、ものすごく良かった~!

なんてこの人の絵は私の胸を打つんだろう~!

文章で画風を説明するのはものすごく大変なので、敢えて避けますが、何より大好きなのは、彼の作品にある色の世界。

彼はアメリカ人で一生のほとんどをペンシルヴェニア州で過ごし、夏になると別荘のあったメイン州で絵を描いています。

特にメイン州には、彼が親交の深かったオルソン家の農夫の姉弟がおり、その姉弟やオルソン・ハウスと題した彼らの住んでいた家を数多く描いています。

この姉弟の姉の方は手足が不自由で、這って移動するような生活だったようですが、明るく生命力があり、その障害はものともせずに力強く生きていたようです。

これらの絵の中で、ワイエスの使った色は、茶、深緑、青、そして白です。

これだけの色で、全ての世界が描かれている。

これが素晴らしく良い色合いなんです。

絵を見た途端に、「なんて良いんだろう~」と思わずうめくような色彩。

多分、私の好みに会っているだけだと思いますが、それでもこんなに心が動くなんて・・・・。

構図も題材も大げさなものは何もありません。

彼自身が言っているように、一番好きなのは「秋」。

ですから、草むらは枯れており、日差しは緩く、一瞬見た印象は「暗い」と思う人も多いと思います。

でも、私には全然暗く感じない。

何故か・・・・

そこに白という絵の具を使って、「光」が描かれているから。

これが本当に真っ白です。

目を近づけたら痛いくらいに。

例えば、雪が積もっている日影に、ちょっと日が差してきたら、雪が反射して妙に明るくなる時がありますよね。

そんな感じです。

この茶、緑、青、と言う地味な世界に、日差しが当たったところだけがふと見ると明るい白がある。

そのコントラストが本当に自然の力を感じさせます。

どんなに暗い室内でも、どこかに光が当たっていて、だから生きてるんだと感じることが出来る。

そこにあるのは、ただ「静謐」のみ。

それこそが、エネルギー。

そんな風に感じて、絵の世界に入り込んでしまいたかったです。

カタログを買おうと思ったのですが、あまりに本物と違うので、やめました。

記憶に残しておいた方が私の中で彼の絵が生きる感じがする。

12月8日までBunkamuraザ・ミュージアムでやってます。
お勧めです!(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2008-11-24 15:05 | 観劇日誌 | Comments(0)

オペラと芝居

今日は久しぶりのレッスンでした。

このところ、芝居続きだったので、ゆっくり丁寧に楽譜を見る時間が増えてきたことは、やっぱりほっとする。
懐かしい世界に戻ってきた感じ。(笑)

個人的なレッスンの場合、まず最初にシェークスピアの戯曲を読んで日本語の音を探し、その後にクライアントさんの勉強したいオペラの楽譜を読んでいます。

元々口から出てくる言葉をどう捕らえるかが、私の役つくりの中心で、表現の第一条件だったりしていますから、どちらも読むということに集中することから始めます。

今日も今までと同じように、クライアントさんと戯曲を読み、それから今勉強しているオペラの楽譜のリブレットを読みました。

しかし、いつもと違う感じがする・・・・。

大学の授業をやっていますから、楽譜には戻っているのですが、リブレットを読んでいくのは久しぶりです。

何かな~????

