なんだか変わってしまった・・・・

10月の初旬に血腫が出来て、2週間ほど混沌としていたあと、まるで人生が変わった感じがしています。

そこまで私を煩わせていた、ある人間関係や、仕事とのかかわりや、今はまったく考えていない。

忘れているのじゃなくて、もう、考えなくても良いように思える。

今まで生きてきた人生の「理由」だったものが、今は大した問題じゃないようにも感じる。

もちろん、学校やこれからも関わる舞台はあるのだろうけれど、つい2週間前に考えていた「生きがい」を探すことに意味を感じなくなっている。

舞台とのかかわり方も、恐らく大きく変わるだろうなと思うのは、今は、ちょっと舞台から離れたいような気にもなっているから。

今年は本当に、自分の中の余計なものが沢山無くなっていくような気がする。

今まで好きだった人や物が、実はそうでもなかったんじゃないかと思ったり、本当にやりたいことが実は見えてなかったり・・・・。

この病気が深刻なものだったら、私は学校をやめて田舎に戻るつもりでした。

生活のベースになるものを変えなければ当然生活できないし、なんかもう生きるのも疲れた感じがしていた。

おかげさまで、生きるのには問題がないとなった今でも、正直に言えば、あまりエネルギーがありません。

出来れば一日中、眠っていたい。

体力が戻っていないのか、気力が無くなってしまったのかわかりませんが、少なくとも、舞台を創るエネルギーを興すことが出来ない。

これは今年になってからずっとそうでした。

正直、鬱かと疑ったこともあったのですが、そうでもなさそう・・・・。

たいしことやってないのに、人生に疲れることなんてあるのかしらね(^^;)。

きっと環境が大きく変わるのだと思っています。

余計なものが根こそぎ無くなって、本当の私がふとあわられる。

そして、本当にやりたいことをふっとやり始める。

そうなったらどんなに楽しいだろう・・・・。

何を私はやり始めるのかしら?

ところで声優の野沢那智さんがお亡くなりになりました。

白石冬実さんとの「パック イン ミュージック」は青春だったな~(><)。

アラン・ドロンの声も薔薇座でのお芝居も日本人離れして好きだった。
御冥福をお祈りします。

さて、明日は久しぶりに大学の授業に行ってきます。
ちゃんとおきれるだろうか、心配・・・・。

まだまだ人生は続くらしい。

神様の御計画は、何を私に望まれているのでしょうか。

ただただ、受け入れるのみですね。
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by kuniko_maekawa | 2010-10-31 17:17 | 心のつぶやき | Comments(4)

母と暮らす

昨日、母が上京してきました。

これは一月前くらいに私が考えたことで、母も段々高齢になってきて、上京するのも、もう機会がないかもしれない。

今は弟が家を出入りしているので、部屋が空いていることもある。

以前、国立に住んでいる時に、上京をさせてみようかと思って試してみたけれど、その時は私が忙しくて、結局苛々して終わってしまったけれど、今は学校以外は仕事もないし・・・。

2週間くらい前だったら、血管腫のことで無理だったかもしれませんが、それも取り合えず収まったということで、そのまま進めてしまいました。

昨日、夕方東京に無事到着した母は、相変わらず積極的に身体を動かしてなかったみたいで、歩くのも遅いし、耳も遠くなっている。

以前、国立に呼んだときは、まだ今までの母の面影を引きずっていたので、全然動かない母に苛々いしていましたが、今回は、もう母も高齢になってきて(と、行っても76とか77とかなんですが・・・)私の中でも、「お母さん」というより「おばあちゃん」と言う認識になってますから、なんとなく「まあ、良いか」・・・・。

