人気ブログランキング |
ブログトップ

言の葉のいずるよりも前にきみが好きだった

カテゴリ:演出家のつぶやき( 70 )

「ひねり」と言うもの

昨日、先輩演出家さんと芝居を観にいきました。

大正時代の新聞記者たちを通して、「言論」と言う物をテーマにしたお芝居で、この劇団の主催者が台本を書いて、ワークショップなどで集まった役者さんたちが出演しています。

昨年、この劇団に関わっている音響さんから御案内いただいて、初めて観にいったのですが、その時の芝居がものすごく面白くて、ある役者友達にお知らせしたところ、彼もいたく気に入って、ワークショップまで受け、今回の芝居に出演する運びとなりました。

オペラと違って、芝居の劇団は星の数ほどあります。
この日も、チラシを沢山持って帰りました。いつ、どこででも、芝居は打っている。これだけはすごいといつも感心します。

ワークショップなどから、内容を作っていき、観客に見せると言うやり方も多いですよね。

在る程度のスペースと、人が集まれば芝居は出来上がります。

オペラにはないこの自由さに憧れつつも、音楽と言う規制が無い不安定さが怖くて、どうしても芝居を作ることが出来ない私でありますが、それを払拭するように、できるだけ色んな劇団を観にいきたいと思っています。

さて、この劇団は台本作家であり、演出家である主催者の言葉が好きで、今回も期待していました。

実際、役者たちが交わす会話劇には魅了され、その時間は非常に耳に心地よく過ごしたのですが、題材にした「新聞」と言う物と、「政治」「言論の自由」「労働運動」といったものに端から興味が無かった私には、どうもテーマが掴みにくい。

メールなどを駆使して、あるいはブログなどで、今や「言論の自由」と言う物を簡単に手に入れられる時代に生きてる私でありますから、余計そうなのかもしれませんが、なんだろう・・・すごく非現実に捉えてしまって、ファジーに観ちゃいました。

それを御一緒した演出家さんにお話したところ、彼女曰く「ひねりがない」。

つまり、その題材とテーマがストレートすぎて、勉強したものを発表しているだけに観えるということらしい。

う~ん、そうか~。

ここで頭を抱えるのは、「ひねり」と言う事に関して、またまた私がファジーだから。

元々直球勝負しか出来ない性格だからか、物事を「ひねる」というのが私には難しいです。

第一、意味も良くわからない。

照明家の友人なんかと話す「ケレン味」というのと、多分同じ。

一つのテーマをその内容そのままではなくて、湾曲させて、核心に迫るというのでしょうか、私の認識はそんなものです。

彼女曰く、「『フィガロの結婚』はストレートすぎて、ひねりたくなって逆に難しい。いまだに切り口がわからない。でも、『コジ ファン トゥッテ』は元々がひねって在るから、すごく得意。『ドン・ジョヴァンニ』とかもいけるかもね~。荒唐無稽と言う物に関してね~」

私にはどれも、どうストレートで、どうひねっているのかわかりません。正直なところ(^^;)

これって、多分、「テーマ」と言う物を捉えることが出来ないのかも、と、自分では密かに思っています。

昔、某ミュージカルの演出家にアシスタントで付いた時、「この作品を今の時代に東京でやるという意味は?前川だったらどういうテーマでやる?」と言われて、答えに窮したことがありました。

私の中では、作品のテーマ=音楽と思ってる節があるので、そこを読み解かないとわからないんですね。

つまり、台本からテーマと言う物を探したことが無いかもしれません。

音楽から・・・・楽譜から・・・・、そうなると、テーマ=作曲家になっちゃう。

これだから、きっとお芝居は永遠に作れないのかも・・・・・。

そうか~、今気付いたけど、ずっと台本や小説や、物書きをしたかったけど、一向に一本かけないのは、テーマを創ることが出来ないからなんだ~。納得~(^^;)

いえ、気付いてました。

いまだにこの壁が乗り越えられないのですね。

最近は、お芝居を観にいくのに、割と人を誘います。

それは照明家だったり、演出家だったり、一般人だったり、歌い手だったり。

終演後、食事などした時に、彼らが話す感想に非常に興味がある。

特に、スタッフは、私よりもフィールドが広いですから、色んな舞台を経験してるので、知らないことも話してもらえそうで、嬉しくなる。

そんなことより、経験しろって感じですが、こればっかりはな~。

でも、少しずつ言葉を音にして、台詞と言う物に近づこうという魂胆。

お試しは8月です。

今は準備段階で台本を整理しながら、やっぱりシェークスピアってオペラみたいだ~と悦に入ってる次第。

これじゃあ、いつまでたってもオリジナルは無理そうですね(^^;)

これから、買い物に行って気晴らししたら、また台本整理です。

告知はもう少し後。

お楽しみに~(^0^)
by kuniko_maekawa | 2009-05-14 13:17 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

