しばらくおやすみ~(;;)

ここ一週間くらい、右手の指がしびれると思っていたら、きのうの真夜中に右肩から手先まで激痛!!!(@@)

あ・・・しばらく忘れていたけど、やっぱり起こりました。

気温が変だからかなあ~・・・・。

私は足も悪いのですが、頸椎症なるものも発症しているらしく、常に指先がしびれていて、腕が痛い。

血腫をやってからは、ずっと収まっていたから、やっぱ血圧だったんだ~!なんて暢気にやっていましたが、とんでもなかったですね。あああ・・・・痛い・・・・。(;;)

こう言う時は、身体の中から温めるに限る。

ってことで、出来るだけエアコンにあたらずに、コーヒーはやめて日本茶か白湯にし、しょうが等を良く食べ、体内循環を良くする努力をするの巻。

あとは、出来るだけ目と首と肩が疲れることをやめる。

稽古はやめるわけにいかないので、とりあえず、ブログはおやすみ。

せっかく毎日更新をひと月も頑張ったのにな~。

ご訪問くださった方々、そういうわけで、しばしお休みします。

みなさんの幸せを毎日祈ってます~!

またお会いできる日を楽しみに~!

Ciao ! Ciao~ ! (^^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-26 10:55 | 心のつぶやき | Comments(2)

探すということ

公演をやって毎回苦労するのは、男声の歌い手さん探し。

芸術関係は全部そうだと思いますが・・・あ、もしかして世界的にそうなのかしら?

男性と女性の比率が悪いのです。

特にクラシックの世界では本当にそうで、声楽やバレエなどは男性が引く手あまただと思います。

オペラ等は合唱団も同じ。

しかし難しいのは、技術があるものに関しては、おわかりでしょうが誰でも良いわけではないということ。

それに、人対人ですから、依頼する方と依頼される方が、誰でも仲良く出来るとは限らない。

そうなると、選択肢はかなり狭まります。

もちろん世の中には色んなタイプの人が居ますから、「どんな人でも大丈夫!一期一会を楽しみましょう!」なんて勢いで、誰でも一緒にやってみるという方なら問題はないでしょう。

紹介する方もそういう人には楽。

私も毎回頭を悩ましては結局同じ名前を何回も挙げています。

第一条件は、「風通しが良い」ということ。

つまり、お互いに「あ・うん」の呼吸があるとまでは行かなくても、こちらの投げかけるものに対して壁が無いと言うことです。

歌い手さんは、自分の声というものに繊細です。

良い声をキープできる、安全なフォームを崩したくない。

自分をむき出しにして稽古場にいなければいけないのはわかっていても、出来れば壊されたくない。

良くわかります。

けれど、その精神的なことや身体的なことも含めて自分自身が「楽器」なわけですから、こちらはいじらないわけにはいかない。

その時に壁を創るのではなくて、まな板の上に乗ってくれる人が理想です。

もちろん声も良いに限る。

しかし、歌い手の声が悪いはずはありません。

それでは歌い手とは言えない。

なので、私自身が歌い手さんを探すときは、わざわざ「声」のことは聴きません。

そして、良い声で歌うことが出来るのならば、身体が自由に動くのが道理。

それが稽古場で不自由に成るのは、単に精神的なことです。

あるいは、発声的なこと。

そうなると基本的な話しになってくるので、問題外ということになりますね。

さて、私の周りにも、何人か、残念ながら数えるほどですが、風通しの良い歌い手さんが居ます。

そういう人達との稽古では、ほとんど喋りません。

喋る必要が無いんですね。

こちらが欲しいものを投げる。

そうすると相手は「出来るかどうかわかんないけど、とりあえずやってみるから何かあったら言って。」

こういう時は、大抵問題ありませんからスルー。

よしんば違うものが出たとしても、それこそ歌い手さんの感性ですから、いただきの物が多い。

結果、新しい発見と経験が出来たりして、あ~、気持ち良い~って満足しながら稽古を終えることになる。

これは結局自分のことを考えずに、お互いが稽古場にただ「居る」からなんですね。

その時集中していることは、恐らく作品のことだけ。

どうやったらその役になれるのか、どうやったらその空間を創れるのか、どうやったら作曲家の意図に近づくのか。

そのことだけをお互いに考えて稽古場に居る。

心と身体をいくらでも風が通っていく。

至福の時です。

最近、こういう稽古場を創れる歌い手さんが色んな事情でオペラの舞台を踏めなくなっている。

探せば現れてくるのでしょうが、こればっかりは一緒にやってみないとわからないので、最初の一歩がいります。

今もバリトンを探して色んな名前を頭でめぐらせていますが、どこでヒットするのか・・・・(^^;)

