チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』

不思議な公演を観にいってきました。

戯曲作家であり、演出家であり、小説家であり、振り付け家?である岡田利規氏の自作上演団体「チェルフィッシュ」。

団体の詳細はHPで観て頂くとして、この「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」はある会社の派遣社員のエリカさんが派遣契約が切れて退社することになり、それにまつわるお話が三篇。その構成舞台であります。

実はチェルフィッシュという団体、名前だけは知っていました。

最近ツイッターをやっているのですが、何故かフォローしていただいているのが芝居関係者と美術関係者ばっかり。

その辺の情報が薄い私としては、羅列される団体の名前や演出家の名前が知らないことばかりで新鮮。

その中にチェルフィッシュと岡田さんの名前が入っており、折りしも、友人が3年かけて日本人作家の戯曲をNYで上演するために奔走していたのがある人の目に留まり、実験的にリーディングされることになった際、同じ日本人作家として岡田氏の名前が向こうに住んでいる人から出てきたばかり。

頑張っているんだ~日本人は~と思っていたらば、公演の照明をやっている方が偶然今度御一緒する方で、観させていただいたというわけです。

さて、何が不思議だったかと言うと、この作品は役者さん達が、喋っている台詞にあわせて身体を動かしていくという形で構成されています。

例えば、退職するエリカさんの仲間が三人集まって、お別れ会の話をします。

一人の男性が立ち上がって、ホットペッパーを持ちながら「エリカさんのお別れ会の幹事をうちらがやることになったじゃないですか。それってみんなで話して決めた方が良いと思うんですよね。ほんとぐーぜんなんですけど、俺今日ホットペッパー持って着てるんです。」などと喋りながら、身体をくねらせたり、手を動かしたり、足をさすったりするわけです。

これが芝居じゃないのは、台詞は会話ではありません。
対話じゃないのです。

二人で話すという部分もありましたが、二人の話は会話でありながら物語の言葉ではありません。
結果がない。メビウスの輪のようにただ言葉を流すだけです。

会話は一人が話せば、誰かが答えますよね。この答えがない。
一人のあるいは二人の人間が、持ち時間をずっと喋りながら身体を動かしています。

台詞はパターン化していて、順番は違えど、三つか四つの文章を繰り返し喋る。

わかりますか?
三つの文章があるとすると、その三つの文章をずっと繰り返し喋る。

その代わり順番は違える。
1,2,3と喋ったら、次は2,1,3と喋るとか。

動きも同じ。
ずっと現代音楽のようなBGMが入ってきますが、それの特徴的な音を使って、手をひらひらさせたり、うちわをひっくり返したりを、やはりパターンを変えてやっていきます。

台詞も、そういう意味ではただの音のように感じているようでした。
いや、それよりも薄い感じかな。

喋りながら言葉と音楽に身体を反応させていく。
よほど感性が鋭くないとこの三つの作業がどこか寄りに流れていく。

観させていただいてて申し訳ないですが、これは成功では無いと感じました。

つまり、感性は鋭いとは感じなかった。

そう思ったのは、役者がみんなマイクを付けてたからです。

と、言うことは、まず「喋る」と言う事に意識を持っていくことは放棄されたというわけです。

きちんと喋ろうとすると、感情が動いて、そこに集中することになる。

そうすると音楽が耳に入らないかもしれない。

彼らは「今日も朝起きたときに、化粧はしたんですけど・・・」とか「クーラーが有り得ないほど寒くて、23度に設定でしかも強になってて、それってどうよって言う感じで・・・」と、多分マイクが無かったら、ぶつぶつと口でただ呟いているだろう的な喋り方で、(申し訳ないけど)言葉を垂れ流し、恐らく内面から作っていったからだの動きを寝癖の髪を直すようなしぐさで、言葉にも音楽にも身体にも神経を入れないようにゆる~くゆらゆらと舞台にいました。

