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言の葉のいずるよりも前にきみが好きだった

カテゴリ:演出家のつぶやき( 70 )

通し稽古

「オペラのブログ」は久しぶりの更新ですね。
愚痴を吐いたまま、ほったらかしにしてました。はははは・・・・(^^;)。

さて、なんだかんだ言って、通し稽古となりました。
前回愚痴を書いてから、私のこだわりは、お客のためのこだわりとなり、そこからの自分のスタンスは、おかげさまでしっかりしています。
やっぱ、エンターテーメントと言うものに関わる時、個人のこだわりなど、ちっちゃいものなのですよね。

そうは言っても、悩むことは沢山あります。

私は作品を作るとき、まず段取りを渡してしまったらば、一回流れを見るために通してみます。
しかしその通しは、本当に流れを見るためで、その後、各場面を細かく作っていきます。

その作業が私に取っては本当に大切ですし、大変です。
場面自体が少なければまだいいのですが、場面が多くなるとやはりそれだけの時間が掛かります。

相手の力量にもよります。
これが、本当に良い歌い手とやっていると、問題はさほどありません。しかし、力量のない歌い手、あるいは学生となると、そう簡単にはいきませんから、3時間の稽古を使っても、その場面を全部稽古できないことがあります。

研究生も力量自体はありませんから、ひどく時間が掛かります。
それでも、頑張って3時間で二場面は見るようにしているのですが、これに加えて、授業の時間枠が本当に足らない。

役は、皆、ダブルで組んでありますから、倍かかるわけです。
それで、自主稽古と言って、自分達で教室を取り、集まる稽古をするわけですが、それを入れても足らない。

結局は、まったく細かくせずに通し稽古に出したりします。

今回も、そうなっています。
一応、授業で私が稽古をしている裏番組で、指揮者がずっと音楽を中心に稽古をしてますから、段々によくなって来ているのも事実。

しかし、解釈と言うものは伝わっていませんから、そこを調整するのにまたもや時間が・・・。

しかも、私が一回は細かくしても、それがうまく行くかどうかは別。人間相手のことですからね。

と、言うわけで、日にちで切って進めていかないと、いつまでも細かいことにこだわっていても、先に進まないと言うことになります。

それで、今日は「とりあえず通して見る稽古」(笑)。

そこで出来てないところをピックアップして返し稽古をしていきます。

春はそこまで来ている感じなんですが、まだ見えてきません。ここから先は、激を飛ばしつつ、皆を一番良い状態で舞台に乗せるのみ。頑張ります!!(^^)
by kuniko_maekawa | 2007-02-27 10:26 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

愚痴です・・・・(;;)

なんて、いきなりオペラのブログに書くべきものでもないのですが、ちょっとへこんでいるのです。

今は3月10日の藤原歌劇団育成部修了公演のための作品作りをしている最中。

研究生の場合は学校ですから、一応「稽古」ではなく、「授業」。
週に2回、3時間の授業の枠で二組を作っていきます。昼公演、夜公演とあるからです。

作品は、何回も書いていますが、チマローザの「秘密の結婚」。
本番まで、後ひと月を切りました。

稽古は段々佳境に入ってきます。
立ち稽古は1月の最初の授業から始まりましたが、何とか2月の頭までで、全部の段取りは渡しました。
しかし、渡しただけで本番に乗せれるわけではないので、一つ一つの場面を細かく作っていく作業に入っています。

しかし、ここに到って、時間との戦いに辟易しています。

足りません。明らかに・・・・。
そりゃそうですよね。相手は研究生。すぐに色んなことが出来るわけがなく、加えて、これは彼らの授業ですから、学んでいくことも大切。

しかし、この公演は売り公演で、お客様は2000円なりのお金を払ってご覧になる。

胃が痛いです(;;)。

研究生達は本当に頑張っており、一生懸命やっています。これにも、何とか答えたい。
女のこの多い、オペラの世界ですから、足らない声部は助演が入ります。
彼らもそれぞれに、力量を持っていて、期待できる人たち。彼らだから作れる役でもあります。

そして、私自身も、この作品にあるヴィジョンがあって、きちんと絵が見えている。それを形にする方法もわかっている。

しかし・・・しかし・・・・ああ!なんたること!稽古をする日にちが足りません!足らなさ過ぎる!

もう、ほとんど泣きそうです。
私が今とろうと思っている方法は、助演にも、研究生にも良く、尚且つ、この作品を絵にするのに一番良い方法なのに、それを丁寧に作っていく時間がありません。口惜しいよ~!!!

ま・・・しょうがないです。これが、学校と言うもの。
自主稽古も含めて、作っていっても出来上がらないと思います。

あ、誤解のないように。公演としては成り立ちます。もちろん、良い舞台を創るつもりです。
それは、私のこだわりを捨てれば、あっという間に出来上がります。そういう形も知っています。

でもね・・・。この作品だから出来る形だと思ったんです・・・私のやりたかったこと・・・・。
やってみたかったこと・・・・。ううううう・・・(;;)

このことばかり考えて、ほとんど毎日鬱ってます・・・。
だってさ、私、そんなに一本演出する機会もないしさ・・・・。

と、言うことで、こだわりは捨てて、出来ることをやるのみですね。演出家がこだわると、ろくなことはありませんから。

これを読んでいる研究生の皆さん、君らは本当に良くやっている。悲しい思いも、楽しい思いしながら、頑張っている。先生はひそかに喜んで、授業を楽しんでいるのだよ。だから、もう一分張り頑張ろうね!きっと良い舞台作るからね!