今日のクライアントさんはいわゆる素人の方。

御自分の趣味を拡げつつ、本格的に勉強したいと熱心に通ってらっしゃいます。

なので、歌い手を最初から目指しているオペラ歌手の卵たちとは違って、やはり表現をするのに慣れていらっしゃらない。

感情を創ることよりも、読むという作業に一生懸命になってしまいます。

しかし、私のところでやることは表現する方法を見つけることですから、彼女とのレッスンも、どうやって言葉を伝えるかと言う事に終始します。

日本語である戯曲はまだしも、イタリア語のオペラのリブレットになると、感情はもっと作りにくいみたいで、時間をかけて丁寧に単語のイメージを探っていきました。

その時、ある場面の感情を創るのに、彼女の中にイメージが中々沸きにくい箇所で彼女の言葉が止まってしまったのですね。

そこで、しばらく色んな質問をして、尚且つ私が捕らえたのは、その楽譜にある音楽表記。

つまり、アクセントやクレシェンドなど、楽譜上、表現するのに作曲家が指定しているものです。

私は当たり前のように、その言葉の音符の上にあるアクセントなどを解釈して彼女に伝えていたのですが、この時、オペラってなんて親切なんだろう~と・・・・。

この間の芝居の稽古のとき、難しかったのは、言葉をどう扱っていくかと言う事でした。

演出家の意図である「詞劇」と言うものを、どういう風に表現するか。

演出家も役者さんも、この作業に時間をかけ、丁寧に創っていました。

しかし、その根本は、芝居の台本には「言葉」しかないってことだと思うんです。

オペラは楽譜に音楽や効果など、作曲家の指示が満載です。

もちろん、それを解釈していくことが、それぞれの音楽家のオリジナリティになっていくのですが、それでも、迷った時に、作曲家が描いたとおりに音にすれば、少なくとも、作曲家のしたかった音楽は客の耳に聴こえてきます。

逆に、そこを捕らえ間違うと解釈が出来なくなり、表現としては成立しなくなって終わってしまいます。

つまり、ただ音楽を演奏しただけになる。

だからこそ、気付かない内に流しっぱなしになる可能性も多く、それをしないために演奏家もスタッフも楽譜を読む方法を見つけるべきだと思って、私はトレーナーをやっています。

しかし、芝居の台本にはこの礎が無い。

台本作家はもちろん存在しています。
しかし、そこには彼らの想いを持った言葉しか存在しない。

だからこそ、解釈は無限大で、誰でも近寄れる「言葉」だからこそ、誰でも手を出したら表現しなくなると言う怖さもあるように思う。

つまり、台本にある言葉を立体化するのに、役者もスタッフもすごく距離が近い感じがするんですね。

オペラのように、作曲家が間に入らない分、誰でも作曲家になれちゃうような、あるいはなろうとするような・・・・。

感性のぶつかり合いになるのは必然ですね。

私は、偶然にもこの二つの違いに気付いちゃったので、なんだか二重人格のような感覚に陥っています。

だからと言って、どちらがいいかとか言う問題じゃない。

どちらも同じくらい面白いと思います。

このふらふら感。

どこかで良い形にならないかな~(笑)。

それにしても、最近つとに思うのは、今の私のトレーナーとしての立場って、本当にただの「プロセス」なんだということ。

今年、レッスン生の入れ替わりがあって後、定期的なレッスン生は事実上居なくなりました。

素人さんで続けてくださっている方はいらっしゃいますが、それはどちらかと言うと、「教える」と言う事に近いです。なので、トレーナー作業ではない。

実際に、役を作って舞台に乗せるまでをやると言うクライアントさんが切れています。

そう、切れている・・・と思っていたのですが、多分、切れてないんだと思います。

切れるも何も、最初から、私は彼らの「プロセス」だったんだとようやく理解しました。

このブログを読んでくださる方々のように、彼らは実際に私に出会い、私と話をし、楽譜を読んで行き、その時足らないものを埋めた。

そして、新しいステージに移って行く。

そのサイクルの途中に私は居る人なんです。

それが一番大切な居方かもしれません。

そのステージが終わって、次に行く時に、また私が必要であれば、新しいプロセスとして、彼らは関わってくるのでしょう。

そうなったら私にも意味があるというもの。

神様は、いつの間にか、そうできるように経験を沢山与えてくださっている。

この仕事をしていて良かったと本当に思います。

もっともっと知っていることが増えたら、相当良い「プロセス」になれると思います。

頑張ろう~っと!

秋から冬は毎週のように何かの公演が幕を開けていますね。

今日もどこかで誰かが、言葉や音楽をお客様に伝えようと頑張っている。

これから私に何が出来るのかわからないけど、できることがあるのならMAXで!(^^)

新しいステージは私にもやって来ると確信する今日この頃です!
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by kuniko_maekawa | 2008-11-18 11:54 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

風琴工房「機械と音楽」

☆17日までトップにおいておきます。是非、観にいってくださいね~(^0^)
新しい記事はこの記事の下にアップされてます~!