一期一会

さて、今やっている公演、間もなく本番です。

残すはGPを二回やるのみとなりました。

音楽大学主催と言う事もあり、大学の持っているホールを使っての舞台稽古が長く、非常に贅沢なものつくりの現場です。

しかし、期間が長い分、いろんなことが起こっています。

昨日も、衣装付きの舞台稽古というのに、主役のテノールが急病で欠席。

急遽、代役を立てての稽古となりました。

こういった際の代役はアンダースタディといって、演劇でもミュージカルでも、必ず立てておくものです。

ただ、この人たちは、必ずしも舞台に立てるということではなく、あくまで本役が倒れた時のみ舞台に乗れる人たち。

しかし、いつでもその代わりが出来るということは、本役以上の力量と努力を期待されている訳ですが、だからと言って、その人のための稽古などはありません。

彼らはただ、稽古場にいて、いつでも立てるように、動きも全部覚えていないといけない人たち。

今回の公演も、何人かアンダーの人たちが入っていました。

昨日のテノールの急病に伴い、当然アンダーが衣装を着け、メイクをし舞台に立ったのですが、このアンダーをやったテノール君が非常に良い舞台を創りました。

まだ大学院を出たばかりの若さで、いきなり舞台に立つ度胸もさることながら、稽古に毎回出ては動きをチェックしていただけとは思えないくらい、役作りもしっかりしていて、本当に素晴らしかった。

周りの歌い手たちは、かなり経験もある大人たちではありましたが、彼が入ったことによって適度な緊張間も生まれ、相乗効果的に良い空間が出来上がっていました。

彼はオーディションを受けた時、次点だったらしく、きっとこの舞台に乗りたくてしょうがなかったんだと思います。

ずっとずっと稽古を見ながら、臍をかんでいたのかもしれません。

彼が歌うとなった途端、すぐさま劇場に行って、稽古中に撮ったビデオを見ながらチェックをし、音楽稽古をし、メイクをし、衣装を着け、段取りを確認し、堂々、舞台に乗っていきました。

段取りをつけている間、精神的なことも心配しつつ、彼に「大丈夫?」と何とはなしに気を掛けていたら、彼が「楽しいです」と一言。

ああ、そうか、と私は納得。

こんな機会、彼にとってもそうそうあるわけじゃない。

もちろん、出れないと思っていた舞台に立てることもそうかもしれないけど、衣装を着けて、メイクをして、オーケストラで歌うことって、彼らの人生でどれくらいあるだろう。

にこにこしながら稽古する彼を見ながら、なんとなく胸が熱くなりました。

「じゃあ、今日は何が何でも自分のために歌おうね。こんな機会滅多に無いんだから、誰のためでもなく、自分のためにやろうね」

彼は大きくうなずいて、見事に舞台をやりきりましたよ。

こういう時、こういう瞬間があるから、舞台をやめることが出来ないかもと思います。

彼は非常に良く舞台をこなし、聴いていた人に感動を与えていました。

けれど、それは彼が代役と言う立場にいて、もし、本役のテノールが休まなければこういう瞬間は無かったこと、逆に、彼が本役で稽古をずっとしていたら、何かの欲が出てしまって、こんなにピュアな思いで舞台に立たなかったかもしれないこと、色んなことが重なって起こった奇跡みたいでした。

今日の舞台稽古では、彼はまた通常の合唱団の役目に戻って、舞台に上がっていました。

これは現実。

こう考えると、何もかもが二度は無いことのように感じます。

今参加している歌い手たちだって、一生のうち、この作品を、この役を、何回歌うだろう。

私にしたって、今一緒に仕事をしてる歌い手たちと、スタッフたちと、また、いつ舞台を創るだろう。

何もかもが、その時一回きりの出会いなのかもしれません。

それにしても、昨日の彼の音楽のなんと純粋だったことか。

ただ、ただ自分のためにだけあった3時間が、私たちにも夢を観させてくれた、不思議な瞬間でした。
by kuniko_maekawa | 2009-04-26 01:13 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

試演会終了!

は~、やっと今年度も大運動会が終わりました(^^;)

これはですね、私が勤めているS音楽大学のオペラ実習の発表会で、まず14日に大学院のオペラ・ガラコンサートがあり、昨日19日に3,4年生の試演会で今年度は幕を閉じました。

どちらも一日で、嵐のように仕込み・場当たり・GPをやって本番となります。

昨年度もそうでしたが、とにかくスタッフや先生方の御協力がなければ、絶対に成しえない二日間でした。感謝、感謝であります!

終わってみれば公演は大成功で、学生たちは本当に良く頑張りました。

不思議なもので、GPまではなんとなくくすぶっていても、本番、お客様の前に立った途端に、どこかで何かが変わるらしく、今まで聴いたことないような声や、見たことないような表情や、色んな表現を見せてくれました。

これが若い人たちのパワーですよね。

「何かが変わる」と言うのは、学校公演をやる時に一番嬉しい瞬間です。

最初の授業で役を決めるために歌うときは、大抵どの学生も、ただ持ってきたアリアを歌って、まさに「声を聴いてもらう」と言うスタンスで私たちの前に立ちます。

特に学部生などは、ヴィジョンがあってオペラ実習を取る子のほうが少ないでしょうから(授業の一環として捕らえているので)、まだやりたい役もわからない状態。

声を聴いてこちらで決めて与えても、そこから試演会のことまで想像しながら役を作ると言う事は恐らく実感としてないだろうと思います。

もちろん、最初からオペラをやりたくて着ている子もいます。

けれど、大半は「興味」から始まること。

その子達が、何かをきっかけに変わっていく。

スイッチはそれぞれ違いますが、その時、その瞬間から稽古場への関わり方が変わってくるのが分かります。

そして、スポンジになる。

どんどん水を吸っては絞って出して、また水を吸う。

そうやって得たいものを追い始めます。

こういう瞬間が私は本当に好きですね。
学生たちと関わる醍醐味。(^^)