それにしても、とにかく身体が元気になるのって時間がかかるんですよね。

元気な時は体重を増やす方法なんて考えたことなんて無かったのに、エネルギーが足らないと、1キロ増やすのも時間がかかる。

今の体重でも、平均的ではありますが、エネルギーを保つベスト体重は、後2キロ欲しい。

これが本当に太ってくれません。

そういえば、食の好みが変わってしまったかも。

やたらめったらお菓子を食べていたのに、今はアンコ以外は駄目だし、果物がとにかく食べたい。

とにかく肉を食べれば良いかってわけでもないらしい。

母がおばあちゃん気質満載で、色んな食材を持ってきましたが、明太子やらノリの佃煮やら、辛くてな~(><)

まあ、とにかく年明けくらいまでいるみたいですから、久しぶりに家族団らんを味わいます。

ところで急に寒くなりましたね。

昨日はホットカーペットや電気敷布や、いきなり登場。

気が付けば、10月も終わりです。
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by kuniko_maekawa | 2010-10-29 13:28 | 心のつぶやき | Comments(0)

やっとなんだかわかってきた・・・・(@@)

段々に頭と身体がはっきりしてきました。

取り合えず、私の病名は「海面状血管腫」と言う物で、今は血管上に血腫(つまりは血の塊ですね)が出来ている模様。

この病気自体は血管の異常らしいのですが、この血管腫から一度出血したらしく、その時、訳がわからなくなって、頭痛薬を大量に飲んだらしい、というのが混濁の理由みたいです。

と、いうことで、この血の塊は今も頭の中にあるのですが、おかげさまで出血は止まっていて、かさぶた状態になっているらしいので、このまま血腫が流れてくれるのを、待っている状態です。

以前にも書いたかどうか忘れましたが、この病気自体は血管の異常らしいので、命にかかわるようなものではないらしいですが、一度血管が破れた後があるということと、いわゆる血管腫というコブがあるわけですから、その血液が綺麗に流れてくれるかどうかが問題。

しかし、薬が出るわけではありません。

血圧の問題が話されている覚えはありますが、だからといって降圧剤が出たわけではないので、私自身が拒否したか、急を要するような血圧の高さではなかったのでしょう。

しかし、目が覚めてからずっとこんなことをやっていたわけですから、実はちゃんと身体を休めていない。

と、言うことで、今日は授業を休みました。

行っても恐らく体力負けで、午前中で帰りそうだし・・・(^^;)

頭の方は今ひとつはっきりしていません。

新しい行動を起こそうとすると、その時、うまく判断してくれない感じがある。

そして、そのことを覚えていられない。

記憶障害なのかどうか、これからでしょうけど、とにかく時間の感覚がすごく変です。

まだ起きて3時間しか立っていないのに、もう一日でも立っているような気がするし、何より、時間の長い、短いという間隔が非常に変です。

でも、こうやって文章も賭けるし、考えることも出来るから、神様は必要なものは残してくださったみたいです。

こうなってみて、ありがたかったのは、やっぱり家族。

弟と姉が本当に色々とやってくれました。

ここに至って、私も含め、やっぱりみんな家族なんだと初めて認識した。
感謝、感謝です。

取り合えず、生き返ったみたいなので、これからの人生を本当に神様にあずけて生きることにします。

頭に血腫がある、と聴かされた時、やっぱり死ぬのかもしれないと涙が出ましたが、それならそれで、もう、自分ではバタバタやらないと決めたら、楽になった。

生かされたのならば、まだ仕事があるはず。

それにしても、たった2週間寝ていた間に、人生はこんなにかわっちゃいました。驚く(@@)・・・・。

もう少し体力を戻して、また新しい人生を生きることにします。

御心配おかけした方がた、なんとか生きています(^^)v!