私のやりたかったことは、また自分で機会を探します。欲が出ると本来の目的を忘れます。
大切なことは、一緒に舞台を創っている研究生たちが、どれだけ宝物を拾えるかなんです。

是非、本番観に来てください。彼らは本当にすごいパワーを持っているのです。私のへぼな演出を、それ以上に楽しく見せてくれる可能性を持っています。会場へお越しの際は、絶対に損はさせませんから!

愚痴は愚痴。がんばりまっす!(^^)
by kuniko_maekawa | 2007-02-16 22:01 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

演出は戦いである!

ただいま、演出作業を週に2回ほど行いますので、頭の中は、そればかりになります。

弊害は、常に、24時間、音楽やプランが流れてくること。メリットは、レッスン等で楽譜を読んでいる時に、やはり稽古をしている時の方が楽譜が立体的に見えやすいこと。

それにしても、結構辛いことでもあります。余計なプレッシャーと、ストレスは日々収まることはありません。まるでインドの苦行。いえね、今、たまたまガンジス川の巡礼のドキュメンタリーを観ているからですが・・・ははは・・・(;;)

別に片足で立ち続けたり、沈黙を守ったりしているわけではありませんが、やはり、なんだか毎日重いという、感じはあります。

大きな理由は、稽古が始まったばかりで、段取りを渡している最中だからです。

段取りとは、作品を形にするとき、音楽に合わせてとか、言葉に合わせて決めるお約束事ですね。方向性とか、立つ場所とか、そういったもの。

もちろん、形だけではなくて、感情的なこと、プランと共に、渡していくことなので、私の中身も、一気に吐き出される瞬間でもあります。

今、この時が一番苦しいです。
なぜかと言うと、まるで予告編を溜め込んでいるみたいに、私の頭の中だけにあるプランが、全部を渡しきるまでに、少なくともひと月くらいはそのままになっており、その間、ずっと秘密を抱えた忍者みたいに、ただ、黙っているわけです。

これを一旦全部渡してしまえば、歌い手と共に、作っていく作業をすれば良いので、頭に残るものはありませんから、楽。一人で抱え込んでいるのがどうにも、こうにも・・・・。

しかも、プランは生き物ですから、ふと受けた刺激とか、TVの場面などが入ってきて、コロコロ変わりそうになります。それをまた、抑えるのも一苦労。
もちろん、それが良いこともありますが、それにしても、しんどい・・・・・。

後2回の授業で、段取りは全部渡しきる予定です。
そして、通した後にやっと詰め稽古に入ります。

それにしても、今回ほど、戦っている自分を認識している仕事はありません。
まあ、演出家としての経験は浅いですから、自分の経験値が増えて、作品の捉え方が変わっているだけですが、まさに、戦っていると言う言葉がぴったり。

作品自体とも戦っていますし、歌い手とも戦っていますし、そうしないと、はっきりとしたやりたい形が出来ない作品なのですね。でも、思ったよりも、周りは戦ってないのが、思わず空回り・・・?みたいな気分にさせます。(^^;)

それも、稽古が細かくなってから、歌い手達には初めてわかってくることなので、今は、本当に、私の空回りです。しょうがないですね。これが仕事です。

少しは、こういったせっかちな性格が収まると良いのですが、この歳では無理かも・・・(::)

これから字幕を作ります。
仕事には仕事を兼ねる。これが一番頭を切り替えるのに良い方法です。ああ、ワーカーホリックだ~・・・・!
by kuniko_maekawa | 2007-01-24 20:39 | 演出家のつぶやき | Comments(2)

修了公演

さて、「謹賀新年」などと言っていた日々はあっという間に過ぎ、もう日常が戻ってきましたね。
レッスンや研究生の授業も、しっかりと始まりました。

今年、私が持っているクラスは最終学年で、3月に修了公演なるものをやります。
これで、彼らは「研究生」と言う、暖かい園から追い出され、歌い手としての本当に道を歩いて行くことになります。

元々修了公演と言うのは、オペラ歌手育成部として、色んな方向から学んできた事を、お客様の前で、歌手としての役割を経験することが目的です。ですから、ちゃんとスタッフが入り、衣装を着け、メイクをし、照明の中で、作品を演じていきます。そして、これは集大成ではなくて、オペラ歌手として、お客様の前にでる第一歩となるわけですね。

私達スタッフも、この公演に関しては、特別な思いがあります。
私がお仕事をしている、藤原歌劇団育成部オペラ歌手は、今年で27年目。藤原の名だたる歌い手さんたちを輩出し、スタッフも、ほぼ、現場で活躍している方々が、講師としてまさに「オペラ歌手」を育成するために、ずっと関わってきました。

私の代になる前は、私の師匠、そのまた前は、今は亡き粟國先生などが、演出をなさっておりました。

そして、先にも記しましたように、2年間をかけて勉強してきたものを、お客様の前に出す時に、演出家、指揮者、そして、舞台監督以下、各スタッフをそろえて、きちんとした形で舞台に立たすことを信条としていました。