卒業学年の学生たちの進路は様々ですが、この経験が人生の良いプロセスになることをいつも願っています。

歌い手人生は本当に長い。

続けようと思えば50年だって続けられる。

でも、良いプロセスを踏めるかどうかは本人次第です。
それを見つけていくのも才能。

授業をしながら毎回私自身もこのことを頭に入れながら、まだまだ続く舞台人生を考えています。

取り合えず学校はしばらくお休み。

今年はやりたい企画が二本あり、その準備を始めるつもりです。

私の経験値もまたかなり上がったと感じる二日間でありました。

御協力いただいた皆様方、本当に感謝いたします!

何より、学生たちに感謝!

みんなお疲れ様でした~!!!(^^)
by kuniko_maekawa | 2009-01-20 11:22 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

衣装の効力

お、珍しく「オペラなブログ」が更新される模様・・・・。

最近暇なので、ふと思いつくことが結構あったりして・・・(笑)。
全然更新しなくても覗きに着てくださる方々、ありがとうございます!

さて、年明けに行われるS音楽大学の試演会のためにただ今準備中。

基本的には授業の発表会ですから、大げさなことは出来ないまでも、大学院などは、やはり、この先のことも考えてできるだけ公演と言う形をとろうと頑張っています。

ので、舞台のセットや照明、衣装のことなども久しぶりに「創る」と言うことを考えているのですが、こういう小さな枠の公演で一番こまるのは衣装です。

大きな公演ですと、衣装デザイナーの元、製作したり、東京衣装や松竹衣装など、リース会社で借りるとかやるわけですが、学校公演などではそこまでの予算が出ないことがしばしば。

そこで、色んな手を駆使して衣装を揃えていくのですが、困るのはほとんどが18世紀から19世紀の衣装が必要だということ。

つまり、その時代にオペラが多く作られたって事ですが、時代物は考証も含めて難しいのですね。

デザイナーはもちろん、演出家も演出部も着る方も、それぞれが知っていて着こなせるものでもあります。

今回は学校に残っている衣装と、お借りしたり作ったりしてなんとか事なきを得そうですが、こうまでして衣装を身に着けるのは、何も役柄を飾るためだけではありません。

身に着けるものと言うのは、実にその人の生活習慣を表すもの。

例えば、フィガロやスザンナのような使用人たちは、長袖を肘より上に折り曲げていたりします。

これは働く人であるがためにでありますから当然ですが、じゃあどうして半そでにしないのかとか、冬はセーターなどを着ないのかと色々疑問が起こりますよね。

そこから色んなことが派生していく。

この時代、季節の温度は今とどれくらい違うのか、彼らはどんな仕事をしていたのか、そもそも、セーターはいつの時代からあったのかとか、その代わりにチェニックを着ているのか、どうして女性のシャツには襟がないのか等々・・・・(ここで全部答えると思ったら大間違い、調べてください!^^)

貴族たちにしても、18世紀の女性のドレスなどは七部丈の袖にビラビラと何段も重ねたレースの飾り袖(アンガージャレットなどといったりもします)が着いている、どう考えても日常的でないのは当たり前で、元々貴族は働く必要など無いのだから袖をまくる必要などない。

男性にしても、お洒落をすると言うことの方が大重要な要素でしたから、やはり袖口にビラビラとレースをつけました。

ジレーと言う飾り襟もそうですね。

逆に、牽制を誇るということで、スペインの王様やエリザベス女王がつけているようなカラーなどもありました。

衣装の生地や色が時代設定を決めるときもあります。

例えば、18世紀にはいわゆる「白」と言う生地がなかった。
生成りとかアイボリーといったものはありました。

これはね~、まだ漂白技術が無かったからなんですって。

今私たちが着ているワイシャツの「白」などは、漂白されている色なんですね~。

こんな風に、今の時代よりも衣装が意味を持っている時代であるからこそ、できるだけその時代に、その役柄にそった衣装をつけて、舞台に立つ必要性がある。

衣装も、ある意味舞台美術の一つでありますよね。

それと同じで小道具なども、手に持つものとしての時代背景や役柄が見えてきます。

そこから想像するものも本当に多いのですが、勉強するには底なしで、調べても調べても、良くわからないことばかりです(^^;)

この辺は、まだまだ私は知らなきゃいけないことが多すぎて、今も借りてきた衣装を並べながら、それに合わせるブラウスや靴のことなど頭を悩ませています。

こういう衣装研究や小道具の歴史などと言う授業こそ、オペラ歌手に必要なものだと思うんだけどな・・・・。

まあ、地道な努力を続けていきましょう!

次は小道具編でもアップしようかしら???