良い出会いを祈るしかないですね。

今日はお休みでしたが、部屋の掃除をしていたら、急にTV周りの配線を整理したくなった。

なんだか一日中かかって、絡み合ったコードと格闘(@@)

結局二本使ってないコードを取り出して、LANコードの接続の仕方を変えてみたけど・・・・。

すっきりしたかな(^^)

今週はまた仙台へ。

また布団の下に豆が落ちてるような感じがしだしてきたけど、楽しく頑張ります(^0^)

明日も一日お元気で!
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by kuniko_maekawa | 2011-08-24 21:14 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

慟哭を見る

昨日、教会である方とお話をしました。

もちろん前から存じ上げている方でしたが、何せ私は5年間ずっと信仰に悩んでいましたから、最近までは全然お話する機会はありませんでした。

私が血腫を作って再生した頃は、親御さんの介護でずっと地方にいらっしゃいましたので、本当に最近やっと礼拝でお会いできるようになったばかり。

教会でオルガンを弾いてらっしゃって、昨日も練習のために会堂にいらしてトイレでばったりお会いしたという感じでした。

どうしてそのお話になったのか覚えていませんでしたが、私が最近教会の事務にいるので、そのことを聞かれたような気がします。

「何曜日にいらしているの?」といったようなこと。

9月からは大学が始まるという話から、偶然、私の行っているS音楽大学がその方の出身大学ということがわかり、盛り上がっていたところ、娘さんもピアノを弾かれることを教えていただきました。

「あ、じゃあ、娘さんも音大ですか?」

「ええ、G大学でしたけど。でも、亡くなりました。」

「・・・・・・・・・・・」

あまりにも普通におっしゃって、じっと微笑んで私をご覧になったので、逆に二の句が告げなくなって、息を呑みました。

やっと言葉が出たのは、本当に愚問ですが「御病気でしたか?」

皮膚癌が肺に転移なさったそうで、39歳だったそうです。

亡くなったのは3年前。

そのことも、すごくショックでした。

私が洗礼を受けて教会に来たのは5年前。

3年前は一番教会から離れていた時期だと思います。

なので、そんな大変なことが、この方に起こっていたことを知らなかった。

しかも、その次の年にはやはり最近良くお話しするようになった方の娘さんも亡くなっていました。

私が血腫をやった時に、親身になってお話を聞いてくださった、大好きなドクターNさんも御長女を亡くされています。

私が鬱々と自分勝手に悩んでいた間、この方は本当に苦しんでいらして、しかもそれを全然知らなかった事実にも、胸が苦しくなりました。

娘さんは、お母さんと共に教会にもいらしていたらしく、オルガにスト仲間や教会のお母さん方に可愛がられていたとおっしゃっていました。

だから、この方は日曜日になると思い出して、礼拝に来る度に目を赤くしているんだと笑っておっしゃっていました。

けれど、音楽があるから支えられている。

礼拝でオルガンを弾いているから救われているって。

静かに、やはり少し目を赤くしながら微笑んで話されているを見ると、この方がどれだけ娘さんを愛してらして、どれだけ深く深く哀しんでいらっしゃったか、今も哀しんでいらっしゃるか、深々と伝わってきて、息が苦しくなりました。

多分、亡くなった当時は、もっと泣いて泣いて、激しい苦しみや悲しみをを吐き出していらっしゃったのかもしれません。

けれど、3年経って、こうやって娘さんのことを言葉にするのがやっと「普通に辛くなった」と、おっしゃっているように感じたのです。

初めて「慟哭」と言うものを感じました。

もちろん、彼女が実際に泣き叫んでいるわけではありません。

でも、「亡くなりました」とおっしゃったその言葉の中に、愛する娘を先に逝かせた無常に怒り、嘆き、心を引き裂かれて泣き喚きたい想いが、まだ静かに息づいているのを感じました。

親より先に子が逝くことを「逆縁」というのだそうです。

もともとの意味は「年上の者が年下の者を供養すること」。

これを「親が子を供養すること」と読み直すと本当に心が痛くなりますね。

そのことを、この方とお話をしていて思い出しました。

きっとオルガンを弾いていることが、この方にとっては供養なのかもしれません。

娘さんを思い出して辛い教会は、この方を支えるための祈りがある場所でもあるのです。

それにしても、なんと穏やかに私に対応なさることか・・・・。

辛いということも、人生の中に「在る」こととして捉えてらっしゃるのに頭が下がりました。

素晴らしいオルガンを弾かれる方です。

これが経験と言うのならば、あまりにも辛い。

ですが、この辛い経験は彼女の中で、ものすごく豊に在ります。

なんだかんだ文句ばっかり言っていながら、私はこんなに辛い目にあったことはありません。

もちろん、これからまだまだ神様が何を御用意なさっているのかわからないけれど、もし慟哭するような悲しみに出会っても、やはり教会に私は来ます。

そこが苦しみと祈りの場であることだけは、わかっているからです。


さて、今日は朝と夜の温度差がかなりでしたね~。

今日も一日お疲れ様でした!