なぜかと言うと、修了した研究生達が、全員、この先もソリストとして活躍できるかと言うと、正直、一握りもいないかもしれません。まったく皆無かもしれません。そのためにも、一度は、ちゃんと経験をしておくべきなのです。お客様の前でオペラを公演すると言うのが、どう言うことかと言うことを。

今は、予算が激しく無くなり、昔のように、舞台美術家が入ったり、衣装を借りたりすることが、出来ませんから、お客様にも、申し訳ないような、舞台セットではありますが、それでも、ちゃんとメイクをして、照明の下に立ち、演出家や指揮者のコンセプトをお客に伝える。そう言う役目であることを体験し、外の世界に出て行くことが出来ます。

私達スタッフは、この真っ白な研究生達と、真っ白な作品を作るのに、外公演では感じ得ない「物つくり」の原点を見ます。

「特別」と言うのは、そう言う意味で、今までも、実験的な舞台が沢山出来ました。
何せ、研究生は何も出来ません(笑)。これは、ほんと。経験も、知識も、方法も知りません。

しかし、若さとエネルギーと、テンションがある。
自分達が、初めて作る舞台に向けての力のかけ方が、ものすごいです。

ある意味、サークル的ではありますが、そのサークル的な集中力があるからこそ、面白い作品が生まれます。何せ、ただ言われることを頑張ってやるしかできない。だけれど、やり始めたら、どこまでも・・・・なんですもん。

この勢いに乗って、私達も叱咤激励しながら、色んな事を試していきます。
そのためには、通常よりも、沢山の引き出しを用意し、それを試しては捨て、試しては捨て、していかなければ、生まれてきません。

他のスタッフも同じでした。
スタッフ作業も、学生がやりますから、その子たちに出来ることを与えながらも、小道具や大道具が、舞台でどういう意味を持っているからを、もう一度理解しながら、一緒に作っていくのです。私も、長い間演助で入っていましたから、ずっとそれを経験していました。

こうやって、いつの間にか、皆が同じ作品によって、一つのグループになっていき、それぞれが精一杯のものを出して、修了公演は出来上がります。それが、本当に経験として私の中にも残っています。

私の師匠にしても、この修了公演を15年以上やって、ノウハウを培いました。
初演物も多かったし、師匠たちも若かったので、ほとんど手弁当で面白い舞台を創ることに、夢中になっていましたっけ。

基本的には、「好きだから」と言う、私達のモチベーションですが、この修了公演を踏まえて、舞台に上がっている、今の藤原の歌い手さんたちは、ソリストでも、合唱団でも、あるいは、本公演以外の、舞台でご一緒しても、さっとお稽古が成立し、「物つくり」の体制になります。素晴らしい。これは、基本的には自分達で考え、作る能力がなければ、舞台に乗れないこと、裏方をやって、公演自体がどうやって出来上がり、歌い手がどう言う仕事をすればいいのかを、研究生の時代に、叩き込まれているからです。

こういった、現場の考え方を知らない、あるいは知ろうとしない人も増え、最近は、昔のように、丁寧に修了公演を作ることが難しくなっています。
問題など、様々ですが、時代が変わったこともあります。つまり、考え方が変わったってこと。それによって、段々に簡略化し、上の人たちの扱い方も変わっています。

私は、昔は昔、今は今、と、どこかで割り切って付き合ってはいます。理想を追ってしまうと、叶わないことの方が多いと言うことと、私と師匠たちとでは、経験も能力も違い、あそこまでの公演を自分が作れるかどうか、疑問だからもあります。

それでも、修了公演が一番良かった時代を、知っている人間なので、この公演に演出で関われることを、本当に嬉しく、誇りに思っていますし、何より、心の中では、ずっと師匠たちが培ってきた、修了公演のモチベーションが消えていません。それを持ち続けています。

願うならば、それを今の研究生たち、助演の人たちにも、わかってもらいたい。
そう思いながら、毎回の授業に挑んでいます。大切なことは、これが、私達の一歩になるということなんです。

チマローザの「秘密の結婚」は、本当に歌い手の力量が必要とされる作品です。どこまで彼らがそれを理解しているかは、まだわかりません。何せ、先週やった授業はひどかったですから(^^;)。

それでも、本番は、お客様が会場を出た瞬間から、なんだか笑顔になっているような、公演にしようと思っています。

さて、頑張りますよ。これは私の大切なプロセスですから。皆さんも、どうぞ、お暇なら見てやってください。そのうち、新着情報にアップしますので(^^)。

今年も、たくさん、オペラが創れると嬉しいです!がんばろ~!!!
by kuniko_maekawa | 2007-01-13 12:54 | 演出家のつぶやき | Comments(4)

謹賀新年!

いつも「オペラのブログ」を読んでくださっている方々、明けましておめでとうございます!
今年も、またオペラのこと、レッスンのこと、舞台のこと、思ったこと感じたことを、色々と書いていきますので、ますますのご愛顧を!

