第63回トニー賞授賞式

オペラを職業としていますが、私は大のミュージカルファンです。

最初にTVで「サウンド・オブ・ミュージック」を観てから、ず~っとミュージカルが好き。

ひょっとしたらオペラよりも好きです。

この仕事を始めてから、何回かミュージカルの現場や演出家ともお仕事する機会があり、内側からも関わるようになって、色々と感じることもありましたが、それでも、素直にミュージカルが好きです。

さて、昨日、BSで「トニー賞授賞式」をやっていました。

これは、その年のシーズン、NYのブロードウエイでやったすべてのパフォーマンスからノミネートされ、それぞれ賞が与えられるもので、舞台のアカデミー賞のようなものです。

今年で63回目の権威ある賞で、イギリスだと「ローレンス・オリビエ賞」などありますね。

この授賞式は大好きで、毎年楽しみにしていたのですが、西船橋に引っ越す前に二年ほど国立におり、そこでは民放しか映らなかったので、観ることが叶いませんでした。

今年は久しぶりに観れる~(^0^)

それと平行して、ブロードウエイの舞台などの映像も放送してくれるので、この期間は一週間くらいBSから目が離せません。

この授賞式の見所は、なんといってもパフォーマンス。

ノミネート作品のすべてがオムニバスに観れるということ。

良くTVでここまで、と思うくらいに、ちゃんとショービズされています。

今年の授賞式はオープニングから、すごかった~!

ミュージカルのノミネート作品や、その出演者が一気に代表的なナンバーを歌っていきます。
次から次に、ページをめくるみたいに・・・・。

これがまた実力者ばかりです。
うまいのなんの・・・・もう、それだけで感動して号泣~!

これ、ほんとです。
どうしても涙が出るんですよね。

リバイバル作品も多かったですから、知ってるナンバーがあったにせよ、何というか、いつも思うのですが、こんなにテンションが高い、レベルが高い一瞬が、どうして日本には無いんだろう・・・・。

本当に馬鹿みたいに、そんなことを瞬間考えて、感動して悔しくて涙が出る。

なんてすごいんだろう、なんてカッコいいんだろう、なんて楽しそうなんだろう、なんて誇らしそうなんだろう・・・

そう・・・・誇らしそうなんですよね。

出演者も、客席に座っている人たちも、皆が舞台を愛してる。
それを誇りにしている。

それがいきなり目の前に現れるんですよ。
そりゃ、号泣します(@@)

日本の舞台がレベルが低いとかそういうことではない。

でも、やっぱり日本って、こんな風に演劇やミュージカルに関して、胸を張って「夢を叶えた」って言える土台がない感じがする。

だからこそ、世界中の人たちがブロードウエイを目指すのかもしれません。

オペラの世界は、尚更そうかもしれない。

それぞれの作品を批評することはしても、ただ胸を張って「この舞台は自分たちの夢でした」って言える場所は無いかもしれない。

それが悔しい。
ものすごく。

批判やプライドの傷つけあいは良いから、素直に音楽を夢にしたい。
心からそう思います。

それにしても、本当にブロードウエイの層の厚さに感動します。

今年も素晴らしく歌の上手な男優さんと女優さんがいました。

オペラ歌手だけが歌がうまいとは絶対に言えません。

彼らも声楽的勉強をし、その実力があることは一声聞けばわかります。

ミュージカルは台詞があり、踊り、芝居をし、尚且つ一週間それを仕事として出演していなければいけません。
だからマイクがある。

マイクをつけないで歌うからオペラ歌手がすごいと言うことはありません。

環境の問題ですから。

おそらく、彼らもオペラ歌手であったらば、メトロポリタンで歌ってます。

逆にどちらも出演する歌手もいます。

その層の厚さもNYならでは。
ジャンルと言うのは才能を囲っている、ただの壁です。

トニー賞を毎年追いかけるのは、パフォーマンスをする際に、何が必要か、そして、それを満たしている舞台が栄えある栄光を得ることが出来るとわかるから。

すごく単純ですが、アメリカらしく、そこには様々なアメリカンドリームが、大きな規模であります。

例えば、一つの作品を制作するのに、紹介しきれないくらいのプロデューサーが関わっていたり、普段は日の目を見ない、照明デザイナーや衣装デザイナー、ミュージカルの場合は編曲賞や脚本賞。