この作品は再演で、ドイツなどでも好評だったと言うことですが、それは恐らく日本語が理解できない彼らには、喋っている言葉がただの「音」にしか聴こえないからかも。

私も現代音楽やパフォーマンスを観る時に、そう感じることが多々あるからですが、この緩さは正直残念でした。

言葉を音と捉えて、身体の刺激を感じることは私も常にやってみたいことで、これがマイクを使わないで、きちっと台詞を喋り、そのリフレインが聴いている私達の耳を刺激し、尚且つ役者の身体を刺激した上で出来上がった空間だったらば、絶賛だったと思います。

でも、こればかりは趣味の範疇でスモンね。

世界は広い。私が感じないことを感じる人がこの団体を望んでいるということです。
観て良かった。

照明はASGの大平智巳さん。

昨年度のS音楽大学で一度御一緒したのですが、その時は作品がモーツアルトのものだったのもあり、トラディショナルなきちっとした明かりを作っていただいたのですが、今回また違った面をみせていただいて新鮮。

舞台は会社と言う設定みたいで、白い一面の壁に普通の長テーブルが下手にあるだけ。

役者が出てくると上手に四角いエリアが出来るのですが、この空間のバランスが素晴らしく、尚且つその四角のグラデーションが綺麗でびっくり。明かりの変化や切り込みに数式を感じるような感じでした。
きっと知的なんですね。

面白いのは、そう見えているのに厚みを感じること。
この作品のゆるさは、彼の明かりの厚みで持ちこたえているんだと思いました。しっかりしてる。

私はどちらかと言うと、右脳全開で物を創る人間ですが、彼とやる時はきっと彼の理性が上手い具合に重石になってもらえそうで、これから楽しみです。

いずれにしても、こういう作品が世界に出て行くのは意味のあることだと思います。

アートと言う枠組み。

本当はオペラでもアートの枠組みに入れたい作品は沢山あります。
特に現代物とバロックなどは、どちらがどちらか解らないくらい自由。

そこをまたいじってみたくなりました。

公演は19日まで。
ラフォーレミュージアム原宿でやっています。
御興味があれば是非!




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by kuniko_maekawa | 2010-05-08 20:46 | 観劇日誌 | Comments(0)

メトロポリタン歌劇場公演オペラ「椿姫」

さてさて~、NYでの最後の夜、メトロポリタン歌劇場で「椿姫」を観て来ました。

このパフォーマンスは名匠ゼッフィレリのプロダクション。

メトのレパートリーの一つです。

やっぱメトでゼッフィレリとくれば、かなりの期待感ではある。

しかしですね、私は残念ながら「Traviata」と言うオペラが嫌いなんですね~(^^;)。

多分、自分で買うなら絶対に選ばない。

今回は、友人Fさんが日にちを間違えて買ってしまっていたチケットで、偶然日程が合い、行くこととなりましたが、そういう意味で物語を観たくて行ったというよりは、やはりゼッフィレリの舞台をホームで観たかったという感じであります。

折りしも、その日の昼間は私の受け入れを承諾してくださった演出家に伴われて、彼女の勤めている音楽院のリハーサルを見せて貰い、自分のスタンスや、日本でのヴィジョンの問題を目の当たりにしてからの観劇。

朝からNY在住の教え子とも、そのことについて語りつくしたところへ、最後の締めみたいに現れた舞台は、ま~何というか、何というか、ほんっとにすんばらしく美しい~!!!と声に出してしまいそうでした(@@)

ゼッフィレリという人は、皆さん御存知でしょうが、まず有名なのは「ロメオとジュリエット」映画版です。
私が小学生くらいの時だったかしらん?オリヴィア・ハッセーが本当に美しかった~。

日本では「アイーダ」が有名ですよね。
新国立劇場のオープニングがそうでした。

実際に彼が来日してのプロダクションは、やはり独特の美しさと演出の緻密さに圧倒されて、再演も観にいきました。

彼はすべてを自分でやる人。

天才はみんなそうですが、演出、舞台、衣装、照明、何もかも自分でやって、初めて自分の世界を創れるというタイプです。
私が憧れる世界でもありますが、そうしなければ、やっぱり一つの世界は確立されませんよね。