さて、そういっている間に、あっという間にお正月は終わりました。
来週からは研究生の授業や、レッスンも始まります。
今年は、今までとは違って、新しく成し遂げたいこともあり、トレーナーとして、もう一つ飛躍したい年にしたいと思っています。それで、クリスマスが終わった頃から、年明けの準備をしていました。

今年、私は藤原歌劇団の育成部(研究生機関です)マスターコースで修了公演の演出をします。作品はチマローザ作曲「秘密の結婚」

作品を一本演出するのは、昨年の「魔笛」以来、1年ぶり。ぺーぺーぶりが歴然としてますね(演出依頼が来てないってことです^^;)。

「秘密の結婚」は、ロッシーニの「絹のはしご」や「結婚手形」などと、同じような台本で、商人の親に内緒で秘密に結婚してしまった娘と使用人。ある日、その家の姉娘を嫁にもらいに、やってきた伯爵が、あろうことか、妹に恋してしまい、その恋人である使用人と、使用人に恋している、娘達のおばとが絡まりあって、二人の恋をどう成就させるかと言う内容のもの。

結果的には大団円になるのですが、話が単純なだけに、あんまり見せようがありません(^^;)

奇抜な内容が無いものの方が、難しいですよね。1792年の作品ですから、seccoが物語を進めて行き、重唱、アリアと、いわゆる番号オペラの形式です。

モーツアルトの作品と同じような感じですが、モーツアルトほど、音楽的に魅力は感じず、かといって、内容が無いわけじゃないので、どう扱うべきか、迷います。しかも、長い・・・。

カットしないで全幕やると、多分3時間は越えちゃうでしょうから、もちろん、カットします。そうするとまた、つぎはぎだらけで、わからん・・・・。しかし、ほっとくわけにもいかず。とりあえず、暮れから辞書引きに明け暮れていました。

私の作品を作る工程は、当たり前ですが、内容を知ることから始めます。
まず対訳があれば、対訳を楽譜に書き写します。その作業をしながら、ぼんやりと、頭に絵を浮かべてみます。ここで、浮かんでくる絵が一つでもあれば、なんとかOK。自分の中に、その作品に対するイメージがあれば、そこから膨らませることが出来ます。

これね~、まったく無いものもあるんですよ。本当に。私の場合は、これが本当に重要。
全く絵が見えないと、お手上げです。どうにか絵を搾り出すのに、知識を使うしかなくなるので、「創る」作業が人工的になるのですね。好きじゃないのです。ま、引き出しが無いだけですが・・・・。

さて、対訳を書き写して、イメージが見えてきたら、一度、音楽を楽譜を見ながら、聴きます。この時点でも、絵が見えていれば、気づいたことを楽譜に書き込んでいきます。プランじゃなく、ラフスケッチみたいなもの。

そして辞書引き。
これも、本当に大切な作業で、対訳でぼんやりと浮かんだイメージが、辞書を引くことではっきりした言葉になってきます。そうすると、見えてくるのはコンセプト。全体の方向性です。

これが終わると、もう一度、音楽と楽譜を照らし合わせて、聴き込みます。
そして、今度はプランを考えていくのですね。

プランを考えた後でも、何度と無く、楽譜と音楽を聴き合わせます。
タイミングなどを計ることもありますが、何度も聴いていく事で、さらにわかってくることがあるからです。

まったく時間の掛かること。
この作業を気が済むまでやったらば、稽古場にかけていくのですが、そこで、生きた人間に絵を移していく間に、当然、コンセプトは変わってきます。相手も、イメージを持っていますし、何より違う人間同士のかかわりですから、変わって当然。

しかし、これが作品を作ると言うことです。

昨日でうまい具合に、辞書引きは終わりました。
今日は、これから楽譜と音楽を合わせていきます。そして、来週9日から立ち稽古。稽古場にかけて、形を作っていきます。

演出家になって、一番、気を使い、疲れるのは、段取りをつけているとき。
こうやって創ったプランを、実際に歌い手を使って絵を作ってみるまでは、成立するかどうかわからないし、創ったところで、違うものが出来るかもしれないし。そのための、第一歩として、段取りを渡すわけですが、ここが一番、疲れます。

自分の思いを人に説明して、形にしてもらうには、客の前に出る以上の表現力と、説得力がいります。それを持つためにも、資料を調べ、知識を創って、作品を知る努力を恐ろしくするわけですけれど・・・・・・。

私は知識を持つことに甘い人間なので、いつも、結局行き当たりばったりで冷や汗をかくこともしばしば。
今年は、そう言うことを絶対にしないために、早めに準備を始めました。頑張ります~!
公演は3月10日。また新着情報などに載せますね。

さて、明日から仕事始めです。
今年も色んな事をやって行こうと思っています。どうぞ、皆さん、お楽しみに!(^^)
by kuniko_maekawa | 2007-01-04 12:09 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

作品を知るということ

今日は久しぶりに研究生の授業に行きました。
今年は、10月のアンサンブル試験に続き、修了公演も同じクラスを演出します。
今は、まだ音楽稽古の時期なので、演出家が授業に出席することは無いのですが、今日は音楽スタッフの先生方が、お休みらしく急遽借り出されました。

しかし、いきなり借り出されたからといって、一回だけ、しかも3時間、なんて埋めようがありません。
細かくやれば、時間が余るし、大雑把にやったところで、意味無い感じもするし。第一、研究生達もまだまだ譜読みもおぼつかないという頃でしょうから、内容のことをうるさく言っても頭に入りません。とりあえず、時代背景や、キャラクターのことなど、歌わせながら内容のことも少しずつ話しことにしました。