劇場製作者への賞まであります。

どんな人たちが、ブロードウエイに生きていて、支えているか一目瞭然。

もちろん、俳優さんたちも素晴らしい。

どんどん新しい人たちがオーディションで選ばれて、才能を開花させて行く。

それと比例して、何回もトニー賞を受賞する常連さんもいる。

ってことは、新しい才能は、作品に恵まれなければ、あっという間に消えてしまいます。

怖い世界であるけれど、一つの作品を作るのに、「億」の金が動くショウビズの世界では当たり前ですね。

私は、このショウビジネスと言う世界が大好きです。

良いもの悪いもの、それによって得られる利益がはっきりしている。
成功すれば、あらゆる栄冠を手にすることが出来、失敗すれば人生破綻者です。

まさに夢をかなえる場所。

いつかオペラがショウビジネスと呼ばれるようになってくれれば良いのに・・・。

そうしていくことも、私たちの仕事の一つかもしれません。
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by kuniko_maekawa | 2009-06-29 11:57 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

私のレッスンのこと

私がおこなっている試演会やレッスンにピアニストとして参加してくださってる、野口幸太君のブログ。

覗いてみたらば、私のレッスンのことについて、書いてくださった記事がありました。

自分でレッスンの内容から感じたことを書くことはあっても、受け手が感じることってやっぱり気になる。

そういう意味でも、彼の感想は嬉しくもあり、気が引き締まるものでもあります。

興味の在る方は是非読んでみてください。詳細はこちら

最初は野菜専門店の話なんで、ちゃんと「続き」を読んでくださいね!

この人もまだ20代でありながら、企画公演や、レッスン。小学校の先生までと、多才であります。

一緒に音楽を創っていても、すごく柔らかく、素直で、感性豊かです。

こちらの投げている言葉に、彼の感性がびびび~と感度良く響くと、いっきにピアノの音が変わっちゃうという・・・・・(^^;)

感性や音楽が好きと言うのは、やはり相性ですから、きっとお互いに良い相性なのでしょうけれど、そういう人と創る音楽空間はやっぱり気持ちよい。

年齢では無く、経験ではなく、物つくりとしてタッグを組める人って良いですね。

さて、今の私の興味は音楽の歴史。

ここから紐解くことがかなりありそう。

レッスンの形も段々と変わってきました。

そういえば、私はずっと自分のレッスンのことをどう説明すれば良いかわからなかったのですが、野口君が非常に的確にあらわしてくれました。

「作曲家が、この箇所において、この音符で、この言葉を置いたということが、演奏者に何を要求しているということなのか。。。
こういうことを、学者的な知識としてだけではなく、演出家としての舞台経験、様々な指揮者と場数を踏んできた音楽経験、それに音楽の背景にある様々な事実、そういったところから、実に多角的にアプローチをし、
演奏者としてステップアップしていくための材料を提供してくださるのである。」

こっぱずかしいですが、なるほど!
確かに、こういう風にレッスンを進めようとしています。

気に入ったのは「演奏者としてのステップアップしていくための材料を提供する」というところ。

まさにそうかもしれません。

たまには他人の声に耳を傾けるものですね。
文章引用しちゃった~、ごめんね、幸太君!

彼のブログ「新ブログリアン」も、かなり多角的に色々書かれていて面白いです!
是非、覗いてみてくださいね。(^^)
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by kuniko_maekawa | 2009-06-10 17:27 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

声楽家か音楽家か?

