2018年 10月 06日 ( 1 )

祈りの言葉というもの

10月になりました。


今年も残すところ早2か月と半分くらい。

今年55歳である私は、来年からは60歳に向けてのカウントダウンが始まる感じがする。


2年前に酷く辛い思いをしていて、その時かかわった「悪魔たち」(今は夫婦になっている)と、創作でもかかわったので、その時のFBの投稿を全部削除するために、毎日なんとなく「過去の投稿」をチェックしている。


今朝もそれをなんとなくやっていたら、こんな投稿を見つけた。

忘れていたけど、今も心の底にある「祈り」であること思い出したので、回顧録的にUP(^^♪


ちょうど「修道女アンジェリカ」を演出するという機会に恵まれた時だったから、楽譜の中にも「祈り」を沢山感じて辛かった時期だ。祈りも辛い時があるのよね(^^;)


【マザー・テレサの祈りの中に、「祈れない時、その祈れないことさえも、主に捧げなさい」というのがある。文章は違うかもしれないけど。

「修道女アンジェリカ」で、彼女の伯母が7年ぶりに面会にやって来、動揺している彼女に向かって、「その動揺さえ、主に預けなさい」と言う、修道院長の台詞がある。

力を抜くのとは違う。
無様な自分を見てくださいと言うのとも違う。

ただ、主の御前に「在れば良い」と言う事だと思っている。

今、私が疲れて在るとき、誰かは元気いっぱいで在る
今、私が泣いて在るとき、誰かは大笑いして楽しく在る
今、私が孤独で在るとき、誰かは愛する人と幸せで在る

どちらも主の御前に「在る」

私は時々、「在る」と言うことが酷く辛くなります。
そういう時、「私を憐れんでください」と祈ります。

それは、どんな時も、例え地球上の全ての人たちに顧みられなくても、神様だけは、必ず私を見ていてくださるという、約束の祈りだと思っているからです。】


このオペラを依頼してきた主催者も、私の矜持が気に入らなく、罵倒メールを投げつけて私を下した人であった。

先の「悪魔」もこの主催者も、某新興宗教の信者で、「人を救う手伝いをしている」と本気で考えている「洗脳された物」。


ほんと、「物」だと思う。

いつの間にか、自分が神をも凌ぐ力を持っていると勘違いして、人様の懐に土足で踏み込んで踏みにじっていくのだ。


その人たちの祈りの言葉はどんなだろう。


私は常々「宗教」は「国」だと思っている。


ポリシーが変われば争いが起こる。

そこには人間の「欲」が絡む。想う心は「傲慢だ」


でも、「信仰」は「神様」に対して、「自分が信じて仰ぎ見る」ことで、ひざまずき、へりくだる姿勢がある。

何もかもを神様に委ねる、心の強さがいる。


それが「修行」だと思っています。


傷はいまだ癒えないのだけれども、この想いだけは、何倍も強くなって今の私を支えている。


彼らが早く気づいて、神様の方へ「向き直る」ことを祈っている。


ま、自分が「神の代わりに」とか思ってるんだから、あり得ないかもしれないけどね(笑)






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by kuniko_maekawa | 2018-10-06 08:03 | 心のつぶやき | Comments(0)