カンパニー・アルコスム公演「エコア」

日曜日、東京芸術劇場でフランスのカンパニー・アルコスという団体の「エコア」と言うパフォーマンスを観てきました。

この公演は芸劇で今行われている「国際児童青少年芸術フェスティバル」と言うプロジェクトの一つ。

およそ10日間の日程の中に、各国から団体が集まってきて、芝居や音楽、舞踊といったパフォーマンスを子供たちに見せています。

各団体の子供対象のワークショップも開かれ、中には「羊の気持ちになってみる」とか、聴いただけで楽しそうな試みも。

この「エコア」はパーカッショニスタが二人とダンサーが二人で、音と身体とを反応させて空間を創ると言う、非常に私好みの内容。

小ホールと言う狭い空間でしたが、素晴らしくワクワクするような空間が出来ていました。

舞台には鉄骨で組んだ積み木のような台があり、下手側とセンターにマリンバが3台、上下にドラムが二台、パーカッションはこの楽器を使って音を出しますが、彼らも演奏しながらダンサーとなり、他の二人と絡んでいきます。

音に関しては、もちろん楽器だけでなく、台を引っかいたりして金属音を出したり、床を叩いたり、人の身体を叩いたり、音という音は全部使う感じ。

面白かったのは、必ず彼らの息がリズムの中に入っていること。

例えば、ドラムを叩くパーカッショニスタの腕を邪魔するようにダンサーが彼の手を払って身体を反転させるような動きをする時、「シュッ」と言う息の音をさせる。

ダイレクトにラップのようなパフォーマンスもありましたが、それよりも、偶然性の大きい息の音が面白かった。

照明は単純なものでしたが、すごいと思ったのは音響。

色んな音を使うために、ステージ全体に恐らく音響設備が入っているのは想像できますが、なんと言うか、音響空間がステージ上を繭のように包んでいて、その中で聴こえてくる音が照明や彼らの身体の動きも含めて、音として聴こえてくるような感じがしました。上手く表現できない。

エコーを掛けるとか、そういうことじゃなくて、音響も照明も人間もすべて同じ土壌の中で空間が創られていたということかしら。

とにかく面白かったです。

ダンサーは女性と男性。

動きは特に難しいものは無く、ちょっとビナ・バウシュのような不規則なリズム感や腕の動き。

でも、ただコンテンポラリーダンスを観ているのじゃなくて、なんだかわかんないけど、ドラマが見える。

物語性までは無いですが、こちらの想像力をかなりかき立てられて、力を抜いてみているのに、引き込まれて笑ったり、真剣になったりする。秀逸。

これはあくまで児童のためのフェスティバルですから、2000円(ああ、素晴らしい!この価格で観て良いの?)と言う低価格で、親子連れも沢山来ていました。

私の後ろに座っていた女の子は、一つの区切りがつくたびに「今度はどんなお話なの?」とお母さんに聞いていました。これ、マジです。

子供向けのお芝居を観ている時と同じように、子供たちも笑ったり、はしゃいだり、お母さんとお話したり。

これって、よほどパフォーマーたちが自分たちを明け渡さないとこうならない気がする。

彼ら一人ひとりの才能も相当なものだろうと思いました。

なんにせよ、こういう公演が日本で、しかも子供たち対象に観れるなんてすごい!
東京芸術劇場さん、ありがとう!

夏は子供向けの公演が多いですが、最近は海外からの招聘も多いので、質がよくわかりやすい内容のものを低価格で観られるとあって狙い時です。

こういう公演で子供たちが楽しんでいるのを観ると、やはり日本と海外との教育の仕方の違いを想像してしまいます。

日本では、何よりもまず「基礎」が必要。

絵を書くならデッサンが、音楽なら音符の読み書きが、踊りならステップが、楽器ならテクニックが・・・。

そして私達の生真面目な気質は、どの世界でも技術トップの才能を遺憾なく発揮します。

フィギアスケートなんか観ても、コンパルソリは最高点でも、フリーになるとあっという間に点数が落ちるということがしばしば。

つまり、基礎は良いけど、表現力が乏しいということ。

これはオペラの世界にもあって、発声は歌唱力はあっても、それは良い声を出しているだけで、音楽を歌っていないという人が沢山居ます。

でも、子供たちを見ていると、ワークショップで羊さんになっても、音と一緒に身体を動かしても、「上手く出来る」と言うことは関係無しに、ただ、楽しいことに興味を持って一生懸命になっている。夢中になっている。