この間レッスンを手伝ってくれたテノール君。
非常に良い声を持っており、身体も大きく、かなり周囲から期待を受けています。

確かに、トランペットのような強さと芯のある響きを持っている。

だからなのか、今までに彼が歌ってきた役は、ちょっと重いもの。
ベリズモがほとんどみたいでした。

レッスンでは愛妙のネモリーノをソプラノさんとあわせてくださったんですが、中々どうして、やはりベルカントのものの方が彼の本来の響きが尚更輝く感じがする。

彼もベルカントものはほとんどやったことが無いみたいで、レッスン後にどういうものを歌っていくのが良いのかという話しになりました。

日本でオペラをやるのは本当に難しく、例えば、彼のように在る程度の持ち声が合って、それが軽い声か重い声かと言うのは、ちょっとした主観で大きく変わります。

何故かというと、海外のようにレパートリーを育てる環境ではないのと、男声の場合は万年歌手不足であるため、少々若くても、まだ声の方向が見つからなくても、歌えそうだったら「やらせてみるか」的に役は振り分けられてしまう。

もらう方も、舞台の数は踏みたいし、やっぱりヴェルディやプッチーニの方が歌い手冥利に尽きるでしょうから来た役を受けていき、ちょっと自分の声に合わないかな~と思っても、勉強と経験もかねてやっていきます。

一つ成功すれば、その後続くのも常で、最初に歌ったもののイメージも強くなると思いますね。

しかし、若い歌い手さんは、エネルギーだけでも歌える時期がありますから、本当の自分の響きを知らないで役で作ってしまう時があるんですね。

それはそれで才能なんでしょうが、やはり10年先を考えると怖いことだと思います。

その彼とも話したのですが、一番良いのは元々響きは変えないで、どの役も歌うこと。

それでは軽い声の人は、その役しか歌えないのかと言うとそうではなく、その声でも台詞のイメージの伝え方や、音楽を作ることでキャラクターは作れるのを解っていて欲しい。

どうしても歌い手は役を声で変えようとする。

年を取っている人を若い人が演じるときに、わざと重めに歌っておじいさんのように演じてみる。

もちろん、その逆も在るわけですが、見た目と言う物がありますから、やはり年配の人に若い役は振りませんよね。

でも、40代でも20代の役を歌うことはあります。

これは声種と言う物が在る限り必然的に起こること。

いずれにしても、持ち声は永遠に一番良い響きのところでうたっておきたい。

その一番良い声で伝える音楽やリブレットを役として解釈し、それを伝える音楽家であるべきなんだと思うんですよね。

声楽家と名前が付くのは、ピアニストやトランペッターなどと同じ、専門職の名前であって、みんな音楽家です。

音楽を伝えるために、持っている楽器が在る。

それが「声」と言う、肉体で在るがために、歌い手は混乱します。

すごく個人的な感情を伴ってくるから。

でも、それをもっと離して考えるべきです。

自分の「声」をどう音楽を表現するものとして使っていくのか。

先のテノール君は本当に才能の在る人だと思います。

まだ20代の後半で、まだまだ身体が収まってくるのに時間はかかると思いますが、周りはほおって置かないみたいで、色んな声がかかりつつある。

自分の中の期待も大きくあると思います。

でも焦らないで、自分の声と音楽を育てて欲しいと思います。

素晴らしい音楽家になるために(^^)

ところで、「西洋音楽史」「和声」「バロック音楽」に関する書籍を探しています。
色々な書き方をしてあるものが欲しいので、もし、家に眠っていて、譲っても良いとおっしゃる方がいらっしゃったらコメントに御連絡ください。

こうやって色んな才能に出会うことで、こちらも育っていく。
トレーナー稼業の魅力はここに尽きます!
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by kuniko_maekawa | 2009-06-09 20:33 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

得手不得手の音符

現在、一人のソプラノさんがスポットでトレーナーを依頼してくださっています。

本番がオペラアンサンブルを何曲か演奏するためのものなので、それに伴ってリブレットを読み、歌唱レッスンをしていますが、それぞれ楽曲に伴ってバリトンとテノールの方にお手伝いをお願いしています。

一人で歌うことももちろん出来ますが、やはりアンサンブルなので、相手の声や言葉、息から影響を受けることで音楽が形成されることが望ましいです。

それで、予算に余裕の在る方には、相手役を探して一緒に歌唱レッスンを受けていただくということを薦めています。

大抵はレッスンを依頼してくださる方と同じくらいか、若いレベルと年齢の人が来てくださるので、相乗効果も良くなりますし、もともとの楽曲がきちんと学べるので、すごく良いレッスンになることが多いです。