皆様もどうぞ、お体御自愛くださいね~!
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by kuniko_maekawa | 2010-10-25 09:16 | 心のつぶやき | Comments(0)

記憶障害

なのかなあ~、とにかく日々、あんまり物事を覚えていられない。

それと、時間の感覚がちょっと変な気がします。

今は、血腫が流れてくれるのを待っているわけですが、この一月はそういう意味では油断ならない。

止まっちゃったらやばいわけですが、治療と言う治療はありません。

血圧を下げるとか、そんな感じかなあ。

「海面状血管腫」と言うのは、それ自体はただの血管の奇形なので、治療をするべくものでもないらしいのですが、血腫があると言う事は、血の流れが止まっちゃまずいわけですよね~。

取り合えず、来週から授業に復帰するですが、大丈夫なのかしら?

一番やばいのは、時間の感覚が変だということ。

かなり長い時間TVを見ているような気がしても、たった5分くらいしか経っていなかったりしています。

おかげで一日がものすごく長く感じる。

後、この2週間くらいは、ほとんど食べていなかったので、お腹が空く。

でも、前とは食の好みが変わったみたいで、取り合えず、あんまり油っぽいものは駄目。

必然的にお刺身とかを食べ、味噌汁を飲んでいますが、やたらと果物が食べたい。

食事の後、むさぼるように果物を食べています。

本当はグレープフルーツとか食べたいのだけど、季節が終わったちゃったのか、店頭でみかけない。(;;)しょうがないので、みかんを馬鹿食いしています(笑)。

たった2週間ですが、いったい何が起こったのか・・・。

とにかく、来週から大学にも戻ります。

でも、なんか今までとは違った自分がいるらしい。

取り合えず、生きていくべし。
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by kuniko_maekawa | 2010-10-24 12:32 | 心のつぶやき | Comments(0)

生き返った???

え~っと、この御無沙汰していた2週間ほどの間にすごいことが起こってました。

どうも私は死にかけたらしいんですよ(^^;)

「らしい」と言うのは、ほとんど記憶が無いから。

先々週の水曜日以降、10日間ほど記憶がありません。今もちょっとやばい。

とにかく、身体を起き上がらせて部屋の外に出たのは、恐らく18日の月曜日。

その前までの記憶が根こそぎ無くなっています。

どうやら頭が痛かったらしく、起きては頭痛薬を飲んだらしい。

自殺行為に等しいですから、もちろん、吐いたり下痢をしたりと、部屋の中は散々です。

その間に制作仕事もあったはずなのに、断っている。

とにかく、次に目が覚めたのは、弟が病院に連れて行ってくれた、18日の月曜日。

弟は事情で3ヶ月ほど違う場所で生活してたので、どうやら自分で電話をした模様。

おかげで、病院へ行くことができたわけですが、取り合えず内科的検査を受けるべく、脳波とかMRIとか取ったところで、出血が発覚。

しかし、普通に立っているし話しているらしいので、その時はMRIを取っただけで返されたのですが、ちゃんと検査をした結果、「海綿状血管膜」と言う病気になっているのがわかりました、

簡単に言えば、能に血がたまっている状態みたいですが、これがまた不思議で、取り合えず出血はあったみたいだが、今は膜を張っており、取り合えず、体内や脳内に出血は見られない。(あったら即手術ですわね)

ただ、かさぶた状態になっているわけですから、今は油断がならないので、血圧に注意しながら、経過観察となりました。

つまり、知らない間に血管が切れていたらしく、しかも、いつの間にか、膜が張っており、その風船みたいな状態のものが、ふわふわ頭の中を浮いているという感じかしら???

まあ、もちろん経過観察中なので、いつ爆発するか判らない状態ではありますが、最初に診察した時よりも、出血が薄くなっているらしいので、取り合えず、無理しないでこのまま血液がサラサラになってくれれば腫瘍はなくなるみたいです。

