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言の葉のいずるよりも前にきみが好きだった

Sizuoka春の芸術祭公演「エリザベス2世」

先週の土曜日、はるばる静岡までお芝居を観にいってきました。

これは静岡芸術劇場と言うホールを主体に活動している「SPAC((財)静岡県舞台芸術センター)」と言う制作団体が行った演劇祭です。
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5/10~6/29まで、世界各国から招聘された俳優、演劇団体、舞踊団体などが作品を上演しており、かなり質の高い芸術祭だと言う感想を持ちました。

東京からも無料送迎バスが出ており、私はそれに乗って静岡まで観劇に行けたわけです。

さて、私の観た作品はトーマス・ベルンハルトという劇作家の作品で、「エリザベス2世」と言うお芝居。

設定はエリザベス2世がウイーンを訪問するある日。
武器の売買で巨万の富を築いた老人の邸宅に自称知り合いの人たちが押しかけてくる。
この家は、女王の行列の通り道であり、女王を一目見ようと人々が集まってきたのだ。
しかし、彼らはこの老人がみな「もっとも憎んでいる」人たち。
彼らはエリザベス2世を見下ろそうと必死でバルコニーを目指すが・・・。

本来はそれぞれの登場人物を多数で演じる普通の芝居の形態のようですが、今回はドイツの名優ゲルト・フォスが一人で演じ分けると言うもの。

戯曲を書いたベルンハルトはもう亡くなっていますが、遺言により、この作品を母国オーストリアで上演することを禁じていましたが、家族の了解を得て上演。フォスの代表作になっているようです。

静岡芸術劇場と言うホールは非常に良いホールでした。

舞台は床も袖も黒。
壁は土壁でやはりグレーのような黒のような色に石本来の質感がちゃんとあり、客席は海老茶のようなエンジのような赤。

客席と舞台の距離も丁度良く、芝居には本当に適しているように思いました。

舞台セットは、一人がけのソファ、小さなテーブル、そして柱時計。

それが、センターより、少し下手においてあり、そこに喪服で車椅子に乗って老人が現れます。

面白い台本だと思いました。
きっとドイツ語が分かればもっと面白かっただろうと思いますが、残念ながら、字幕に頼るしかありません。

しかもこの芝居は本来普通の多人数の芝居。

それを一人でやるわけで、しかも脚色もしていませんから、どういう風に演じるのか・・・やはり最初は声音を変えるとか、姿かたちを変えるとか、そういうことかと思ってました。

フォスは一冊のノートみたいなものを膝において、それを使いながら、いわゆるト書きを全部台詞として読んでいきます。

つまり、台詞であるところは声音を変えたり演じたりし、ト書きのところはナレーターのように読むというわけです。

例えば、老人が「お前は曇りだといったな」という時はちゃんと演じ、その答えを召使がするところは「リヒャルト、答える:はい、そうでございます。旦那さま」と本来ト書きであるところの「リヒャルト答える」も声に出してナレーターのように読むのです。

これは、形としては問題なく受け入れることが出来るのですが、如何せん、字幕が弊害でした。

字幕は本来、二行ずつくらいを出しますが、喋ってないところも先に出さざる終えないので、ト書きを喋る前に字幕で読むということになりますから、逆に芝居として読まれるとしらけてしまうのです。

しょうがないこととはいえ、ト書きの部分は字幕を入れないとか、その部分だけ1行で別に扱うとか、考えようがあったと思うのですが、それによってフォスの台詞を意識できなかったのは残念です。

ゲルト・フォスという人は1941年生まれですから、67歳。

丁度この役と同じような体の重さを感じていると思います。

名優と言われるだけあって、自然に言葉と体が役として動いてくる。何をするでもない存在感があります。

終演した後、質問コーナーみたいなのが30分ほどあって、色々と彼が答えている中で、やはりな、と思ったことが一つ。

役をどうやって作っていくかという質問の中で、
「それぞれの登場人物は、その役特有の声、リズム、体、想像力を持っており、そのある人物の持っている宇宙を探していくのが面白い。
自分のやっている役が一番美しくなる時は、役の後ろに自分がいて、イメージだけが表に出ているときだ」と答えていました。

これって、自分が無くなってるってことですよね。

あるべきものは、その登場人物の宇宙だけ。
自分と言う人間をなくしたときに、それは表に出てくる。

さもありなん。

その前の日に師匠と飲んだのですが、彼があるTVで大野和志さんという指揮者がザルツブルグでデビューしたドキュメントを観ていた時、やはり大野さんが同じ事を言っていたというのを聴いていたので、それを確認したような気持ちになりました。

大野さんは早くに日本でデビューして、一線で振っていましたが、ふと見なくなったな~と思ったらば、海外で活動なさっていました。

そこで、サヴァリッシュやアバドや一流の指揮者たちと出会うたび、彼らが自分と言う人間を無くして仕事をするのを目の当たりにし、気づき、今まで日本でやっていたことをすべて捨てなきゃ駄目なんだと理解して、歩みだしたのだそうです。

私も常々そう思っています。

自分じゃない。

ただ、そこにある作品と向かい合い、それを表現するだけ。

それが私たちを表現者とする方法であり、仕事です。

「エリザベス2世」に出てくる登場人物は、みんな老人宅のバルコニーで女王の行列をみたいだけで、自分がどれだけ老人と友情を育んでいるかをアピールします。

その嘘を老人は憎んでいる。

ただ一人、25年使えていたリヒャルトだけを老人は愛し、恐れています。

このリヒャルトはシェークスピアの「リチャード3世」がモデルなんだそうです。
「決して抗わない肯定の人」。私はシェークスピアを読んでないのですが、このリヒャルトの決まり文句は「もちろんです」。

しかし、老人は彼に対して自分が行ってきた行為により、彼が自分を殺すかもしれないといつも思って怯えています。
どんな時にも「もちろんです」と肯定される怖さですよね。

私の周りにも居ます。

誰の周りにも居るのかもしれません。

嘘をつくことと、ただ黙って受け入れることと、どちらが人間にとって良いのでしょうね。

海外の作品を時々観たくなるのは、やはり芝居にテーマがはっきりしているから。

日本は政治的に恐怖を感じない国ですから、作られる芝居も日常のことだったり、逆に非現実過ぎる。唯一テーマとして捕らえられるのは歴史のことを扱ったときだけだと感じます。

しかし、ドイツやロシア、イスラエルなど政治的にしんどいことが起こりすぎる国は、芝居のメッセージがやはりはっきりしていて観たくなります。
俳優さんにもそういう強さを感じますよね。日本の緩さとは全然違う感じ。惹かれます。

しばらく面白そうな演目があるので、もう一演目くらい行きたいと思ってます。

バス旅行も中々楽しいですよ。

皆さんもどうぞ、お試しあれ!(^^)
by kuniko_maekawa | 2008-06-02 14:29 | 観劇日誌 | Comments(0)

オペラ・レッスンのこと、演出のこと、舞台や絵画や色んなことを書きまくっています。
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