話すばかりでは、与えるだけになるので、授業の場合は質問形式で行うのですが、楽曲を歌わせて、感じることを質問していくと、答えられないことがなんと多いことか。

ここで、質問しているのは、今歌った場面では、何が起こっているの?とか、姉妹の関係とか、恋人達の経緯とか、そういうことです。しかし、うまく答えられない。

大体のことは答えるようですが、それはその楽曲の中で想像することだけです。つまり、作品の大きな流れがまだ見えてない様子。

しかし、演目が決まってから一月半経っています。この間、何をしていたのか・・・???
もちろん、音取りや歌詞に慣れるのに時間がかかっているのですが、この最初の作業をするときに、オペラの概要を知ることは、ほとんど無視されています。

音も取れてちゃんと歌えるようになったら、内容を勉強しようと言うわけです。これは大きな弊害。そこに納得するまで、作品さえしろうとしないのですから、音楽が感じるわけがありません。

これは、日本と言うお国柄だと思うのですが、日本はとかく基礎だ大事。
例えば、スポーツなんかもそうですよね。まずは、基本。

それはとても大切なことで、それ自体を否定はしませんが、こと、芸術に関してはその生真面目さが、マイナスになるときがあります。

例えば、バレエなど、同じように基本が大事でしょうが、やはり表情や感情が豊かでないと、どんなにテクニックが高くても、芸術性が低くなります。フィギュアスケートなど、最初のコンパルソリ(だったと思いますが、スケーティングのテクニックを競う段階です。マルを描いたり、規定にどれだけそれるかが観られます)は高い点数が取れても、ショートプログラムやフリーになると、途端に芸術性を問われて点数が低くなります。

以前、あるオペラで振り付けにイタリア人が来た時に、日本人のダンサーに振りを渡す段階で、そのダンサーの表情が固いので、「どうしてそんなに表情が乏しいのか」と聞いたところ、そのダンサーは「振り付けを付けている段階だから」と、答えました。どう思いますか?

その振付師は、振り付けの段階から内容も一緒に創るのが当たり前だと言っていた訳ですね。だから、表情が硬いのはおかしい。

研究生達に音をとりながら、そこまでのことは要求しませんが、もっと、作品に興味を持って、準備をして欲しいものだと思います。

楽譜をもらったら、対訳などを書き込むでしょうから、書き込みながら、大きな流れはちゃんと確認しておく。

音取りの最初から、内容を濃くしろとは言いませんから、ある程度慣れてきたら、時代を調べる。キャラクターを考える。作品を知る努力はいくらでも出来ると思うのです。

それを知って音楽稽古をするのと知らないでするのでは、本当に大きな差があります。それを楽しみながら、やる術を学んで欲しいものですが・・・・。

ま、そういったことも含めて、今日も沢山投げては来たので、後は、立ち稽古で私と再び会うまでの間、彼らがどれだけ作品を知ってくるか楽しみに待つことにします。

それにしても、一本を演出するというのも、やはり大変な作業です。レチターレの方が、演目の数は多くても、物語性が無いだけ、好き勝手に出来る楽しさがありますね。

とはいえ、研究生達が、沢山レチターレのチケットを買ってくれました。感謝、感謝(^^)。きっと、刺激になるよ~ん!
by kuniko_maekawa | 2006-11-21 23:57 | 演出家のつぶやき | Comments(1)

稽古場がゆがむ???

まあ、多分に、私の頭がゆがむのです。
さて、前回の記事で、歌い手の風通しの良さについて、書きました。今は、ずっとレチターレの立ち稽古が続いているので、そこで色んなことを感じているのですが、ずっと以前から、自分で立ち稽古をしていると、どうしても、成立しない稽古が出来る時があるのを疑問に思っていました。

研究生などをやっている時にも、こう現象はあります。
段取りを考えて稽古場に入るのですが、どうしてもうまく行かない。作っている絵が完成しない。

最初、やはり自分の絵が悪いのかと思ったり、出来ない演目に関しては、苦手な曲なのかと思ったりもしてました。

しかし、最近、これは例の「風通し」が悪いんだということに気づいたのです。
つまり、歌い手の心が閉ざされていると、私の与えたものが、生きて返ってこない。ただ、動きのみ、だた、方向のみの絵が出来上がっているのです。

これは、「稽古場」などで、研究生の授業などでやる演目をかけたときに、明らかに歌い手のレベルが違い、あっという間に絵が出来上がったのを経験したことで気づきました。

でも、レベルが違うだけではないのです。研究生達だって、下手は下手成りに、作品は作れます。絵が出来上がるのです。

じゃあ、絵が出来上がらないのは、どういうわけか。
本人達の息吹きが入ってこないのです。私の与えた段取りに、命が吹き込まれない。それは、ただ、与えられたものをやろうとしているからなのです。

こう言う歌い手にぶつかった時、どんな手を尽くしても、まず、彼ら、彼女らの心を開くことからやらないと、絶対に作品は作れません。歌い手の方で、理由を産まないからです。

昨日レチターレでやった稽古でも、そうでした。
何回も書いているように、今回は段取りは踏みませんから、私の大まかに感じていることと、音楽を兼ね合わせて、その場で作って行くやりかたをしていますが、頭の固いSopさんが、どうしても乗ってくることが出来ません。そして、どんどん防御に入ってくる。

例えば、こちらが渡した方向性が、うまく行かない場合に、「自分は違うところでリアクションしようと思っていた。」となってきます。もちろん、それならそれで、構いませんが、結局はシャッターを降ろしているだけなので、自分の思うとおりのことも出来ません。

