1分を待つ

今朝TVを観ていたら、山小屋を管理している若者のドキュメンタリーをやっていました。

その人が、何故山に住むのかと聞かれ、こう答えていました。

「都会にいると、なんでも与えられる。スイッチを入れれば電気がつくし、バーをひねればガスが出るし、1分遅れても謝られるし、なんでもやってもらって、お客様ですよね。山では不便だけど、不便と言う事は悪いことじゃない。それを感じられるから」

おや~、と軽く驚きました。

おっしゃっていることは、さもありなん。

私も最近思うところで、あれだけ便利嗜好だったのに、子供の頃にやってた生活に戻りつつあります。

お湯を沸かすのも、前は電気ポットを使っていましたが、今は再びやかん。

PCも仕事では欠かすことは出来ませんが、今はそれ以外、ほとんどつけません。

前はヘビーユーザーで、丸一日電源を入れっぱなしでしたが、今は一日一回開くだけ。
それも、家計簿をつけなくていい日は、開きません。(よってブログもお休み^^;)

ってことは、買い置きを無駄にしなくなったって事。

私は買いだめが下手で、いつも食材や調味料等無駄にしてたので、一回一回必要なものだけ買っていましたが、料理が得では無いので、自然、お惣菜や簡単に調理できるものだけ買っていました。

今は、弟と私の体のこともありますが、まとめ買いを上手に使ったほうが節約になると気付き、出来るだけ3,4日を目安に使いきれるものを買って、食べきるようにしています。

そうすると、不思議なもので2週間に一回くらい、まったく買い物をしない日が出てくる。
たまに週に一回出来る時もあります。今までに比べれば上出来。

便利ということは、結局は手間を減らすことなので、忙しい人間にはある程度必要かもしれません。

今、私が段々便利でなくても良いとおもうのは、時間に余裕があるからですよね。

さて、前述の若者の答えの中に「1分遅れても謝られる」って言葉がありました。

これは先日、私の教会の副牧師が同じことを説教の内容で言っていました。

彼女(女性です。)は福岡の出身で、神学校を出て、すぐに副牧師として就任されたのですが、東京に出て来て驚いたのは、乗っている電車が1分遅れたときに、「まことに申し訳ありませんでした」と丁寧なアナウンスが流れたことだそうです。

1分で謝られるということは、1分で怒る人がいるというわけです。

偶然、別の世界に生きている若者から、現代社会に関して、同じ言葉を聞いたので、軽くショックだったわけです。

しかも、私達の世代ではなくて、若い世代が現代社会が急ぎすぎていると感じている。

私自身も、忙しさの中に身を置いている時は、やはり分刻みの行動に走っています。

時にはいつでもお湯が沸いている、電気ポットに戻したくなる。

でも、お湯が沸くのを待つ時間に、お菓子の用意をしたり、テーブルを拭いたりしても、あまる時間があるということのほうが大切な気がして、ポットは使いません。

子供の時は一日って本当に長かった。

何をしていたわけでも無いけど、十分に遊んで、食べて、寝て、次の日学校に行った。

夜は早く寝て、朝は自然に目が覚めた。

今はそういう生活を目指しています。

ふと足元を見ると、行き倒れている愛兎・・・・(^^;)
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やっと涼しくなってきましたね。

季節の変わり目に、体調を崩されませんように!

今日もゆっくりまったりで~(^^)
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by kuniko_maekawa | 2010-09-24 11:44 | 心のつぶやき | Comments(2)

本物の経験とは?