確約なしで乞うご期待(笑)!
by kuniko_maekawa | 2008-12-04 13:05 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

駄目だしと言うもの

先日、ある歌い手さんから演出家との関係について相談を受けました。

その歌い手さんは出演していた公演で、稽古中に演出家からまったく「駄目だし」を受けなかったのだそうです。

「駄目出し」とは、立ち位置や内容のことなど、演出家のコンセプトと違った場合、そこをチェックして伝えると言う作業です。

その歌い手さんの役は脇ではありましたが、キャラクター的なことも何も言われず、どうやって役を作っていったらいいのか、わからなかったのだそうです。

「最後まで演出家との共通意識が持てなかった。私の力不足で演出家のイメージを引き出せなかったのでしょうか」

う~ん、言葉に詰まりますが、こういった演出家の影響は、私も考えさせられるところであります。

ただ、この演出家は私も良く知っている方ですが、決して仕事をしないというのではなく、役割を知っているからこそのことだと理解しています。

つまり、オペラ演出家は作曲家の演出助手だと言うこと。

また、それぞれの分野のスペシャリストとして公演に参加しているのだから、歌い手もその一人として、自身の技で作品に関わっていくのが仕事。

その仕事を全うしていれば、歌い手こそが内容を作っていく人であり、演出家の仕事は作曲家の指示する交通整理だけなんだということ。

そこを受け手がどう捉えるかによって、勘違いは起こりえることだと想像します。

しかし、通常の稽古場での演出家の仕事は、内容から形、全てにおいて責任を取ることだと思われています。

ですから、当然、演出家の意見が第一になり、下手をしたら動き方とか、手の上げ下げまで「決めてください」と言われる。

これは私からしてみれば「演出家の権限」なんてものではなく、単なる責任転嫁です。

楽譜のト書きや音楽を解釈できないと言う事の責任転嫁。

同じ台本を読んでいて、各分野が解釈をし、それを出し合うのが稽古場であるべきです。

もしかして、迷った時でさえ、頼るべきは演出家ではなく楽譜かもしれません。

さて、先の歌い手さんに話を戻しますと、この方はすごく真面目な方で、モチベーションも良く、どの現場に行っても、評判の良い方です。

もちろん、歌い手としての可能性も十分。
本人もそのつもりで、色々とオーディションも受けて頑張っています。

若いので経験はこれからでしょうが、自分でも現場を踏んで来始めた自信もあると思います。

恐らく、今回も十分に準備をして稽古場に立ったと思います。

ところが演出家は自分に何も言わなかった。

そこで、自分は何が出来ていないのか、いいのか悪いのか、わからなくなってきた。

そして迷ったまま舞台に乗ってしまいました。

しょうがないことだろうと思います。

どうしてこうなったのか。

実は、この歌い手さんは自分の評価を演出家に託していたのですね。

何をするにしても、演出家に答えを求めていた。

つまり、本来は作品と向き合わねばいけなかった時間を、演出家の意向を探るために使ってしまった。

ところが演出家のほうは歌い手さんの作ってきた役に対して、その仕事を認めていたので何も言わなかった。

このすれ違いが結局は歌い手さんを集中させなかったってことです。

多分、一言でも演出家が「それで良いよ」と言っていたらば違ったでしょうが、この演出家は良し悪しは自分の選択ではないと思える人で、楽譜の方向性が違ってなければ良いんですね。

難しいですね。

私は稽古場や現場で駄目だしが多い演出家は、結局は作曲家から逃げているのじゃないかと思っています。
もちろん、自分自身も含めて、そうです。

出来れば、すべてを作品と歌い手に委ねて、自分は外側を作ることに集中したいと思っています。

しかし、それをするには「信頼」が必要。

実は、これは先の演出家に聞いたことです。

どうやったら、何も言わないって言う稽古場が作れるのか。

「それって、信頼することだよね」

いとも簡単にこの演出家は言ってのけましたよ(^^;)

指揮者を信頼し、歌い手を信頼し、楽譜にすべてを託す。

どれだけ経験と知識を増やせばこんな言葉が言えるようになるのですかね~。

相談してくださった歌い手さんに感謝しています。

私自身も答えながら考えました。

この方の今回の経験が、長い歌い手人生の中の一つのプロセスとして残っていきますように。

尊敬する人たちがいてくれるので、歩ける道でもあります。

私の後に付いてきてくれている人がもし居るとしたら、同じように残して行きたいと最近思います。

叶う事を期待して。
by kuniko_maekawa | 2008-09-14 16:44 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