しかし、その確立された世界観が本当に美しいかどうかは、やはりその人の美観。

そこが天才と凡人との違いですわ(;;)。

さて、映画の「椿姫」をご覧になった方にはおなじみのセット。

家具や衣装はこの舞台が元になってるんだと発見。

圧巻は2幕2場。

アルフレードに別れの手紙を書いたヴィオレッタがフローラの館にやってくるのですが、そこで繰り広げられる仮面舞踏会風のシーンが素晴らしい。

何が素晴らしいって、場面の変化です。

幕が上がって、最初に現れるのは、幾重にも重なったレースのような幕。

その後ろに大階段があって、中国風のちょうちんが天井からシャボン玉のようにぶら下がっていきます。

ジプシーや闘牛士の歌をうたって、仮装している連中に混じって、中国の大きなマスクをかぶっている人たちや、フローラ、マルケーゼなど、そこに集ってくるセレブリティな人達の乱痴気騒ぎが下品と上品の間をせめぎあってます。何というか・・・これが映画とかだったら、ヴェルディの音楽が流れてなかったら、本当にいやらしかっただろうと思います。

そのレースの幕が、場面が切り替わるたびに、一枚一枚上がっていって、最終的に大階段だけになりますが、その大階段が現れた瞬間がぞっとするほどすっきりしてて、冷たくて、綺麗でした。

例えば、二幕1場の別荘の部屋の色調は、アンティークな緑の感じですが、ここではエキゾチックな朱であったり、紫であったり、おおよそ混じって綺麗なのかどうかわからない色が使われています。

ゼッフィレリの感性はここがすごい。

「アイーダ」の時もそうですが、1幕の有名な凱旋の場面で、様々な民衆たちが凱旋を見守るのですが、その多くがベージュやカーキ、いわゆるヨルダン周辺の人たちが着るような砂漠色なのにも関わらず、その中に、本当に一握りの紫や黄色やサーモンピンクの衣装を着ている人がいて、それがグラデーションをはっきりとさせて尚更、色調を統一させていました。

これとまったく同じ現象。
うなる~・・・・・。

ヴィオレッタはアンジェラ・ゲオルギューが歌いました。

この人は、確か東欧の出身だったと思うのですが、歌唱や演技、ましてや美しさなどはやはり絶品。立ってるだけで涙を誘いそうなはかなさですが、残念ながらイタリア語が下手(^^;)。

「椿姫」は3幕の手紙のアリアや死ぬ間際など、台詞まがいのものが沢山あって、発音記号が違うだろう~とか、アクセントが違うだろう~とか、思わずチェックしそうになる台詞の言い方は、残念賞です。

もちろん、それを補うほかのものが120%なんですがね・・・・。

ジェルモンはメトではお馴染み、トマス・ハンプソン。

若いときに歌った「ドン・カルロ」とか、「ドン・ジョヴァンニ」なんかは結構好きでしたが、本来ドイツリートを歌う人だからなのか、いつもほっぺたを膨らませて、声を篭らすような感じがあったので、あんまり好んでは聴きませんでした。

ただ、非常に頭の良い演技の仕方をするな~と思っていて、そういう知的な役柄は好きでした。

ところが、このジェルモンは、ハンプソンの魅力全開で、しかも、一番良かったのは歌唱でした。

前日のプリン・ターフェル同様、メトの響きにあっているのか、メトがそういう響きを持っている歌劇場なのか、本当に綺麗に歌います。

かといって、のっぺらな歌唱ではジェルモンなど出来ませんから、そこは彼特有の知的な言葉が満載で、なんだかイメージを払拭されました。

しかしながら、この日はNY三日目。

しかも昼間の緊張が、観劇している頃になって出てきたらしく、2幕は眠気との闘いで(^^;)。

アルフレードは特筆することはありませんが、なんだか若いひ弱な感じで、雰囲気はあっても特に好きな箇所はなし(笑)。声は綺麗でしたけど、これもメトのおかげかな?