本日、勤めている大学で、特別公開授業というのがありました。

イタリア人ソプラノ歌手がやってきて、大学院の学生たちのオペラの授業をやったのですね。

Signora Tiziana Ducatiは私より一つ上の48歳。

これまでの数々のコンクールを経て、イタリアで活躍中のリリコソプラノで、教育にも関心があり、その関係で今回の講座が組まれたとの事。

実際に彼女も三曲ほど歌ってくれて、授業がにわかコンサート会場に早やがわり。

学生たちも、突然の新しい風に、大興奮でした。

最初、彼女だけが授業をやるのかと思ったらば、彼女は歌手なので、演出は見ないというので、一緒に授業をやれというお達しで、しぶしぶ隣に座って、さあ、始めましょうとなったわけですが、やはり声を出している以上、イニシチアブは彼女の方にあります。

実際に歌っている学生たちを動かしながら、歌唱表現を教えていました。

学生たちは、最初、歌のことだけ言われると思ってたので、彼女が立ち上がって自分たちの身体を動かしたり、表情のことを言われたりするのにちょっと戸惑っていましたが、私はさもありなんと黙っていました。

彼女のやっていることは、演出とは違うのがわかっているからです。

イタリア人歌手の公開レッスンなどを観に行くと、こういう場面に沢山出会います。

歌のレッスンなのに、発声のこととかではなくて、身体のことや、表情のことばかり言われる。

そうでしょうね。

結局は歌うことが表現である限り、声のことだけやっていては役の表現は出来ない。
この事が、彼女には経験として培われています。

演技のこと学生たちに注意したあと、私の方にきて「表情のことを言うことが、結局は声のためになるから」とわざわざ言ってくれました。

彼女自身も、当然、演出をやっているのではないとわかっています。

これがどういうことか、学生たちにもわかると良いんですが、演出はもっと外側の仕事です。

全体の絵を創る。

そのためにもちろん、内容を解釈しますが、まずは大きなコンセプトを創ることが仕事。

それが衣装や舞台セット、照明などの色を決めていきます。

歌い手の仕事は、演出家の創ったコンセプトを人間として表現すること。

彼女のやっているのはこの部分です。

つまり、歌手の仕事として何が必要かを話していると言うことなのですね。

ここが、外人歌手と仕事をする時にはっきりしているところです。

彼女たち、彼らは何回、何十回と同じ役を歌って、沢山の演出家、指揮者と仕事をしています。

彼女が今日やって見せたことは、恐らく彼女が数ある舞台の中で、一番気に入っているとか、自分に合っているとか、綺麗だと思っているものを型として持っているものだと思います。

随分前になりますが、新国立劇場で「サロメ」を再演した時に、アメリカ人のソプラノ歌手が来ました。

私はアシスタントで入っていましたが、演出家が来日するまでに、再演でしたので、私だけで彼女と稽古をしたことがあります。

稽古に入る前に、彼女と初演のVDを観ながら、コンセプトを話していると(もちろん、通訳さんが・・・)、彼女がこう言いました。

「自分は68回サロメを歌ったけども、このコンセプトは好きなほうだわ」

レパートリーとはこういうものだと納得した瞬間でした。

ただ、今日のTizianaを見ていて悔しいことは、私と彼女はほとんど同じ年齢だということ。

たった一つしか変わらないのに、この経験値の差はなんなんだと、正直に嫉妬します。

彼女にこれまでの仕事を聞いてみたら、「ミミとトスカはとにかく沢山やった。一緒にやった演出家はゼッフィレッリとかかな~。ドミンゴとも歌ったのよ、彼、ちょっと年取ってきたけど・・・。そうそう、フレーニとダブルでボエームやったの。メトロポリタンね~。」みたいな答えが当たり前にすら~っと・・・・。

「あなたはどんな仕事をしたの?」とも言われず、憤然とするの巻き。

自分の経験を卑下しているわけではなく、自分にも彼女のような経験を積もうと思えば出来たのかも・・・と思うからです。

もし、自分のモチベーションがもっと高かったら、イタリアに限らず、日本に限らず、好きな演出家にコンタクトを取って、アシスタントは無理でも、勉強することだって出来たはず。