こういう風に、遊びながら楽しみながら、子供たちが本当に自分の好きな表現方法を見つける教育が、日本ではどれだけなされることなんでしょう。

小学校の先生をやっている友人は、最近大きな声を出すことが出来ない子がいるのだと嘆いていました。

家庭で親と大きな声で話す機会が無いのだそうです。

笑うとか、怒るとか、普段の生活の中で沢山感情を放出するほど、親とも言葉を交わさないということでしょうかね。

巷で子供の事件が沢山起きていますが、結局はその親たちが感情や愛情を育てられなかったのじゃないかと思います。

自由に表現するには、基礎は必要です。

ダンスでも、声楽でも、スポーツでもそうでしょうね。

けれど、そこに感情と愛情がちゃんと生まれていて欲しい。

「楽しい」と言う気持ちが沢山心にわいてきて、思わず大笑いする。

そのことにブレーキを掛けるような教育を絶対にしてはいけないと思いました。

「つぎはどんなお話かな?」って声を掛けられたお母さんは答えてなかったけど、「どんなお話だと思う?」ってずっと会話を続けて欲しかったかな。私も答えが聴きたかった(^^)

それにしても、人間って本当に豊です。

私もまた自分の中の芸術欲を沢山かき立てられて舞台を創りたくなりました。

こういう気持ちになるから、公演を観るのは好き。

ホールの空間が好き、お客さんを観ているのが好き、幸せな時間ですね(^^)

東京劇術劇場でのフェスティバルはまだ続きます。
今度は演劇みたいですよ。

是非、足を運んでみてくださいね~。
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by kuniko_maekawa | 2010-08-10 12:26 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

オペラへの道

今朝の読売新聞の文化欄に「日本オペラ連盟不正受給」と言う記事が載りました。

お読みになった方も多いと思いますが、日本オペラ連盟が、オペラ公演などの事業費を文化庁に過大に申請しており、そのことが先月の26日に発覚。今月13日までに不正受給した6300万円の返還を文化庁から求められているという内容のもの。

日本オペラ連盟とは、東京二期会や日本オペラ振興会などのオペラ7団体の親睦組織で、各団体の理事長等が名前を列挙しています。

私達の間では、もちろん周知の団体であり、人材育成支援事業などで実際に公演に関わったスタッフや教え子なども多いです。

不正が発覚したきっかけは、2007年10月の上海での「蝶々夫人」公演。

当時の事務局長が理事会を通さずに文化庁に支援を申請しており、さらに経費の領収書等が不明であるなど、多くの疑問点が浮上、それに伴い、09年末の会計検査院の検査が入り、その結果12の事業で会場費や人権費などの上乗せがあった。不正に受給した支援金は赤字の埋め合わせに使用されたということが書いてあり、その同じ紙面に日本オペラ連盟の不正受給が使用された公演の一覧表があります。

もちろん、どれも知っている公演です。

この記事が出る前から、風の噂で聞いていたことでもありましたが、こんな風に大きな記事で全国紙の朝刊にのると、事の大きさに改めてショックを受けました。

「~中には07年の「ポッペアの戴冠」、08年の「修道女アンジェリカ」などのように適正額の二倍違い支援金を受給していたケースもあり、文化庁芸術文化課は「経理ミスではなく意図的な水増し」と認定。過大受給分6300万円を13日までに返還するよう連盟に請求し、今後5年間支援を行わないことに決めた。
文化庁OBで01年から連盟に勤務していた元事務局長は「書類は他人が作った。申請は理事会を経ており、自分一人の責任ではないと話す。」

連盟の関係者は、この元事務局長を全面的に信頼し、一切の事務を任せて、個別事業について詳しい収支報告を求めず、内部監査も十分に機能していなかった。

この場合の「個別事業」とは、連盟が関わったすべての公演のことをさします。
いわゆる「共同制作事業」。発覚した「蝶々夫人」もその一つですね。

「突出して水増し率が高い『人材育成支援事業』による公演は赤字事業の典型だ。
若手育成を目的とする公演は、チケット価格を安くしてもなかなか観客が入らない。そこで文化庁は04~08年度にオペラ連盟の主催を条件に、事業費の二分の一(通常は三分の一)を支援する人材育成支援事業を行った・・・・・・・・・オペラ連盟は今回、会計責任の明確化や監査体制の強化などの再発防止策も文化庁から求められている。しかし、支援を打ち切られた連盟が事業を続けることは難しく、理事の一人は「当面は活動を事実上休止せざるを得ない』と見通しを語る。
常に赤字公演を強いられるオペラにとって、公的支援は頼みの綱。それだけに支援金の使途には公正さが求められる。」

こんなことを書かせること自体がいい加減にしてくれ、と言う感じです。

「常に赤字公演を強いられる」

「強いられる」ってどういうこと?

こんなこと有り得ないです。
誰かに強制されてチケットを売らないってことですか?

問題は、こんな風潮にしてしまった人たちに問題があるんです。

オペラは売れます。

事実、売れている公演はあるんですよ。

もちろん、オペラは大きなお金がかかります。

当たり前です。
容量が大きいんですから。

歌手、指揮者、演出家、オーケストラ、バレエ、合唱、助演、舞台スタッフ、各々アシスタントまで入れたら1000人単位もウソじゃありません。

その人たちに生活できる報酬を払うとなれば、お金がかかるのは当たり前です。

ですから助成は必要です。
文化として存続したいと言うのであれば、国も積極的に動いていただきたいところです。

しかし、最初からお金がかかるから、自分たちでは予算を組めないというのならば、公演なんかやらなきゃいいんです。

そんなこと言ってたら、商業演劇や歌舞伎や映画はどうなんですか?

