愚痴ではありますが・・・・。

★最初にお断りしておきますが、この記事はあくまで個人の意見なので、なんだと~と思われる方はスルーしてください。(なんて、こんな書きかたしたら読みますよね~^^;)

昨年から、政治的変革により、芸術関係もかなり厳しい状況になってきました。

何年か前から、文化庁の助成金の粛正や査察のことなど、話には聞いていましたが、フリーで仕事をしている私は、ずっと仕事があるのか無いのか、いつも綱渡りだったので、大して影響が無いように思っていました。

ところが、今年、3月に公演が終わってから、まったく仕事がありません。

昨年も6月くらいから仕事はありませんでしたが、まだ自主公演をやる余裕はありました。

それまでの仕事が止まってなかったからです。

ところが、今年はそうは行かない。

これまでのツケがいっきに回ってきたという感じ。

もちろん、公演自体はオペラも芝居もバレエも行われています。

しかし、数が少なくなっている。

今までは絶対にこの人ならば、仕事が止まらないだろうと思っていた演出家の仕事も止まっている。

そうとなれば、まだまだ平演出家の私に仕事がまわってくるはずも無い。

じゃあ、オペラ・レッスンは続いているかと言うと、これはもっと早く、3年位前から、依頼はありません。

ずっと続けてくださっていた方が二人いらっしゃったのですが、スケジュールの関係と、彼女たちの環境の変化などで、今年はお休みになりました。

こんな状態では、自主公演も打つのは怖いですから、企画はあっても動くことが出来ずに、今年は諦めかかっています。

9月に大学に行き始めれば、多少なりとも公演を打つくらいのお金が集められるのですが、それは1月で終わる短期の授業なので、公益収入が上がらず、お金が残らない可能性も考えると、怖くなるのが正直なところです。

ウソみたいな話ですが、スタッフとして活動を始めて21年目にして、初めて全く無職になるということを経験しています。

本当に舞台関係の仕事が入ってきません。

ほかで働かないと食っていけませんから、バイトを探してみたりしたのですが、どうしても舞台の仕事を待ってしまい、じっとしています。

今まで、仕事を選んで、本当に出来ること、本当に好きなことだけやってきたことに、疑問を持ち始め、今までの自分を否定しそう・・・・。

それにしても、どうしてこの国は芸術では食っていけないんでしょう?

って言うより、芸術ってそもそも何ぞやと言う話し。

漢字をばらせば「芸」と「術(すべ)」。

「芸」を魅せる、あるいは見せる「術」を持つということですよね。

だから特別。才能が必要だと。

でも、その「芸」は高尚でもなんでもなく、すべては人の価値観の中で生きることなんですよ。

だからこそ、すべての「芸術」を育てていくのは難しと言う訳なんでしょうが、音楽なんて、元々は伝達手段から発達したものなんだから、そのただの伝達手段を「芸」にしていった才能を伝承する必要があるのじゃないかしら?その才能を国が使うために、助成をするべきなんじゃないかしら?

能、歌舞伎、絵画、音楽、文学、なんでもその人の才能が作り上げて行くもの。

そして、その才能を「日本の才能」として、海外へ発信する。

日本だから、茶道や歌舞伎を広めるとかイタリアだからオペラを招聘するとかじゃなく・・・・。

う~ん、混乱してきた。

とにかく、これだけ芸術が盛んな国でありながら、その芸術をどう開花させていけばいいかの目的は無く、ただ目に新しい物を取り上げて、助成してステイタスにするって言うのが、納得いかない。

そのためには、推薦者や関係者も有名人だったり、ステイタスが無ければいけない。

知るための努力なんて、いくらでも出来るのに。
コンペや演劇祭や、コンクール。

募集すれば、いくらでも作ってくるだろうに。

芝居はホールが媒体となって、こういう応募はありますね。
ホールと共催できる。

オペラは必然的に、規模が大きくなり、お金がかかるのが難。

でも、やり方はいくらでもあるのです。

一回、グランドとかじゃなくて、どんな形でも、オペラの形態があれば良いからって募集掛けてみると良いのに。

結構面白いものが集まると思いますよ。

需要があれば、歌い手も舞台に乗れる人数が増える。

いたずらに音大などで歌手だけ輩出しても、日本のクオリティは育たないです。

う~、更に鬱憤は溜まる。

とはいえ、これは全く個人の愚痴ですから、気に入らない人は読まないで下さい。

私は、ただ、ただ、面白い舞台を創っていける場所とお金が欲しいだけなんですから(笑)。

来年の3月、なんとか自主公演をやりたいと考えています。
共同制作か、寄付してくださる方いらっしゃいませんか~!!!!かなり面白い企画だと思いますよ~!