必死にお金をためて、語学学校に行って、1年でも、2年でも海外に足を運んで、あらゆる人に紹介を頼んで、劇場に入ることも出来たかもしれない。

日本だからとか、海外の日本人雇用は難しいとか、自分で体験する前に線を引いていたのを本当に馬鹿みたいだと思いました。

端から日本と海外を分けて考えていましたし、そんな可能性なんて無いと思い込んでいました。

しかし、そんなことは無い。

可能性はあります。

観ていた学生たちにしても、やっぱりイタリアはすごいね~と唸る前に、同じ人間だということに気付いて欲しい。

つまり、彼女に出来ることなら、自分たちにも出来る可能性があるということを考えて欲しい。

凄い、凄いと動物園の稀少な動物を見るように、非現実的に見ないで、同じことが出来る可能性があると思って欲しいです。

第一、彼女の言ってることは、日本人でも言えることですもん。

本場だからとか、イタリア人と日本人は違うとか、そこに逃げないで現実を見るべきですね。

本当に歌手として仕事がしたいなら、出来る国に、とっとと行ってしまうことです。

その努力は並大抵じゃないと思うけど、みんな同じ人間ですから。

そう学生たちに、ぶいぶい言いながら、己の心に刻み付けた今日でありました。

やっぱ世界で仕事するぞ~!!!
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by kuniko_maekawa | 2010-09-22 20:45 | トレーナーのつぶやき | Comments(4)

二人の綾子さん

私がクリスチャンになった時に、色々と書籍を読み漁りました。

やっぱり早く、キリスト教モードになりたかったこともありますが、知らないことの方が多かったので、関係書を探しては、面白そうなものを読んでいました。

その中で、すぐにその世界に入り込めたのが、三浦綾子さんと曽野綾子さんのお二人。

三浦綾子さんは、脊椎カリエスで長く病床におられた末に、朝日新聞の懸賞小説に応募し、「氷点」でデビュー。その後も「塩狩峠」や「細川がラシャ夫人」等、多くの作品を残し、すでに昇天されています。

エッセイも珠玉のものが多く、「この土の器をも」など、信仰と愛に満ちた優しい文章で、正直に正も負も語られていて、何冊も読みました。

夫である、三浦光世さんとの夫唱婦随の創作活動であり、最期まで愛情を多く注いでらっしゃいました。

曽野綾子さんは、三浦さんとは逆に、海外支援や日本財団の理事長などをなさるなど、創作活動とあわせて、御自分の身体を使って、どんどん外側へ向かってらっしゃる。

小説も社会派と言われるようなシャープな題材が多く、今尚人気のエッセイも、切り口はスパッとしている。

ご自身は、長く目を患っていらっしゃり、手術を受けられていますが、目が見えるようになってからの活動は、素晴らしいものがあります。

三浦さんはプロテスタント、曽野さんはカソリック。

片や病気の中に生きており、片や地球の果てに向かって歩いている。

本当に間逆のお二人ですが、このお二人から影響を受けたものはかなり大きいです。

三浦さんからは、愛と慈愛を。

曽野さんからはそれを育む方法を。

そして、素晴らしいのは、お二人共に文筆という、賜物があり、それを礎に後世にまで意志を伝え続けることが出来ること。

神様に選ばれし人であるとやはり感じます。

オペラでも、芝居でもそうですが、一つの作品は、作曲家や戯曲家が書いたもの。しかし、それは神様から与えられたもので、その御業を示すために、人間は道具であると感じます。

そうして創られた作品は、人間よりもはるかに長い時間残っていく。

私たちは、それを伝えるために、才能を与えられたと日々思っていますが、残念ながら産み出す力が私にはない。そこが悔しい。

だから、せめて、楽譜に在ること、台本にあることは忠実に伝えようと努力したい。

最初に書いた時、その人たちが神様から力を得て、生み出したものであるとすれば余計に。

なんてことを書きつつも・・・・ああ、今週末までに1月にやる学校公演のプランを出さねばならず。

出で来ない・・・・引き出し空っぽです・・・(;;)

二人の綾子さんの爪の垢でももらいたいくらいですが、頑張ってひねり出してみようっと。

天気が良いと、まだまだ暑いですね~。

そろそろ涼しくならないかしら?????