なんとまあ・・・・。

実は、意識がわかんなくなる前に、かなり怒っていたことがあって、マジに血管が切れてもおかしくないような感じでした。

もしかしたら、動脈硬化とかくも膜下出血とか有り得たかもしれないのに、またも神様に守っていただきました。

だって、一度出血しているようなんですよね。

その時、おそらく混濁して倒れたんだと思うんですが・・・・。

けど、結局また自然と膜を張って、頭が守られているようで、このまま血液がサラサラに流れてくれれば、問題は無いそうです。

出血があったと思われるとき、意識はなくなったみたいですが、今は取り合えずはっきりしているし、喋るのも、食べるのも問題ありません。

また神様に命をいただきました。

もう生きる意味もないと思っても、神様がすべて決めてくださって、私はまた生きることになっている。

例え、これで終わりでもおそらく良かったのかもしれません。私自身は、そのつもりだったかも。

でも、また命はつながりました。

きっと、何かの使命をいただけるのかもしれませんね。

取り合えず、二週間?三週間?混濁の世界にいたので、それを戻すのが大変ですが、また生きなきゃね。

大事ではなく、本当に死ぬ気でいたので、「生き返った」感が強いです。

そして、そのたびに、余計な力がどんどん抜けていく。

生き返ったこの身体は、今度は誰のために、なんのために使われていくのだろうか・・・・。

取り合えず、実はそんな人生最大の危機があった三週間弱でありました(^^;)

時に、時間軸が完全にずれているので、日数の間違いがあっても御容赦ください。

それから、お仕事いただいた方、結果的になしえなかったことを深くお詫び申し上げます。

それでも許していただいた事、感謝しています。

とにかく、まだまだ人生は続く・・・・。
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by kuniko_maekawa | 2010-10-22 13:52 | 心のつぶやき | Comments(8)

手に職もつこと

来年の1月にやる大学の試演会のために、衣装を製作してくださる方と打ち合わせをしました。

最近、私の公演をほぼ手伝ってくださる方で、腕が良いということもそうですが、とにかく人物が大好きで、いつも楽しく打ち合わせをしていただいています。

彼女は基本的に製作者なので、デザインはもっぱら私がやります。

しかし、元よりその方面に才能が無い私。

一応、写真や絵や、見本になるものを沢山持ち込んで、後はだらだらと思ったことをしゃべって言って、結局彼女のセンスにお任せ、と言うのがいつものパターン。いやいや、お世話になっています。

彼女は私より少し年上で、もう50代の方ですが、なんだかいつも元気。

その源は、「服を作っているのが大好きだから」。

これは本当にそうで、予算や時間を考慮して、学校にある衣装や、手持ちのものを出そうとしても、結局は「作った方が早いし、出来れば作りたいな~」などと嬉しいことを言っていただいて、最終的に彼女のほうから「作らせてくださいっ!」って言ってくださる。

願ったり叶ったりなので、お願いすると、採寸表を眺めながら、もうデザインを考えて、いつ生地を買いに行こうかとか、図書館で資料を集めたりとか、仕事も速いんです。

彼女曰く、湯水のように使ってよいと言うお金があったら、仕事にしないで、好きなものを好きなだけ作っていたいのだそう。これこそ天職。

それにしても羨ましいのは、彼女自身の手によって、作品が作られること。

しかも、それは大好きな仕事で、一日中、寝ないでミシンを踏んでいても良い!と豪語できるくらい。

ああ~、良いなあ~・・・・。

彼女は普段は、洋服や小物などを依頼されて作っています。

舞台衣装は、その一旦として、アマチュアの方からバレエや合唱団のドレスを頼まれた流れで、いつの間にか作るようになったのだそう。

私も先輩演出家から紹介されて、お願いしました。

作ったものを渡した時に、喜んでもらえるのが一番だっておっしゃっています。

これも羨ましい。

私も編み物や、縫い物も好きではありますが、仕事になるほど打ち込んだことはありません。

作業は好きなんですが、形にする根気が無い。

だから、こんな風に手に職を持っている人が本当に羨ましいです。

演出家は、色んな人たちと関わることができ、その才能に触れて物を創ることが出来ますが、実際に手に触って作るものは実は一つもありません。

必ず、誰かの感性と手仕事に頼ることになります。

だからこそ、感性がぴったり合う人を探し続けるわけですが・・・。

昔、女が仕事をするためには「手に職を持て」と、良く親に言われていました。

彼女があんまり楽しくお仕事するのを見ていると、老後を生きるためにも、なんか手に職もとうかしら、なんて思ったりします(笑)。

10月になってもなんだか暑いですね~。

気温の変化についていけず、腰が痛み始めました。やれやれ~(^^;)