ゆっくり休んで明日も元気に頑張りましょう!

お休みなさい(^^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-23 23:35 | 心のつぶやき | Comments(0)

癒されること

私はパワーストーンを身につけています。

自称「不良クリスチャン」ですから、洗礼を受けた後も心と身体によさそうなものには飛びつく、飛びつく(笑)。

中目黒にある「ナ・ムー」さんがメイン・ショップ。

ここで一週間から10日くらいの間隔でパワーストーンのチェックに行って、その都度石を変えています。

最初に行ったのは、2年くらい前だったかなあ・・・・友人が行くと言うのでくっついていっただけでした。

もう洗礼を受けていましたし、その頃は頑なにキリスト教になじもうとしてましたから、占いや縁起担ぎには一切手を出さないぞと誓っており、自分で石を買うと言う気もありませんでした。

しかし、もとよりスピリチュアルなものが大好きな私ですので、興味は深々。

その時もつい、一つだけ握り石を買って帰りました。

でも、1年くらいそのままほっといたんですよね。
必要無かった。

ところが昨年の春ごろ、ひどく精神的につらいことがあり、ふっと石のことを思い出して、改めて行くようになりました。

それからの経緯は色々ですが、とにかく今は精神的な状況のバロメーターになっています。

「クリスチャンがそれで良いのか」と突っ込まれそうですが、良いんです(^^)。

なぜならば、こういうものさえも、与えられたと思うことが多々あるから。

それはさておき、ナ・ムーではレイ気と言う気功を使ってヒーリングマッサージを行っています。

ずっと前から進められていたのですが、身体に障られるのは、色々感じることがあるので苦手なのと、「気」と言うものを信じないわけではないのですが、それを行う人をスピリチュアルに信じるのがいやで、そこはスルーしていました。

ところが昨日、ひょんなことから、そのヒーリングを受けることになって体験してきました。

方法等はHPでも見られるんでパス。

ベッドにあおむけになり、スタッフが目から手をあてていきます。

タオルが目に置いてあるので、何をやっているかは見えませんが、その手がずっと色んなところに充てられて、45分。

何がどうと言うことはありませんが、確かに身体が軽くなっていました。
あら、不思議・・・(@@)

その間、スタッフは一言もしゃべりません。

部屋には水音や鳥の声など、ヒーリング系の音が流れているだけ。

手が当たっている場所によっては痛みだったり、暖かさだったりは感じましした。

終わってスタッフに話を聴くと、「目と頭と胸が熱かった」とのこと。

どうやら何かストレスや悪いものがたまってると、そこが熱く感じられるらしい。

面白かったのは、胸に手を当てた時、手が熱くなったと言うこと。

これが普通の接骨などとは大いに違うところですね~。

だって、いつも痛みがある首や左足は熱くならなかったのですって。

目と頭と胸が疲れているのは納得。

特に頭は相当ひどかったみたいです(^^;)

そりゃそうかも~、もう3か月くらい考え続けていることがありますから。

でも、面白い。

身体は確かに軽くなり、気持ちもすっきりしました。

いつもは無視できたヒーリングだったけど、昨日は必要だったみたい。

石のメンテナンス(石をチェックしてもらうのをそう呼ぶんです)に行った際に、初回クーポン券をもらって、行ってみようと思うんだってことを話したら、スタッフがすぐに電話を入れてくれて空いてたので、即効行きました。

これも神様のお考えなんですよ。
不思議ですよね(^^)

どうぞ興味のある方は行ってみてください。

ナ・ムーでは7つの石を選んでクリスタルと作るブレスレットがお勧め。

ちゃんとチェックするオーサリングテスト(人差し指と親指を合わせてリングを作り、それを引っ張って指が離れると、石が合ってないと言うテスト)をしてくれて、その時必要な石を選ぶことが出来ます。

初回は要予約ですので、お電話してみてくださいね。

今日も涼しい~。(@@)

天気になれば、また30度越えるらしいですが、しばしの休息。

風邪などひかれませんように~(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-22 10:52 | 心のつぶやき | Comments(0)