季節の変わり目です。体調管理をしっかりと!
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by kuniko_maekawa | 2010-09-21 11:50 | 心のつぶやき | Comments(0)

旅に出る

土曜、日曜と教会の伝導隊に参加して静岡に行って来ました。

「伝導」というと、大げさなことをイメージしがちですが、別にキリスト教を世に広めるために、街を歩いたのではなく、静岡教会という同じバプテスト連盟の教会へ招聘され、一緒に礼拝を行いました。

静岡教会は静岡駅からバスで10分くらいのところにある、歴史ある教会です。

バス停を歩いて敷地の近くに来ると、パッと目に付く白い十字架の塔。
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すごく綺麗でした。

今年、大きな地震と台風で倒れてしまったそうですが、綺麗に復帰されたところへ訪問できて良かったです。

いつも思いますが、教会建築というのは、本当に美しいです。

カソリックの荘厳な華麗さも感動しますが、プロテスタントの場合は、偶像礼拝をしないということで、比較的質素な木目調が多く、落ち着いた感じです。

その中のたった一つのシンボルである十字架が、その教会の信念を語っているようで、いつも感動します。
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会堂に足を踏み入れただけで、もう気持ちは神様と在る感じ。現金なものです(笑)。

仕事でもなんでもそうですが、旅に行くメリットは、そのことだけを考えていれば良いということ。

今回も、初めて伝導隊に参加しましたが、やはり現実を忘れて、事在るごとに神様に祈り、信仰の話をする。

それだけの時間を二日間過ごした今日は、すっかりとデトックス状態。

このところ、心の折れることが多かったのですが、今日はすっきりと朝を迎えました。

洗礼を受けて丸4年。

迷いの多い信仰生活も5年目を迎えます。
このまま最期の時まで、神様を頼って生きて行きたいと切に祈るばかりです。

こちらは教会にいたうさちゃん。シロクロちゃんです。
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幼稚園があるので、そこのうさぎさんなんでしょうけれど、真っ黒の身体にかたっぽの前足の先がちょこっと白い。しかも、大きい! なっつの一回りは大きいのじゃないかしら。

ゲージ越しで、真っ黒な子なので、ちょっと写真映り悪しですが、大人しくていい子でした。

しかも、エアコンもない庭で元気に生きてる!

うさぎも順応すると、暑さも大丈夫なのかも。

なっつも強くならなくちゃねっ!

季節の変わり目で、やたら干草を食べるので、大量にゲージに入れていったらば、入れすぎて飽食気味のなっつ。(^^;)
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すみませんけど、もう少し頑張って食べてください(笑)

静岡はほとんど秋でした。
涼やかな風が気持ちよかった~!

久しぶりに旅行気分を味わいました。(^^)
静岡教会の方々、ありがとうございました!

追記:面倒くさいので、コメントをフリーにしたらば、すぐさまスパムが入って来る。不快なので、やっぱりコメント承認制にします。誰か取り締まってくれないものかしら。(--#)
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by kuniko_maekawa | 2010-09-20 11:11 | 心のつぶやき | Comments(0)

美しいということ

大学や、研究生機関等で一番最初に立ち稽古に入る時、必ずやるのが「基礎演技」と言うワークショップ。

教育機関は、初めてオペラに触れる人達のほうが多いですから、取り合えず知っておいてもらいたいことを伝えるためです。

「基礎演技」という題目は本当は使いたくないんですが、他に言いようが無いのでいつも使っています。

なぜかというと、元々メソッドというものが存在しないと思っているからで、有名な演劇における色々なメソッドも、結局はそれを最初に論じた演出家や俳優のセオリーであり、それが後進に影響を与え、受け継がれていくもの。「~イズム」という方が近い気がする。

ってことで、立ち方、歩き方、衣装のさばき方、衣装の使い方、舞台上の用語(上手、下手とか付け回しとか)とにかく、オペラを歌い演じるために必要な様々なこと、私のセオリーに乗っ取って一気に伝えていく時間を作るわけですね。