なんてね・・・・・。

先ごろはレッスンもトンと止まっちゃいました。

多分、歌い手さんの方に、表現方法などを見つけることが必要な需要がないんでしょうね。

乗る舞台が無ければ、レッスンは必要ないのかもしれません。

それでも、時々、まだ私とコンタクトを取ってくださる方がいらっしゃって、レッスンの相談のことなど受けます。

オペラをやりたい、上手くなりたいと思ってらっしゃる方は、本当にいるのです。

大きな団体だけじゃなくて。

そして、面白い舞台を待っているお客様も。

頑張ろうっと。もう少し・・・・。

ってことで、レッスンの依頼お待ちしています!(笑)
今は毎日時間がありますよ~!密度の濃い、レッスンできること間違いなしです(^^)v

たまの更新がこれじゃあね~。

愚痴口の梅雨時です。(><)
[PR]

by kuniko_maekawa | 2010-06-18 11:24 | トレーナーのつぶやき | Comments(1)

時間軸というもの

おお~、ひょっとして一月ぶりくらいの更新ですか????

本当にちまちま更新なのにブログを覗いてくださる方がいるなんて、ありがたいことですね。

肩や腕は相変わらずですが、何よりあんまり書く気力がないというのが問題かな~。暇なんでネタが無いということもあります(^^;)。

今日は久しぶりの耳ネタ。(聴いて感じることを勝手にこう言っている)

先日、あるコンサートに行きました。

若い人たちの集まりで、Pfと歌手がパート別に4人。そしてクラリネット奏者と言う珍しい組み合わせ。

ピアニストさんも歌手の皆さんも各々才能と素晴らしい感性をもってらっしゃって、歌唱力も含め、中々聴き所満載ではありましたが、反面、若いんだな~と認識。

年齢のことではありません。
経験が若い。多分。

なんでそう思ったかというと、彼らの音楽の時間軸がまだ感性に引っ張られるから。

これは特にオペラアンサンブルの時に多く感じられました。

「時間軸」って何かと言うと、簡単に言えば「テンポ」です。

でも、ただテンポを守るというのとはちょっと違う。う~ん、なんて言うべきかな・・・・勝手にいつも私が使っている言葉なんだけど、一番しっくり来るのは、「音符の時間」かな。

3歳の子供でも、楽器を習っていれば、楽譜と言うものが音符で構成されていると知っています。

この音符と言う物には、それぞれ長さがある。
四分音符を1拍として、二分の一だったり、倍だったり。

私はオペラに限らず、この音符の長さを時間だと思っています。「テンポ」と言うのはイタリア語で「時間」の意味。

その楽譜の時間に書き込まれている音や言葉をどう捉えるかが「時間軸」を創ります。

ところが、音楽家には当然感性があります。
特に言葉やシチュエーションに関して、この「感性」も「時間」と一緒についてくる。

ここが難しいところで、感性が勝ってしまうと、簡単にテンポは崩れて音楽家本人のやりたいように言葉や音符を扱い始める。

伸ばさなくて良いところを伸ばし、逆に声や息がしんどくなってくると、伸ばさなければいけない長さをはしょる。

こういうことも起こってきます。

先のコンサートは一部がオペラアンサンブルやアリアで、二部が歌曲とオペレッタを中心に構成されていました。

若者たちらしく、楽しくて軽快だし、先述しましたが、それぞれ歌唱力は充分に備えており、声を聴くだけでも楽しめましたが、アンサンブルになったときに、どんどん音楽が崩れていく。

これをまとめてくれる指揮者がいれば、問題は無いかもしれませんが、それでも、楽譜と言う時間を自分たちの中で解釈出来ていれば、これはもう少し冷静に表現できたのじゃないかと思いました。