最近、めっきり芝居ネタ。
「オペラなブログ」とは名ばかりになってきました(^^;)

またまた行ってきましたよ。

今日はこの間の「色は・・・・」で御一緒した音響の青木タクヘイさんに御案内いただいて、風琴工房と言う劇団の「機械と音楽」と言う芝居を観てきました。

北区に王子劇場と言う小さなスペースがあって、そのスペースを斜めに切るようにして、ファッションショーみたいな花道が舞台です。

お客はその花道を挟んで座り、役者は左右の客に観られながら演技していきます。

花道の隅っこには音響ブースがあり、そこに先述した青木さんがドンと構えていらっしゃって、演奏します。
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物語はロシア・アヴァンギャルドと言うロシアで起こったモダニズムアートをベースとして、その時代に生きた天才建築家イヴァン・レオニドフと彼に関わった芸術家たちの人生を軸に進んでいきます。

私も良く知らなかったのですが、芝居を観ていると、どうやらレーニンの時代に起こり、スターリンによって粛正されていった芸術運動だったみたいで、そう言えば、舞台芸術家とか演出家とか、かなり粛正されて表舞台から消えて人たちがいたようなことを、何かで読んだことあるかも・・・・。

行く前に、一応勉強して行った方がいいよ、と青木さんがメールで「構成主義」やら「レオニドフ」やらサイトを教えてくださって、一応通読していきました。

しかし、いざ、始まった物語は、ほとんどプッチーニの「ボエーム」みたい。

芸術家たちの青春と挫折が活き活きと描かれています。

そう、活き活きと・・・。

詩森ろばと言う人が脚本を書き下ろし、演出をしていますが、この本が本当に良かった。

役者たちも、それぞれがスタンスをちゃんと持っているのだろうなと感じさせる居方をしていましたが、その彼らの口から音楽のように出てくる台詞の音がすごく良かった。

ほとんど言葉の洪水で、ロシアの名前や聞きなれない芸術家たちの名前、時代のこと、小難しい説明も多々あったのに、それが全部、「音」になってる。

演出も良かったのだと思います。

自分の言葉を伝えるための空間作りものすごくうまいと思いました。

言葉って本当にすごい。

私が芝居を演出したら、こんな風に出来るだろうか・・・・。

今日の芝居を観ていて、お芝居って実はオペラよりも、ずっとずっと「音」と言うものに添っているものじゃないかと改めて思いました。

音響も照明も、舞台も役者も、すべてが台本の言葉を表現するために創造している。

その言葉が耳に響けば響くほど、物語が良くわかり、感動し、余韻を残す。

青木さんの音響操作もBGMであるのか、描写であるのか、その音がイニシチアブを取る時もあれば、ふっと音量が落ちて、台詞の情景になったりする。

もちろん、彼のプランで創られていることでしょうが、その中でも言葉は消えない「音」として必ず存在している。

なんかすごく面白い世界で、いつまでもその場に居たいような気になりました。

内容を説明するのは難しいので、興味のある方は是非会場に足をお運びください!
17日までやっています。

観て、聴いて、感じることの出来る良い芝居だと思います。

HPはこちら

本当に面白いですから、行ってみてくださいね。

それにしても、いずれは芝居も演出してみたいなんて思っていましたが、ちょっと二の足踏みそうなくらい、無限大の世界だなあ~なんて、今日、改めて思っちゃいました。

オペラももちろん、大切な世界ですが、楽譜があるがために、甘えていることがあるような気がして来た・・・。

だからこそ、もっと楽譜を読んで、解釈の幅を広げないといけないかもしれません。

まだまだ勉強してない部分もあるし。

なんて狭い世界でもがいているんだろう~・・・・。

ちょっと自分を省みたりもしたくなる芝居でした。
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by kuniko_maekawa | 2008-11-17 21:22 | 観劇日誌 | Comments(0)

詞劇「艶は匂へど・・・」博品館劇場

9日に無事千秋楽を迎えました。

下の記事でもお知らせしたように、この公演は瀬戸内寂聴さんの「女人源氏物語」をベースに、台本作家の水原央氏が書き下ろした新作。

稀代のプレーボーイ、光源氏を取り巻く数々の女たちの中から、紫の上、明石の君、近江の君、そして明石の生んだ姫君の乳母として使わされた宰相の君を軸に、物語を進めていきます。

詞劇(ことばげき)と題してあるように、基本は朗読劇の形をとっていますが、それぞれの女性持つ場面は演劇として構成されていきます。

演出は恵川智美さん。

オペラ演出家として第一線で御活躍ですが、元々がお芝居から始まった方なので、両方の世界観を良いバランスで持って舞台に投影されています。

私は彼女のアシスタントとして、この作品に関わりましたが、本当に今回は良い経験をしました。

特に、出演なさっていた女優さん方の「言葉の音」にかなりの刺激を受けました。

オペラは基本的に音楽が常に流れているもの。

しかも、歌い手は「声」を聴かせるのが第一条件ですから、基本的に「音」ではなくて、「声」や「テクニック」に集中しがちです。

実際、私も楽譜を解釈しますが、それは元々あるものですから、新しく作る感覚は無い。

むしろそれに甘えている部分があります。

しかし、芝居の台詞と言うものは、極端なことを言えば、「文字」しか存在していません。

それを役者が「音」にして、初めてお客様に感情として伝わる。

そのことがとても新鮮でしたし、また、それを仕事としている女優さんたちの台本への取り組み方にも、刺激を受けました。

今回の台本は、元々が小説で、しかも語り調のものです。
おまけに、平安時代の言葉がずらずらと並べられていて、読めばわかるかもしれませんが、耳で聞いたところで、漢字を想像出来るかどうか・・・・。