キリスト教的音楽解釈

ってほどでもありませんが、クリスチャンになってよかったと思えることの一つに、西洋音楽を解釈する時に肌でわかる感じがするということがあります。

単純に、楽曲の中の言葉や音楽がはっきりとそれを表している時もありますが、暗にそれが表されている時に、見つけちゃったりすると、なんともいえない感動がある。

今日も聖歌隊で「感謝せん」という曲を練習しましたが、この楽曲は元々ヘンデルの歌曲を日本語訳にして歌ったものです。

日本語の方は、ごくごく簡単に「ああ感謝せん 主の導きに」と言う様なことを繰り返し歌うだけですが、元の歌曲では、もう少し違って、

「主に在ることを感謝します。
あなたの群れをイスラエルまで
海を通り抜けて導いてくださることを

主はどのようにこの群れを移動させるのか
主の御手、その守り、平安を与えられ
その善行は成し遂げられる

主に在ることを感謝します。
あなたの群れをイスラエルまで
海を通り抜けて導いてくださることを」

と言う様な内容になっています。

あの・・・・これ原曲の歌詞がドイツ語で、私の許容範囲では「こんな感じ~」ってくらいしか訳せないので(^^;)
取り合えず「・・・という様な内容になっています」ってことで・・・(><)

この曲のすごいところは、たったこれだけの歌詞なのに、聖書のある箇所を思い出させるような楽曲の構成になっているところ。

ヘンデルといえば生まれは1685年ですが、活躍時はだいたい18世紀です。

しかし、そんな時にもうこんな楽曲が生まれていたのかと思うと、感動しますね。

この歌詞で「あっ」と思うのは、「あなたの群れをイスラエルまで、海を通り抜けて導いてくださることを」
という部分。

これは映画「十戒」でもおなじみのシーンでありますが、旧約聖書の「出エジプト記」でモーセとイスラエルの民がファラオの追っ手を逃れて、波を割って出来た道を歩いてわたるという箇所を連想させます。

曖昧な書き方ですが、楽譜にはそれを示唆したことがかかれてないので、取り合えず限定はさけますが、おそらくそうであろうと思います。

この曲は三拍子でハ長調。

「Dank(感謝)」という言葉を三小節半伸ばして二回も歌います。

この伸ばしている間に、ずっと伴奏が和音を一拍ずつ叩いています。

文章では表しにくいですが、三拍子によくあるワルツのような流れ方ではなくて、一小節に三つ四分音符がちゃんと入っています。

まずこのリズムが足踏みを感じさせます。

ここまでで、モーセに導かれたイスラエル人たちが、恐れを克服しながら海に向かって自分たちの場所へ行くために歩いているのが、まず想像できる。

そしてもっとすごいのは、「あなたの群れをイスラエルまで 海を通り抜けて導いてくださることを」と歌った直後から、その4分音符に一つずつ波線の記号がついてきます。

え~っと記号の名前がわからない~(@@)誰か教えて下さい。

とにかく、その記号が入ると、和音を全部流すように弾くことになります。

う~ん、これも文章に出来ない~(;;)

和音を一緒に抑えるのではなくて、バラバラにグリッサンドのように弾く。

擬音にすると「パラン、パラン♪」と言う感じ?
あああ~、ごめんなさい~(^^;)口で説明するな~!

言いたいことは、このことによって海の波が想像され、「導いてくださることを」と歌いながら、イスラエルの民が海に足を入れたのが想像できるのです。

足元にちゃぷちゃぷと波が当たっていることが感じられるのです。

そして、波が段々に左右に分かれていって大きな道を作っていく。

その中を歩きながら、「主はどのようにこの群れを移動させるのか主の御手、その守り、平安を与えられ
その善行は成し遂げられる」と歌は続きます。

そして再び「主に在ることを感謝します」となり、海を渡りきるのです。

これはですね、聖書を知っていると言うだけでもかなり面白いと思いますが、加えて私が感じることは、主を信じて枝分かれした高い波の中を恐れを捨てて歩き出すと言う心情的なこと。

モーセやアロンは簡単に歩き出せたでしょうが、他のイスラエル人たちは奇跡を見ながらも、その神様も含めて、この奇跡を畏れたであろうと想像します。

開いた道に足を下ろしたとき、残っている波が自分たちの足をぬらす時、恐れを主に預けて歩き出す。

それが「主の善行が成し遂げられる」ということであり、成し遂げるためには、イスラエル人たちは歩き出さねばなりませんでした。

イスラエルの民は、昔からこうやって苦役を強いられていた。

恵をいただきながら、試練も沢山いただいて、それをすべて受け入れて歩いてきた。

こういったことを肌で感じる時が、自分はクリスチャンだと感じられる時でもあります。

ああ・・・・至福の瞬間。

聖書を知っていれば、内容は同じことを解釈できると思います。

映画を知っているだけでも、気付く人はいるのかも。

でも、心の中にある同じ情景を想像するのは、誰でも出来るものでもない。

同じく主を畏れ、主に在ることを感謝し、恐れを克服する努力をする自分がいるから感じられることでもあります。

大きな恵ですね(^^)