ここ3回くらい、バリトン君と一緒に「リゴレット」の二幕と「椿姫」のニ幕のデュエットをやりました。

こういう歌唱レッスンをやる場合、リブレットを表現すると言うことで、必ず必要なのは、やはり音楽観なのですが、それを表すためにも、「楽譜通り」は原則です。

ってことは、当然台詞に入っている音符も、どの高さであろうと、言葉がわかる響きが欲しいので、息の流れと響き、音の明るさ暗さなども、発声に支障が無いと判断した場合のみ、表現として伝えるために、色々と試してもらっています。

主には、「声」と音符の関係を出来るだけ「響き」と「言葉」の関係に変えていく作業をしていますが、やはり楽曲によって、歌い手の捕らえ方が、かなり変わるのが面白いと思いました。

このバリトン君もソプラノさんも、「リゴレット」をやった時と「椿姫」のジェルモンを歌ったときでは、響きの持続性というか、フレーズの息の使い方も、なんだか変わる。

役のイメージが変わることは大きいと思います。

「リゴレット」と「椿姫」では作曲された年代も離れていますから、音楽も違うように感じますが、それぞれの歌唱部分に関しては、難しさや音の高さなども変わりはありません。
どちらも同じように難しい。

けれど、「リゴレット」は荒唐無稽さとか、物語性がやっぱりファンタジーに感じます。

元々が戯曲ですから、余計そうなのかもしれない。
全てがフィクション。

音楽もそういう広さを感じます。
「ハリー・ポッター」的?(笑)

「椿姫」も原作はデュマの小説ですが、これはそれぞれがモデルがある。
ヴィオレッタも当時社交界の高級娼婦であったマリー・デュプレシという人がモデル。
アルフレードはデュマ自身。ジェルモンはそのお父さんってわけで、ここに現実的な要素はかなりある。
それに近代の話し。

戯曲が基である「リゴレット」の方がもっとrecitativoの部分もあって良いような気がしますが、元々古い時代の戯曲はソネットの要素が大きく、歌の歌詞のような台詞がかかれて居たりします。
一番最後にヴェルディが作曲した「ファルスタッフ」もシェークスピアの戯曲が原作ですが、そういえば、「リゴレット」のようにどこかファンタジー的な音楽の広さを感じるかも。

「椿姫」は現実的な言葉と、それを語るための音が沢山並ぶ感じがします。

劇的であることは両方同じですが、売りどころが違うって感じですね。

バリトンで言えば、リゴレットよりもジェルモンのほうが、五線を越えた高い音で言葉を喋りっぱなしです。

ジェルモンという人のテンションが高いのか、それによってヴィオレッタとの立場を変えているのか、かなり高い音で、シリアスな言葉を歌い続けなければいけない。

テクニック的にも大変でしょうが、音自体はリゴレットにも沢山出てくる並びです。

しかし、ず~っと音が続くということは、それを支え続け、尚且つ喋り続けて役をつくるわけですから、体力的には大変かもしれませんね。

ソプラノさんに限っては、確実に役としてイメージが変わってしまいます。

悲劇性が違う。

私としては、父親の庇護から誘拐され、見知らぬ男のベッドの投げ込まれ、レイプされ、尚且つその男を愛してしまったジルダが圧倒的に悲劇的だと思うのですが、ヴィオレッタにまとわり付いている「死期が近い」と言う事が、かなり現実的な悲劇を感じさせるらしい。モデルがいる分余計にそう感じるかも。

だから、歌っていると段階がなく、いきなり泣きに入ります。

イメージがそうなのだから、当然、音の捉え方もそうなる。
プロセスがなくなっちゃうんですね。

こういったイメージの場合は、話をして捉えなおせばある程度解決しますが、先のバリトン君のように、まずテクニック的にしんどいとなると、中々難しいものはあります。

私が歌唱レッスン中お願いするのは、「響きを息で伸ばして、それを支える」と言うこと。

チェンジに関しては、かなり個人的に差があることがわかってるので、アクートなどしないですむギリギリまでは、息を止めないで響きを持った言葉を前に前に出してフレーズを作ってもらっています。