ところで、この日、歌劇場に入ろうとしたらば、チケットに問題が。

アメリカでは劇場内に入る時に、チケットにあるバーコードを係りの人が識別させて入るシステム。

バーコードをピッとやってもらって、入ろうとしたらば、ダブっているとのこと。

友人が取ってくれたチケットだったので、チケットブースに行ってもらったら、一度キャンセルしたことになってるらしい。こういうことも起こるのね~。

交渉の結果、1階のオーケストラ席に入れてもらえることに。
これもラッキーでした。

一番後ろの席でしたが、舞台が全部見えて大満足。

前日のトスカはそれよりも高い席で、上手半分全然見えないままだったけど、観なくて良いってことだったのかしら。「椿姫」はとにかく舞台を観ろって、神様が計らってくださったのかも(^^)。

こうやって終わってみると、やっぱり夢の時間だったと思います。

DVDやTVで観るのも良いけれど、その劇場で創ったものは、ホームで見ないと良さがわからないと実感。
そう考えると、世界中の公演を観たくなりました。

来年の春、今回色々と世話をしてくれた森谷真理さんというソプラノ歌手がシアトルで「魔笛」を歌います。
彼女は、私が武蔵野音大のオペラコースで2年ほど講師をした時にクラスにいた方で、今も「先生」と読んでくれる嬉しい「教え子」さん。

28の時にメトで「魔笛」の夜の女王でデビューして以来、世界中を歌って仕事をしています。

彼女と話していると、ホームがどこであるかは問題でなく、どこでも自分で在ることが大切だと改めて感じます。

私もいつも自分で在ることを目指して、世界を観て見たい。

来年は是非、シアトルへ、彼女の「夜の女王」を聴きに行こうと思っています。




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by kuniko_maekawa | 2010-05-06 12:11 | 観劇日誌 | Comments(0)

メトロポリタン歌劇場公演オペラ「Tosca」

NYでの二日目。
お昼間はメトロポリタン美術館へ。この詳細は姉妹ブログの「うさぎ屋日記」にアップしてありますので、そちらもお楽しみいただくとして・・・、行ってきました、リンカーンセンター。
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はい、メトロポリタン歌劇場です。

この日はプッチーニの超有名なオペラ「トスカ」。

多分、一番好きなオペラだと言う人が五萬といる作品なんじゃないでしょうか?

御他聞にもれずに私もプッチーニの中では一番好きです。
内容よりも音楽が、とにかく好き。

実は自己プロデュースを最初にした作品も「トスカ」でした。

なので、楽譜の内容もリブレットも、かなりの確立で覚えているもの。

メトロポリタン歌劇場も私の中では世界一です。
ちなみに次がクライドボーンで、その次はロイヤルオペラとかリヨンとかかな?

でも、これは劇場内のことではなくて、この劇場が上演する作品とか演出とかでの基準です。

メトが良いのは、オリジナル作品があること。

有名なのは「ベルサイユの幽霊」ですが、この作品を観た時に、ほんとにガツンとやられました。

オペラ作品もあらゆる原語のものをやるし、何よりレバインの肉質なエネルギーが好き。

クラシックな劇場でありながら、ポップな部分も忘れないというオリジナルな感覚が良いのですね。

やっぱり劇場を目の前にすると、期待感満載。

有名な噴水とかみながら、ここでシェールがニコラス・ケイジと踊ったのよ~などと映画の一場面を思い出しながらテンション上がり気味です。
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しかし・・・・しかしですよ・・・・

残念ながら、この日の「トスカ」は史上最悪のプロダクションでした(^^;)。

まず、座った席が残念賞。

上手側のボックス席だったのですが、客席や天井は素晴らしく見渡せても、舞台は中央より下手しか見えず、1幕などは、カヴァラドッシの書いている絵が上手側だったために、何も見えず。