ただ、国家として差別を受けたことは無いので、ここはやはり歴史を知り、想像するに尽きますが・・・。

今日はとにかく涼しかったですね~(@@)

パワーストーンを変えたついでにヒーリングを受けてきました。

なんだか良い感じ。これに関してはまた後日。

クリスチャンの癖にと言い無かれ、神様はなんでも許してくださるのです(笑)。

気温差がこれから益々起こりそうですが、体調など崩されませんように。

今日は良く眠れそうです(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-21 22:26 | トレーナーのつぶやき | Comments(2)

許して愛すること

キリスト教の最大の定義は「許し(赦し)」と「愛」。

これを国語辞典に載っているような解釈で考えていると、大間違いで、これにはかなりの努力を要します。

例えば、私の教会の先輩たちは、できるだけ人と争わないようにしています。

この努力たるやすごい。

教会といえども人間の集まりですから、実際は頭に来ることもかなり多いです。

でも、基本的にキリストの身体の一部として神様に集められた私達は、誰が欠けてもその身体を形成することが出来ません。

ですから、「来るもの大歓迎、去るもの追う」という姿勢(笑)。

私は基本「来るもの拒まず、去るもの追わず」をポリシーにしているので、気持ち的なことはともかく、プライドをかけて、これを実行しています。

ところが主旨は違ってもほとんど同じようなエネルギーで、教会では「許して愛する」ということをやらねば成らない。

例えば、今現在私は聖歌隊に所属していますが、この練習に対しても、先輩方の許容範囲がすごい。

教会で行われる色んなことは、すべてが「神への奉仕」であります。

聖歌隊ははっきりと表に表れるもので、歌を通して神様を賛美し、教えを伝えると言う役目があります。

会堂賛美も含めると、たった1時間の礼拝の中で6曲は歌います。

最初礼拝に初めて参加した時、こんなに歌うんだ!とびっくり。

一々立って歌いますから、結構体力も要りました(笑)。

礼拝で歌われる曲は、その月にスコープ(目標みたいなものです)にあわせて考えられ、説教の後の会堂賛美などは、説教の応答として歌われます。

これだけ取ってみても、非常に儀式的であり、大切な役目を担っています。

聖歌隊員は奉仕ですから、皆さん、御自分で手を上げて参加していらっしゃいます。

私の教会は100周年を迎える老舗教会ですから、もう50年以上聖歌隊に参加していらっしゃる方ばかり。

どの行事でどの歌を歌うかも良く御存知。

私などは、毎回の練習でついていくのがやっとです。

しかし、ここでの聖歌隊は合唱団ではありません。

先も書きましたように、聖歌隊は奉仕。

ですので、毎回の練習も、一応時間は決めていますが、その日によって集まり具合が違う。

例えば一人の時もあります。

それでも、その日、たった一人でも、賛美のために歌うというのが聖歌隊のあり方です。

普通に考えれば、たとえ奉仕でも、賛美をすると言うことは、神様に与えられた賜物を磨いて、一番素晴らしい形で届けるべきだと思います。

そのための練習であれば、何をおいても参加すべきだとなるわけですが、それが教会では意味のないこととなります。

つまり「許して愛さなければ」いけないからです。

この事が私にもわかっているのですが、時としてかなり辛いことになります。

やはり合唱曲をたった一人で練習することに意味を感じないから。

それに、聖歌隊員の時間の捉え方もまちまちで、それを決めようとすると「強要することになる」と言う事実もあり、強く言えないこともそうです。

本当のことを言えば、ちゃんと時間に集まって練習をしたい。

それぞれの理由はもちろん認めて、最低限の人数が集まらなければ練習を取りやめたい。

そこに自分がいることが無駄に思えることが沢山あるのです。

けれど、もっと前からこの教会で賛美をしてらっしゃる先輩方は、そこに努力をなさっておられる。

「その時しかこられない人が居る限り、たった一人でも練習はしましょう。」

もし、誰も来なくても、誰か来る場合に備えて、時間までただ座って待っている。

そして、終わり10分でも誰か来たら、その人と歌って賛美する。

ここに喜びを感じられなければ、聖歌隊奉仕とはいえない。

これが教会です。

すべてにおいて、許して愛する。

クリスチャンの人達は、いつもニコニコしていて、非現実に感じると言われたことがあります。

私も洗礼を受ける前はそうでした。

そこにうそ寒い感じもしていました。

でも、今自分がクリスチャンになって、神様と向き合って、教会と向き合って、主に試されている毎日の中で、すべてを許容して笑っていられると言う事がどれほど大変か、身をもって理解しつつあります。