そうなると、目の前の歌い手が、段々、無表情な息をしない人型に見えてきて、稽古場の空気が止まり、私の頭がゆがんでくるのです。「なんでなの?」「どうして感じないの?」などといいつつも、一生懸命動かそうとしてしまい、歌い手を動かすことばかりに集中し始めるのです。これでは絵が出来るわけありません。参りました。(^^;)

彼女の場合は、お稽古のはじめがいつもそうですから、なんとなくプロセスはわかっても、毎回こうでは成長が無い。それに、レチターレは生み出す稽古が主だと考え、そのことは本人もわかっていながら、出来ない。性格的なことだと言ってしまえばそれまででしょうけれど、それが、無駄な時間を作ってしまいます。

こういった現象が、私のほうにも影響するということに気づいてからは、一応手を尽くして、動かないものを動かしてみた後は、ほったらかしにすることにしています。
私にしても、自分の創る方向に自信が持てなくなるのは非常に良くない。その壁に稽古場が覆われ始めると、本当に空気が止まってしまいます。それは一番あってはいけない状態なのです。

ともあれ、それに気づいた時は、自分の絵がおかしいわけではないとわかって、ほっとしました(笑)。だって、同じ演目を「稽古場」でかけると、いとも簡単に楽譜が見えてきて、絵が作れるんですもの。その時の歌い手達が、異常に風通しが良いことをかんがみても、問題は、自分を開くかどうかだけです。

演出家も人間ですから、自分のやりたいことを押し付ける嫌いはあります。けれど、やっぱり筆がうまく動いてくれないと、キャンパスに色は塗れないわけですね。そのためには、お互いが綺麗な状態で、いられないといけないわけです。すでに絵が入っているキャンパスや、汚れた筆は、違う色を作り出すのです。

さて、シャッターが降りている自分と言うのを認識されているだけ、開こうとする努力はありますから、先のSopさんも、次回の稽古に期待します。

稽古場は、やはり足らないものを見つける場所です。
そのためには、良い子になっては駄目なのです。思い切って、自分をさらけ出す勇気を持って欲しいものです。第一、私達演出家や指揮者は、恥ずかしいくらい裸になって稽古場にいるんですから。(^^;)せめても、真正面から向き合って欲しいものだと思います。
by kuniko_maekawa | 2006-11-17 13:18 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

ドイツ歌曲にはまる

少し前に歌い手の友人と話している時に、ドイツ歌曲の話になりました。その友人はバリトンで、今はイタリアオペラが多いですが、学生の時にずっとドイツ歌曲を勉強していて、なんの話をしていてそうなったか忘れましたが、いつか、ドイツ歌曲に戻って演奏会をライフワークにしたいといっていました。そこで、急に食指が動き、久しぶりにドイツ歌曲を聴いてみようと、さっそく図書館でその時話題になった、シューマンの「詩人の恋」と私が好きだった同じくシューマンの「女の愛と生涯」のCDを借りてきました。

私は大学で声楽を学んでいた時も、先生がイタリアに留学なさっていた方なので、ずっとイタリアものを勉強していました。こう言うのは、習う先生の方向によります。大学に入学したときから、はっきりしたヴィジョンをもって、先生を探すと言うことなんて、あまりないですから、たまたま入った門下によって、勉強するものが変わります。
そう言うわけで、あまりドイツ歌曲を歌ったことはありませんでしたが、聴く機会はもちろんありましたので、やはり楽譜を買い求めたりはしていました。

しかし、この世界に入ってからは、イタリアオペラ一辺倒。これまたお仕事をしていた環境がそうだったこともあり、ドイツオペラを原語でやる機会など、長い年月1,2回くらいでしたでしょうか?こんなわけですから、すっかりドイツものから遠ざかっていました。

久しぶりの、ドイツ歌曲。その友人が何年か前に演奏会でシューベルトを歌ったのを聴きに行って依頼です。しかし、美しい旋律、そして、新鮮です。何かと言いますと、学生の時には感じなかった、言葉の感覚、いわゆる語感と言うものに、それぞれの歌い手の妙を感じます。そして、その元になっている詩のイメージ。これがまた、美しい。っていうより、ひどく肉感的に感じます。

元々歌曲は詩を作曲家が選んで、それに曲を付けるものですから、非常に、作曲家自身の気持ちや環境に近く感じます。オペラにもそれは感じる時がありますが、「詩」と言うもののバックグラウンドが、個人的な感情の吐露であり、その吐露された感情を、「言葉」と言うオブラートに包むと言うような、すごく心の内側に迫るもののようなものですから、歌手とその歌手が選んだ歌曲との関係性みたいなものも、すごくあからさまにされるように思います。

こんなこと、学生の時にはもちろん、わからなかったのですが、今、私の耳が刺激を受けるのが、何を聴いていても、まさに「言葉」のみ。語感と、その時使われている音楽が合致した時に心が震えます。これは、どうやら、歌曲の方が刺激的で、背景がない分、想像力を掻きたてられるみたい。すっかりはまってしまいました。

先の友人に、何曲か紹介してもらって、CDを聴きまくり。シューマン、ベートーベン、ブラームス等々。今度はシュトラウスや、ヴォルグ。近代のものも聴いてみようと思っています。そして、歌曲を聴くのが私によいと感じるのは、歌手を意識するからですね。