皆さんも、体調管理、お気をつけて!
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by kuniko_maekawa | 2010-10-07 21:54 | 心のつぶやき | Comments(2)

セオリーというもの

あれよあれよという間に、10月に入りましたね~。

このところ雨が多くて寒かったですけれど、今日はまた夏の日差しが戻ってきたみたい。

それでも風が涼しく、やっぱり秋だと感じるようになりました。

日々の生活は相変わらずで、週の前半は大学の授業関係のことに追われ、週の後半は抜け殻のようにぼけっと過ごす・・・。

ここ20年間の中で、こんなに時計がいらない生活をしたのは初めてです。
良きかな。(^^)

とは言いながら、この商売は人と対することがまず仕事。

大学に行けば、関わる人たちすべてを含め、軽く60人くらいと毎週向き合っている。

外の仕事でも多くの人とかかわりますが、人として生きている限り、そこにはそれぞれのセオリーというものが存在しています。

セオリーとは、「理論」。

主義であったり、思想であったりするものでしょうか。

この間も、一人の学生とそのことを考えざるを得ないような状態になりました。

彼はいわゆる問題児で、他の学生たちと足並みをそろえることが出来ません。

例えば遅刻や早退等、誰かに伝えることをしない。

黙って姿を消す。

全員に話しているときでも、一人だけ椅子に座らず地べたに座って前に立っているものから姿を隠したり、椅子に座っている時でも、きちんと座っていられない。

与えられた課題をやりこなすなど、当然やらず、相手役が稽古できない。

しかし、話をすると暴力的でも無く、むしろ丁寧に敬語も話す。

出来なかった課題のことや、態度を怒られると落ち込む。

これがふてくされるとか、一貫して態度が悪いとかなら、怒れば良いし、授業をやめさせても良い。

ところが彼の大きな問題は、すべてにおいて彼にとっての「正しい理由」があることです。

例えば、朝9時に授業に来るのに起きられないから友達にモーニングコールを頼んでいる。

しかし、ある日、授業が無くなったので、そのモーニングコールの電話をかけなくてよいと言うことを友達に深夜2時に伝えたというんです。

9時に授業に行くためには、彼が何時に起きれば良いのかわからないけど、少なくとも7時には起こさないといけないわけで、その時間にかける電話がいらないというのを深夜2時にかけたというのです。

これについて、彼の正しいところは、わざわざ電話をかけてもらわなくてすむように、事前に知らせたところ。
しかし、相手の都合は全く関係ない常識を超えた時間帯です。

これは担当の先生がかなり怒ったらしいんですが、彼曰く「言われてわかった」

課題が出来て無いことも、「歌ってみてわかった」

小道具を探している時も「知らないからわからない」

こちらからしてみれば、まず深夜2時に相手に電話をかけること自体NGだし、歌ってみないと自分の勉強の度合いがわからないのが理解できないし、小道具を知らなければ、調べればよいと思うわけですが、彼にはどれも通じませんし、どれにも理由があります。