つまり、声は拡声器なので、響きは必ず無いと駄目で、その響きで口から発せられる言葉を客席に届けるには、素直な息があれば良いという考え方です。

元々息は出したら出しっぱなしなわけで、フォルテであろうが、ピアノであろうが、息が変わることはありません。

後は、どう声を共鳴させるか。

良いポンプになることが、身体に要求されることだと思っているのです。

息を変えるのは言葉を喋るために口角が変わるときだけ。

それは自然になされることなので、息が流れ始めたらば、言葉は出来るだけはっきりと喋ってもらうようにしています。

そうして初めて言葉と音楽が繋がって聴こえる。

発声をいじっているわけではありません。

逆に良い発声の人で無いと要求できないので、難しいところではありますが。

話は戻りますが、その五線を越えた高い音をずーっと言葉として捉えるのに、どうすれば良いのか・・・・・。

そこまでになると、まず単純に「音」として響きを追った方が良いと思います。

バリトンにしてもいくら五線を越えていても、そんなに無理して歌わないといけないくらいの高さは無いです。
それはよっぽど。Hi-FとかHi-Gとか。Cくらいだと発声練習なんかでは問題ないはず。

しかし、役や言葉を作るとなると感情的なことと、イメージが先行して力が入る。

そうなった途端に、余計な操作が入り始めます。
例えば、綺麗に歌おうとか、その感情の言葉をつくろうとかね。

そういう意味では、歌い手さんたちは御自分たちの声の良さとテクニックを、もっと信用した方が良いのかも。

自分の身体から離すという作業は、こんなことから始まります。

やはり「声」が大切だから、できるだけ自分で確かめたい。
でも、それはどんどん自分の身体を不自由にします。

レッスンをしていると、必ずといって良いほど、歌い手さんは良い響きがどんどん出てきます。
嘘みたいに変わります。これはほんと(笑)。

そして、皆さん満足して戻られますが、元々の声や響きは最初から彼らが持っているものです。
今レッスンを受けてくださっているソプラノさんもバリトン君もそうですが、才能は彼らの方にあります。

使ってないものを見つける作業が、私と一緒にやるメリットだとわかってもらえたら嬉しいです。

こうやって声を出すことが、今までよりも身体が楽だとか、気持ちよいとか感じるならば、それが声が離れてきた証拠だと思います。

このソプラノさんのレッスンはもう少し続きます。
彼女と私の間に在る「信頼」は、私から作るものではありません。
感謝するべきは彼女の器の広さであります。(^^)

もっと良い時間がお互いに作れるように。

「教える」ということではなく、「気付く」と言う事が、トレーナーを受けるという本当の意味です。

もっともっとこういう作業を歌い手さんとやりたい。
私の持っている方法が彼ら、彼女らを開かせるのならば、伝えたいことは山ほどあります。

こういう時間が沢山与えられるように心から祈りつつ、感謝の心を忘れずに今日もレッスンに言ってきますっ!
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by kuniko_maekawa | 2009-06-05 12:56 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

続けること

6月になりました。

またも1年はあっという間に過ぎていく。
もう上半期が終わります。

このところはレッスンが続いていて、すごく良い時間をすごしています。
たった2時間であっても、信頼関係を軸に、与え、与えられるということが意味をなして行われる。

これはひとえにレッスンを受けてくださるクライアントさんの方に器がありますね。
感謝、感謝(^0^)

さて、二つほど前の記事にアップしてますが、8月にシェークスピアの「リア王」を基にして、ちょっと変わったリーディングをします。

基本的には朗読ですが、「物語を語る」というよりは、「音を創る」ことをやりたい。
これは私がず~っと持ち続けているコンセプトなので、しばらく変わることなく、もしかしたら一生それを追って行くかもしれないのですが、とにかくしばらく続けてみたいと思っていること。