普段、私は、オペラを聴く時に、あまり歌手では選びません。やはり指揮者か、映像の場合は、演出家ということがあります。それに、アンサンブルと言う意識が強いですから、一人ひとりの声よりも、なんか、もっと大きな枠で聴いてしまうので、よっぽど嫌な声じゃない限りは、案外選んで買いません。
しかし、歌曲の場合は、そうはいきません。たった一人の歌手の言葉の妙技を楽しみますから、やはり選びたくなりますね。そう言う意味では、もっともっと色んな声を聴こうと思っていましたから、良い機会となりました。

舞台上の可能性としても、広がりを歌曲に感じます。この想像の世界を、立体化させたいなどと、大それたことも考えてしまいます。でも、ちょっと歌曲と、自分と言うテーマを、もう少し発展させて、何か形に出来ないかと思い始めました。
それにしても、ひょんなことから、自分の新しい世界が見えてきました。友人には感謝。神様にも感謝。しばらく、はまり込んでしまいそうです(^^;)
by kuniko_maekawa | 2006-07-17 22:48 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

芝居の演出家VSオペラの演出家

先頃、あるオペラ団体に関わっている友人から、演出家のことで相談を受けました。どう言うことかと言いますと、今度彼らがやる公演の演出家が、芝居畑の人で、オペラのことがわかっておらずに、困っていると言うこと。う~ん、よくある話である。
演出家と言う職業は、本来ならジャンルを分けるべきものでもないのですが、扱う作品の種類が違うと、方法は違ってくると思います。その大きなジャンルわけとして、「芝居」と「オペラ」となるわけですね。もちろん、演出家の方も、仕事を始める流れとして、芝居から入る人、オペラから入る人、色々です。出身が違えば、自然にジャンルが違いますよね。例えば、私の場合は、声楽を学んでいた関係で、そのまま自然にオペラの世界へ入りました。芝居の現場も入ったことがありますが、やはりなじめませんでした。方法がちがうのです。逆に、役者をやっていて、スタッフになり、助手を探していたオペラの演出家にアシスタントとしてついてから、オペラの世界に入った人もいます。このジャンルが、時として入れ替わった時、色々問題が起こるのですが、それも、双方のプライドと、思い入れと言う感じがします。
芝居とオペラは、はっきりと方法が違います。何せ、片方は台詞だけ、片方は音楽付き。芝居の場合は、役者さんとともに一つの台詞を追いながら、役を創っていくという、無限大の仕事を要求されますが、オペラの場合は、まず作曲家がいて、そこに歌い手がいて、指揮者がいて、と、何人もの音楽的解釈を通り越して演出家の解釈が存在したりしますから、まず、楽譜を読むことが必須です。しかし、だからといって、オペラ演出家が、ハイレベルと言うことになりません。私は、両方の演出家とオペラで仕事をしたことがありますから、それぞれの才能のすごさに、感嘆しています。楽譜をまったく読めない演出家でも、感性がよければ、音楽の長さ、歌唱の大切さ、間奏の意味などを、ちゃんと汲み取ることが出来ます。むしろ、楽譜が読める私たちの方が、その感性を失わないように、楽譜上でのはっきりした箇所を提示できなければいけないという、プレッシャーが大変でした。例えば、宮本亜門さんなどそうです。反面、まったく楽譜を無視して、リブレットだけでオペラの場面を作ってしまおうとした演出家とも仕事をしたことがありますが、結局は、常に流れてくる音に負けて、歌い手や指揮者の言うことを飲まざるを得ないと言う事態に陥ったこともあります。しかも、その演出家がオペラ演出家だったりします。ジャンルじゃなく、才能なのだと思いますが、その相談をしてきた友人が、関わっている演出家と彼らも、まず、ここで対立しているのですね。「演出は感性だ」「オペラは音楽だ」みたいなところ。そして、双方が「知らないくせに」と言う相手のジャンル違いをどこかで攻めていることと、お互いの領域を守ろうとしてプライド合戦になる。困ったことですが、往々にしてあることです。
こういうことを解消するには、まずは、腹を割って話をするしかありません。双方に良いところはあるわけで、例えば、芝居の演出家との稽古は、何も無いところから、発想を展開させて場面を構築すると言う、キャッチボールを経験できます。しかし、歌い手たちは、ここで「自分たちは芝居は素人だ」といって、このやり方に対応できないことを方法のせいにしてしまいます。これは、良くない。段取りをもらえれば、出来るのに、と言いたいわけです。「オペラは普通、こういうやりかたはしない。」この世界、「普通」なんてことはありませんから、リベラルさが無さ過ぎです。加えて、こんな発想も出来ないのかという、狭さも印象としては出来てしまいます。それで、芝居の演出家からすれば、「オペラの人は芝居が出来ない」となるわけです。しかし、逆の見方をすれば、楽譜を読んでいけば、音楽のサイズと言うものがある程度の自由さを束縛していることはわかります。その音楽の中での、リベラルな作り方は、やはり芝居とは違います。そこは、勉強すべきなのです。難しいですね。しかし、先にも書いたように、大切なのは受け入れることです。受け入れた上で、お互いの必要性を話し合う。これさえ、シャットアウトするような演出家なら、芝居であろうと、オペラであろうと、必要悪だと言うことになると思います。
今は、チケットが売れると言うこともあって、名前のある芝居の演出家がどんどんオペラに進出しています。オペラ演出家はついぞ、名前が出ると言うことが無いですから、知名度では負けています。しかし、感性も、音楽観も、何より、作曲家とのコンタクトが群を抜いてこそ、本物のオペラ演出家なのではないかと、私は思っています。そして、オペラを演出する限り、演出家の名前が大切なのではなくて、作品が前面に出るのが一番大切なのではないかと、日々、思っているのですが・・・・・。
by kuniko_maekawa | 2006-06-16 13:27 | 演出家のつぶやき | Comments(0)