しかし、あえてその難しい部分を「語り」と称し、感情的に読む部分とわけてお客様に向き合う形をとった今回の恵川さんの演出は、100%の的を得ていたと思います。

このやり方は、女優さん方には難しい形であったと思います。

元々、言葉と感情とをつなげて台詞をつくり、役を作る方々ですから、「語る」と言う言葉の捕らえ方が様々で、苦労なさっているようでした。

しかし、そこはプロ。

台詞と言うものがどういう影響を持っているかを良く御存知で、尚且つ、自分の中の表現の引き出しをどれくらい使えばいいのか、何が足らないのか、目を見張るほどの速さで、理解していかれます。

そして、出来上がった舞台は素晴らしいものでした。

思わず唸る場面もいくつか・・・。

本当に、耳を刺激されるって一番想像力を描き立てますね。

何より、役が作られて行けば行くほど、皆さん、すごく綺麗になる。
は~、何度ため息ついたことか・・・・(@@)

これは私の持論を結構裏付けるな~と思って嬉しかったのですが、言葉の影響力って聞いているほうにももちろんそうですが、やはり喋っている方にものすごくある。

役を作るってこういう事かなと思います。

台詞が具体的になってくれば来るほど、喋っている役者さんたちの体が変化していく。
それって、役に近づく瞬間だと思うんですよね。
段々自分の言葉になってきて、それにつれて、自分が変わっていくという・・・。

目の当たりにして初めて理解できたように思います。

さて、今回はこの女優さんの中で、神田紫さんと言う講談師の方が出演なさっていました。

これもまた、言葉を扱う分野として、非常に面白かったです。

彼女は源氏の親友のご落胤(つまり、隠し子ですね)、近江の君と言う役をやりましたが、元から恵川さんが彼女なら講談で語ったほうが面白いと言うことをおっしゃっていて、彼女の場面の語りは講釈台を出してきて、座布団に座って語ると言う形をとりました。

しかし、最初、もと在る台本を講談風に語ると言うのがどうしてもうまく行かずに、恵川さんと神田さんで色々と話し合われていました。

すると、講談と言うのは「説明」をするものだと言う形がわかりました。

つまり、源氏物語と言う話をするのに、まず、講談師の自己紹介から入り、それから物語の筋、あるいは、物語の起源などを取り入れつつ、内容に入るというもの。

例えば話始めに「昔から、虹の端っこにちょこっと在る紫が可愛いと言われています。源氏物語にも、紫が出てきます、お醤油にも紫、私は神田紫、どうぞよろしくお願いします」と言う風に、何かにつけ、ちょこっとご説明が入るのですね。