そういうことをやっていると、だいたいその人たちの身体の癖と一緒に、感性の違いや想像力の違いも見えてくる。

これもすごく大切なことです。

学生であっても、相手がどんな感性を持っているか、こちらの投げかけをどれくらい受け止めて、返してくることが出来るか、やはり一緒に舞台を創る相手ですから、何も知らないままにいきなり授業は出来ない。

たった1時間でもそれぞれが良く見えて、これからの立ち稽古の助けになります。

舞台に立つ人達は、歌手であれ俳優であれ、己の身体を使って表現するわけですから、まず綺麗でなくてはいけない。

容姿の問題ではなく、立ち方や歩き方、手の使い方等々、人の目が鑑賞するに耐え得る以上の美しさがあってしかるべきでしょう。

しかし、形が綺麗であれば、それで良いかということでもない、その美しさには理由が必要になってくる。

なんの理由か。

「役」の理由ですよね。

例えば、歌姫トスカあれば、どんな風なドレスを着て、どんな風に立って歌うのか。

床屋のフィガロであれば、どんなに器用な手さばきを持っているのか。

ドン・ジョヴァンニであれば、どんな風に女の手の甲にキスするのか等々・・・。

当然、演奏会で一人で立って歌う時でも、自分という歌い手がどう見えれば良いのか、それを考えればおのずと「美しさ」はわかってくる。

形を伝えるのは簡単ですが、実は本当に必要な「想像力」と言う物を伝えるのが一番難しいですね。

先日、BSでチェロの堤剛さんとピアノの仲道郁代さんのコラポを観ました。

演奏が素晴らしかったのはもちろんそうですが、なんと言うか、素晴らしく美しかった。

容姿ではありません。

演奏の仕方が綺麗だった。

最近はハイヴィジョンなるものが主流ですから、皮膚の表面まで良く映るのですが、その時は両者の手元にカメラがギリギリまで寄って、指先や弓を動かしている手首などを観ることが出来たのですね。

これを観ているうちに、なんか「正しい!」と思ったんです。

チェロもピアノも専門外なので、どういう弾き方が正しいかはわからないのですが、鍵盤を叩く指がきちんと上から下に下りて一つ一つの音を綺麗な音で叩き出しており、弓を弾いている手首の動き方や、弓と玄がまっすぐに平行でバランスを崩さないで行きつ戻りつしている。

これが素晴らしく美しく、「正しい」のだろうと唸ってしまいました。

これこそテクニックなのかなと思います。

同じくして、身体を美しく使いたいと思うのならば、内面の引き出しを沢山増やして、それぞれの役や場面で必要な身体を想像できる「テクニック」が必要なのでは無いでしょうか。

今は映像が強い時代ですから、綺麗な人が望まれます。

しかし、本当の美しさは、決して容姿ではなく、内面の成長なんだと思います。

知性、感性、礼儀や慈悲。

そべて備えている人はいないかもしれませんが、お客様を喜ばせる本当のエンターテナーになるのならば、努力して備える必要がある。

そう自分もありたいのもです。
これが難しいんだ~(^^;)
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by kuniko_maekawa | 2010-09-17 12:00 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)

そういえばMMC・・・・

昨年立ち上げたMMC(maekawa.nania.company)という私設団体。

せっかく立ち上げたのだから、3年は頑張るつもりでいました。

しかし残念ながら、今年は公演が出来ずに終わりそうです。

大きな理由は経済的なこと・・・と言っていますが、今までの自主公演はお金が無くても「やりたい」ならばやる!というモチベーションで行ってきましたから、本当はそれが理由じゃありません。恐らく。