日本円で8千円の席でしたが、立ち見となりました。

ただ、当然オーケストラ席などにいけばチケット代はもっと高かったのでしょうから、こんなものなのか~とがっかり。

それでも、例のシャンデリアが上がって開幕となると、やっぱり感動。

それで大人しく舞台を観たわけですが・・・・・・。

この演出が、ほんっとに最悪。

舞台設定を19世紀末に設定しており、服装もそれに見合った少しだけ現代風と言う奴。

そこまではまだ許すとして、二幕になった時に、いきなりスカルピアが二人の女と絡んで飲んだくれている。

しかも、その二人はモダンガールでアールデコ調の模様が壁にちょこっと書いてあり、いわゆる衣装もあの時代のおかっぱにノーウエストの短いもの。

最初にトスカのことをモノローグで歌うのに、一々女が下品に反応して最悪。

女のケツ触りながら、あのモノローグをスカルピアが歌うなんて信じられない。
あまりにも内容を知らな過ぎ。

歌い手は最高でした。

特にスカルピアを歌ったプリン・ターフェルは圧巻。

DGやフィガロ、サロメのヨハナーンなど、彼の音楽も歌も大好きな人でしたが、ここでのスカルピアは正に美声としか言いようの無い、綺麗な軽めの声。

実は、いつもの癖で、誰が歌うとか演出家とか調べていかなかったので、これは嬉しいサプライズ。

1幕の第一声で「誰だ~これ~!」と大興奮。休憩中に情報を捜し求め、びっくりしたと言う訳ですが、この綺麗な響きは二晩目の「椿姫」でジェルモンを歌った、トマス・ハンプソンにも感じましたから、もしかしたら、メトの劇場の響きがそうなのかもしれません。

つまり、歌い手の声との共鳴がすごく良いのかも。

どこで響いてくるのか解らない、まっすぐな飛び方を感じましたし、何というか、そこで歌っている人たちがすごく楽に一番良い響きで歌えるというか、そんな感じでした。

カヴァラドッシも今話題のカウフマンで、かなり良い歌唱でした。
ルックスも演技もよくて、この演出でなければ本当に良かったのに~!

主役の「トスカ」を歌った人は、本来のプリマと代わって歌ったソプラノでしたが、彼女も歌唱は素晴らしかったです。
ただ、もしかして初役なのか、まだ経験が少ないのか、あまり大きなものを感じなかった。
特筆はありません。

実は音楽も、淡白であまり好きではなかった。
イタリア人の指揮者でしたが、別にイタリア人だからと言って、オペラが素晴らしく良いと感じるかどうかは最近疑問。

誰であっても、音楽性は感性相性ですから、自分の好みにもよりますが。

それにしても、こんな一流の舞台でも、ひどい演出や音楽はあるもんで、この日は改めてそれを実感した夜でした。
この劇場で見てよかったな。と言う感じ。

私が演出したものの方がはるかに良かったと自負したくらいでしたが、そう考えると、自分たち、あるいは私以外の日本の演出家や音楽家のレベルの何が劣るのかと改めて思います。

私の教え子がメトでデビューして、ずっと世界を歌って回ってますが、仕事をすると言うことは、国籍の問題ではなく、ヴィジョンの問題だと言っていました。

つまり、才能はどの国の人でも同じ。

後は、自分が仕事をする場所をどこにするかの問題。

その教え子は日本に帰ると「日本で仕事をするには」とか言う、おせっかいな助言を必ず受けるそうです。

そんなこと、何で必要なんでしょう。

彼女にとっては日本以外が仕事場になったってことだけなのに。

私がNYを選んだ理由はそこにあります。

仕事が出来る可能性がある。

大きなことを言ってると思うのは、もうすでに自分を狭めています。

何処でも、どの国でも、どの歌劇場でも、仕事はあります。

自分がどこで何をするかを選択するだけです。

NYに行って思ったことはこのことだけでした。

日本という小さな国でも、まだ自分の場所を確立できない私がこんなことを思うのは、周りから見れば変みたいですが、言語や環境が違うだけで、同じ人間ですから。

それにしても、客席に座っている人たちのオペラの楽しみ方が色々で面白かったです。

これは、多分、アメリカだからかも。

この日も、次の日も、お隣のおばあさんがニコニコと対応してくれて、色々と感想なども話してくれました。

感動すれば、素直に声を上げて、スタンディングオベーションをする。

つまらなければ、ぶ~!と激しく声を上げて抗議する。

カヴァラドッシが2幕で「Vittoria!」と高い声を張り上げれば、お約束の拍手です。楽しすぎた(笑)。

とにかく、メトは遠くて近かったというお話でした!




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by kuniko_maekawa | 2010-05-02 18:28 | 観劇日誌 | Comments(0)