人間は性悪です。

どんな時も、自分勝手。

たとえ人を愛する時でも自分勝手です。

でも、自分を捨てて、相手を許すことが本当に出来たら、その時は、相手のために愛することが出来ると思って努力しています。

あ~、でも毎日苛々しっぱなしですけどね~(--#)

そこはいつか開くことが出来ると信じて、神様に預ける努力をしているところです。

今日は嘘みたいに涼しいですね~。

午後から下腹のシコリ(だか血腫だかわかんないけど)が小さいまま残っているので、病院に行って原因究明してきます。

それさえ面倒くさい更年期なこのごろ・・・・・。

皆さんも寒暖の差に(寒猛暑?)体調など崩されませんように~(^^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-20 12:09 | 心のつぶやき | Comments(0)

ホントに心のつぶやき・・・・

って言うか、さすがにこう毎日ブログを更新していると、たまには書くことが無くなる・・・・。

今日はどうやらネガティブスポットに入ったらしく、どうも頭の回転が鈍いです。

しかしですよ、各占いコーナーでは今日のおひつじ座は軒並みラッキーランキング1位。

全体運、恋愛運、金運、仕事運、どれを取っても最高の運気。

なのにも関わらず、実際は案外最悪・・・・(;;)

今朝から色々起こって、すっかり鬱状態・・・・。

そういえば、雨、すごかったですね!

昨日の夜から今朝は、なんだかムシムシしていて気温も高かったのに、スコールみたいな雨が降った後は、すごく涼しくなって、さわやかだった。

室内はどうしても蒸すので、ちょこっとエアコンを入れましたが、帰って来てしばらくは扇風機のみでなっちゃんも大丈夫でした。(^^)

ご飯を食べて、お風呂に入って、ちょっと復活。

自分が思っているよりも、人は色んな見方で対応してきます。

それぞれが思い入れがある時は、それを受けるのがものすごく億劫になる。

5年前なら、もっと受け入れることに意味と理解を持つ努力が出来たけど、今は体力も気力ももたなくなってきた。

だからほっといてくれとは言えないしね・・・・(^^;)

明日はお休みです。

リフレッシュして、来週に備えるの巻き。

心に叶ったことだけ出来ると良いのに。

皆さん、雨大丈夫でした?

今日もお疲れ様!
ゆっくり休んでくださいね~(^0^)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-19 20:04 | 心のつぶやき | Comments(0)

オーディションをやりました(^^)v

昨日カリカリ怒っていたら、今日は朝から調子が悪い・・・・・(;;)

やっぱ怒るって負のエネルギーを沢山使うから、身体に良くないですよね。

今日は教会の集まりが夜にあったのですが、お休みさせていただきました。

外は相変わらずの猛暑(@@)・・・・

今日を一日外で働いていらっしゃる方々、熱中症にはお気をつけて。

さて、昨日は来年1月にやる公演のオーディションに行きました。

地方であると言う事と、今年は地震の影響も多々あり、オーディションの問い合わせはあっても中々応募が無いと主催者も困っておられましたが、それでもある程度の人数が応募されており、声を聴かせて頂きました。

オーディションというのは、その公演に出演する人を公募し、必要な審査をさせていただいて、実際に本番に出演していただく方を選ぶためにやる、公式なものです。

審査の形態は様々でしょうが、取り合えず課題を出させていただいて、それを歌っていただいたり、芝居の場合は、台詞はもちろん、個人のパフォーマンスなどもやって、その人の資質を見て行きます。

私はこのオーディションという作業が好き。(^^)

最大のメリットは、未知の才能に会えること。

やはり、自分の半径や直径の範疇だと知った顔ばかりをお願いすることになりますが、こういった公募で集まった方々は、まったく知らない人の方がほとんどですから、一期一会のこの出会いが本当に貴重です。

審査をしていて気をつけることは、その時の自分の好みではなくて、演目の役として相手を見るということ。

すごく好きな声や台詞の喋り方でも、やはり役に添ってないと選ぶわけには行きません。

演出家であればコンセプトも存在しますので、出来るだけそのコンセプトが叶う役者が良い。

オペラの場合は、指揮者の意見の方が重要です。

音楽性と声が指揮者の創るものとまったく違っていては、オーディションの意味が無い。

重要です。

芝居の場合は先に書いた演出家のコンセプトが重要ですから、応募した人達も、ここで選ばれるかどうかは、そのコンセプトに自分の素養が合致しているかということが重要だとお分かりなので、その演出家の芝居を観にいったり、本を読んだりして、出来るだけ好みに会うように創ってきます。