本当の理由は、やりたいことが無かったからだと思います。

「思います」と言うのは、今まで気付かなかったから。

それが証拠に、夏ごろを目安に一度企画を立ち上げかかったり、来年の春をめどに助成の申請などの準備を始めていたりしたからです。

でも、今すべて止まってしまいました。

浮かんでは消える企画は、ふっと思い立った時には「やりたい!」と思い、実行する方法もあり、いつでもGO出来るものばかり。

今でもすぐに公演は出来ます。

なんというか・・・・・気力を興す理由がない。

環境に大きな変化はありました。

ここ7,8年くらいの間、自分を奮い立たせていたものが、根こそぎなくなってしまうようなこと。

それ自体は受け入れることを自分に許しており、いつものように「まあ、しょうがないか」と思っています。

しかし、それだけをよすがに走ってきたのですから、目の前のにんじんが無くなれば、馬は止まるしかない。

手綱は自分で引きました。

今は、取り合えず7年分の棚卸しをしている最中。

卸しきったら、仕入れをする。

もう少し時間がかかると思います。

いつも、私の公演を楽しみにしてくださる方もいらっしゃって、声をかけていただくこともあり、その方々を楽しませるということだけでも、公演を企画する理由ではありますが、クリーンな自分で舞台とは向き合っていたい。

まあ、その内また、ば~ん!と大きな企画興しますよ(笑)

創っていることだけが、唯一生きていると思えますから。

今日は今朝から雨が降って涼しい一日となりそうです。

季節の変わり目は、体調管理に気をつけましょう!

今日も一日お元気で(^^)v
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by kuniko_maekawa | 2010-09-16 10:57 | MMC | Comments(0)

創造物

アートなものは何でも興味がありますが、美術と音楽は同じくらい好きです。

絵画、建築、陶芸。

人の手が創っていると、はっきりわかるものに多く惹かれます。

絵画展の楽しみは筆跡。

筆の方向や、絵の具の厚み、色彩の素晴らしさはもちろんですが、目を惹かれるのはそういうところです。

陶芸は土に手のひらを感じるから。

器の大きさや、質感に作家の手のひらが想像できて、一瞬トリップする。

建築は、そこに歴史が加えられて想像が一気に広がります。

普通の家屋でさえも、一世代では終わらないのが建築の面白さ。

創られた経緯や、そこに住んでいた人たちの生活が如実に感じられて、なんと言うか、温かい。

音楽も然り。

美術と同じく、作曲家の書いた楽譜は作品として残ります。これもある意味芸術だと思うけど、絵画や陶芸と違うのは、楽譜から無形の美が生まれるということ。

それも、演奏家の数だけオリジナルとなって、独り立ちしていきます。これに魅力がある。

あ、でも、同じ意味で、絵画は人が観るということで、感性が無形だし、陶芸は使うという作業がその人の唯一のものになり、建築は言わずもがな、住むという歴史が無形かしら?

ちょっと混乱(^^;)

でも、なんでも、出来上がった瞬間よりも、その先にある無限の広がりに心惹かれます。

9月のなっちゃんは有形の美(^^)
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この足元がそうなんです(笑) なんでこんな風に足を角っこにくっつけているかは不明。
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芸術の秋ですな・・・

今年、S音楽大学の大学院のガラコンではドニゼッティのファルサ(笑劇)を一本やります。

学生たちは思ったよりも頑張っていますが、果てさて、無形の美を飾れるか???

問題は私の頭の中だけってことです。

昨日の雷雨は凄かったですね~。これでやっと秋になってくれるのかしら?

汗疹がまだひりひりです~(;;)
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by kuniko_maekawa | 2010-09-14 17:11 | 心のつぶやき | Comments(2)

大学が始まりました(@@)

来た来た~!1年に一回、己の許容範囲を超える期間がやってきました。

さっそく、目が回るの巻き。ああ・・・疲れた。

帰りの電車でふと美術館のポスターを見る。

あ~良いなあ~・・・・

豊な生活ってどんなことかしらん?