後一つは、11月28日に「オルフェオとエウリディーチェ」をやります。
これは昨年の夏に「音演出」をさせていただいたものを、形にします。やはりこだわるのは「音」。

私は「音」を立体化させることに憧れがあり、それをなんとか成し遂げたいと思っています。

どれも自主企画公演で、できれば3年から5年ほど続けてみたいと思っています。

この「続けていく」と言うことが、私にはとても大切。

桃栗三年柿八年って言葉もありますが、「続ける」と言う事は同時に育つことだと思うんです。

一回目は大抵ビギナーズラックでうまく行きます。

二回目はそのクオリティを下げないで頑張ろうと思うので、まあまあ。

三回目になると、リスクもメリットも中庸。やる方も、観る方も、「お馴染み」の甘さも出てくるし、「待ってました」の嬉しさもある。

これが四回目、五回目ともなると、新しい企画を起こし、尚更クオリティを上げていくのが大変。

しかし、ここまで来ると、馴染みのお客様も増えてくるので今度はお客様とともに育つことが出来る。

ロングランのミュージカルなどはまさにこの関係がすごくはっきりしてて、もはや内容よりは、「あの場面がもう一度みたい」とか「あのナンバーが聞きたい」とか、お客様が何回でも足を運んでくださる。

馴染みのレストランで、「いつものあれね!」と注文するのと同じ。

「また観たくなっちゃうんだよね~」って言って客席に座ってくださるお客様が、私の公演にも居て欲しい。

今はお休みしてますが、レッスン生を中心に毎年行っていた試演会も、ちゃんと企画公演にして、3年間同じホールでやりました。

そうするとホールの方々もお馴染みになり、お客様もリピーターが増え、お休みしてると「やらないの?」と声をかけていただける。

一回だけ大きな公演をやって、打ち上げ花火で終わるよりは、ずっと続けられる公演を創りたいと思っています。

日々こんなことばかり考えながら、レッスンや仕事をしています。

好きなことを仕事に出来る喜びはこういうところ。

実際にやり始めると辟易することも多いのですが、「お馴染みさん」が待っててくださると思うと、頑張って続けようと思います。

「リア王」は8月19、20日の18:30から門仲天井ホールにて。
詳細は二つ前の記事をご覧ください(笑)っていうのは申し訳ないので、やはりコンセプト・ノートから。

「稽古場」Vol。6「リア王」コンセプト・ノート

1)使用台本:ウイリアム・シェークスピア「リア王」

2)目的:言葉の「音」に刺激される身体と空間を経験する

3)方法:「リア王」の台本を朗読し、台詞のイメージを創っていく。
    各々が作った台詞の「音」を感じて空間を創っていく。
    例えば、間接照明を5つ舞台上においておく、「音」を感じることによって、読み手が、あるいは聞き手(客も含め)が明かりを変化させていく。
    「音」を感じることによって、壁を叩いてみる。台詞を重ねてみる。ピアノを弾いてみる。
    基本的には台本を手に持ち、朗読劇として読んでいくが、耳と身体を密接にすることを試してみる。また、以上のようなことは、すべて偶発的なものとし、読み手は内面をどれくらい活性化させるかが勝負でもある。

4)期日:8月19日(水) 13-17、18-21
       20日(木)13-17、18-21

★午後の時間帯は、明かりと空間を創る作業を試します。
★18:30-20で本番としますが、読む箇所は午後の試した段階で決めていきます。
★この試みに見学参加をしてくださる方を観客として入場していただきます。
        午後の枠を500円。夜の枠を1000円入場料を派生させます。

   
5)場所:門仲天井ホール (大江戸線、東西線門前仲町徒歩1~3分)

6)参加者:読み手 中村 靖、恵川 智美、柴山 昌宣、前川 久仁子、松田 麻美
         折河 宏治、江口 浩平、宮本 彩音、楢松 雅子、上田 誠司

     照明 稲葉 直人(ASG)  当日協力:荒川 はるか

☆チケットは今回用意せずに、予約をしていただき、入り口で支払いをするという形をとります。見学参加してくださる方のお名前をお知らせください。
                 
                      「稽古場」主催者 前川 久仁子

客席は40席ほどです。チケット予約お待ちしてます!(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2009-06-02 12:38 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)