つまり、彼にはセオリーがある。

自分は自分の思うとおりにやったら、他とは違っていた。
それがわかったんで、今度からはちゃんとできると思う、と言うわけです。

なので、彼には怒鳴ったりすることはまったく意味を成しません。

自分としては納得行く形でやっているのに、何を怒られているのかわからない。

しかも、言われたら直すというシステムも持っていますから申し訳ないが、余計始末が悪い。

つまり、彼はそれでコミュニケーションも取れていると思っているからです。

こういったことで彼はずっと「マイペース」と言われてほったらかしにされてきました。

「ああ、○○だからね~」

この学生と授業をやっている時、やはり問題が起こったために、このことを彼に話しました。

相変わらず「知らなかったからしょうがない。言われたので直してくる」と言う会話になったからです。

その時に、私が彼に話したことは、こういうことです。

「あなたの性格や、あなたが持っているセオリーは、私には関係無い。しかし、あらゆることに責任がある。授業を選択した責任、相手役への責任、自分を育ててくれる先生への責任、聴いてくださるお客様への責任。それをどう取るつもりなのか」

どうしてこんなことになったかと言うと、彼が与えられた課題を半分ほど歌った時、「すみません、ここから先は、意味もわからないし、音楽出来て無いので歌えません」と自分で歌うことをやめてしまったからです。

このまま歌えなくなるよりは、止めて謝った方が正しいと彼は思ったわけです。

私の問い掛けには彼はどう応えて良いかわからない風でした。

彼の答えはともかく、一個人のセオリーはプライベートの問題で、それを貫きたいのならば、相手を犠牲にすることをわかっていなくてはいけません。

私の知り合いに、己のセオリーを守りたい一身で、ウソばかりついている人がいます。

そうすることで、自分が守られると思っているわけです。

しかも自分が正しいと思っていますから、ウソがばれても悪びれない。
仕事はちゃんとやっていますから、むしろ周りのほうが「あいつはな~」と言って、彼に合わせています。

彼はますます冗長して、今や裸の王様。

そういう意味では、セオリーを通すということは、かなり強い意志が必要です。自分以外の人間にそれを押し付けるわけですから、やり遂げている人は逆に感心します。

が、人間として生きている限り、この世の中は自分だけで生きているわけではない。

生まれてくる瞬間から、一人ではない。

私にもセオリーはありますが、それが人を傷つけてしまうものや、不快感を与える時には、出来るだけ我慢しようと思っています。

そう思えるのは、対人間を意識しているからです。

それでも時として、人を傷つけてします。

その学生も、私の知り合いも、恐らく、自分以外の人間は意識されていないのだと思います。

あるいは、自分のセオリーを一緒に生きてくれる人や、理解してくれる人以外は。

でも、それでいいのでしょうか?

私はやっぱり否だと思います。

この間BSで裏千家の大宗匠、千 玄宝さんのインタビューをやっていました。

最近は全部個々で生きている。日本語で言えば「と」の時代だと。

昔は親「の」子、あなた「の」わたし、と相手と自分が一対だった。しかし、今は親「と」子。あなた「と」わたしと言う具合に、各家族化されている。

だから礼儀とか作法が家庭で教えられない。

もう一つ素晴らしいと思ったのは物には「形」が必要だ。

それは「型」と言う物に、人間の「血」が入って「かたち」となるのだ、と。

う~ん、さすが!

この「ち」の部分が本当になくなっているように感じます。

セオリーを持っているのは悪いことではありません。

しかし、人にナイフで切りつけても、「切れば血が出るとは知らなかった」と言いながら、相手の指を包帯で巻くようなセオリーは、すでに「理論」ではありません。

私はそういう若者たちを、母親のように教育することに興味はありません。

しかし、知らないことがわかればやる、というのであれば、教えるのは教師をしている責任だと思っています。

この地球は本当に面倒くさい。

人間のセオリーがイニシチアブを取っているから。

自然や動物たちを見ていると、それが生きるためだけの本能だとわかり、無限の広さを逆に感じます。

生まれ変わったら、そこら変の草になりたい・・・・。

礼儀も、常識も、人のことを考えれば自然に身につくことです。

ふと見上げたらそこには誰かが自分を見ている。

その学生にも早く気付いて欲しいです。
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by kuniko_maekawa | 2010-10-02 12:19 | トレーナーのつぶやき | Comments(0)