で、なぜ経験が若いと思うのか。

正に、指揮者との舞台経験、作品を歌った回数、オペラであれば、演出家との内容の会話、その中で得る「通常の・・・」と言う音楽感があまり感じられなかったからです。

なので、どの楽曲も、声だけが聴こえてきて、音楽はあまり感じなかった。

私の友人に素晴らしいバリトンがいますが、彼と以前「フィガロの結婚」を御一緒した時、指揮者のいなかった小さな公演でしたが、彼の時間軸の正確さに驚いたことがあります。

その時私は字幕を出していたので、ほとんど歌い手さんの声と息だけ聞いて、PCのボタンを押していたのですが、他の歌い手さんはしょっちゅうテンポも息も変るので、楽譜から目を上げて彼らの口元や表情を見ていないと駄目でしたが、その友人に関しては、セッコの歌いだし以外は、ほとんど楽譜を追っていくことが出来ました。本当に正確な時間軸だったんですね。

だからと言って、感情の無い歌をうたっているかと言うと、そんなことは無い。

フィガロは彼のレパートリーで、何百回って歌っているでしょうから、楽譜や自分の身体がその役の「時間」を持っているのですね。

こういうレパートリーで無い限り、時間軸をしっかり持つのは難しいでしょうが、だからこそ丁寧な「時間作り」を期待します。

二部は歌曲が中心の構成。休憩を挟んで二部の歌曲になった途端に、歌い手の皆さんの声が全然違って聴こえました。

感性のみ言葉に乗せて自分の息で作れる歌曲は、やはり彼らを自由にし、元々ある才能がぱっと花咲いた感じ。そうなるとそれぞれ力量をお持ちの方々、いや~素晴らしかったです。堪能しました。

この才能や感性を二部で感じたので、余計一部の音楽感がもったいなかった。

たとえ20分のデュエットでも、そこにドラマがあるのがオペラアンサンブルの難しさ。でも、そのドラマは感性よりも楽譜を正確にどう解釈するかがまず大事。感性は無意識についてくるもの。だから感性と言うのですよね。ドラマは創っちゃいかんです。伝えなくちゃ。

そういえば、このコンサートでは、珍しくクラリネットとのアンサンブルやソロがあったのですが、このクラリネット奏者の方が最高に素晴らしかったです。
やっぱり楽器と言う媒体があるとある意味冷静になるのか、楽器の特色なのか、時間軸がしっかりしていて、尚且つ音楽性が高い。テクニックも素晴らしいのでしょうが、すごい速さで動いている指と同じにエネルギーを持った音楽が聞こえてきながら、フレーズの最後がすごく丁寧に終わっていて、それがすぐに次の音楽を期待させるような自然さで、初めてクラリネットを聴いて感動した。

楽器には言葉は無いですが、その分、楽譜の時間が正確。

ってことは作曲家の言葉が一番正確と言う事です。

テクニックはこの正確さを伝えるために必要なのですね。
これも初めて感じた。

なんにせよ、自主コンサートと言うのはやはり大変なことだと思います。
グループや団体を作って、自分たちで勉強しながら場を作っていくことだけでもエネルギーはすごく要るだろうと思う。

このコンサートの出演者は皆さん、もう第一線で活躍している若手音楽家。

だからこそ、構成や音楽の核をしっかり持って、まずは音楽を完成させてそのクオリティを絶対に落とさないで
楽しいMCや親しみやすい内容を作るべきだと思います。

大切なのは、一にも二にも、やっぱり音楽だと思いました。

そして、その音楽の核になるのが「時間軸」。

「正確」な音楽を「冷たく」しないのが「感性」です。

さて、今年、全然舞台を創ることが出来ません。

問題は資金繰りで、ずっと自分で舞台を創ってきた私はここ何ヶ月か、かなり落ち込んで空が晴れるのを待っているわけですが、こういうコンサートをみると、インスバイアされるものが沢山あって、やはり聴いて良かったと思います。

いつまた舞台を創れるのかはわかりませんが、その時まではなんとか耳を枯らさないで、心を枯らさないでいたいものです。

ってことで、相変わらずちまちまと更新していますが、たまには覗いてみてくださいませ。
今年も下半期突入ですね。頑張りましょう~!
[PR]

by kuniko_maekawa | 2010-06-13 13:49 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)