美術と音楽と読書とうさぎ。

毎日どれかしらに触れてたい。

あ~しかしTVも好きだから外せないか。

好きなことだけして暮らしたい。

最近思うんですけど、好きなことだけして暮らすこと=常識を破ることではない。

社会で暮らすための常識は必要。

その中で自分だけが知っている、大切なものを裏切らないで生きることが=好きなことだけして暮らすことかなと思う。

段々、我慢しなくても良いことが増えたのは嬉しい誤算。

器が広がってるってことですから。

もっとキリキリ生きるかと思ってました。

案外、楽に生きてる気がする。

さて、テンションが上がったので、今日は珍しく仕事して寝よっかな~。

この残暑に首周りに汗疹が出来ちゃいました(^^;)

冷感ジェルでひりひりさせてます(笑)。

「オペラなブログ」を楽しみにしてくださっていた方、下世話な話が多くなってすみません。

ぼちぼちオペラネタも書いていきますね~。

明日も頑張る!
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by kuniko_maekawa | 2010-09-13 21:00 | 心のつぶやき | Comments(2)

名前の由来

さて、勝手にブログを一本にし、勝手に名前も変えちゃって、自分ではかなり悦に入っています。

「言の葉のいずるよりも前にきみが好きだった」・・・・・
ヒント:萩尾望都先生の漫画です。ふふふ~(^^=)

一本化するといっても、何をどうしたものでもなく、「うさぎ屋日記」を書くのをやめて、「オペラなブログ」に何でも書いちゃえってだけで、過去記事を移行したり、かたっぽを削除したりはしてません。

一本化してカテゴリーを増やすのが面倒だ~。

いずれやります。

実は名前を変えたのには訳があります。

別にこのまま「オペラなブログ」という名前を使っていても良かったんですが、なんか今の心情と違う。

「オペラな」ことが、今は無い。

私の中でのメインがオペラじゃなくなってきているのが大きな理由。

創りたい舞台も、かかわりたい舞台も、観たい舞台もオペラだけじゃない。

むしろオペラ以外のものに、興味が行き始めています。

なので、自分の中から「オペラ」という文字を消しちゃおうかなって。

このお題は気に入っています。

久しぶりに書こうかなという気になったりして・・・。現金なものですね。

今日は礼拝に行きました。

なんと来週、静岡の教会へ伝導隊として派遣されるのです。

主な仕事は聖歌隊なんですが、讃美するための曲を初めて編曲しちゃいました(^^)。

言うも恥ずかしいが、なんだか真新しいことをやったので楽しかった。

でも、実際に自分の創ったハーモニーが人の声として聞こえてくると、すっごい恥ずかしい~(@@)

なんでしょうね、これ。

前に訳詞をしたのを、歌い手さんが歌い始めたときも赤面した。
自信の無さの表れかしら(^^;)

どんな形でも楽譜に携われるのはやっぱり一番嬉しい。

良い讃美になるように祈るのみ。

明日から大学は後期授業が始まります。
血圧との闘いもこれからだ~!

色々頑張ります!
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by kuniko_maekawa | 2010-09-12 16:40 | 心のつぶやき | Comments(0)

色々新しく・・・

HPを開くにあたり、二つのブログを書いていました。

日常のことと、オペラのことと、分けて書きたかったからですが、この度心機一転、ブログを一つにまとめることにしました。

新しく生まれたブログは「言の葉のいずるよりも前にきみが好きだった」。

これね~、ある漫画のひどく好きな台詞なんですが、これがわかった人はマニアです(笑)。

旧名「オペラなブログ」ですから、舞台やオペラ・レッスンのことを中心に書いていましたが、今度からは愛兎なっつのことや、日々のことも、このブログに書いていこうと思います。

ネタがなくなってきて、二つもブログを書くのが億劫になってきたってことですが(^^;)

9月になって、やっと涼しい風が入って来るようになりましたね。

季節の変わり目ですから、皆さんも体調をお気をつけて(^^)

これからもうさぎ屋を御贔屓に!
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by kuniko_maekawa | 2010-09-11 13:54 | 心のつぶやき | Comments(5)