そういう意味ではまず第一のパフォーマンスの場であると思いますが、オペラの場合は、そこまで演出家の本意が重要になる場合も少ないので、パフォーマンスが少ないかな(笑)。

それでも昨日のオーディションは好ましいパフォーマンスがちゃんとありました。

役の衣装を着てきたり、台詞の創り方が独特だったり。

こういうことをやる方は、オーディションがどういう場か良くわかっていらっしゃると思います。

そうは言っても、オペラの場合はまず声、と思ってらっしゃる方も多くあるので、面白いパフォーマンスはあまり観られませんが、声を聴きに審査員は座っていませんので、これからオーディションを受けられる方は、その辺をちゃんと考えて、オーディションを受けられると良いと思います。

私が良く観ているのは、まずは音楽性。

その歌い手さんが、どういう音楽を創って来るのか、非常に興味があります。

それ=表現力だと思っているので。

音楽が私の感覚と合うと、自然に言葉が好きな発語になっている。

昨日もそういう方がいらっしゃいました。

これこそ一期一会。出会えたことが嬉しいですよね(^^)

昨日御一緒した指揮者さんと私は、音楽の部分では、恐らく同じ感覚がありますが、役柄についてはやはり少々違いがありました。

けれどオペラは指揮者第一。

音楽が出来て初めて芝居が成立するのです。

昨日選ばさせていただいた歌い手さんとのお稽古は、12月から。

どんな才能と一緒に作品を創ることになるのか、本当に楽しみです(^^)。

ところで・・・・今頭の中で答えの出ないことをず~っと悩んで祈っています。

神様が答えを出されて、それが実行されれば、私の人生は大きく変わると思います。

はてさて、どうすれば良いのか・・・・・。

まずは寝ます(笑)。

この具合の悪さも、猛暑の仕業と信じて・・・・。

あ~もおお~!!!夏ばて~最悪~!!!!(@@)

皆さんもお気をつけて。
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by kuniko_maekawa | 2011-08-18 16:14 | オペラなお仕事 | Comments(0)

オペラを日本でやる意味

前日の記事。

室内歌劇場の不正受給についての記事でしたが、途中、すごいことが書いてあったのにお気づきでしたでしょうか?

「オペラ界では、昨年の日本オペラ連盟に続く、支援金を巡る不正発覚だ。同歌劇場は、上演機会の少ないオペラを日本初演することに定評がある。しかし、海外の歌劇場が毎年のように来日公演を行っている現状で、今回のケースでは最大1事業約4800万円という多額の支援金を出してまで、国内でオペラを制作する意義があるのか、疑問視する声もあがりかねない。」

昨日の記事を書いたときは、この内容も含めて、なんだか嫌になっちゃってあまり言及しませんでしたが、改めて読み直してみて、これはかなり恐ろしい意見だと認識しました。

だって、本場のオペラ公演が日本でも観れるんだから、4800万もお金を支援してまで、わざわざ日本産のオペラを作る必要があるのかってことですよね?

つまり、日本でオペラを制作する意味が無いってことですよね?

これはネットニュースであっても、読売新聞の記事です。

国内大手の新聞社で、こんな記事が平然と書かれるってことは、日本で、日本人がオペラを制作したり、歌ったりすること自体を否定されているってことですよね?

今まで、こんな風にはっきりと、日本でオペラにお金を出す意味が無いといわれたことは無かったと思います。

文章は「国内でオペラを制作する意義があるのか、疑問視する声もあがりかねない」と客観的ですが、そんな声がどこからも上がってない今、この意見は記者の意見です。

少なくとも、日本で一人は、国内で日本産のオペラをやることに意味がないと言う人が出てきたってこと。

すごく怖い。

海外産の芸術を、日本人がやる意味が無いといわれる日が来るとは・・・・・。

しかも、外来の歌劇場公演を肯定してのこと。

つまり、海外から本物が来るんだから、わざわざ日本で、日本人のオペラを高い金を出してやる意味が無いってこと。

つまり、我々のやっていることは、本物じゃないといわれたってことでもあります。

足元が崩れますね・・・・。

4800万は確かに高い。

普通に考えれば。

でも、記事にも書いてあるように、オペラは総合芸術で、すべての報酬をきちんと払ったら、億のお金がかかります。

そんなことは、規模を見れば誰でもわかる。

だからと言って、不正を許容するわけじゃありません。

でも、亜流と言われる筋合いはない。

日本のオペラ界が、どれだけ頑張っていたのか、不正受給をしなければ成らなくなった理由はなんなのか、そこは誰も書いてくれないくせに、本物じゃないんだから、金を出す必要がないというのはひどい。