こんな風にして講談風に台本を直していくと、ものすごくテンポが良くなって面白く語られるのです。

そして、お馴染み、合いの手に扇子をパンパンと叩きながらの語り。楽しかったですよ。

そうそう、もう一つ面白かったのは、神田さんの場面の時だけ、客席の明かりをつけたんです。

これは舞台稽古の時に彼女からリクエストがあったのですが、お客様の顔が見えないと、つかみどころがわからないのですって。

でも、これが良い効果を生んでいて、難しい言葉のならぶ源氏の世界をほのぼのとしてくれました。

更に脇を固める人たちも、素晴らしい人たちでした。

本来の主役である光源氏。

今回は人形が演じました。

人形師は小川耕作さん。

演出家の恵川さんが良くご一緒なさる方で、私もオペラで何度かご一緒しました。

人形の扱いはもちろん、この方との仕事が面白いのは、常に「距離感」を感じるから。

「人形」と言う媒体を挟んで表現をなさる方ですから、目線の先に、もう一つ人形の目が見える。

それゆえに、扱っている小川さんの体がその空間を包むような感覚におちいるときがあって、面白かったです。

もちろん、小川さん自体の居方が素晴らしく空間に溶け込んでいるからこそ出来ることでもあるのですが、まったく稀有な才能をお持ちの方だと思います。

そして、私の真骨頂、音楽の部分。

今回は効果としてハープの演奏を入れました。

ハーピストは平野花子さん。

まだ早稲田大学の3年生ですが、若いときから国際コンクールなどで入賞しており、N響などとも共演する実力派です。

感性はもちろん、こういう内容のものにも非常に積極的に取り組んでいて、柔軟性があり話が早いです。

場面、場面の挿入歌やエンディングとして何曲かハープの曲を演奏したほかに、内容を進行していく効果音的なこともやってくれました。

曲を選ぶこともそうですが、音に関わるものは基本的に音響デザイナーの青木タクヘイさんがプランなさっており、私はその作業に関わることが出来てまたも新しい世界を経験しました。

先ほども書きましたように、オペラは元々音楽のあるのが当たり前の世界。

何も無い台本を、台詞を読みながら、音によって構成していくと言う作業はかなり面白かったです。

青木さんはご自身でも、様々な楽器を演奏なさるようで、感性と引き出しが沢山あって刺激に鳴りました。

そういう意味では、効果音も含めて、今回は音響と言う分野を始めてちゃんと見たように感じます。

ミュージカルは仕事をしたことがあったのですが、その時は、いわゆる「歌物」と呼ばれるコンサートなどと同じ感じでマイクのことばかり気になっていたのですが、今回は「創る」と言う作業もちゃんと観られ、参加できたのは収穫でした。

照明はシアタークリエーションの齋藤茂男さん。

お仕事するのは今回初めてでしたが、最近、オペラの現場でなんどかお目にかかっていたので、お顔は存知上げていました。

語りで続いていく各場面を、画集をめくるような明かりの変化と色が静かな世界観を創っていて、好きでした。

後で知ったのですが、先々月「偶然の音楽」と言う芝居を観にいった時に、素晴らしく明かりが良くて感動してたのですが、プログラムを買わなかったので、どなたの明かりかわからず、情報を探していたのですよね。

そしたら、齋藤さんの明かりだったことが判明。

わ~すごい!いつかご一緒していただこう~(^^=)っと俄かfanの出来上がりです(笑)。

舞台美術は荒田良さん。

何度もご一緒している方ですが、いつものごとく、シャープな世界が綺麗です。

特に御簾として使用した和花の柄がすごく綺麗で、黒いエナメルの床面に妖しく写っていました。

舞台は幻想的で、恵川さんの女性ならではの落ち着いた美しさが表現されていましたが、それを助けたのが衣装の増田恵美さんのデザインだったように思います。

ベースは薄いベージュのドレスでしたが、絹と言う素材と、それぞれが掛けている打ちかけのようなオーガンジーの上着の色が本当に綺麗で、尚且つ、それを恵川さんと齋藤さんが色に合わせて照明を落とし、それぞれの世界が観ていてもはっきりと移行できる。

それにしても、芝居の世界は本当に「創る」世界だと感じます。

オペラでも、それはあるのですが、オリジナルと言うこともあるのでしょうが、それぞれの分野が近い感じがする。

誰もが素材となる瞬間がオペラより多く感じます。
それも本当に良い経験となりました。

この舞台に関わっていて、やはり何かにつけ、オペラと比べて観ていました。

私自身の仕事の仕方ももちろんそうですし、現場や制作、創られていくもの、衣装家も美術家も照明家も、オペラの世界でも一緒に仕事をしていても、それぞれの居方が違うように感じました。

私は、なんとなくどちらもふらふらとしながら舞台を創って行きたい感じ。

そうできたらな・・・・なんてふと思い始めています。

それにしても、本当に良い現場でした。

恵川さんの人柄もあるでしょうが、それぞれのプランナー、その下についている若いスタッフたち、出演者、そして新しい世界。

こんなに毎日楽しく、ストレスの無い現場も初めてではないでしょうか。

新しい知り合いも出来ました。

「オペラをなさってるんですよね?」

「そうなんですよ、20年くらいやってます」

そう答える度に、なんて長い時間、狭い世界に居るんだろうと気付きます。

神様がまた新しいサイクルを与えてくださっているのかもしれません。

今はまたオペラの世界に戻っています。

一つの仕事が終わって、新しい仕事に就くたびに、自分の中の経験値が上がっていると実感出来る喜び。

感謝しつつ・・・。
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by kuniko_maekawa | 2008-11-11 13:34 | 観劇日誌 | Comments(0)