演出家で居ることの意味

芝居やオペラやミュージカルや、あらゆる舞台は演出家が構成し、創っています。

そのコンセプトに、舞台美術家や照明家、衣装家、と言うプランナー達がヴィジュアルを創るために添ってきます。

現場での指揮は舞台監督の範疇ですが、基本、演出家の意向にそって物事は進んでいきます。

とりあえず、私も演出家です。

大きな舞台を創ることは少ないですが、前述した人々の中心となって舞台を創っています。

なんでこんなことを書いているかと言うと、なんだか演出家ってわけわからない職種だなあ~と常々思っているからです。

暇にしていると、他公演を良く観にいきます。

自分で観にいきたいと思ってお願いすることもありますし、お誘いをいただくことも多いです。

そのたびに、やはり演出を目にするわけで、何も感じないわけにはいかない。

残念ながら往々にして、あまり好きなものはありません。

特にオペラは。

自分も同じ分野に居て、作品を知っていたりすれば尚更、読み方が気に入らなかったり、音楽が気に入らなかったり。

好きな場合ももちろんあるのですが、演出家なんて、それぞれがポリシーを持っていますから、絶対に許せない場合の方が多かったりする。

しかし、お客様は喜んでいるし、歌い手たちも満足しきった顔をみると、それは個人的な感想で、公演自体は大成功だったのだろうなと認識はします。

だから、それだけで演出の良し悪しは決められない。

そこに参加しているプランナー達もそうです。

演出家のコンセプトに添って、プランを出しているのだから、それが彼らにとっては正解ですよね。

これが、私の大好きなプランナーだったりすると、やっぱり切なくなる・・・・。

それでも、この演出家のコンセプトでも、ここまで綺麗な明かり、衣装を出してくるんだ~と思えば、それも彼らの職人的才能で、やっぱ一緒にやりたいと思うのですが、どうしても許せない場面も出てくる。

演出家ってなんだろう?って思うのはこういう時。

一緒に仕事をするスタッフ達は、やりたいことをはっきり言う演出家が好きです。

お任せの場合もありますが、そうするとコラポレーションしているように感じないと言われる。

しかし出してきたコンセプトに対して、どう関わるかはやはりプランナー達にお任せになる。

だから、自分と同じ感性を持ったプランナーとやるのが一番良い。

好きなことを瞬時に察知してくれて、データに入れてくれる。

彼らもそう思っているかもしれない。

でも、それが演出家の頭一つになると、客はどうなんだろうかと思う。

客にはわかんなくても良いから、自分たちの好きなことをやろうぜっ!って言うのは、やっぱり違うと思う。

これは制作にも当然言えることですが・・・。

何のために、この公演を打つのか。

どうしたいから、この演出家を選んだのか。

作品も、歌い手も、役者も、制作がどういう公演にしたくて選んだのか、良くわからない。

オペラの場合は、商業的に成り立たないと言う部分に皆が甘えている気もする。

予算が無いから、歌い手が居ないから、自分たちの場が無いから、勉強だから(これが一番嫌いです)、色んな理由で、個人的に公演が立ち上がってきている。

私は自分の中に二つのものが常にあって、いつも公演を観た後、なんだか腹具合が悪いようなものを感じる。

舞台を創り続けたいと切望している情熱に駆り立てられる自分と、演出家というものの曖昧さと責任に辟易している自分。

舞台を一つ創るたびに、そう思います。

すべての問題を解決するためには、結局は大きな組織を作るしかないのかもしれないとも。

今がなんだか変わり目のような気がする自分があります。

だからこそ、焦らず、じっくりと成すべきことを見つけないといけないかも・・・・。

先日、師匠と飲んだ時に、その時はまだ創る事にこだわっていた私と違って、彼は「今思うのは、これから先、何を残していけるかと言うことなんだ」とおっしゃっていました。

私は45歳。彼は59歳。

先を見る目が違うのか、と思っていましたが、そうでないことに今気づいています。

私がどうしても受け入れられない舞台は、多くが演出家や製作者が好き勝手に創って、そのまま捨てていっているものです。

そこには、やりたい放題やった演出家の残像が廃棄されるのみ。

でも、それじゃいけないんです。

人、一人の思い込みが垂れ流しになるのじゃなくて、関わったスタッフたち、出演者たち、何より観てくれた人たちの心に、確実に残る何かを提供しなくてはいけないんです。

だから、作品に嘘をついてはいけない、簡単なことをしてはいけない、丁寧さや誠実さを欠いてはいけない。 
そう、改めて思います。

今は、ちょっと舞台を創るのを休みたい気分。

どうせ、仕事も切れています(^^;)
良い機会ですから、じっくり考えて、これからは焦らず、本当に必要な舞台だけを創って生きたい。

切に、切に、そう願います。
by kuniko_maekawa | 2008-08-11 12:55 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

「オルフェオとエウリディーチェ」

さて、次回公演のお知らせです。
またもしばらくトップに置かせていただきますね。更新記事はその下にアップしていきますので、合わせてごらんください。

8月6日(水)門仲天井ホールにて
グルック作曲オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」を上演いたします(開演19:30)。
e0022232_13182328.jpg

画像をクリックしていただければチラシが大きくなります(^^)

これは演出家恵川智美氏の主催される絨毯座と言う団体の「小Labo」と言う枠で、
オペラを様々な方向から検証し、上演するというもの。

今回はピアニストの野口幸太君の企画・プロデュースにより、私とのコラポレーションを実現してくれました。

テーマは「音演出」

聴きなれない言葉ですよね。
当たり前です、私が創りました(笑)。

そうですね、平たく言えば、音楽を「朗読」すると言うようなものでしょうか...