この記事を読んで、日本のオペラは亜流で本物じゃないと思う人が出て来くる可能性があります。

そのおかげで、これまで100年をかけて、オペラを愛し、根付かせた先人達の苦労がすべて水の泡になる可能性があります。

ああ・・・ぞっとする・・・。

言論の自由はどこにでもある。

けれど、真実を見向きもせずに不正の結果だけで、全く意味の無いことにされるような記事を書くべきではない。

だから日本で芸術が育たないんだとは、誰も書いてくれないくせに・・・・。

こういう記事が出た時、不正受給の内容だけは取りざたされて、仲間内でも事しめやかにその団体に関して、「まずかったね~」などと噂話で終わります。

けれど本当にまずいことは、お金を不正にもらったことと同様に(もちろん許されません)、何故そうなったかと言う理由が「日本でオペラ公演をやること自体が分不相応だ」とされることだと思います。

でもさ~!すでにオペラは日本の文化になっていますよ~(ーー#)。

元は海外の芸術でも、100年という歴史が出来ています。

日本の作曲家による名作も沢山出ており、海外でも上演されています。

世界中で活躍している日本人オペラ歌手も輩出されている。

オペラに限らず、西洋音楽の分野で、今や日本人演奏家はぬきんでて活躍しています。

理解できてないのは、日本自国だけです。

どうして海外のレベルが自国よりも高いと言い切って甘えているんだろう・・・。

すごく憤りを感じます。

不正受給は悪いことです。それは認めるわけにはいかない。

でも、オペラを日本でやる意味が無いとは言わせない。

それは自国のレベルを余りにも低く見すぎて安心している、日本と言う国の甘えに過ぎないと思うからです。

「オペラを日本でやる意味」

そんなものあるわけ無いじゃない。

やってしかるべき自国の芸術なんだから!
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by kuniko_maekawa | 2011-08-17 22:17 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

残してしまった事

Yhooのニュースにこんな記事が出ました。

「補助金不正受給、オペラ団体なぜ相次ぐのか」
読売新聞 8月16日(火)10時3分配信

 名門オペラ団体・東京室内歌劇場(太刀川悦代・運営委員長)が2007~10年度に17事業で文化庁などから受けた支援金約2億1390万円を不正に受給していたとして、文化庁は来月にも同歌劇場に不正受給額の返還請求をする。

 オペラ界では、昨年の日本オペラ連盟に続く、支援金を巡る不正発覚だ。同歌劇場は、上演機会の少ないオペラを日本初演することに定評がある。しかし、海外の歌劇場が毎年のように来日公演を行っている現状で、今回のケースでは最大1事業約4800万円という多額の支援金を出してまで、国内でオペラを制作する意義があるのか、疑問視する声もあがりかねない。

 音楽・演劇両要素を持つオペラは「総合芸術」と呼ばれる。クラシック音楽の演奏会と芝居の公演、いわば2公演分行っているようなもので、当然、費用もかさむ。オーケストラ・歌手の出演料、ホールの賃貸料、舞台セット費、衣装代など、多岐にわたり、1事業約2000万~3000万円、大きい公演では1億円を超える。

 東京室内歌劇場事務局は、不正受給分も「すべてオペラ制作にかかわることに使った。事務所運営費もかかるが、その費用は支援の対象外。その分、ほかの費目を多く請求した」と釈明。不正受給時の運営委員長・竹澤嘉明氏は「半ば慣習的に行っていた。変えようと思っていたが、そのまま今に至った」と話している。

 長引く不況もあり、オペラ団体の運営は軒並み苦しい。今回の問題は、制作にお金がかかるから、というよりも、それに伴う支援金が巨額であるがゆえ、運営の苦境を不正な会計処理により、安易に解決したものと言えよう。基本的に当事者のモラルの問題だが、公的支援を受ける団体に、経理の公開を義務づけるなどの対策が求められる。

 文化庁の山崎秀保・芸術文化課長は「規則通りに会計を処理している団体がほとんど」と指摘する。同庁は防止策とし、帳簿・領収書の提出を義務化したことに加え、近く庁内に検討委員会を設ける。

 16世紀末にイタリアで始まったオペラは、当初から封建君主らに保護され、パトロンの存在と切り離しては語りえない。現代でも欧州では、額は減る傾向にあるものの手厚い公的支援を受けている。しかし日本のこの厳しい財政事情ではなおのこと、制作者は公的支援を当然視せず、襟を正す必要がある。(文化部 鷲見一郎)」

コメントは何もないです。

けれど・・・不正をしてまでも愛し続けた「オペラ」と言うものを、いったいどんな理由で創り続けて来たのだろう・・・。

心が渇いていく・・・・。

やばいかも・・・・お水飲もうっと・・・・(;;)
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by kuniko_maekawa | 2011-08-16 12:10 | 演出家のつぶやき | Comments(0)