藤原歌劇団本公演プーランク作曲「カルメル会修道女の対話」

感想と言うより、まずはお知らせです。

本日15時、明日15時と東京文化会館で藤原歌劇団公演プーランク作曲「カルメル会修道女の対話」と言うオペラが上演されます。

演出の松本重孝さんを筆頭に、照明の沢田祐二さん、舞台美術の荒田良さん、衣装の前岡直子さんと素晴らしい才能が終結しました。

指揮はアラン・ギンガル氏。

私は「ドン・キショット」と言う作品で二回ほど御一緒していますが、人間的にも素晴らしいマエストロ。

「対話」と言う、オペラの核になる形式を、すっきりと、尚且つドラマをはっきり勧めていく音楽創りをなさっています。

題材はフランス革命後の宗教弾圧と言う難しい内容で、キリスト教的階級批判(主と僕という階級を生み出すことへの批判)を名目に、カルメル会の修道女達が斬首刑になったと言う事実を背景に、貴族階級からカルメル会へ入会し、自己精神と無償の誓願の間で揺れ動くブランシュと言う女性を主人公に、登場人物たちが、まさに「対話」をするオペラ。

登場人物たちは、動くのではなく、常に言葉を紡いでいます。

フランスの作品だからかどうか、言葉も難しく、哲学的で、しかも宗教理念が軸に語られている。

ただし、音楽は非常に美しく、一瞬まったく関係ない不協和音でさえ、ガラスが光っているように感じます。

松本氏の演出はシンプルで、舞台上も、場面転換を四本の大きな暖簾のような幕を境に、幕前と後ろでまさに「対話」を切り取っているような形です。

しかし、そこに望まれているものは「対話」であり、動くことではない。

そのことをどれだけ理解して、「ただ話す」と言う事をこなせるかどうかと言うのが、歌い手さんの力量を見る要になります。

そういう意味では、全日本人キャストで、これだけのフランス語の会話を成立させた藤原歌劇団の歌手の方々は素晴らしい!

特に明後日のブランシュを歌う佐藤亜紀子さん、コンスタンスを歌う大貫裕子さんは声の素晴らしさもさることながら、難しい役柄を「対話」することに成功していました。

病の床で死の恐怖に怯え、信仰と人間の苦しみの波佐間で文字通り悶絶死する、クロワシー修道院長の郡愛子さんは歌い手の経験以上に、御本人の役への執着、芝居への努力に歌唱のエネルギーが相まって、圧倒されました。

クロワシー亡き後、新修道院長となり、修道女たちと殉教をするリドワーヌ新修道院長を歌った佐藤ひさらさんも秀逸。

以前より、役の読み方の深さや演技の緻密さは素晴らしかったですが、やはり「対話」を成立させられる数少ない言葉を持った歌い手さんだと感動しました。

舞台は本当に素晴らしく、特に照明の沢田祐二さんの凝縮した明かりは、宗教画を観ているようです。

あまりに素晴らしくて言葉に出来ないくらい。

大好きな尊敬する照明家ですが、どの作品を観ても、どこが照明の変化なのか一回も見つけたことが無いくらい、自然に景が映っていき、いつの間にか物語りに誘導されて居ます。
何をかいわんや。才能ってこういうことだと思います。

荒田さんの舞台美術は文化の大ホールの舞台を思い切って前後に切って、狭い空間を創り、その分できる高さがものすごく有効に飾られていました。

例えば、1幕冒頭のブランシュの館の居間。

暖炉の上に巨大な先祖の肖像画があり、それを囲むような小さな額が規則正しく縦に並んでいます。

しかし、そこだけがこの館の高さを表す空間であり、極力場を狭めて人物の姿のエリアだけをあてた、沢田さんの照明と相まって、「偶像の虚構さ」をかもし出します。
貴族階級が崩壊し、燃えカスになる前の虚構さです。恐怖でもあります。

カソリックの貴族階級への傾斜、教会への偶像崇拝。

色んなことが創造される舞台でありました。

私は、自分がクリスチャンであるがゆえに、抱えている信仰の悩みをダイレクトに投影してしまい、この作品を観るのは、正直しんどいです。

それでも、二回、GPを観させていただき、心の中を吐き出したような苦さを感じながら、音楽の素晴らしさ、舞台の素晴らしさに感動せずに居られませんでした。

急なお知らせになりましたが、どうぞ、まだ間に合います。

会場へ足を運んで、この作品を観ていただきたい。

藤原歌劇団が新しく生まれ変わる瞬間かも知れません。

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by kuniko_maekawa | 2010-02-06 13:50 | 観劇日誌 | Comments(0)