オペラは基本、作曲家と言う大演出家が書いたもの。
私たちは、彼らの音を読み、言葉を解釈し、舞台を作って行きます。

そもそも演出家の仕事は、歌い手たちの導線、セットや衣装や照明や外側の装飾等が仕事ではあるのですが、それを起こしていくのに不可欠なのが楽譜。

そして、その楽譜は先に書いた作曲家によって、すでに演出されているの物であり、それを読み解くことが結局はオペラ演出家の言葉となって行きます。

私は常々、この楽譜と言うものを芝居の台本のように、すべての出演者、スタッフに扱って欲しいと思っています。

楽譜を言葉にしていく。
そして、それを伝えるために音楽と声を使う。

「オルフェオとエウリディーチェ」は有名なギリシア神話が元になっている古典オペラです。

竪琴引きのオルフェは最愛の妻エウリディーチェを毒蛇にかまれて死なせてしまい、嘆き悲しんでいる。
そこに愛の神が現れ、「ゼウスの慈悲によって、生きながら黄泉の国に行くことが許可され、もし、竪琴で地獄の怪物たちを治めることが出来たらエウリディーチェを連れて帰ることが出来る」と伝えます。
喜び勇むオルフェオに、愛の神はある一つの条件をつけます。
それは「眼差しを向けないこと。いつもの口調を使わないこと」
オルフェはその条件を飲み、黄泉の国に向かいます。

この時代のオペラは様々な変容を遂げていくプロセスが見えます。
グルックも変革を望んでいました。

そのため、台本に劇的要素を沢山要求しています。
しかし、音楽的にはバロックの様式を色濃く残しており、その温度差が面白いのと、音楽が様式的であるからこそ、言葉の扱いによって楽曲が変容するだろうと言う期待があります。

この台本をどうお客様の耳に届けるのか。

今回は三人の女声に参加していただき、試みに付き合っていただきます。

オルフェオ     諸 静子さん
エウリディーチェ 松田 麻美さん
アモーレ(愛の神)佐藤 恵利さん

それぞれに才能と感性をお持ちの方々。
敢えて女声の作品を選んだのも、言葉の繊細さ丁寧さが欲しかったから。

声は言葉を伝える道具です。
耳に心地よいのが必須だと思っています。

どうぞ、この試みに参加していただきたいと思います。
歌い手たちがどこまで作品の媒体となって、言葉を伝えることが出来るのか。

私が、どこまで作品を解釈し、作曲家のアシストが出来るのか・・・・。

チケットは1800円(当日券2000円)
お問い合わせは
絨毯座制作部(ナヤ・コレクティブ) 03-3921-4309
jutanza@coral.dti.ne.jp
もちろん、このブログ、または前川のHP(http://www.rak3.jp/home/user/kuntz/)
でも受け付けます。

是非会場に足をお運びください。
沢山のお問い合わせをお待ちしています!
by kuniko_maekawa | 2008-08-06 13:44 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

向かい合うレベル

さて、今日は久しぶりにS音楽大学での授業でした。

昨年から参加している、オペラ実習の授業。

大学の3,4年生、大学院生たちと、曜日を違えてオペラを学んでいきます。

演出家としての授業ですからもちろん私の領分は、立ち稽古。

それまではオペラ実習を担当している声楽科の諸先生方が、この学生たちの授業を見てくださっています。

実際に試演会をそれぞれやり、最終的にはお客様の前で歌うと言うのが目的。

やはり舞台にのって初めて、表現をすることが成り立ちますから、それは不可欠です。

7月も二週目からは夏休みに入り、実際の立ち稽古は9月からですが、今週、来週と、9月からの立ち稽古に備えて、基礎演技的なことや楽譜の内容のことなどを色々やろうと思っています。

今日は学部生たちとの最初の授業で、これまでに彼らが音楽稽古をしてきた成果を聴かせていただきながら、これから何が必要かを話してきました。

午前中は3年生。

ほとんどが始めてオペラをやるといった子たち。

おそらく、私が話すことや、実際に自分たちが役を作って舞台に乗せると言うことに、まったく具体的なイメージが無いのが正直なところ。

ですから、話をしていても、質問をすると言うよりも、こういうもんだよ、って、かなり情報や知識を与えて、興味を起こしていくのが大変。

午後からは4年生。

昨年もこの授業を取っており、更に勉強したいとか、いずれはオペラ歌手になりたいと具体的に考え始めているような子も出始めています。

しかし、まだまだ声のことや音楽観みたいなものは未知数。

彼らの可能性も未知の代わりに、私との距離はやはり遠い。

こういう人たちと向き合っている時のエネルギーの放出と言ったら半端じゃありません。

何せ、相手は真っ白。オペラと言うものに対しての引き出しもゼロ。

もちろん、歌い手としても未熟ですから、テクニックは愚か、まだ響きもつかめてない段階。

しかし、この「ゼロ」と言う状態は逆を返せば、知りたいことや欲求がものすごくあるってことでもあります。

まるでザルや穴が開いたバケツみたいに、何をいれてもこぼれて行ってしまう、底なしの欲求って本当にすごいです。

私が何を喋っても、初めて聞くものばかりという顔つきで、興味が沸いてくれば来るほど、「もっと話して、もっと言って、もっと動いて見せて」と、まるで雛が餌を欲しがるような凄みも感じたりして・・・・。

しかし、彼らの何かを刺激し、そういった状態になってくると、途端に彼らのエネルギーは倍増。

しかも、私は一人ですが、相手は30人くらい居ますから、もう・・・・・・(@@)

授業が終わると、私はすっかり力尽き、お腹がすくかと思いきや、食欲もなくなるくらい・・・。

さて、こういうことは研究生や学生ばかりと付き合っていると、あんまり気にならないことで、なんでも一生懸命やっていれば、エネルギーってなくなるよな~なんて思ってしまいそうなんですが、向き合うレベルが違えば全然違うんです。