演出って・・・・

明日から、久しぶりに演出家の仕事にはいります。藤原歌劇団オペラ歌手育成部の前期アンサンブル試験と言うのを演出するのですが、私が担当するクラスはマスタークラスといって、この研究生機関の最終学年です。もう一つ下の学年の時は前期に演奏会形式のアンサンブル試験。後期に「フィガロの結婚」のハイライトを演技つきでやっています。そこで、一度上の学年に上がれるかどうかと言うふるいに掛けられ、そして、マスタークラスに上がってきます。ここでの前期アンサンブル試験は、前学年の後期と同様、演出家が入り、演技つきの試験をしますが、このマスタークラスの前期アンサンブル試験は、唯一、それぞれの研究生が、声にあった作品を勉強できる機会でもあります。つまり、今までやった、「フィガロ」のアンサンブルなどは、役の限定がありますから、軽ければ、スザンナ、バルバリーナ、メゾはケルビーノかマルチェッリーナ。ちょっと重ければ伯爵夫人という風に、出来るだけ個人的な声を考慮されても、枠が限定されます。しかし、このマスタークラスのの前期は、それぞれの声にあった、オペラの作品の一場面をやりますから、ある意味、研究生たちにとっては、一番大切な試験と言えます。その後の修了公演は、やはり一本をやると言うことで、役は限られますから。
反対に、私たち演出家にとっては、この試験が一番大変です。なぜなら、演目が様々に10演目は出てくるからです。これは、本当にエネルギーと時間を要します。何せ、各場面は短くても、その場面を勉強するのに、当然オペラを一本勉強しなければ、場面は構築されません。いくつかは同じオペラ作品が重なったにしても、5本はオペラを一本勉強すると言う形です。おいおい~(^^;)
研究生たちは、前にいる演出家や指揮者には完璧を要求しますから、質問してわからないとか、演出がつかないとか、指揮者が振り間違えるとか、夢にも思っていません。それどころか、何かを教えてもらうつもりでいますから、口をあけたままのひな鳥と同じ。いくら入れても、腹が空いたままです。ああ・・・。私の食べたものは吐き出しても吐き出しても足らない。
しかし、私もこの研究生をやり始めて、そろそろ10年選手を超えました。演出家としても関わるのは4回目。そろそろノウハウみたいなものも、自分の中で出来始め、そんなにおたおたしなくなりましたが、4回目ともなると、こちらも成長しているわけで、4年前とは楽譜の読み方が違っています。研究生の演目自体は、大抵同じで、新しいものはそんなにお目にかかりません。それで、一度作ると、しばらくその形でずっと進めてしまいます。しかし、そろそろお古も着古したと言う感じがしてきたので、このところ、楽譜を見直しながら、改めて発見したものなどを付け加えて演出プランを考えています。試験とはいえ、基本的にオペラ歌手育成部。私たち演出家も、学生相手ではなく、一人の歌い手と接するつもりで稽古場を成立させようと思っていますから、手を抜くつもりは毛頭ありません。むしろ、私の演出作品として、審査員と言う客の前に出すつもりでします。当たり前ですよね。
さて、私は演出をするにおいて、得て不得手がものすごくはっきりしている演出家です。単純には絵が見えるかどうかと言うことだけですが、どうやっても絵が見えないものが作品の中にあるのです。主にブッファ系。ロッシーニ、ドニゼッティ。鬼門の曲が沢山あります。理由はただ一つ。音楽が楽しいからです。つまり、これだけ音楽で耳が満足させられるのに、それ以上、目が何を語るのかと思ってしまって、一向にプランが浮かばないのです。毎回、挑戦して、毎回玉砕しているのですが、いつまでもそんなことをしていられません。昨日からまたその鬼門の楽譜を見直していて、ため息をついています・・・。ああ、才能が・・・(;;)
しかし、一つだけ、試みてみようと思っていることがあります。「基本に立ち戻ること」。つまり、何もしないってことです(笑)。例えば、ドニゼッティのドン・パスクワーレの3幕のノリーナとのデュエットや、ヴェルディの「ファルスタッフ」など、あの楽しい音楽に、つけて行くのには、それ以上に楽しいことをしなければいけないと思ってました。でも、無理(笑)。っ言うか、多分、意味が無いのです。オペラですもんね。音楽が良くて当たり前なのです。と、言うことで、リブレットから見える絵を、まったくオーソドックスにすることを決めています。リブレットの背景から自然に作れるものを作る。それ以外は音楽に任せる。これで、案外うまくいくような予感もしています。
それにしても、毎回、演出の持っている必要悪性を感じないでいられません。それでも、外側を作ると言う作業が非常に大切な要素を持っているとわかっているのですが。さ~て!頑張るぞ~!!
by kuniko_maekawa | 2006-05-31 14:57 | 演出家のつぶやき | Comments(4)

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