どれも新聞で「赤字公演が常」などと書かれるものは無いはず。

なぜNYは国家予算なんかゼロなのに、各劇場が商業的に成功しているんですか?

売ってるからですよ!売ってるから!

どの団体の制作者が、投資家を集めるパーティーを開いて、説明会をしています?

企業に足を運んで、チケットを直接売ってます?

TVに出演して、公演の宣伝をしています?

そもそも、宣伝費にどれくらいの費用をかけています?

この事件に関して、もちろん誰も庇うことは必要ありません。

せっかく行った公演自体、こうやって槍玉にあがることが、関わった出演者やスタッフたちをどれだけ傷つけるか、本当に心が痛い。

出演者は皆若く、歌う場を求めてオーディションを受け、やっと舞台に立ったのに。

しかも、そんな水増し受給があったとしても、出演者やスタッフが手に入れるお金など、雀の涙の金額ですよ。
歌い手などは、もしかしたらノルマがあったかもしれません。

それなのに、こんな記事が載るなんて・・・・。

手を汚すことは罪です。犯罪ですよ。

でも、綺麗な手のままではなしえないほど、オペラは大きなものなのです。

関わった方々は、それを一番良くわかってらっしゃった方々でしたでしょうに。

制作側はいつも一番大変な分野です。

問題や責任は、結局そこに集まってくる。

けれど、それを予測して公演を打っているのではないのでしょうか?

何があっても、「良い舞台を創れば、客は満足する」なんて、本当に信じているんでしょうか?

だったら、もっと頑張れよっ!汗水垂らして、チケット売って来いよっ!

自分たちのことはすべて後回しにして、もっと歌い手たちを大切にしろよっ!

その上で、どうにも駄目でしたって起こった事件なら、私たちは同じように泣けたかもしれなかったのに。

各団体も、始まりは決してネガティブだったわけではないと思います。

誰もが「オペラが好き」だから、どんなに大変な公演でも、関わる人たちのモチベーションは下がらない。
否、下がらなかったのに・・・・。

言いたいことは色々ありますが、告発をしたいわけじゃありません。

ここらで「オペラ神話」から脱皮すべきです。

オペラは特別なものでも、高尚なものでも無い。

ただの商業歌劇です。

歌手も指揮者も演出家も、客が喜ばなきゃ意味が無い。

芸術なんて民間芸能ですよ。

でも、そこには神様に選ばれて、能力を与えられた人たちの才能がある。
それが特別です。

その才能が一番終結して、心を震わすことが出来るのがオペラです。

一流の才能を集めるには、お金が要ります。

その才能たちの価格を決めるのがチケット代。
イタリア人だから高いチケット代を設定するのじゃない。価値に対してです。

客にそのチケット代を払わせるための価値を生むのが私達の仕事。

その価値を人々に宣伝するのが、制作の仕事です。

更に言ってしまえば、その才能を集めるのはプロデューサーの才能。

金だけあれば良いってもんじゃないんです。

どうしてそこにドライになれないのか。
何を理想化して逃げてるのか。

「オペラならイタリア」なんていう、馬鹿みたいな神話もうんざり。

必死にお金を集めて外人を呼ぶことをやめて、日本人の最高のキャスト、指揮者、演出家で最高の舞台を作らせ、チケットを売りさばく。これが今の日本のオペラに必要なプロデューサーです。

クラシックは売れないというのはウソ。

人は自分の価値観にお金を払うことを絶対に惜しまない。

見極めて公演を打つべきです。

ためしに、NYみたいに、どの劇場にも公的資金を支援するのをストップしてみたらいかがでしょう?

それで自力で生き残った団体が、本当のエンタテーナーを作れる場所かもしれません。

国も中途半端に甘くしないで、そこまでやったらどうでしょうかね。

音大生や、研究生や、今、まだオペラ歌手になりたいと思って勉強している若い人達。

これから本当に歌手として仕事をしたいならば、日本にこだわらずに、むしろ海外で仕事を見つけなさい。

海外に出るのが難しいなら、日本の現状をよく理解してから、それでも舞台に立ちたいと思うのならば、実力を磨きなさい。

誰も助けてくれないし、エージェントはいないし、公演数は少ないし、お金にならない。

それでも、日本でやりたいならば、確実な歌唱力と演技力と、集客力を得なさい。

それくらいの根性がなかったら、オペラなんかとっととやめるべきです。

日本でやっていくのに必要なのは、ただただ個人的なモチベーションとクオリティーを上げ続けることしかありませんから。

日本中のオペラ歌手、スタッフ、みんなもっと怒りましょう。

そして、その怒りで一回全部ゼロにしちゃえば良い。

変わる必要はありません。

今までのことは今までのこと。
良かったことも、悪かったことも。

ゼロから先は、始めるだけです。

そうしないと、オペラへの道は本当に閉ざされるかもしれません。
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by kuniko_maekawa | 2010-08-05 14:24 | オペラなお仕事 | Comments(2)