今現在、稽古を進めている「オルフェオとエウリディーチェ」の稽古。

昨日の日曜に音楽稽古を開始しました。

3人の女声と同じように向き合って、丁寧な本読みをしています。

彼女たちも、この作品が初めてですし、私との稽古も初めてな人もおり、やはり「知りたい」と言う欲求のボルテージは上がっているのですが、彼女たちとの稽古は、ここまでのエネルギー放出はしない。

疲れ方は同じでも、食欲まではなくならない。

むしろ、ちゃんとお腹がすいて、実に健康的(笑)。

これはですね、ひとえに、彼女たちのレベルが学生たちに比べて高いからです。

当たり前のことですが、このレベルと言うのは、実力だけではなく、やはり経験値や引き出しの数だったりするのですが、一番の違いは、素材としての自分をどれだけ認識しているかと言う事。

つまり、学生たちは、まだ自分の勉強のためや自分の興味のために、この授業で学ぼうとしていますが、オルフェオの女声たちは、客のために自分が何を出来るかを私との稽古でつかもうとしています。

そのために、オルフェオ組みは自分たちの足らないものを補って、自分たちの中で練り、それをまた全然違う表現として出してくると言う、キャッチボールが成立します。

学生たちは、なんと言ってもまだ学生。

いろんなことが未知数。

オルフェオ組はみんな四十路。

舞台の経験も多いです。

私は、どのレベルの人たちとも、もちろん真剣に向き合って、へとへとになりながらも、それぞれから受ける刺激を、また自分の糧にして舞台を創っています。

こんなこと、滅多に経験できることじゃないですよね。
幸せなことです。

「オルフェオ」はまた今週から音を創っていく作業が始まります。

女声たちは、かなりレベルが高く、私もまだ予測できない音が沢山出来そうです。

どうぞ、皆さん、会場に足を運んでくださいね。
お待ちしています!

それはともかく、さすがに今日はへとへと・・・・。

明日は一日勉強して、また明後日、今度は大学院の学生たちと勉強してきます。

これもまた違うレベル。

しっかり体力、知力を養わなきゃ!

夏になってきて、毎日蒸し暑いですね。
夏ばてに負けず、頑張りましょう!
by kuniko_maekawa | 2008-07-07 21:35 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

音を創る

さて、トップの記事でもお知らせしましたが、8月6日に行う「音演出」のために、先週から本読みを始めました。

今回の目的は「音言葉」を創ること。

そのために、芝居的な要素の本読みではなく、あえて、きちんとイタリア語を発音することもやっています。

私はイタリア語の専門家ではありませんから、会話として正しい発音かどうか分かりませんが、少なくとも、アクセントや法則の中での読み方はわかっているつもりではあるので、そこもクリアにしながら音を模索しています。

イタリア語は、基本、母音で成立している原語。

この音の流れを創ることが大切だと思っています。

そこで、歌い手たちには、出来るだけ、長母音、短母音の長さを意識してもらっています。

特に語尾の短母音は、今回試していることです。

例えば、「siete」と言う単語があります。

「シエーテ」と読みます。

しかし、これは日本語的な読み方で、本来ならば、「シィエーテェ」という風に、「si」と言う部分の「i」と最後の「te」と言う「e」の部分にまで母音は存在しています。

こう言った音として捕らえにくい母音も、きちんと発音した上で、単語の中の音の流れを感じていき、単語を構築しようと言うわけです。

先週は顔合わせと、楽譜の内容的なことから話をしていきました。

昨日は、それを踏まえたうえで、実際に声に出して、今書いた単語の構築を重点的にしています。

何故、こんなことをするかと言うと、

これだけの音を意識していくことで、喋ることに集中するのと、母音での発声が一番良い響きを創るために、そこに感情を発散させることが出来るという持論があり、そのためには母音の長さや役割を知ってほしいと言うことがあるからです。

これが、感じ始められてから、音楽を創っていきたい。

それは、歌い手の中で感じられてきた言葉の音に、作曲家がどういう意図で、音楽を与えているかと言うのを理解して、やっと解釈が出来るのじゃないかと思っているからです。

例えば、「椿姫」のジェルモンが、2幕でヴィオレッタから書類を渡された時に「ciel!」と言う言葉の音を「d」の音で要求されているのは、どんな解釈をすればいいのか。

そういったことを探りながら創っていこうと思っています。

どんなものが出来上がるのかわかりませんが、どうか、会場に足を運んでいただき、私たちの創った音を聴いてみて下さい。

これからやく一月。

私も歌い手も、まだまだ初期段階。

これからどんな風に音を創っていくのか、どきどきです(^^)
by kuniko_maekawa | 2008-06-29 15:08 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

舞台の高さ

最近めっきり演出家な頭になっている私。

トレーナーをやめたわけではありませんが、こういう職業は面白いもので、一つ仕事が進み始めると、その流れがしばらく続くのが常です。

例えば、トレーナーばっかりやっている時は、自分の意識もそこにありますから、なんとなく人のつながりでクライアントさんがやってくる。

演出家の時も同じで、このところずっと演出家稼業をやっていましたから、周りの捕らえ方も、仕事の流れもそうなってくる。

私は非常に単純なので、簡単にその流れに流されると言う・・・(^^;)

