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言の葉のいずるよりも前にきみが好きだった

2005年 09月 28日 ( 1 )

ヴィジョン

昨日久しぶりに稽古場に戻りました。3日ほど休みがありましたから、その間は朗読会の準備などしており、頭から稽古のことは消え去っていたのですが、時間を置いて、稽古場に戻ってくると、また色んなものが見えてくるもんですね。
何日か前の記事に稽古場のマナーの事や、居方のことを書きましたが、昨日もそこのことをちょっと考えていました。悪いことばかりでなく、むしろそれは少数的なことで、だいたいは良い居方をする人達で、稽古は進められています。その中でも、経験や個人の能力差で出来る出来ないと言うのは見えてきますが、もう一つヴィジョンを持っているかどうかも大切なことだと気付きました。
どこの稽古場に行っても、「できる人」と言うのは必ずいます。元々そう言う人達が望まれて公演に乗りますから、当たり前の事ですが、その人達と「できない」といわれる人達の何がちがうのか。その前に、「出来る人」と言う人達は、何が出来るのでしょう。歌を歌うことは当たり前ですね。声がいいのも当たり前、それに加えて、「動ける」。これはどうやらみんなの憧れらしいです(笑)。芝居の感が良いといえばそれまでですが、私が見るに、決して役者さんやダンサーみたいに、動くことが出来てるわけではありません。それでも、動ける。
これはひとえにヴィジョンがあるからだと、私は思っています。つまり、自分を客観的に想像できてる。「自分はこうしたい」と言うことの上に「自分の役はこうしたいはず」と言う理想を持って稽古をしている。単純に行ってしまえば、役になってるということですが、そのためには、音楽を作り、台本を読み、そこで作った自分の役を、演出家のコンセプトに乗っ取って、さらに想像していく。うーん、文章にしていくと判りづらいですね(笑)。自分を演出できることだと思います。その場面の中で自分の役がどう動いていくか、どう相手と関わっていくか。言われたことをこなしていくこととは少し段階が違うのです。「こなす」と言うことは、与えられたものを自分のものにしていくことで、「出来る人」たちは、その上に「想像する」ことで役を膨らませることが出来るのです。ですから彼らの動きは、結果的に彼ら自身が作った動きですから、当然、自然に動けるわけなんです。人の動きをこなしているわけではありませんから。
逆に「動けない人」「不器用な人」と言うのは、自分の出来る範囲で勝負しようとしています。最初から「動けない」と言うことを看板にして、それ以上無様な自分を見せないようにする。それでも音楽が成立していれば、オペラの場合OKです。むしろ余計な動きが無くて、いいかもしれません。しかし、残念ながら、音楽をきちんと成立させられる人は数少ないですから、結局ただ歌っているだけになりがちです。これは、実は女性の方に数多く見られます。原因の一つは、経験が無いということでしょう。場が少ないために、突付かれなくて終わっているのです。もちろん、天性の才能がある人はいますから、何もしなくてもヴィジョンをもって稽古場に立てる人もいますが、多くは気をつけていないと「素」で舞台上にいることになります。
こう言った意識改革は気付かないと無理です。そして、何より、そこまで自分を高めると言う意識も必要。しかし日本ではその意識が無くても公演には乗れます。そこが私達を苛々させるところでもありますけどね。これからの若い歌い手さんには、是非、この必要性を判っていて欲しいです。身体能力の器用、不器用ではなく、あくまで客観的に自分をどう見せることが出来るか、そこにつきるのですが・・・・。そう言う歌い手さんと、楽しい舞台を納得いくまで創ってみたいものです。
by kuniko_maekawa | 2005-09-28 12:53 | 歌手 | Comments(0)

オペラ・レッスンのこと、演出のこと、舞台や絵画や色んなことを書きまくっています。