さて、今は演出家として仕事をするのに、自分の知らない部分を知ろうと必死でありますが、演出をするにあたり、まず最初にすることは本番で使用するホールを知ること。

内容的なことはもちろんなのですが、やはり演出家の仕事は外側を作ること。

その大元になる舞台を観なければ、各プランナーとも話が出来ません。

そこで、俄然興味が出るのが舞台面と客席の関係。

例えば、客席数や形。
横広なのか、奥行きがあるのか、舞台の前から1番目の客席までどれくらいの距離があるのか。

また、舞台に関しても、舞台面がどれくらいの広さなのか、高さは、壁は、空間としてのホールはどういう色合いなのか・・・・。

最近はコンサートホールでもオペラの舞台を組んだりしますから、色んな要素で随分と形が変わってきますし、制約も出てきます。

私が元来好きな舞台は、客席500~700くらいの中ホール。

そうですね、池袋の芸術劇場の中ホールや、新国立劇場の中ホールくらい。

一番観やすい空間だと思います。

仕様によっては200~300席の小ホールも好きですが、オペラに関してはやはり音楽に空間が負けるときもありますので、オケを使うならば1000人以上の劇場ですか・・・。

いずれもそれぞれに仕様価値があります。

そして、もっとも重要なのは、舞台面より、客席が高いということと、客席と舞台が程よい距離感をもっていること。

中々そういうホールを見つけるのは日本では難しいのですが、渋谷bunkamuraのコクーンや新大久保にあるグローブ座などはもっとも好きな空間。

私が普段レチターレで使っている角筈区民センターなども小さいながら、舞台面と客席の感じが好きです。ただ、客席が横広なので、いまひとつ奥行きが無く、そこが惜しいところ。

先日の「ドン・ジョヴァンニ」で使用したアミュー立川の小ホールは可動式の舞台で、舞台面と客席面が6分割されています。

「迫り(せり)」と言うのですが、これを使って、舞台の三面の高さを変えて作りました。

普段の高さだと、客席から1メートルくらいの高さ。
そうなると、一番前の席のお客様の目の高さくらいに舞台の前面があります。

舞台と客席は近いですから、お客様は常に歌い手の足元を観ていることになる。

それではつまらないし、今回は床面を使う気でしたから、効果なし。

ってことで、正面の迫りを舞台面より30センチ。
上手と下手(向かって右、左)の面を客席より60センチの高さにして、出来上がったのがこんな感じ
e0022232_14132761.jpg


床面に照明のサスが落ちているのが見えますよね。

この写真は丁度下手側の客席から撮りましたから、目線としてこんな感じに見えるのです。

これより後ろのお客様には、もっと舞台面がちゃんと見えています。

この感じが一番好きです。
e0022232_1415696.jpg

e0022232_14151537.jpg


今回は客席を外して、客席の下手側にピアノと指揮者と言う変則的な形にしましたが、このホールの客席は横広。
奥行きはほとんどありません。これは結構辛い状態。

舞台上の奥行きもありませんから、客席からの出入りも使って、劇場空間としての導線を作りました。そうしないと窮屈で・・・・。

昨日、みなとみらいホールで今週末にある「秘密の結婚」と言うオペラのGPを観させて頂きましたが、こちらはコンサートホール。

コンサートホールは元来、コンサートをする目的のためにありますから、ただの舞台とは違って・・・・・

1:反響板がそのまま壁になっていて、通常のホールのように取り外したり出来ない

2:サントリーホールみたいに、舞台面の方にも客席があること、プロセミアムの形(額縁です)ではなく、あくまで音響のために、天井がどこまでも高い

3:よって照明機材がむき出しなこと

4:緞帳、袖幕などがまったく無いこと

等々、もっと色々あるんですが芝居をうつ舞台とは全然違って仕様に制約があります。

しかし、それを逆手にとって面白い空間を創ることももちろんできる。

ただし、これは観る方にもそれを理解していてもらうと言うお約束付きですね。

この公演はミヒャエル・ハンペ氏という世界の巨匠が演出。

本当に細かく、丁寧に創ってらっしゃいました。

実は、この「秘密の結婚」はDVDで出ているものとほとんど同じ。

ってことは、彼の演出レパートリーになっており、完成形だということ。
その演出が歌い手が変わり、国が変わり、スタッフが変わっても、まったく遜色無く現れているこの舞台に、職業演出家としての彼のすごさを感じて感動。

大好きな演出家です。
御本人も品性を感じさせる素敵なおじいさまでしたよん♪

さて、演出家前川の次回公演は「オルフェオとエウリディーチェ」です。

これは絨毯座と言うプロダクションの小Labo(小さいプログラムですね)「オペラ縦横無尽」と言う企画の一環。

門仲スタジオと言うスタジオを使って、舞台は組まずに歌い手三人で、ただ音を表現することをやります。
題して「音演出」。

これから構成を考えて来月から本読み開始。

これがうまく行ったらば、舞台に乗せようと思っています。

今度は音の空間を作るつもりで。

私の中の舞台はいつでも、空間。
空気の中にどうやって生きるかが重要なのです。
by kuniko_maekawa | 2008-05-29 14:35 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

オペラ・レッスンのこと、演出のこと、舞台や絵画や色んなことを書きまくっています。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30